小さい頃から何をするにも彼は不思議と傍にいた。
アーチャーと、双子の兄・エミヤ。そして、隣の家に住む同じ歳で幼馴染のランサー。
ランサーには五歳離れた兄がいて、遊びにたまに付き合ってくれるその兄キャスターが、アーチャーは昔から大好きだった。頭が良く、格好良く綺麗で優しくて、人間の理想のような人だと憧れていた。
しかし、子供にとって五歳の歳の差は大きい。アーチャーが小学二年生の頃には向こうは中学生だった。容姿も良く、ランサーに比べて昔から落ち着きのある兄キャスターは、どこか浮世離れして感じられ、少し近寄りがたさも感じていた。遊んでくれるときは嬉しくて仕方なかったけど、やっぱりエミヤやランサーほど気兼ねない関係ではなかった。
物心ついた頃から、アーチャーはランサーのことが好きだった。
けれどずっと見ていたゆえに、ランサーがエミヤのことが好きなことには気づいていた。相手は自分の半身と同じエミヤだ。エミヤもまた、ランサーに好意があることなどわかりきっていた。思いを伝えることも出来ず、やがてひっそりと諦めるようになった。
落ち込むアーチャーに、キャスターはまるで全てを知っているかのように優しくしてくれた。
アーチャーの傍には、そう、何故かいつも彼がいた。
中学生になったアーチャーは、エミヤやランサーと同じ学校に進学した。
三人は三人ともよくモテたが、けれどその結果は三人三様だった。
ランサーは適当に女の子と付き合っては別れるを繰り返し、エミヤは好意を向けられても全く気付かず、アーチャーは向けられた好意に怯えた。
アーチャーの中には、「自分を好きだと言った相手も、ランサーのように、やがて自分ではなくエミヤの方を選ぶかもしれない」という危機感があった。
小学校の頃、アーチャーは密かにクラスメイトからいじめられたことがあった。
上靴を隠されたり、縦笛を盗まれたり、面と向かって悪口を言われたりした。
相手はクラスのガキ大将で、優しく頼もしくクラスで人気者だった彼は、なぜかアーチャーだけに意地悪を繰り返した。たまに羽交い締めにされたり、トイレで嫌がるアーチャーを押さえつけ、体を触られることもあった。
ランサーもエミヤもその時は違うクラスで、アーチャーは誰にも相談出来ずに悩んでいた。
そんな時、親身に話を聞いてくれたのもやはりキャスターだった。
「お前、それ、いじめられてるぞ。早くなんとかしねぇと、エスカレートする」
そう言ったキャスターは、すぐにアーチャーが止めるのも聞かず、両親に報告した。
アーチャーの父は激怒し、学校に訴え、ガキ大将だった彼は転校していった。
噂はどこからともなく広がるものだ。アーチャーはやがて、その事件をきっかけに他のクラスメイトからも距離を置かれることになった。
そんな事件もあったせいか、アーチャーは酷く対人関係に臆病になっていた。
ガキ大将だった彼だって、元はとても仲の良い友達だったのだ。それがやがてはアーチャーを嫌い、嫌がらせをするようになった。
アーチャーは、好きなひとから嫌われるのは避けたいと思った。
中学になって、アーチャーに声をかけてくる者もいるにはいたが、アーチャーは無意識に距離を取って接した。
クラス分けの際に双子は教室を離されるため、エミヤと同じクラスになったことはない。そして何故かランサーは毎年毎年、図ったようにエミヤと同じクラスだ。
アーチャーは常に疎外感と孤独感を感じていたが、それをうまく言語化することも、自覚することも出来ていなかった。
何故なら、家に帰れば優しいキャスターが、アーチャーの孤独や寂しさをこれでもかと埋めてくれるからだった。
小学校のいじめ以来、心配性のキャスターは頻繁にアーチャーの様子を見に来るようになった。
「オレにとっちゃ、お前も大事な弟だよ」
という言葉は、アーチャーにとって何よりも嬉しいものだった。
キャスターはその心配性の性分からか、エミヤよりもアーチャーにばかり構うようになった。
誰もが自分よりエミヤを選んでいく中で、キャスターだけは自分を特別扱いしてくれる。それがアーチャーにとってどれほど心の支えになったのか。
キャスターからいつも、「大丈夫だ、お前はすごいやつだよ、自信持て」と言われるたび、アーチャーの心は魔法がかかったように軽くなった。こんなにも綺麗で格好良くて頭も良くて優しくて頼もしい、こんなすごいキャスターに自信を持てと言われると、アーチャーは自分の中に無いはずの自信が、仮初めでも湧いてくるように感じる。
