(あすを探る 歴史・国際)イラン脅威論に混じる幻覚 鶴見太郎

 イスラエルとアメリカによるイランに対する先制攻撃が6月、全世界の注目を集めた。今この段階で破壊しておかなければいずれ手に負えなくなるという理屈だ。イラク戦争のときと同じ理屈が繰り返された。本当にそうであったとしても先制攻撃には国際法上許されるかどうかという問題がまず生じるが、ここでは、本当にそうであると考えたのはなぜかに着目したい。イラク戦争の場合は、脅威とされた「大量破壊兵器」など結局存在しなかった。

 イランの場合、核技術が年々向上しているのは事実だ。論点は、核兵器に転化される可能性と、それがイスラエルに向けられる可能性である。まず、現在のイランのウラン濃縮度は原子力発電には過剰であり、核兵器への転化を疑う合理性はそれなりにある。

 では、それはイスラエルに向けられたものなのか。イスラエルのネタニヤフ首相は、すでに30年も前に出した「テロリズムと戦う」という本のなかで、イランの核の脅威を紙幅を割いて指摘している。イランが直接イスラエルに核攻撃するというよりも、イランが支援する反イスラエル的な諸勢力(ヒズボラやハマスなど)が、親イスラエル的なアラブ諸国に対して優位に立つようになることを彼は警戒する。

 イスラエルはこれら諸勢力から(経緯はともかく)たびたび攻撃を受けてきたから、単なる被害妄想とはいえない。なにより、イランの政治指導者が「イスラエルを地図上から消す」などと公言してきた。国内向けの人気取りのための発言にすぎなかったとしても、ホロコーストの記憶を引き継ぐ国において、それが深刻視されるのは不思議ではない。

 とはいえ、イランやその支援勢力は、本当に非合理にイスラエルを攻撃するのか。ネタニヤフ氏は同書で、イスラム武装勢力は西欧に対して根強い憎悪を持っており、イスラエル建国は関係ないとさえ述べている。つまり、ハマスのイスラエルに対する闘争の動機すら、イスラエルが西欧的であるがゆえの妬(ねた)みであるという理解であり、イスラエル自身が重ねてきたパレスチナ人に対する抑圧は考慮に入れないのだ。

 今回のイラン攻撃に際して、イスラエル人も、それを応援する欧米人も、少なからずイランのイスラム体制に対する「自由世界を守る戦い」であると語った。自由が理解できず「文明世界」を妬むことしかできないイスラム世界という蔑(さげす)みがそこから透けて見える。

 ある陣営への攻撃に踏み込む際の背景にある脅威認識は様々な要素からなる。イラン脅威論は、核関連技術の状態や指導者の発言といった実態の認識のみから構成されているのではない。上記の差別的な観点、つまり相手を過度に得体の知れないものとする幻覚もまた、その重要な構成要素を占めてきた。リアリズムの世界で起こるとされる戦争は、たいてい脅威認識から始まる。だが、その認識にリアルでないものが混入してきたのが人類の歴史である。

 (つるみ・たろう 東京大准教授 1982年生まれ。専攻は歴史社会学、ユダヤ史。著書に『ユダヤ人の歴史』など)

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