よく臨死体験した人が一面のお花畑とか見て帰る。
死後の世界は美しい。花が咲き乱れている。
そう語るが・・・だがこれは幻影だ。
阿弥陀経にも車輪のような水蓮が五色の光を放って咲きの甍(いらか)の楼閣に玉が敷き詰められた道。地上に絶えず散華がふりぞぞぐ。などが極楽世界の表現として出てくる。
ほかにも阿弥陀さんの作った鳥が美しい声でさえずり、その声は仏の説法であるなどなど・・・
それらはこの世の我々のイメージでしかない。この世の知る限りの好ましいものが盛り込まれているだけだ。
それに今もう「甍」のある家は少なくなりつつある。未来には家屋のスタイルも変わってもうなくなるだろう。
極楽のイメージも未来には変わるだろう。
多分にむかしの中国でそのように訳されたためこうなったのだろう。インドに「甍ぶき」はないと思う。
極楽がどのようなところであるか知らないが、そのようなイメージの醸す浄土信仰は究極の教えではなく権教であることはあきらかだ。
天台では己心の浄土という。
日蓮宗のように極楽などない。阿弥陀仏は娑婆に何の関係もない仏とは言わない。
だがそれは実土ではない。
修行を続ける志ある人(正乗聚の人)の世界でそういうパラダイスのような場所ではないと思う。