キャスターのおかげで、アーチャーも少しずつ顔をあげるようになり、少しずつ学校にも馴染んでいった。
少ないなりに友人も出来、声をかけてくれる女子も徐々に増えていった。家に友達を呼ぶこともできた。けれどそうなると、また別の問題が生じるのだ。
「おい、アーチャー、…っと、友達来てんのか。いらっしゃい」
いつものように前触れもなく突然やってくるキャスターに、アーチャーの友人たちは皆釘付けになった。
それはそうだ。絵画から抜け出たような美しい男。こんな人間が実在するのかと、皆息を飲んで動作を止める。
キャスターはそんな反応も慣れた様子で、気にしたそぶりもなく、気さくに「ジュースでも買ってきてやるよ」などとのたまうと、宣言通り人数分のジュースを持って当たり前のように話の中に入った。
誰も彼もが、見た瞬間からキャスターに夢中なった。
この部屋の主であるアーチャーのことなど忘れたように、皆が「キャスターさん、キャスターさん」と彼に夢中。アーチャーとて、キャスターの素晴らしさはよく知っている。そうなるのも仕方ない、と諦めるほかなかった。
一度アーチャーの家に行った者は、その後もキャスターさんキャスターさんと煩かった。
アーチャーは自分の中に、割り切れないような複雑な感情が湧いてくるのを抑えられなかった。アーチャーが一番葛藤したのは、自分に初めて声をかけ、友人になってくれたクラスメイトの少女が、キャスターと腕を組んで歩いているのを街中で目撃した時だ。アーチャーの中に、決して綺麗とは言えない感情が渦巻いた。何よりも、寂しいと思った。
その寂しさは怒りにも似ていた。
どちらに対して嫉妬しているのか。アーチャーは自分がわからなくなった。
男も女も、皆アーチャーよりもキャスターに夢中になった。
皆がアーチャーの家に遊びに来るのは、アーチャーと遊びたいのではなく、そこにキャスターが来るからにすぎなかった。
ようやく得たと思ったかけがえのない友人たちを奪っていくのがあのキャスターだということが、アーチャーには受け入れがたく感じた。
けれど、キャスターは何も悪くない。
キャスターはただそこにいて、そこにいるだけで、皆が好かれてしまうだけだ。彼に惹かれるのはどうしようもない。他でもない自分だって!
アーチャーはもう、自分の家に友人を呼ぶのをやめた。
けれど、学年が変わり、クラスが変わって新しい友人が出来ても、キャスターの噂はアーチャーに付いて回った。なぜなら同じ学年にはランサーがいる。
ランサーも例に漏れず、学校の有名人かつ人気者だった。誰も彼もが彼に好意を持ち、彼に惹かれ、お近づきになりたいと願った。
彼は美しく、豪快で、太陽のように眩しかった。彼と一度でも接した者は、必ず彼に好意を持った。そんなランサーに、瓜二つの、兄がいる。女生徒を中心に噂にならないはずがなく、また、どこからそんな話になったのか、「ランサーの兄はアーチャーといるとよく遭遇する」などという尾ひれがついていた。
「なあ、お前の家に行っていい?ランサーの兄貴も来るんだろ?」
「ねえ、女子皆で家に遊びに行きたいな」
男女問わず、下心の見え透いた誘いをかけられるようになった。
アーチャーは、それらの全てをすげなく断った。
やがてアーチャーは付き合いが悪い、冷たいなどと噂が立つようになったが、それを否定しようとは思わなかった。
そんなアーチャーに転機が訪れたのは、中学3年生の時だった。
卒業式を間近に控えたある日、隣のクラスの女子に呼び出されたのだ。
彼女と初めて言葉を交わしたのはその3カ月ほど前で、アーチャーが放課後、体育館の側にある枯れかけた花壇に水をやっている時だった。
彼女は園芸部に所属しており、花が好きだと言って、花壇に水をやっていたアーチャーにお礼を言った。それから時折、花壇で顔を合わすようになった少女だった。
彼女はガーベラのように可愛らしく、小柄だが華があり、チャーミングだった。彼女はずっと、アーチャーのことが好きだったと言った。
初めて話しかける時も、本当はとても勇気がいったのだと、震える声で彼女は言った。アーチャーはそんな彼女を見て、大切にしたい、と静かに思った。
