三省堂(出版)と三省堂書店はなぜ混同されるのか【お詫びと訂正】
筆者が2026年2月17日にYahoo!ニュースエキスパートに掲載した記事「神保町本店の新装開店前の今ふりかえる 50年前の三省堂「辞書値上げ」倒産はいかにして起こったのか」(現在は削除済み)におきまして、
・株式会社三省堂と株式会社三省堂書店の法人格を混同した記述
・両社がグループ会社であるかのような、誤った資本関係の認識に基づく記述
・両社の経営実態(経営者)に関する誤った記述
・三省堂の社史を参照しているにもかかわらず、出典を三省堂書店と記述する
といった問題がございました。
ご指摘をいただき、2月18日深夜に削除いたしました。
両社および両社の関係者に多大なるご迷惑をおかけいたしましたこと、深くお詫び申し上げます。また読者の皆さまにも誤った認識を広めてしまい、大変申し訳ありません。
三省堂様と三省堂書店様にお詫びにうかがった際、「今でもしばしば区別がついておられない方からの問い合わせ等があるため、単に訂正するのではなく、この機会に誤解を解くような発信を」とのお声を頂戴しました。
どんな間違いがあるのか、また、なぜそのような誤りや思い込みが生じるのかに関して、誤認した当人である筆者自身から、以下でポイントを挙げてみたいと思います(以下の文中では敬称略)。
■誤解1:同じ会社である
三省堂は1881年(明治14年)に亀井忠一が創業し、古書販売に始まり、新刊書の取り扱い、出版・印刷業等への進出と多角化していきます。
しかし、日本初の本格的な総合百科事典事業である『日本百科大辞典』が、莫大な費用を要したもののそれに見合わない販売成績であったことなどを背景に1912年(大正元年)に経営破綻します。
ここから1915年(大正4年)、債権の保証金回収を目的に出版・印刷部門を分離・継承させて株式会社三省堂を設立します。このとき就任した役員のほとんどは債権者グループの人々であり、経営は(いったん)亀井家の手を離れます。
また、小売(書店)部門は引きつづき亀井家の個人経営(一族経営)の事業体として継続し、1928年に法人化して株式会社三省堂書店となります。
ですから1915年からずっと、辞書や教科書などを手がける出版社の三省堂と、本を販売する小売店(書店)である三省堂書店は別の組織です。
(明確に区別するために以下では出版社のほうを「三省堂(出版)」と表記します)
■誤解2:同一資本のグループ会社である
三省堂(出版)と三省堂書店は、どちらかが親会社でどちらかが子会社・関連会社といういわゆるグループ企業の関係にはありません。この点においても別々の会社です。
■誤解3:同族企業である
「グループ企業」は資本関係で結ばれた企業集団を指しますが、企業間に資本関係がなくとも経営者や経営一族が同一の場合は主に「同族会社」「同族経営」と呼ばれます。
現在の三省堂(出版)と三省堂書店は同族企業でもありません。
■まとめと訂正:三省堂書店は一度も倒産しておらず、ずっと一族経営である
誤解1~3をまとめますと、両社の関係は「ルーツは同じくするが、資本関係もなく、同族経営でもない、まったく別々の会社」というのが正しい認識となります。
筆者は2月17日で配信した記事において、
・オイルショック後に辞書の値上げをしたところ、読者やマスコミから大反発を受けて返品ラッシュが生じて1974年に倒産した
・倒産後に創業家(亀井家)が経営から離れた
と書いていましたが、これは三省堂(出版)の話であり、三省堂書店とは一切無関係の出来事でした。
株式会社三省堂書店は創業以来、一度も倒産しておりません。創業家である亀井家がずっと代表取締役を歴任しています。
また、三省堂(出版)のほうは逆に、1974年の倒産後は一度も創業家の方が代表取締役になったことはありません。
これらの点につきまして、2月17日配信の記事では両社を混同し、誤った記述をしておりました。申し訳ございません。
■なぜ誤解・混同してしまうのか
シンプルに「別の会社」と考えれば済む話ではあるものの、どうして同じ会社/グループ会社/同族会社と混同してしまう(してしまった)のかについて、少し掘り下げてみたいと思います。
①三省堂書店の店舗の屋上広告塔(建植看板)にある「辞書は三省堂」のイメージ
三省堂書店神保町本店の旧社屋をはじめ、三省堂書店の外壁や屋上に「辞書は三省堂」という垂れ幕や看板がある印象を持っている人も多いのではないでしょうか。
三省堂(出版)の辞書の宣伝を三省堂書店の店舗で行うことは、たとえば両社が分かれたあとの1930年代の三省堂書店でも見られます。また、三省堂(出版)が1974年に倒産して約10年間の更生会社の期間を経て再建して以降の時期である1980年代の写真でも見られます(たとえば三省堂百年記念事業委員会編『三省堂の百年』、株式会社三省堂、1982年、口絵の写真)。
