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点対称のきみとぼく/Novel by あんごら

点対称のきみとぼく

23,765 character(s)47 mins

α槍Ω弓オメガバース。
Twitterで垂れ流していたのに肉付けたものです。
オメガバースはえっちだし本能だし理性だしで最高ですね。
致してるシーンがないのでR-18付けてませんが問題あったらつけます。

もしかしたら短編くっつけて本にするかもしれません。またお知らせします。

表紙はこちらからいただきました。
illust/52909459

8/5追記 本になります。
novel/11492483

8/28追記
通販してます。よろしくお願いします。
https://28765664.booth.pm/items/1529810

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 ランサーはとても良い気分だった。
 高校の同窓会の帰り道。級友たちとの久々の会話は、彼をすっかり学生時代の心境に戻していた。社会人になって数年。良くも悪くも落ち着いてきて、同じことばかりを繰り返す毎日。そんな中での同級生との再会は、ランサーにとっては新鮮な非日常に感じられた。
 アルコールの具合も丁度良かった。だからこそなんとなく一人で感傷に浸りたくて、三次会への誘いを断って帰路に就いた。せっかくだからと駅までもいつもは通らない道を選んだ。冒険好きの少年に戻ったような心地でいた。
 そんな風に気まぐれで入った路地裏で、蹲っている男を見た。酔っ払いかと眉を顰めて、すぐにそうではないとランサーは気が付く。鼻につく甘ったるい匂い。発情期のΩだ。
「おいおい、勘弁してくれよ」
 一気に気分が急降下した。冷や汗混じりに毒突く。ランサーはαだった。抑制剤による自己管理も出来ていない下等なΩの存在は、αにとってはとてつもない脅威である。フェロモンに当てられて見も知らぬΩと番ってしまったなんていうのは笑い話にもならない。ここは見て見ぬふりをしてこの場を立ち去るのが得策かと思ったそのとき、ランサーはその男の髪の色に見覚えがあるような気がした。
「あれ…アーチャーか…?」
 そう思って見れば、その人影はまさにその人であった。 ランサーとアーチャーは高校時代のクラスメイトだった。だが、仲は決して良くはなかった。数回話したことがある程度で、しかもそのほとんどが口論だったような気がする。しかし彼と仲が悪かったのはランサー一人ではない。
 嫌われ者のアーチャー。当時の彼に対するクラスメイトの認識は、総じてそれで一致する。傲慢で口うるさく、皆が楽しんでいるところに規則を持ち出しては水を差す。今日の同窓会でも何となく遠巻きにされていた。その彼がΩであったということにまずランサーは驚いた。現代においては人口の大多数を占めるβに対し、αもΩも圧倒的に少数派だ。彼のことのも当然βだと思い込んでいた。αの自分も気が付かなかったということは、余程うまく隠していたか、もしくはそれだけ関わりが薄かったということかもしれない。
 かつての級友。しかし特別親しかったわけでもない。性格も多分、悪い。そんな人間に自分の貞操を危険にさらして構う価値があるか。
 悩んだ末に、ランサーは手を差し伸べた。
「おい、大丈夫か」
 ハンカチで口を覆って声をかける。気休め程度にしかならないが、何もしないよりはマシだろう。
 ぼんやりと上気した顔でこちらを見上げる男。やはりアーチャーだった。その目は熱に浮かされていて、ランサーを認識しているのかどうかも怪しい。近寄ると一層匂いが酷かった。思わず顔を顰める。
「お前、薬は」
「……持っていない」
「はぁ?!ふっざけんな、ヒートで抑制剤無しで外出って死ぬ気か?!」
 本当は殺す気か?と問いたかった。グツグツと下腹部が熱を持つのは怒りのためではない。しかしアーチャーは俯いて黙り込んでしまった。匂いがまた一段と強くなった気がする。多分己のせいだ。ランサーのαのフェロモンがアーチャーのΩ性を刺激し、ヒートを悪化させている。このままでは互いに首を絞め続け、やがて取り返しのつかないことになる。
 冷静を装いながらも刻一刻とランサーの余裕は奪われていた。さてどうするかと思ったとき、ランサーは視線を感じた。少し離れたところから年配の男がギラギラした目でこちらを見ている。視線の色で分かった。あれはαだ。
「アーチャー、立てるか。移動するぞ」
 このまま置いていったら確実に襲われる。ふらふらのアーチャーに肩を貸して歩き出す。密着したことでもろにフェロモンが嗅覚を刺激して、ランサーは焦った。意思とは関係なく勃ち上がったものが衣服を押し上げている。早く、こいつをどこかに隔離しなければ。家は遠すぎる。トイレじゃ心許ない。どこか匂いを遮断できる丁度いい場所は。そう思って、該当したのが直ぐ側でネオンを光らせるラブホテルだった。
 焦る手で券売機のボタンを押して、部屋まで引きずりベッドに運んだ。肩にかかる重みが消えてホッと息を吐く。アーチャーは荒く息をしながら横たわっている。断続的にカク、と動く腰に煽られそうになって、慌てて顔を背けた。本能に支配されそうになった意識を必死で取り戻す。
 これからどうすべきか。何よりもまず、アーチャーのヒートを治めてやらなければならない。普段のヒートがどの程度なのかは分からないが、救急車を呼ぶほどではなさそうだ。今からドラッグストアに行って抑制剤を買ってこいつに飲ませて、
「らんさ、ぁ…っ!」
 甘ったるい声に後ろから絡め取られて、その後の記憶が無い。