問題はやはりキャスターだった。ランサーは表面上は女遊びが激しそうに見えるが、その実エミヤ一筋で(エミヤは全く気づいてないどころか自分の片想いなどと盛大に勘違いしている)、わざわざアーチャーの彼女などに興味はないだろうし近寄ってくることもないだろう。
だか、キャスターはアーチャーが家に誰かを連れてくと必ず会いたがった。男だろうと女だろうと関係なくだ。ただの友達ですらそうなのだから、彼女なんて連れて行ったら紹介しろと言われるに決まっている。
だからアーチャーは、生まれて初めて、キャスターを遠ざけるような行動を取った。
「しばらく家に来ないでくれって…、どうした?」
困惑するようなキャスターの表情には、心配するような色が濃く、そこに悪意はかけらもない。
アーチャーは罪悪感を感じながら、
「私だってもう子どもではない。そんなにしょっ中様子を見に来てくれなくて結構だ。1人になりたいときもある」と、たどたどしい言葉で突っぱねることしか出来なかった。
キャスターはしばらく考えを巡らせた後、何かに思い至ったように、ニヤリと笑った。
「なんだ、反抗期か?」
「反抗期ではない」
「じゃあ、彼女でも出来たか」
いきなり言い当てられたことに、アーチャーは思わず押し黙った。否定も言い訳も出来ず、かと言ってそうだと開き直ることも出来ないアーチャーに、キャスターはすぐさま正しい答えに行き当たったらしい。
「照れなくてもいいじゃねえか。お前ももうそんな歳になったんだな。心配しなくても、邪魔なんてしねえよ」
そう言って苦笑いを浮かべるキャスターの目が、まるで笑っていないように思えて、初めて見るその表情にアーチャーは何故か恐怖にも似た焦りを覚えた。なぜか、怒らせてはいけない、と思った。
「君が邪魔だなんて思ったことは一度もない」
「じゃあ連れて来いよ。アーチャーは大事なオレの弟だ。オレにも紹介してくれや」
そう言って微笑むキャスターはいつも通りに優しく美しかったけれど、アーチャーは先程感じた胸騒ぎを抑えることが出来なかった。
大事なオレの弟、という響きに、確かに感じる安堵と喜びもあるのに。
けれど、このままでいいわけがない。
脳裏に映る少女の面影、今まで失ってきた友人たちの顔を思い浮かべながら、アーチャーは拳を握りしめ言った。
「いい加減、弟離れしてくれ。キャスター」
その言葉に、キャスターはかすかに顔を歪めた。
「…っ、はー!ったく、お前にそう言われちまうとはなあ」
キャスターはぼりぼりと頭をかきながら、ため息をついて言った。
「参った。確かに、お前の言う通りだ。昔のこともあったし、心配だ心配だと気にかけちゃいたが、お前ももうすぐ高校生なんだもんな。いつまでも子供扱いしてもしょうがねえ」
「キャスター…」
「わかった、しばらくここには来ねえよ。でも、何かあったらすぐに呼べよ。駆けつけてやるから」
そう言ってキャスターは、先程の不穏さなどまるで感じさせないように快活に笑った。
アーチャーは安堵し、心から家族のように心配してくれている彼の存在を、改めて噛み締めた。
「ああ、ありがとう。キャスター」
そうして、アーチャーに彼女が出来た。
彼女との付き合いは順調だった。
放課後は一緒に勉強をして、手を繋いで帰った。たまに家に招いて、一緒に焼き菓子を作ったりもした。
キャスターは家には来なくなり、寂しいと感じることが増えたが、それでもいつかは自分も彼から離れなければならないのだから、と我慢した。
アーチャーは奥手で、淡い付き合いはたいして進展などするわけでもなかったが、それでもままごとのような付き合いはアーチャーに平穏と幸福を感じさせた。
だが、それも結局、長くは続かなかった。
それは卒業式の日だった。
三年間の学校生活は、取り立てて目立った出来事もなかったが、初めて出来た彼女と穏やかに過ごす日々は楽しかった。希望の高校にも受かり、アーチャーは寂しさよりも新しい生活への期待に胸を膨らませ式に出席した。
彼女には第二ボタンを強請られ、昔の漫画で読んだような、そんなむずがゆい出来事が自分にも起こり得るんだことが妙に嬉しく気恥ずかしく、アーチャーは式が終わったら彼女と春休みの計画を立てようと心を弾ませていた。
どくん、と。
