「あれっ、エミヤ」
「どうしたマスター、こんな時間に」
ひょいとキッチンスペースを覗いた立香は、テーブルに腰かけている人影を見つけて思わず声を漏らす。
そこに居たのはキッチンの守護者であるエミヤだ。彼の姿がキッチンにあるのはおかしなことではない。だが時間はもう日付も変わりそうで、しかも厨房内に立っているならまだしも彼はテーブルについているのだ。もしや普段母親のように愛ある厳しさを持つ彼が夜中につまみ食いなど、と悪い期待に胸弾ませて立香は近付いてその手元を覗き込む。
「……何してるの?」
「レシピをまとめていただけだ。君こそこんな時間まで起きていたのか?」
エミヤの手元にはジャンクフードがあるでもカップラーメンがあるでもなく、綺麗な字で書き込まれたレシピノートが広げられているだけだった。もし夜食をつまんでいたらおすそわけを狙えたのに、と肩を落とし、立香はエミヤの隣に腰かけた。
「なんか眠れなくて」
「……ホットミルクでも用意しようか」
サーヴァントに睡眠は要らない。だが立香は人間だ。こんな状況ではあってもエミヤは立香にきちんと人間らしい生活をさせようとする。子供は寝て育つものだと言って十時にもなれば早く寝ないかと注意してくるのだ。だがいつもいつもそんなに素直に眠れるわけではない。気が高ぶっていたり、嫌な夢を見たり、無意識のストレスで目が冴えてしまったり。そんなときの立香に対して、エミヤは口煩く小言を向けることはない。今のように何も聞かず叱ることもなく、ホットミルクだったり時には秘密のお菓子だったり、緩やかに立香を甘やかしてくれるのだ。
「んーん、なんかエミヤの顔見たら安心しちゃった。眠れそう」
「……そうか」
「でもちょっとだけお話しててもいい?」
「構わないよ」
深夜故の潜めた低音は、立香にとっては子守唄に十分なり得る。それに昼間はいつだってエミヤは忙しそうで、そんなエミヤを一人占め出来るのはなんだかとても気分がいい。
「さて。絵本でも読もうか、マスター?」
ウインクをしてそう笑うエミヤに、それはそれで魅力的だけどと思いつつ立香はすすすと身を寄せる。
「コイバナとか、どう?」
「……私と、か?」
「アニキとは順調?」
こんなときでしか聞けない話として思い浮かんだのが、それだった。エミヤを運命と言ってのけたランサーのクー・フーリンの粘り勝ちとも言える形で二人が無事に恋人関係になったのは、つい一ヶ月程前の話だ。普通に考えれば密月満喫中というところだろう。だがその話題を出すと、エミヤの顔が途端に曇ってしまった。
「……別れようと思うんだ」
「……は」
まさかの発言に、立香は眠気もふっ飛んでしまう。確かに付き合いだしてからは一ヶ月しか経っていなくても、この二人は誰がどう見たって両想いで、おさまるところにおさまったと皆笑っていたくらいなのだ。それが、付き合いだした途端に別れたいとは。
「え、と……理由聞いてもいい?」
「ムカつくようになったんだ」
「元々喧嘩ばっかりじゃん」
「いやそうだが、最近アレを見ていると、苛立ちのほうが強くなってしまって……」
エミヤの表情は深刻だ。いわゆるケンカップルと呼べる二人だが、間違いなく相思相愛であったはずなのに、いったい何があったのか。
「アニキ、色々雑だったりするのかな……。えーと、たとえばどういうとき苛立つの?」
「その、彼は基本的には人当たりもいいしあの性格だから、職員とも気軽に話しているだろう」
「あーそうだね。近寄りがたいサーヴァントっていうのも確かにいるけど、アニキは親しみやすい側だよね。かなり初期から居てくれてるし」
「美しい男だし、女性職員にもよく囲まれている」
「うん……うん?」
ほんの少しのひっかかりを感じて、立香は首をかしげる。だがエミヤはそれには気付かず、眉間の皺を深くして苦悩している。
