貴族槍と使用人弓2
謎時空の貴族槍と使用人弓です。槍弓。
弓と士郎が兄弟で凛ちゃん家の使用人です。
novel/8957913の続き。
また続きます。
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部屋が一度明るく光り、数秒遅れて大きな雷鳴が轟いた。アーチャーが窓の外を見れば、いつの間にか黒い雲が空を覆い始めている。先程の様子から雷はまだ遠いが、もう少し経てばここも雷雨に見舞われるだろう。外では士郎がアルスター家の馬車を屋根のあるところに避難させているのが見えた。
「こりゃあひでえ天気になりそうだな」
ランサーが顔をしかめている。
アルスター家の屋敷は決してこの屋敷から近いとは言えない。豪雨だけならまだしも雷も伴う中馬車で帰還するのはなかなか困難だろう。
「泊まってっちゃえばあ?部屋も余ってるし」
間延びした声で提案するのは凛である。ランサーとの付き合いが長くになるにつれ、対外用のキリリとした仮面は剥がれ落ち、すっかり素が出てしまっている。
「嬢ちゃんがいいなら俺は全然かまわねえが」
対するランサーも帰り道のことを思うと億劫なようで、凛の提案に乗り気である。
「じゃあ決まりね、アーチャー準備よろしく」
そうと決まればその準備をするのはアーチャーだ。夕食の献立の変更に、客間の清掃など、やらねばならない仕事の順番を頭の中で組み立てる。
「夕食楽しみにしてるぜ」
こちらに挑戦的に笑う男に対し、期待以上のものを出してやろうと自信たっぷりの笑みを返した。
青い男はすっかりこの屋敷になじんでしまった。
ランサーが経営している会社の主な事業は衣類品やアクセサリーの制作と販売だ。工場と店舗の両方が冬木には展開され、その質の高さから評判は高いようだ。遠坂家としても売り上げの一部を収めてもらえる上に、雇用が増えることで冬木の町の根本的な活性化に繋がりいいことずくめである。
ある程度ランサーの事業が軌道に乗ったため、前ほど頻繁な打ち合わせは必要がなくなったのだが、依然としてランサーはこの屋敷を訪れる。自分の店の視察のついでだったり、新商品のデザインについて凛に意見を求めたり。この前などは使用人の自分にまで服を持ってきて試作品だからと言ってそのまま押し付けられた。私用で屋敷を出る機会もないためその服は箪笥の奥に仕舞われたままだ。また、凛の方もランサーの訪問を快く受け入れているようである。
ランサーの頻繁な訪問の理由として、アーチャーは一つの仮説を思いついていた。それはランサーと凛の婚約だ。
凛ももうそろそろ年頃だというのになぜだか今まで縁談を断り続けている。おそらくだが、よく知りもしない相手と結婚するなど凛の性格では許せないのだろう。その点で言えばランサーはすでに気心の知れた仲である。さらには家柄も良く、次男であることから遠坂の家に婿として入ってもらうことも可能だ。アーチャーの知らないところで話が進んでいてもおかしくはない。そう思うと少し気が沈む。当然の結果であり、自分が何か思うようなことではないとなんとか自分を納得させる。近しい者たちが幸せになるのは喜ばしいことだ。
アーチャーはランサーのことを大分好ましく思っている自覚があった。遠坂の屋敷に来てから、アーチャーは遠坂家に恩を返さなければという義務感だけで生きてきた。一生かかっても返せない恩であったが、自分にできるのは可能な限りこの身を捧げることであった。そうして脇目もふらず生きてきて、気が付けば親しいと言える人間は凛と士郎だけだった。その二人にしても、仕えるべき主と守るべき弟であり、多少気を張りながら接していることは否めなかった。