心臓が鳴ったのは、式を終え、友人たちにも挨拶を終えて、彼女と2人で校門を出た時だった。
校門のすぐそばに、見慣れた男が立っている。
秋晴れの青空を映したような美しく長い髪に、白磁のような肌、どんな高価な宝石よりもなお輝くピジョン・ブラッドの瞳。日本人離れした、スラリとしたモデルのような身体。
キャスターだった。
久しぶりに顔を見せた彼は、アーチャーを見ると、
「よう」と声をかけた。
「卒業、おめでとう」
「キャスター、なんでここに」
「おっと、勘違いすんなよ。今日はランサーの迎えだ。エミヤと帰りに出かけるから、卒業祝いに映画館まで送れって言われてんだよ」
見ると、キャスターの隣には彼の髪のように美しい青色の車が停まっている。
「車、買ったのか」
「ん?あー、親父のだよ。借りてきたんだ」
そう言って車にもたれるキャスターは、映画のように様になっていて、今までよりも大人びて見えた。
自分から遠ざけたくせに、自分の知らないところで変わってしまうキャスターに、アーチャーはぎゅっと胸が苦しくなるのを感じた。
「免許、取ったんだな」
「おー…、今度乗せてやろうか?」
良かったらそっちの嬢ちゃんも。
そうキャスターがアーチャーの隣にいる少女に声をかけた時、アーチャーは初めて隣に彼女がいることを思い出した。
慌てて隣を見る。
と、
そこには。
「えっ…あっ、はい!いいんですか?」
顔を真っ赤にして、見たことのない表情をしながら、キャスターに見惚れている彼女の姿があった。
ああ、この恋は終わったんだな、と。
ふと、アーチャーは感じた。それは推測でも理屈でもなかった。そこにあるものを、当たり前に受け止めたような感覚だった。
「まあ、もしかしたら会えるかもと思っちゃいたんだ。やるよ」
そう言って、キャスターはアーチャーに片手で持てるほどの花束を渡してきた。
「そっちのお嬢さんにも」
用意周到なことに、彼女の分もあるらしい。彼はよく気の回る男だから、本当に単なる気遣いで他意はないのだろう。けれど、小さな花束を受け取った彼女の顔が、まるで今にもとろけてしまいそうなほど幸福そうで、ああ、俺にはきっと、いつまでたってもこんな顔はさせてやれないだろう、と唐突に思った。
なら、ここで終わったとしても、それはしかたのないことだと思えた。
案の定、その後の彼女は心ここにあらずという様子で、アーチャーにキャスターのことを少し気恥ずかしそうにいくつか質問した後、家に帰っていった。
そしてそのまま春休みに急速に疎遠になった。
わざわざ別れの言葉を聞く気にはなれず、アーチャーの方から連絡することもなかった。
また一人に戻ったアーチャーが、しかし孤独を感じずに済んだのはやはりキャスターのおかげだった。
「乗せてやるって言ったろ?」
と格好良い車持参で誘われると、アーチャーは断れなかった。
彼女のことはしこりになってはいたが、キャスターが悪くないこともわかっていた。
救いは、キャスターがあまりに老若男女からモテるため、中学生の平凡な少女ひとりに想いを寄せられたとて、応える可能性が限りなく低いことだった。
海を見に行こうぜ、というキャスターに、まだ寒いぞ、こ答えると、「人気がない海ってのも良いもんだぜ」と返ってくる。
そういうものかと思って誘われるまま車に乗った。
人気のない春の海は静かで、漣の音が絶え間なく砂浜に響いていた。
遮るもののない砂浜で海風を受けるのは少し肌寒く、薄着のアーチャーがぶるりと背を震わせると、キャスターはあらかじめ用意でもしていたように薄手のジャケットを投げてよこしてきた。
彼の上着は中学生のアーチャーからすると大きく、袖を通すとほのかにキャスターの煙草の香りがした。
「…綺麗だな」
柔らかい春の日差しは水平線を優しく照らしている。キラキラと輝く水面を見ながら、アーチャーは呟いた。
「なぜ、海に?」
「何だか、お前が元気なさそうだったからよ」
煙草をふかしながら、キャスターは答えた。
水平線を見つめているその瞳は、西陽を浴びてキラキラと輝いている。その眼を、やはり綺麗だ、とアーチャーは思った。
「……君のせいだ」
気づけば、アーチャーはそう言っていた。
「何故だ」
「彼女と、別れた。彼女は、君を好きになったんだ」
「……」
キャスターは目を見開いて驚いている。