「どうしてくれる」
 正気に戻って残っていたのは絶望だった。白と赤に塗れたシーツ。明らかに変化した嗅覚の質。そしてベッドの反対側で蹲るアーチャーの項には生々しい噛み跡。番が成立してしまったことのこの上ない証拠だった。
「それはこちらの台詞だよランサー。私は貴様なんかと番いたくなかった」
 真っ赤に充血した瞳でこちらを睨み付けるアーチャー。その言い草に、ランサーの頭に一気に血が上る。
「はあ??!!お前がちゃんとヒート管理出来てないのが悪いんだろうが!オレは被害者だ」
「ああそうだろうな。なら被害届を出したらいい。私は強姦魔として捕まって、強制的に番が解消できるじゃないか。ほら好きにしたまえ」
 挑発するようなアーチャーの台詞にランサーは舌打ちをした。
「出来ねえんだよ」
「は?」
 アーチャーは訝し気にランサーを見る。
「オレはもううちの会社の後継ぎなんだ。Ωに襲われた、なんて恥ずかしくて言えやしない。かと言って一度番ってしまったお前を放り出すこともできない」
 番に捨てられたΩの末路は悲惨だ。終わりのないヒートに苦しみ、やがて心身ともにぼろぼろになって死ぬ。
「そんな鬼畜なことしてみろ。会社の評判に関わる」
「…は、じゃあどうするんだ」
「お前とオレが元々好き合っていて番ったって形を取るしかない」
「ふざけるな!なぜ私がそんな」
 徹底して異論ばかり唱えるアーチャーにランサーの堪忍袋の緒が切れた。意図せぬ状況に自分を制御できなくなっているという自覚があったが、止められなかった。
「全面的にそっちに非があるの分かってんのか?!オレだってお前と番いたくて番ったんじゃない。生活の保証はする。それとも道端で股開いてきったねえジジイどもに犯されて生きたいってか?!」
 アーチャーの顔がぐぅと歪む。ランサーの言うことは正しい。警察に突き出されるにしろ、放り出されるにしろ、アーチャーがまともな未来を送れる可能性はゼロだ。
「何もオレとイチャコラしろって言ってんじゃねえんだ。形式上のオレの妻として振るまってくれりゃあいい。定期的に集まりに出てニコニコしてればそれなりの生活を送らせてやる。てめえがやったことに対してむしろ破格過ぎる条件だと思うが」
 口に出しながらランサーは暗い気持ちになった。言うなればこれはプロポーズだ。夢を見ていたわけではないが、こんなに最低な求婚をすることになるとは、昨日までの自分は思ってもみなかった。特定の相手が居なかったのがせめてもの救いである。
「……分かった」
 長い長い沈黙があってから、渋々といった様子でアーチャーが言った。
「だが、一つ言っておく」 
「なんだ」
 薄暗いホテルの照明の下で、アーチャーの瞳が煌めいた。
「この先、私が君を好きになることは決してない」
「……あぁ、勝手にしろ」
 こうして、二人の結婚生活は幕を開けた。