この点と次の②で述べる点から筆者は、出版・印刷部門と小売(書店)部門の分離は、あくまで債権処理のための形式的なものだったのだろうと誤解していました。
しかし、お詫びにうかがった際に教えていただいたのですが、それらの広告は「三省堂書店が三省堂(出版)から広告費をもらって掲示している」にすぎないそうです。
②両社に創業家が関わっていた時期がある
ここから先は筆者が「中途半端に調べていたがために生じた誤り」の話です。
ですから多くの人が陥るような誤認ではないのですが、のちのち同様のミスをする人間が出ないように書き記しておきたいと思います。
両社の社史を調べていくと、以下のようなことがわかります。
三省堂(出版)と三省堂書店は1915年には別の組織となります。
当初、三省堂(出版)は創業家以外が経営陣に就いた点は先述の通りです。
しかしその後、三省堂(出版)は株式を増資し、1920年(大正9年)には亀井一族で全株式の76%を所有して経営権を回復しています(『三省堂の百年』275p)
三省堂の創業者・亀井忠一の息子である亀井寅雄が1919年(大正8年)には三省堂(出版)の常務取締役となり、1945年(昭和20年)には株式会社三省堂と株式会社同文館その他を統合した三省堂出版株式会社の社長に就任します。
また同年には印刷部門を担当する株式会社三省堂を新規に設立し、三省堂・三省堂出版両社の代表として、1951年(昭和26年)に没するまでその地位に就いています(なお、1956年=昭和31年に三省堂と三省堂出版が合併)。
亀井寅雄は1928年に三省堂書店を法人化し、1941年(昭和16年)まで初代取締役社長を務めた人物でもあります。
寅雄の弟・亀井豊治も1912年(大正元年)から三省堂書店の経営に関わり、1941年には二代社長に就任。
のみならず、1922年(大正11年)には三省堂(出版)の常務取締役に就任、1930年(昭和5年)から1947年(昭和22年)まで専務取締役を務めています。
つまり、創業者の息子兄弟は戦前から戦後にかけて両社の経営に関わっていました。
(亀井兄弟に関しては三省堂書店百年史刊行委員会編『三省堂書店百年史』三省堂書店、1981年、186、190、194-195pおよび『三省堂の百年』211-215p、378p)。
『三省堂書店百年史』ではこの時代に関して、三省堂(出版)のことを「本社」、三省堂書店のことを「書店」という書き方をしています(たとえば192p、257pなど)。
さらに三省堂書店二代社長・亀井豊治から1960年に三代目社長としてバトンを受け継いだ亀井辰朗(亀井忠一の三女・武子と坂巻登介の息子で、亀井豊治の長女・妙子と結婚)は、1940年(昭和15年)から三省堂(出版)のほうに勤め、長く出版や印刷に従事していました(『三省堂書店百年史』360-361p、407p)。
三省堂(出版)が1974年に会社更生法が適用になる少し前まで代表取締役であった亀井要(亀井寅雄の息子)が全所有株式を管財人へ提出して資本と経営の分離が果たされたのが1976年ですが、1981年時点の組織図に、亀井家のなかで非常勤ではあるものの唯一取締役として『三省堂の百年』にも記載されていたのが亀井辰朗です(『三省堂の百年』388p)。
以上のように、調べていくと1980年代初等まではいくつか交錯が見つかります。
これもあって筆者は両社を曖昧に同一視し、両社が資本関係のあるグループ企業であったかのような誤った思い込みをしておりました。
また「同族」ないし「創業家」といっても大きくいえば
・三省堂(出版)のほうは亀井寅雄の家系が1970年代まで経営に関わる(現在は無関係)
・三省堂書店は(初代社長である寅雄より後は)亀井豊治の家系が現在まで一貫して代表を務める
と分かれています。しかし、今回、誤りのご指摘をいただき改めて調べ直すまでは、雑駁に「亀井家」としか認識できていませんでした。
■最後に
最後にもう一度強調しておきますが
・辞書や教科書を出版する株式会社三省堂と、書店業を営む三省堂書店は別々の会社です。グループ会社であったことはなく、現在は同族企業でもありません
・三省堂書店は一度も倒産したことはありません
上記が正しい事実となります。
また両者は別企業ですが、ルーツを同じくする仲であり、現在も良好な関係にあります。
三省堂書店神田神保町本店が2026年3月19日にリニューアルオープンとなる、ご祝賀を申し上げるべき時期にご迷惑をおかけいたしましたこと、誠に申し訳ございませんでした。
以上、お詫びとともに訂正させていただきます。