やめろ、よせ、と頭の中で警鐘が鳴る。こんなのはただの八つ当たりだ。キャスターは何も悪くない。
弟の卒業式に迎えに来て、偶然会った少女に勝手に一目惚れされた。事実としてはそれだけだ。その少女には彼氏がいて、それがアーチャーだっただけのことだ。好きになることは、誰にも止められない。
「……なんだそりゃ。オレは何もしちゃいねえぞ」
「……知っている。君は何も悪くない。けど、君は美しい。一目見たら誰だって好きになる、私なぞよりもよほど」
止めようとしてもさらに出てくる言葉に、アーチャーは膝を抱えて顔を隠した。こんなみっともない台詞、彼に聞かせたくなどないのに。
「美しいって何度も言うわりには、惚れない奴もいるみてーだけどな…」
どこか寂しげにそう呟いたキャスターに、アーチャーは小さく目を見開いた。こんな彼でも、報われない想いを感じたりすることもあるのか。
「君が…?まさか、だろう。君に惚れないやつなどいるわけがない」
「何の自信だよ。現にオレの目の前にいるじゃねえか」
そう言われると、アーチャーは冗談を言われたのだと思い、笑った。
「私を数にいれてどうする。私は男だし、だいたい君の家族のようなものだ」
そう答えると、キャスターは何を思ったのか、しばらく黙った。
波の音が辺りに響く。
沈黙を不自然に感じ出した頃、
「自分で言うのも何だが、オレは老若男女からモテるぞ」
「知ってるよ」
「だったら、お前がオレに惚れないように、オレに惚れない女もいるってこったろ」
「……」
アーチャーは意外に思った。
これでは、まるでキャスターは報われない片想いでもしているかのようだ。
「君が片想いを?まさか」
だが、アーチャーの予想に反して、キャスターは少し物悲しく笑うのだった。
「そのまさかさね」
「……君を袖にするとは、相手はどんな女性なんだ」
「女性ってか…まぁ、なんだ、可愛いな。純粋で、擦れてなくて、素直で、……とにかく可愛い」
キャスターが言葉を詰まらせるところなど、初めて見た。
「なぜ、その人は君を好きにならないんだ」
照れるキャスター、というとんでもなくレアな光景に、アーチャーは目を瞬かせながらそう問うた。彼に惹かれない人間など、果たして本当に存在するのだろうか。
「そんなもの、オレが聞きたい。なんでだ?」
「私に聞かれても困るが…。その人は、君のことを綺麗だと言っているんだろう?」
「ああ、言うな。君は綺麗だ、誰よりも綺麗だってな」
「……それは君に惚れているということではないのか?」
「……そうなのか?」
「だから私に聞かれても困る。君はなぜ、その人が自分には惚れていないと思うんだ」
そう問いかけると、キャスターは手に持っていた煙草を、懐から取り出した携帯灰皿に押し付けて消した。
「……大事にしすぎちまったかね。可愛い可愛いと思って見守ってたら、勝手に恋人なんぞ作りやがった」
「……そうか」
キャスターの言葉に、アーチャーはじっと砂浜を見つめた。
こんなに美しいキャスターでも、想いが通じないことがあるのだ。
――実らない恋に苦しんだことがあるのだ。
当たり前のようなその事実に、アーチャーは、何故かじんと胸が熱くなるのを感じた。
アーチャーはキャスターのことが大好きだったけれど、同時に計り知れないコンプレックスも抱えていた。けれど、なんだか今初めて、この美しく完璧に見える男が、自分と同じ
ただの人間なのだと思えたのだ。
キャスターは携帯灰皿を仕舞うと、アーチャーの隣に腰を落とした。そして何も言わずに海の向こうを見つめる。
少しだけ、人気のない海辺の寂しさに耐えきれなくなったように、アーチャーの方に頭を傾けてくる。それがまるで大きな子供のようで、アーチャーは知らず、口端をつりあげた。
「君は、かわいい男だな」
言ってしまってから、今自分は何を口にしてしまったのだろうと目を見開く。自分で自分の言った台詞が信じられなかった。
こんな格好いい男を捕まえて、可愛いだなんて。自分は今とても失礼なことを言ってしまってのではないだろうか。
だが、怒っただろうかとおそるおそる見上げたキャスターの表情を見て、アーチャーは息を飲んだ。
彼は、見たことのない表情をしていた。
いつしか傾いた陽光が、西陽となってキャスターの顔を照らしている。