 親戚と会社向けの結婚式を開いて、ランサーは値段だけはする結婚指輪をアーチャーに贈った。ランサーの両親から与えられた新居に二人は移り住んだ。
 ランサーから見て、妻としてのアーチャーの態度は酷いものだった。家事らしいことはほとんどせず、家の中は荒れ放題。料理も作りたくないというのでランサーは外食で済ませるか、実家で夕食をとるようになった。家の中でも会話はなく、ランサーが帰ってくる前にアーチャーが寝てしまっていることもよくあった。寝室のベッドの隅で、身を丸めて眠るアーチャーの横顔を、帰宅したランサーは何とも言えない気持ちで何度も眺めた。
「君といると息が詰まる」
「へぇ、珍しく意見が一致したな。オレもだよ」
 家に帰るのがどんどん億劫になった。夕食後そのまま実家で寝泊まりすることが増えた。新婚にもかかわらずそんな生活をする息子に対し、事情を察したのか両親も優しかった。綺麗で快適で暖かな実家と、雑然としていて居心地の悪い新居。比べるまでもなかった。これではいけないと自分を奮い立たせて家に帰ってみても、待っているのは敵意をむき出しにした不愛想な男だった。
 やがてランサーは生活の拠点を実家に移した。そのほうがお互いのためだとランサーは思った。アーチャーが発情期を迎えたときだけそちらに向かい、ほとんど会話もないまま交わった。心は満たされないのに体の相性は良く、毎度蕩けるような心地を味わった。あのとき番ってしまったのはこのせいかもしれないと思うとそれすらも憎らしかった。
 いつか愛し合う伴侶を手に入れるはずだった。それなのに目の前にいるのは自分を嫌う男。そう思うとランサーはアーチャーに優しくすることができなくなった。
 たまに訪れたときの様子から察するに、アーチャーは仕事を辞めたようだった。ランサーはアーチャー用の口座を作り、生活費を振り込むようにした。しかし、しばらくの間その残高には変化が無かった。
「オレからは何にも受け取りたくないってことかよ」
「はっ、使ったら使ったで文句を言う癖に」
「てめえの今までの貯金で何とかするつもりか?Ωの給料なんかたかが知れてる。意地張んのもいい加減にしろ」
「Ωを下に見る習性が染みついているな。さすが優秀なαサマだ」
 良かれと思って言ったことですら喧嘩の種になった。ランサーの心はどんどん冷えていく。親戚や得意先に対してにこやかに対応するだけまだマシかと諦めはじめた矢先、一つの変化が訪れた。




