彩葉がヤチヨの過去を追体験したことの真の意義
(ネタバレあるので未見の方はまず見てきてね!まずは5周くらい。。)
もう20周はしたのか、さすがに30周はしてないよな、ってあたりでこないだ池袋グランドシネマサンシャインで超かぐや姫!を見てきたんですよ。シアター5はスクリーンサイズが15.6m×6.5mでいつも見てる立川シネマシティの倍の面積があって、それはもう没入感がすごくて素晴らしかったです。でも音響は絶対に立川推し。。
ヤチヨの苦悩
まあそんなことはいいんですが、池袋に行く前にネトフリで周回していて気になっていたのは、かぐや月に帰ったあとのヤチヨの心情なんですよね。かぐやとして月に帰るところまではヤチヨも経験してるわけですが、そのあとのことはヤチヨも未経験で完全に未知なわけです。
彩葉がヤチヨに連絡を取ろうとしてもつながらず、ツクヨミに行っても過去配信が流れているだけで本人は出てこない。ヤチヨとしては彩葉とどう関わるべきかとても悩んでいたんだと思われます。
ある程度の関係性が彩葉とはできた。しかしかぐやが帰ってしまったことを彩葉がどう受け止めているかは分からないし、自分はどういう存在として彩葉と向き合うべきかまったく分からない。そういう苦悩のなかでヤチヨはひきこもってたんだろうなあ、なんてことを池袋に行く前にぼんやり考えていたいたわけです。
かぐやとヤチヨの非同一性
そんななかで池袋gdcsです。立川と見え方や音響がどう違うのだろう?という関心だけで特段考察などする意図はなかったんですが、あの没入感のせいでしょうか、すっと降りてきたんですよ。ああ、彩葉はヤチヨをかぐやと同一の存在として認識したんだな、と。
例のタケノコサーバーからはいったツクヨミの部屋でヤチヨとあった直後の彩葉は、ヤチヨがかぐやだったと理解しながらも、完全に同一の存在としては認めていません。タケノコが大きな石にあたった後の話を聞いて、彩葉は「私といたかぐやは?」と聞いていますし、ヤチヨもそこを分かって「キラキラのかぐや姫は、もう、おばあちゃんです」と、自分が彩葉が求めているかぐやと同一の存在ではないことを認めているわけです。
この、かぐやとヤチヨの存在としての非同一性こそが、ヤチヨが彩葉とどう向き合うか悩んでいた根っこですね。自分が実はかぐやであることを彩葉にうちあけるべきか、しかしもはや同じ存在ではない自分が彩葉に受け入れらるのか。その答えが出ないうちに彩葉がやってきたのがあのシーンの状況です。
「かぐやといたい」の真意
さて、少しシーンが飛びますが、彩葉がFUSHIからかぐやの8000年を見せられたあと、ヤチヨとむきあって彩葉が「かぐやといたい」とつぶやくシーンで、ヤチヨはとても驚きつつもとてもうれしそうな表情をします。
ここ、自分的にはずっと微妙な違和感があったんですよね。彩葉がかぐやとヤチヨを異なる存在だと認識しているなら、ヤチヨはもう少し悲しい表情を浮かべるのではないかと。
で、池袋で「降りてきた」と言ったのは、「ああ、彩葉はヤチヨ=かぐやと完全に受けれて、ヤチヨもそれを理解したんだな」ということです。
ちょっとしたカギは少し前のシーンにあって、彩葉はFUSHIに「私、かぐやの全部をみなくちゃ」と、「ヤチヨ」の記憶としてではなく、「かぐや」の記憶として8000年をたどろうと決意します。
そして最後、彩葉が目覚める直前の回想の中で、振り返ったヤチヨはかぐやに変わっています。
彩葉のなかでヤチヨはかぐやだったという単なる理解を超えて、「ヤチヨ=かぐや」であると、その存在が同一のものとして完全に融合したことを示唆しています。
ああ、そういうことだったのかと。ヤチヨが抱えた苦悩は、彩葉の無茶ともいえる行動が打ち消してしまったのか。なんとなく自分の中にあったもやもやが晴れて、このヤチヨとの再会からの一連のシーンは花火大会のシーンとあわせ、自分のなかでとても重く感慨深い情景になりました。涙が倍になるやん。。
復活したかぐやとヤチヨの関係は?
さて、ここからは蛇足みたいな話です。アンドロイドの義体で復活したのはヤチヨなのか、タケノコに残されていた?原初の?かぐやなのか、という点は超かぐオタクのなかでの大きな論争・考察の対象になっている部分です。
ここについては自分は検証とか考察するつもりはなく、「あれはかぐや型の義体の特性または仕様でかぐやっぽくふるまっているだけで中身はヤチヨである」と考えてあとは思考放棄しました。(YC型=ヤチヨ型義体も試していたことは本編で語られているので、それよりかぐや型がフィットしたのでしょう)
だってヤチヨをかぐやと同一の存在として受け入れた彩葉が、ヤチヨと別の存在としてのかぐやを復活させるのは自分の理解とはかみ合わないですから。。
このあたり、細かく詰め始めると他のシーンとの整合性やら、ray MVの「タケノコ掘ったvs埋めた」論争にもつながってしまうわけですが、そのあたり自分はあんまり関心なくて、ヤチヨが完全に救済された話として腑に落ちてしまったのでもうそれでいいやと。
本編最後のシーン、彩葉とかぐやが2人だけで笑っている写真の中にヤチヨがいるんだと思えば一番幸せな気分になれるので。そんだけでいいです🥳


途中からかぐや呼びになるの、全く同じこと思いました ただ小説版だと8000年を見た後でも結構ヤチヨって呼んでるのが悩ましく・・・単に居場所での呼び方の違いなのか
小説版は「トリコにできたかな」の場面が彩葉だったり映画本編とは微妙にズレたパラレルワールドだととらえてる原理主義者なので。。ってのはさておき(笑) 本編最後のライブシーンでも、彩葉から「8000年ぶり?」って聞かれてて、「義体かぐやの中身=ヤチヨ」説とはいまいち整合しないんですよね。…
感動しました
ありがとうございます!この作品の味わいがもっと深くなればうれしいです。