青く美しい髪が、まるで水面のように輝いていた。
キャスターは、ゆっくりとアーチャーに手を伸ばすと、その頬を両手で包み込んだ。
あまりの眩さに目を細めるアーチャーの顔に、キャスターはその顔をゆっくりと近づけてくる。
美しい顔が間近に迫ってくることに混乱して、アーチャーは思わず、ぎゅっと目を瞑った。
「……っ」
こつん、と。
小さな音がした。
額に温かな感触がある。目を開くと、キャスターの顔が間近にあった。
子供のように、額と額をくっつけながら、キャスターは口端をわずかにつりあげた。
「それ、いいな。もう一回言ってくれ」
間近に人間離れした造作の男の顔が、今にも引っ付きそうな距離であることに、アーチャーは何が起こったのかわからずバクバクと心臓を弾ませた。
「きっ、…君のような格好良くて綺麗な男に、可愛いだなんて、し、失礼ではなかっただろうか…!」
視線をどこにやればいいのかもわからず、砂浜についた自分の手の指を睨むように見つめる。顔が熱い。きっと真っ赤になっているだろう。
「いや、綺麗だって言われるよりよほどいい」
「そっ、…そうなのか」
「ああ。綺麗ってのは客観だが、可愛いってのは主観だろ?」
間近で話をしているせいで、キャスターの吐息がかかる。何故だかわけらないが、息が苦しい。心臓が激しく動いている。
「そういう…ものか?」
「そういうもんだ。相手を可愛いと思う気持ちは、愛しいに似ている」
その言葉を受けて、アーチャーはハッと目を見開いた。
可愛いと言われたいということは、キャスターは愛しいと言われたいということだ。
さきほどの様子から、想う相手に気持ちが通じないということに、この男なりに思い悩んでいるのかもしれない。
誰かれ構わず愛の言葉を欲するほどに。
寂しいのか、と。
アーチャーは思った。
この男でも、寂しいと思うことがあるのだな、と。
こんな自分でも彼の役に立てるなら、それ成さない理由はなかった。
「君は可愛い男だ、キャスター」
真っ直ぐに目を見つめてそう告げると、だがキャスターは目を大きく見開き、途端に顔を渋く歪ませた。
「なんだその顔は」
「お前、そういうところだぞ」
「何を言っている。君が言えと言ったんじゃないか」
こちらも渋面を作ってそう言い返すと、キャスターは「ア〝ー」とわけのわからない雄叫びをあげて立ち上がった。
「帰るぞ。身が持たん」
「なんだ藪から棒に」
アーチャーは何が起こったのかもよくわからないまま、キャスターに連れられるままに春の海を後にした。
帰り際、家の前で「ま、お前が元気が出るまでまた誘ってやるよ」とキャスターに頭を撫でられる。
まるで子供扱いだ、と思いながら、もうアーチャーの中に、キャスターを拒む気持ちは無かった。
どころか、自分の中に妙な感情が湧いているのを自覚して、アーチャーは焦った。
きっと、あんな美貌を至近距離で見てしまったせいだと思う。
照れる姿や、苦く笑う顔、少し寂しそうな横顔など、今日はキャスターの初めて見る表情ばかりで混乱しているのかもしれない。胸に手を押し当てると、バクバクとうるさかった。
「……どうして」
キャスターの顔が、脳裏に焼き付いて離れない。
鼓動がうるさい。
なぜこんなに、いてもたってもいられない衝動に焼かれているのか、自分で自分がわからない。
込み上げてくる感情に名前をつけられないまま、アーチャーはその夜、眠ることが出来なかった。
その後、キャスターは連日のようにアーチャーを迎えに来た。
どうせ春休みに予定などなく、アーチャーは誘われるまま映画館や遊園地に足を運んだ。
毎日、キャスターと顔を合わすたび、アーチャーの胸はドキリと妙な音を立てた。
けれどそれは気のせいだと自分に言い聞かせる。
そんなある日、たまたまキャスターが大学の講義で誘いが無かった時。エミヤの部屋に遊びに来ていたランサーと、台所で鉢合わせた。
「ランサー、また派手に言い合いしていたな」
勝手知ったる様子で冷蔵庫を開けて、牛乳パックを取り出すランサーに、グラスを手渡してやりながらそう話しかける。
ランサーはそれを受け取りながら、「あいつがいちいち突っかかってくるんだよ。こっちはわざわざ女の誘いを断って来てるってのに、『友人の誘いは無下にするもんじゃない』とかうるせーのなんの。オレにだって優先度くらいあるっつーの」