「ヒートが来ない」
 いつも通りの周期ならそろそろだろうとランサーが顔を出してみれば、熱に浮かされたのとは違う、涼しい顔でアーチャーが言う。ランサーはハッとした。
「まさか」
 深刻な表情をするランサーに、アーチャーは嘲るように言った。
「孕んではいないよ。毎回しっかり避妊してるじゃないか。君が持ち込んだゴムだ。私が細工する暇もない」
 その言葉には嫌味がたっぷり塗されていて、ランサーの額に青筋が浮く。その様子をアーチャーはせせら笑った。
「そう怖い顔をするな。簡易的だがちゃんと検査もした。ほら」
 アーチャーが持つ白い棒には赤い線が一本だけ。陰性を示していた。
「じゃあなんでヒートが来ねえんだ」
「周期が乱れているだけだろう。昔はよくあった」
「病気とかじゃ」
「君が私の心配か?らしくもない」
 ランサーは思わず押し黙る。心配は心配だ。嫌いな相手だが、病で死んで欲しいと思うほどではない。だがそれを言うのは癪だった。
「まあとにかくそんな訳だから帰っていいぞ。ヒートが来たら連絡する」
 アーチャーは犬でも追い払うようにひらひらと手を振り、ああそれから、とランサーの方も見ずに言った。
「性欲を満たしたいというのなら、適当にその辺りの女かΩでも抱くといい」
 カッとランサーの頭に血が上って、怒りのあまり一瞬で冷えた。後には脱力感だけが残る。
 望まない契約だったとはいえ、アーチャーのそれは番に対して取る態度ではなかった。こんな奴、怒る価値もない。心配したことが恥ずかしいくらいだった。
「そうかよ」
 冷たい声でそう言って、ランサーはかつての新居を後にした。



 その後もずっとアーチャーからヒートが来たという連絡はなかった。たまに家に行って確認しても、本人は平然としている。

「何しにきたんだ」「君の帰る場所はここではないだろ」「ヒートはまだだ」「性欲処理にも使えなくなったΩだ。とうとう追い出すかね」

 アーチャーはランサーの神経を逆撫でするようなことばかりを言った。口の端を歪め、冷たく笑う。その様子はいっそ見事だった。
 後から思えば、怒りのために大事な要素を見失った。自分がαである故に、Ωへの無理解も手伝ったかもしれない。
 徐々に足が遠のき、最後にアーチャーと交わってから半年以上が経ったある日のこと。突然嗅覚が鋭敏になった。普通の匂いに対しては変化はない。ただ、Ωの出すフェロモンに対する反応が変わった。
「ランサーさんどうされました?」
 目の前にいる受付嬢からほのかにΩらしき匂いがする。煽られるほどではないが、性を判別できる程度に香る。久々の感覚だ。確かアーチャーと番になる以前はこんな風だったとランサーは懐かしく思う。番を作ると他のΩを探す必要がなくなり、途端に己のΩ以外のフェロモンに対する反応が鈍る。
 自分の体調が悪いのか、それともたまたま匂いの強いΩに当たったか。初めランサーはそう思っていた。だが今までβだと思い込んでいた同じ部署の人間からΩの匂いがする。街中を歩いていても匂いがうるさくて仕方がない。
 あれ、これ番切れてねえか?そう気が付いたのは、一日の業務もほぼ終わりかけの頃だった。ランサーの背中を嫌な汗が伝う。急いで残りの仕事を終わらせて、アーチャーがいるはずの家へと向かう。インターホン、応答なし。合鍵で扉を開けて室内に入る。その瞬間から既に違和感があった。
「なんだ、これ」
 一瞬家を間違えたかと思った。そのくらい、部屋の様子が一変していた。綺麗に収納された靴箱に、ぴかぴかのフローリング。うず高く積まれていたゴミ袋はどこにもなく、玄関脇の棚の上には結婚祝いでもらった小物が整然と並べられている。
 廊下を進んでリビングの扉を開けてもその印象は同じだった。洗濯物も散らばっていないし、ランサーが大分前に買っていたファッション雑誌は発行順にマガジンラックに立てかけられている。まるでモデルルームかと思うくらい、綺麗で、生活感のない部屋。
 そしてその調和を乱すものが、テーブルの上に少しだけあった。誰も見ていないと分かっていながら、ランサーは恐る恐る近づく。
 そこにあったのは茶色い封筒と結婚指輪、そして置き手紙。書かれていたのは僅か一文。
『世話になった』