そんな中で現れたランサーはアーチャーにとって異質な存在であった。高貴な生まれでありながらその砕けた態度は身分の差を感じさせず、人懐っこい笑顔で相手の心を開かせる。あっという間にアーチャーの懐に入り込み、気づけばアーチャーにとって唯一気の置けない相手になっていた。
最初は戸惑いながらも楽しかった。しかし、次第にアーチャーは自分がランサーに心を開きすぎていることに恐怖を覚えるようになっていた。つい忘れそうになってしまうが、本来アーチャーとランサーの間にはとてつもない身分の差があり、決して友などになれる間柄ではないのだ。ランサーのちょっとした気まぐれで儚く崩れ去る関係である。だからいつ無くなってしまっても傷つかないように、アーチャーは一線を引いておくべきだったのだ。それなのに、アーチャーは心の大分深いところまで、ランサーの侵入を許してしまっていた。慌てて距離を置こうにもランサーはこちらの気も知らず、ズカズカとアーチャーの心に踏み込み続ける。アーチャーにそれを拒むことなど出来るはずがなかった。
そして、さらに自分の欲が深くなってきていることにもアーチャーは気付いていた。自分にとってランサーが唯一であるように、相手にとっても自分が唯一でありたい。しかしそれは過ぎた望みだ。大切な友人ができたというだけでも身に過ぎた幸福なのだ。アーチャーは誰にも見つからぬよう、自分の欲望を心の底に仕舞いこんだのであった。
好みを完璧に押さえた豪勢な夕食を振る舞い客人を唸らせたのち、アーチャーはランサーの寝間着について悩んでいた。
下着については前当主用に用意され使われずに余っていた新品が用意できた。しかし寝間着に関しては体格の違いから前当主の物を着てもらうわけにはいかなかった。凛に相談すればあっさりと「あんたの貸せばいいじゃない」と言われてしまった。確かにサイズは合うだろうが、貴族に使用人の質素な寝間着など着せていいものだろうか。そう言えば「あいつはどうせそんなこと気にしないわよ」と手をひらひらとさせながら返される。確かにその通りだとは思うが、ランサーに自分の寝間着など着せるのはなんだかとても気恥ずかしい。しかしそれ以外の選択肢はなかった。悩んだ末に、仕方なく自分の寝間着を手にランサーの部屋に向かうと、悩みすぎたせいか、ランサーは既に風呂から上がり、下着一枚でベッドに腰かけていた。
「すまない、待たせた」
「待ってねえよ、今上がったところだ」
「寝間着を持ってきた。丁度いいサイズのものが私の物しかなかった。質素ですまない」
鍛え抜かれた白い肌が目に毒で、慌てて寝間着を押し付ける。ランサーは少しためらった後、寝間着に袖を通した。やはり私の寝間着では嫌だったのだろうか。
サイズは合っていたようで、見た目にはどこもきつくなさそうだ。着替え終わるとランサーは青い長髪を大きなタオルでばさばさと拭き始めた。綺麗な髪を雑に扱うものだからもったいなくてつい口を出してしまう。
「おい、そんな乱暴に髪を拭くな」
「あ?適当でいいだろ」
「いつもそんな風にしているのかね」
「大体使用人に任せるからなあ」
「なっ…」
想定外の答えが返ってきて驚く。言われてみれば貴族とはそういうものなのかもしれない。わが主は女性であるために風呂上がりの世話などはメイドが担当しており、アーチャーは全く関わっていなかった。
「それはすまなかった。今日は私が拭こう」
「お、いいのか」
「今日は君の使用人としてこき使ってくれ、マスター」
無知の詫びとして今日は思う存分ランサーに仕えることにした。タオルを受け取り、ランサーの長髪を丁寧に拭っていく。初めて触れた青は見た目の通り柔らかく滑らかだ。しっとりした手触りが心地よく、その持ち主が気付かないのを良いことに、つい必要以上に触ってしまう。
「やったことない割に手慣れてるな。弟にやってやったりすんのか」
「まさか。そんなことをしたらあやつは怒るだろうよ」
そういえば、と目の前の青が声を発する。