と、拗ねたように言う。
「君の優先度は女性よりエミヤが上だということか」
「たりめーだろ。はあ、アーチャーはこうやってすぐわかるのに、何であいつはわからないんだ」
「それは難しいな。エミヤは鈍感だから」
「知ってる。でも度が過ぎてるだろ、いい加減」
そう言ってギロリと壁を睨む。
アーチャーは、かつて自分が好きだったランサーが、こうして今もエミヤを追いかけていることが、少し嬉しかった。あの頃のような焼け付く嫉妬も哀しさも、今はもうまるで感じない。これもキャスターのおかげだろうか、と考えていると、ふいに、
「おい、アーチャー。お前気をつけろよ」
と言葉を投げられ、目を見開いた。
「?何のことだ」
「あいつだよ。キャスター。弟のオレが言うことじゃないかもしれねえが…。あいつに、あまり気を許さない方がいい」
「……え」
「忠告はしたからな。あいつからは少し距離を置いた方がいいぞ、マジで」
一方的にそう告げると、ランサーは牛乳を入れたグラスを2つ持って、階段を上がっていった。
言われた言葉が理解できず、しばらくアーチャーは台所で立ち尽くした。
その後、アーチャーはランサーの言った台詞の意味を考えた。だが、いくら考えてみても、彼が言ったのが結局どういうことなのかはわからなかった。
アーチャーが知る限り、キャスターは格好良く美しく、面倒見が良くて優しく、頼れる大人の男だった。子供じまたアーチャーの我儘にも、素直に応じてくれる。
気をつけないといけないなどと言われる要素は、カケラも感じない。
もしかしたらランサーは、キャスターと喧嘩でもしたのかもしれない。それが一番納得のいく推理で、アーチャーはそれに思い至ると安心してその夜眠った。
春休み、毎日のようにキャスターと出かけていたが、まるで子供の頃に戻ったような生活に、アーチャーは満たされるような気持ちを感じていた。
いい加減自分も兄離れいないといけないとキャスターを遠ざけていたが、いざまた会うようになると、欠けていたものが満たされるような充足感を感じるのだった。
そろそろ春休みも終わる。また、新しい人間関係が始まる。
海で見てしまったキャスターの孤独な横顔を思い出すと、キャスターにもう来るなと再び告げることは躊躇われた。
キャスターと頻繁に会うのなら、きっと昔のようになってしまうのだろう。友人たちはアーチャーよりもキャスターに夢中になる。それを見るのももう嫌だった。
だから、きっと、
キャスターを拒めないなら、自分は新しい友人など、最初から作らない方がいいのだ。
いつしか、アーチャーはそんな風に思うようになっていた。
失っていくことにも、それに一つ一つ傷つくことにも、もう疲れていた。そして、その原因であるキャスターを遠ざけて、彼をさらに傷つけることも出来ない。
なら、自分が我慢すればいいのだ。
新しい人間関係など築けなくても、自分にはキャスターがいる。エミヤもランサーもいる。
それで十分じゃないか。
そう思って、アーチャーは何も期待しないまま、高校の入学式を迎えたのだった。
だが、そこでアーチャーは、衝撃的な出会いを果たすことになる。
アーチャーの高校生活は、はじめ、とても静かなものだった。
人付き合いを諦めていたアーチャーにとって、自ら友人を作ろうとしなければ向こうから寄ってくる人間もそういない。もちろん挨拶程度の話はするが、丁寧ながらどこか壁を感じさせるその対応に、必要以上に踏み込んでくるものもいなかった。
アーチャーはいつのまにか、キャスターとばかり時間を過ごすようになっていた。
キャスターは相変わらず優しく、包み込むように接してくれた。ただ、以前と違うのは、兄のように思っていたキャスターを、アーチャーは不器用なところもある、孤独なひとりの人間として見るようになったことだ。
あんなに老若男女からモテるくせに、彼はその誰とも深い関係を結んでいないようだった。
もちろん、大学でどのように過ごしているのかまではアーチャーはわからない。けれど、隣に住んでいる幼馴染にこれだけ時間を割くことが出来るのだ。決まった、特別な誰かがいるというわけでもないのだろう。
もしかしたらキャスターは、あまりにも多くの人間から言い寄られるせいで、逆に人を信じられなくなっているのかもしれない。そんな風に感じることもあるほどだった。