 ランサーは動揺していた。分からないことが多すぎた。まず何故番が切れている?ランサーの知る限り、番が解消される理由は二つだ。αがΩを捨てるか、番の片方が死亡するか。多分後者ではない。番が死ぬと、残された方はホルモンバランスを崩し、少しの間体に変調を来たす。嗅覚は変わったが、体調を崩している自覚はない。ということは、こちらの選択肢は消していい。だが自分はアーチャーを見捨てたつもりはない。
 αがΩを捨てた、というのには具体的な条件がある。それは、αが一定期間Ωのヒートを無視すること。ランサーがアーチャーのヒートに構わなかったことなどないはずだ。しかも最近は、ヒートが来ないとアーチャー自身が申告していた。そこで気付く。本当にヒートは来ていなかったのだろうか。悲鳴を上げてしまいそうなほど恐ろしい予感がランサーの全身を駆け巡った。
 アーチャーが普段薬を入れていた棚を漁る。ヒートのときに抑制剤を取り出しているのを何度か見たことがあったのだ。そこには、見覚えのない薬が大量に入っていた。抑制剤のようだがポピュラーなものではない。震える指でスマートフォンの画面をタップする。薬の名前で調べるとすぐにヒットした。外国の抑制剤。どんなに激しいヒートだろうと完璧にそれを鎮める効果があるが、副作用が酷く、この国での表立った販売は許可されていない。過度な服用による死亡例も出てきてランサーは眩暈がした。残された量からではアーチャーがどれくらいそれを飲んだか分からない。いくらずっと一緒にいなかったとはいえ、半年の間番であるランサーを完全に騙し切ったことを考えると生半可な量ではなかった。
 ここにこれだけの量が残されているのもまた不気味だった。必要がなくなったからか、それとももう効かなくなったからか。
 αとの番が切れた上に、抑制剤で抑え続けた熱がアーチャーを襲っているはずだ。そんな状態であいつは今どこにいる。そう思って、ふとランサーはテーブルの上の茶封筒に目を留めた。中身を確認する。出てきたのは万札十枚。
「は……?」
 怖気がした。ランサーにとってそれは素っ気ない手紙よりも、置き去りにされた指輪よりも、よっぽど恐ろしく見えた。最近のアーチャー用の口座の減り方を見るに、アーチャー自身の貯蓄は既に尽きている。働き始めたという話も聞いていない。だとしたら、これは何の金だ。
 αに捨てられたΩ。ほとんど持ち出されていない私物。得体の知れない金。
「あぁ…」
 全てが繋がった瞬間、ランサーの口からは悲愴な溜息が漏れた。
「あいつ、自分を売りやがった」




先のなくなったΩにとって最も理想的な最期は、専用の施設での穏やかな死である。投薬により発情をなるべく穏やかにし、カウンセリングにより孤独をできる限り癒す。そうして少しでも終わりまでの時間を長くする。しかしこのような医療を受けるにはとてつもない費用がかかる。差別や体調の不安定さから、Ωが安定した収入を得ることは他の種に比べて難しい。またそのような状態に陥るΩに対する、『分不相応な愛を望んだΩが悪い』という偏見が未だ根強く、施設の数も十分とは言えなかった。これらの理由から、施設を利用できないΩがほとんどだった。
 彼らの行き着く先の一つとして、番を失ったΩを専門に取り扱う風俗店がある。常時発情するΩの扱いに困った家族などが、このような店にΩを預ける。『うちが面倒を全て見る代わりに、このΩがこの後どうなるかについては一切文句を言うな』。そんな文言が書かれた書類にサインし、家族はΩの魅力に見合った金額を受け取る。実態は人身売買そのものであり、法的には完全にアウトだ。しかし国もそんなΩの対処には頭を悩ませており、黙認するしかないのが現状であった。そのような店に来る客がまともであるはずもなく、Ωたちは無残な扱いを受け、あっという間に死んでいく。家族の元には骨も返らない。そんな最底辺の場所に多分、アーチャーは自ら身を落とした。
 ランサーは、近辺のΩを取り扱う風俗店をリストアップした。あの状態じゃそう遠くへは行けないはずだ。個人に買われていたらと思うと冷たい汗が流れた。そうなればもう手掛かりはない。
 アーチャーに会って、聞かなければならないことが沢山ある。なぜ自分を欺いたのか。どうしてそうまでして逃げようとするのか。頼む、見つかってくれ。何件も回って、ランサーは遂に当たりを引き当てた。