「士郎とお前って兄弟なのに名前の語感が大分違うな」
他意のない、ただ浮かんだ疑問。しかしアーチャーにとってそれは首筋に突き付けられたナイフも同然だった。ランサーの髪に触れて浮かれていた気持ちが急降下する。その説明のためにはアーチャーの出自についての言及を避けられない。しかし、ここでごまかすことは許されなかった。何度も、早く話せさなければと思っていたことだった。
「ああ、そもそも私のは名前というよりあだ名だからな」
できるだけなんでもないことのように言う。
「石つぶてを人に当てるのがうまかったのだよ。店の主人に遠くから石つぶてを投げる。店主が痛がったり戸惑ったりしているうちに、仲間が店の物を盗む。そのうちに仲間からアーチャーと呼ばれるようになった」
敏いランサーはそこである程度の事情に気付いたようだ。振り返りこちらを見る目は大きく開かれている。
「お察しの通り私はスラム街の出身だ。孤児だったから、士郎には私が名を付けた。生きるために盗みでもなんでもやった。そんなことを続けていたらある日店主に捕まった。それまで散々悪さをしていたからね、半殺しにされたよ。あのまま放置されていたら死んでいたな。士郎が助けを求めて駆け回ってくれた。運よく、たまたま来ていた役人に保護され、その家の養子になった。新しい名前を付けようとしてくれたのだがどうも馴染まなくてね。アーチャーという名をそのままもらったんだ。養父が死んだあとは、養父と親交のあったこの家に引き取られて、今まで働かせてもらっている」
疑問に答えると同時に、ランサーが知るべき自分の情報を余すことなく伝える。たとえそれでランサーが離れていってしまうとしても。
「軽蔑しただろう。今まで言わなくてすまなかった。隠していたわけではないのだが、こんなくだらない話で高貴な君の耳を汚すこともないと思ってね。私は本来なら使用人としてすら君のそばにいていい人種ではないのだ。今まで仲良くしてくれたことに感謝してい…」
「てめえ…」
今までの感謝を最後まで伝えることはできなかった。体ごと振り返ったランサーが胸倉をつかみアーチャーを睨み付ける。視線に込められた怒りに思わず口をつぐんだ。
「俺がお前の出自を聞いたくらいで離れていくような人間だと思ってんのか。なめるな、アーチャー」
「な、なめてなど…」
「お前が何を恥じているのかは大体わかる。だがな、そうでもしなければお前は死んでいただろうが。生まれに至ってはお前には何の罪もない。それよりもお前が今どんな人間かってことの方が大事だろうが」
真っ直ぐに向けられる言葉に困惑する。想定していた反応との差にどうしていいかわからない。
「自分を卑下するなアーチャー。お前がどんなに綺麗な人間かってことは俺がよく知っている」
「なっ…」
顔が熱くなる。この男は、薄汚いアーチャーを軽蔑するどころか、綺麗だと言った。その瞳には一片の曇りもない。恐ろしいまでの真剣なまなざしで見つめられて、アーチャーはいたたまれなくなってしまった。
「分かった、分かったから離してくれ」
そこでランサーはようやく自分たちが近距離で見つめ合っていたことに気付いたらしく、慌てて手を放した。心なしかランサーの顔が赤い。自分の顔については言わずもがなだ。
自分のうなじに手を当てる。先程までの恐怖が全て温かいものに置き換わっている。ランサーが少しもたじろぐことなく自分の過去を受け入れた。その事実がこれ以上なく嬉しい。だから、これで十分だ。もう何も望まない。
「ありがとうランサー。出来ればこれからも友でいてくれ」
自分にできる精一杯の告白を彼に。
「…おうよ」
滅多にない素直なアーチャーの言葉にランサーは照れたようにそっぽを向く。思わず笑みが漏れて、ランサーがなんだよと不満の声をあげる。それがさらに面白くて幸せで、アーチャーはその後もしばらく笑い続けた。