床を埋め尽くす患者、「野戦病院」のような院内。石巻であの日…23歳の看護師が得た教訓 #知り続ける
2011年3月11日、東日本大震災。津波被害を免れた石巻赤十字病院で、23歳の看護師は不安に押しつぶされそうになっていた。 重症患者を受け入れる「赤エリア」に配置され、被災者の到着を待っていたのだ。しかし、意外にも「命の危機に瀕した人」は多くなかった。 のちに分かる。患者は病院に来なかったのではない。来られなかったのである。病院の静けさは「外の壊滅」を意味していた。
状況が一変したのは3月12日。発災の翌日だった。 院内のロビーには床を埋め尽くすほど傷病者があふれ、叫び声が響く。地域の命の砦だった場所は、さながら「野戦病院」のような空気に包まれていった。
手術室で感じた「死」の予感
その最前線に、看護師の佐々木麻未さんがいた。震災当時23歳、看護師2年目だった。 午後2時46分、彼女は手術室で業務にあたっていた。 「ドン」と下から突き上げるような衝撃。そのあと、激しい横揺れが続いた。免震構造の建物は大きく揺れ、船酔いのような感覚に襲われる。 揺れが続くなか、佐々木さんの頭をよぎったのは、職業的使命よりも先に、むき出しの恐怖だった。 「ここで死んでしまうというか、自分の命が危ないんじゃないかと感じた」 建物の二階部分が潰れてしまうのではないか。そう思うほどの揺れだった。それでも、彼女が最初にしたのは、目の前の患者の安全を守ることだった。 ベッドを押さえ、避難経路を確保するためにドアを押さえる。自分の身が危ないと分かっていても、患者を守ろうと手が伸びた。 震災前、宮城県沖地震が高確率で起きると繰り返し共有されていた。心構えはあった。 しかし、現実は想像をはるかに超えていた。 「いよいよ来たのか、と思いました。でも、どうしよう、って」 想定と現実の間には、圧倒的な差があった。
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