「男のオメガァ?あぁいるよ。ちょうど昨日入ってきた」
 汚い店だった。壁紙は黒ずみ、染みだらけのカウンターの向こうで、身なりの汚い男が偉そうにふんぞり返っている。下品な喘ぎ声だけでなく、泣き叫ぶような声がどこからか漏れ聞こえてくる。たすけて、いたいの、ゆるして。それに対し、店主は様子を見に行こうという素振りすら見せなかった。普段のランサーなら決して入らない、最下層の店だ。
 写真を見せてもらうと確かにアーチャーだった。ぼんやりと焦点の合わない眼差し。不安が募る。助けを乞う声が段々小さくなる。自分でも最低だと思いながら、アーチャーの声でないことに少しだけ安堵した。
「こいつ訳ありでな。自分から買ってくれときたもんだ。切羽詰まってるみたいだったから一番下のランクの金額見せたらそれで即決よ。笑っちゃったね。まあ男のΩなんてのは基本人気もないんだけど、ああいう我慢強そうなタイプはヤバい性癖の奴に馬鹿売れするんだ。前いたやつはどんどんデカイものを突っ込まれて穴閉じられなくなってたなァ。あんたもそういうのが……なんだよ、凄むなよ」
 自然とキツくなる眼差しをなんとか緩める。胸糞が悪いが、ここで事を荒だてては意味がない。アーチャーが凌辱される恐ろしいイメージを振り払って、ただの興味本位の客を装った。
「こいつにする」
「はいよ」
 鍵をもらい、部屋に向かおうとして立ち止まった。まだ聞いておくべきことが残っていた。声が上ずりそうなのをなんとかこらえる。
「なぁ、この男は、オレの前に誰か客を取ってるか」
 そう聞くと、店主は濁った瞳に下卑た笑みを浮かべた。
「あんたが初めてだよ。好きにしてやんな」