もしそうなら、今度は自分がキャスターに寄り添うべきだ。いつも支えられていたのは自分の方なのだから。
そう心から思いながら、それでもアーチャーは、時折キャスターに戸惑うことがある。
あの春の海以降、キャスターとのスキンシップが格段に増えたのだ。
キャスターは頭が良く、大学は誰でも知っている超難関の有名私立に通っている。そのこともあって、アーチャーはよくキャスターに勉強を見てもらっていた。
けれど勉強中、アーチャーが問題に詰まると、キャスターは「落ち着いて考えりゃわかるさね」と言いながらアーチャーの手を握ってきたり、アーチャーが問題を解くと頬や頭を撫で回したりするようになった。それが嫌だというわけではない。けれど、何故だか鼓動が跳ねる。
あの春の海で、キャスターの顔を触れそうなほど至近距離で見て以来、アーチャーは何か自分が病気にでもかかってしまったのではと思うほど、キャスターと接触すると動悸が激しくなるようになったのだ。
キャスターは、アーチャーに一抹の寂しさらしきものを見せて以来、寂しいという感情を見せることに抵抗がなくなったのだろう。
やたらとアーチャーに触れたがるようになった。
アーチャーは、キャスターに触れられるとどうしたらいいのかわからなくなる。
一番困るのは、性に疎く、自分の欲望を理解しきれていない自分が、キャスターに対して、何かおかしなモヤモヤした劣情を感じてしまいそうな気がするからだった。
一番酷かったのは、高校一年の誕生日を迎えた時だった。16歳になったアーチャーに、キャスターは「お祝いのハグだ」と言って冗談で抱きついてきた。
キャスターの大きな体躯に、まだ成長途中のアーチャーの身体はすっぽりと包み込まれた。アーチャーの頬を、キャスターの髪がくすぐる。
鼻孔を刺激する、いつか嗅いだキャスターのほのかな煙草の匂いと体臭に、ぎゅっと心臓が絞られたような気がした。
自室で2人きりで、キャスターに抱きしめられている。その状況に、ますます顔が熱くなる。冗談だとわかっていても、アーチャーは戸惑った。
「きゃ、キャスター…」
はなして、と紡ごうとした言葉は、耳元で囁かれたキャスターの言葉によって遮られた。
「お前もようやく16歳かあ…、なあアーチャー。女なら、結婚出来る歳だな」
やけに掠れた、低い声だった。
吐息ごと注ぎ込むように耳元で囁かれ、ぞくり、と感じたことのない何かがアーチャーの背を這った。
「それが、なにか…。私は、おとこだ」
「知ってるよ。そもそも女だって16歳なんてまだまだ子供だろ。でも、…あと2年もすりゃ、『子供』っていう色んな制約から外れられる」
キャスターに強く腰を抱き寄せられながら、その言葉を耳元で聞く。彼が何を言いたいのか、アーチャーにはわからない。
けれど。
「その時が楽しみだな?あーちゃあ」
その声に、アーチャーが今まで聞いたことのない艶めいた響きがあるように感じて、アーチャーは背をぞくぞくと震わせた。
なぜ、彼に対してこんな、感じてはいけない「色」を勝手に感じ取ってしまうのか。アーチャーは自分がとても罪深いような気がして、キャスターの目を見ることが出来なかった。
最初の1年は、こうして、アーチャーはほぼキャスター以外の人間と付き合うことをしないまま過ぎた。
弓道部に入ったエミヤや、陸上部に入ったランサーと違って、特に部活に入ることもせず、授業が終わればすぐに家に帰る生活。そして帰った家にはキャスターがいる。
その頃には、自分はキャスターに、ひどく依存しているのではという自覚がアーチャーにもあった。
このままではいけない、どんどんと離れがたくなる。けれど、キャスターがいつまでもこうしてアーチャーに構ってくれることなどきっとあり得ない。今は弟のような自分をこうして大事にしてくれているけれど、いつか彼女が出来て、家族や弟のような幼馴染よりもそちらが大事に思うようになる。
そうしたら、……そうしたら。
アーチャーはその想像をすると、いつも光の全く刺さない真っ暗闇に飲み込まれそうな気がする。
そうしたら、自分は、今度こそひとりだ。
そう思うのに、今更、外で友人が作れるとも思わなかった。
そうやって袋小路に追い込まれながら、アーチャーが2年に進級したある日。
転校生がやってきたのだ。