「そういうのを見ると苛立ってしまって……いっそ殺してやろうかと」
「うん??」
「殺意などと、こんなのは仮にも恋人という相手に向ける感情ではないだろう」
「まってまってエミヤまって」
「職員たちと別れたあとで私のところにやってきて呑気に笑いかけてきても、笑顔を返せないんだ。なんなら拳を振るうのを抑えられたことが我ながら奇跡だと思うくらいで」
「エミヤそれただの嫉妬ーーーー」
「……は?」
ばたっ、と限界を迎えて立香はテーブルに突っ伏す。横目でちらりと見ればエミヤは目を丸くしていて、何を言われたのか理解していない顔だ。
「好きな人が自分以外の人と楽しそうにしてるの見てムカムカするのは、ただの嫉妬だよ、エミヤ……」
「マスター何故潰れてるんだ」
「いやだって深刻な別れ話かと思ってたらのろけだったからさぁ」
「のろけ!?いつ私がそんな」
「ちょいちょい出てましたけど????」
むくりと体を起こし、立香はのろのろと立ち上がる。なんだか疲れてしまったので、よく眠れそうだ。
「とにかくこれはコイバナの相談云々じゃないよ。二人でいちゃいちゃしたら解決するやつだ。アニキ出てこーい」
「……は!?」
驚きのあまり裏返った声を出したエミヤの死角から、うっすら顔を赤くしたランサーのクー・フーリンが姿を現す。
「なっ……貴様いつから」
「最初から」
別に霊体化をしていたわけでもないし、立香はクー・フーリンが居ることにも最初から気付いていた。単純にエミヤからは見えず、油断していただけだ。まぁもしかしたら多少ルーンやら何やら使っていたのかもしれないが。
「で、どうしましょアニキ」
「おぅ、じっくり教え込むわ。世話かけたな」
「いーえ」
ニッと笑うと、クー・フーリンはエミヤに向き直る。別れたいという話を聞かれたエミヤは口許をひきつらせて気まずさを顕にしているが、クー・フーリンの方はむしろご機嫌だ。
「なぁアーチャー、オレは今めちゃくちゃ気分がいい」
「……別れたいと言ったからか?」
「なんでだよ。お前さんがそんなかわいい嫉妬してくれるとは思ってなかったからよぉ」
「だ、だから嫉妬などでは!」
「いーや、嫉妬だ」
カッと顔を赤くするエミヤに、クー・フーリンは容赦なく近付いてずいとその顔を寄せた。エミヤが面食いなこともクー・フーリンの顔が大好きなことも、立香は知っている。もちろんクー・フーリン自身も知っている。その上で顔面宝具をここぞとばかりに活用していて、すっかり固まってしまったエミヤに立香は心の中でほんの少し同情した。
「心配すんな。オレの今世の愛はお前だけのものだ、アーチャー・エミヤ」
「……なっ」
「よっし、じゃあ部屋に行くか!マスター、明日のこいつのキッチン当番はなしだ」
「おっけー、伝えとく。働きづめなんだからそのまま2、3日休んでもいいよ」
「そりゃありがてぇな」
「でもアニキはそのあと周回ね!」
「へーへー」
「おい、何の話を進めてるんだ!」
クー・フーリンにガッチリと肩を拘束され全く抜け出せないエミヤは、真っ赤な顔のままそれでもじたばたともがいている。
「んー?お前さんはこれから3日かけてオレに愛されまくるって話」
「は!?!?」
そのまま己の部屋に引きずられていくエミヤに手を振り見送ってから、立香は大きなあくびをひとつする。
さすがにこれからの三日間の話を聞き出そうなんてことをするつもりはないけれど、復帰したあとであの弓兵は「迷惑をかけた」なんて照れ臭そうに言いながら甘いお菓子をこっそりと作ってくれるだろう。それはすごく楽しみだ。
「……しょっぱいお菓子の方がいいかも?」
だってもしかしたら、見てるだけで甘さに胸焼けしてしまうなんてことになるかもしれないから。
(了)
Comments
- 月城 紗弥October 4, 2023