 薄暗い部屋に入ってすぐに、濃密なフェロモンが鼻腔をくすぐった。脳を痺れさせる暴力的な甘さ。α用の抑制剤を飲んできたから良かったものの、普通の状態であれば会話できたかどうかも怪しい。思った通りだ、とランサーは思った。やはりアーチャーは番を失ったことに加え、今まで薬でヒートを抑えていたことによる、フェロモンの分泌異常を起こしている。あまり当たってほしくない予想だった。
 バスローブを羽織ったアーチャーはベッドの上で妖艶に微笑んでいる。
「やぁ、こんばんは」
 きちんと顔を見るのは久しぶりだった。最後に面と向かって会話したのはもう一か月以上前かもしれない。いつもは撫でつけられていた前髪が下りていて、そのせいか随分柔らかい印象を受けた。
 淡々と店のシステムの説明をした後、アーチャーはランサーのいでたちに首を傾げた。怪訝そうな顔に、ランサーの肩がびくりと跳ねる。ランサーの顔をじぃと見てから、アーチャーは言った。
「そういうのが好きなら、私も似たようなコスチュームに着替えた方がいいだろうか」
 ランサーはほっと体の強張りを解いた。アーチャーの言うそういうの、とは、ランサーが身に着けている仮面のことである。
「いや、そういうわけじゃない。これは顔を見られたくなくて着けているだけだ」
 店主にそう伝えて出てきたのがSMに使うような仮面だったので、あらぬ誤解を生んだらしい。アーチャーが自分の正体に気が付かなかったことに、ランサーはひとまず息をつく。
 アーチャーは自分には何も伝える気がない。ランサーにはそれが分かっていた。何も言わずに番を切って、何も言わずに目の前から消えた。ただ自分が嫌われているのならそれでもいい。アーチャーが捻くれた嫌な奴だと片づけてしまうのも簡単だ。でもそれだけではないような気がしていた。異様に綺麗になっていた部屋も、机の上に謝罪のように置かれた十万円も、ランサーには引っかかっていた。真実を知りたかった。それが例え自分にとって不愉快なものであったとしても。そのために、ランサーは全くの他人として、アーチャーと話がしたかった。
 ふぅん、と少女のように鼻を鳴らして納得するアーチャー。その様子はいつもランサーが見ていたものとはまるで違う。立ち振る舞いの自然さから、むしろこちらの方が素なのだろうかと思った。
「ならどんなのがお好みだ?こちとら発情期のΩだ。なにをしたっていいんだ。貴方はαかな、βかな。もう自分の匂いがきつくて分からない」
「そういうことをする前に、アンタと話がしたい」
 犬のように空気中の匂いを嗅いでいたアーチャーが、動作をやめてこちらを見た。
「どういう意味だ」
「あー…オレは込み入った事情のある奴の身の上話を聞くのが好きでな。アンタはワケありだって聞いた。それで、アンタがどうしてこんな店に来る羽目になったのかちょっと気になったんだ」
 苦し紛れの言い訳。勢いで来てしまったために肝心の理由を考えていなかった。アーチャーがぱちくりと目を瞬かせる。さすがに通らないだろうか、きちんと詰めておくべきだった。そう後悔し始めたころ、アーチャーはくすくすと笑いだした。
「こんな店に来る人間はクズばかりだと思っていた。貴方のような不思議な人もいるんだな」
 見たこともない無邪気な笑みに、ランサーは圧倒されていた。これがあのアーチャーなのか。自分と居たときの彼はこうではなかった。仏頂面で、口を開けば嫌味ばかり。そんな面影は今やどこにもない。自分の下でアーチャーがどれだけ抑圧されていたかを思い知った気がした。
 そしてランサーはもう一つ、ある恐ろしい推測に至っていた。
 アーチャーとの会話は一見まともに成立している。受け答えもしっかりしていて、ヒート中のΩとは思えないほどだ。だが、アーチャーはランサーの正体に気付かなかった。いくら仮面で顔を隠しているとはいえ、これだけ会話をしていればもっと怪しまれてもおかしくない。ランサーは正直この作戦がうまくいくとは思っていなかった。声、体格、仕草。気付かれる要素は沢山ある。だというのに、アーチャーはほとんど不審がることもなく、目の前にいるのが他人だという事実を受け入れている。
 さらに気になるのがアーチャーの表情だ。機嫌良く話しているように見えるが、時折焦点を失ったように視線がぶれる。もしかすると、アーチャーの容態は、目に見えているよりもずっと悪いかもしれない。ランサーの不安は徐々に大きくなっていた。
 アーチャーがランサーに対して何かを隠し続けてきたのと同じように、今も自らを襲う熱を偽っているのだとしたら。
 ヒート中とは思えないほど元気なのではなく、異常なフェロモン分泌の量こそが、アーチャーの置かれた状況を示しているのだとしたら。
「まあもうすぐ私は死ぬし、最後に少しくらい誰かに話したっていいか」
 死ぬという響きに驚いて思考から浮き上がれば、アーチャーは穏やかな顔でこちらを見ていた。
 目論見が成功したにも関わらず、ランサーはその言葉に怯えた。共にいることを拒んだアーチャーの表情が思い出される。ここにいるのが他人だと思っているからこそ、アーチャーがこれから告げるのは嘘偽りない本音だ。アーチャーがここまでして番を切ろうとした理由。それが自分への嫌悪に起因するなら、自分はとんでもなく冷たい刃を向けられるのかもしれない。
「身の上話というほどでもないが、そうだな……」
 大きな枕に気だるそうに身体を凭せ掛けて、アーチャーは言う。
「今から話すのは、大好きな人の人生を、私が台無しにしかけた話だ」
 白い睫毛が、目の淵に溜まる水滴をはたき落とす。それが頬を伝って消えていくのを、ランサーは見た。


Comments

  •  ぱ
    November 25, 2025
  • わんわんお

    何回読んでも泣いてます

    January 19, 2025
  • October 26, 2023
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