森をそよ風が吹き抜け、爽やかな風が離れまで届く。
淹れた煎茶をすする女性の髪は鮮やかな薄紫色、明らかに異国の装いをした彼女は不思議と純和風造りの離れに溶け込んでおり、まるで元からそこに居るべきもののように映る。
お茶を嗜む女性の前、畳に正座をした黒髪の少女は整った顔を険しくさせて、そんな女性をまるで親の敵でも見るように睨みつけていた。
その視線を涼しく受け流して湯のみを置いた女性は、かつて遠い地で相見えたとある男と深い縁のある少女へため息をつく。
「こんな所まで、ご苦労様とでも言えばいいのかしら」
「あんたに労われたところで嬉しかないわよ。来た理由なんてわかってるんでしょ?前置きはいいわ。アーチャーにかけた呪い、今すぐに解いてちょうだい」
「無粋な子ね。まぁ外にいる厄介なお姫様を連れてこなかった分、見込みはあるけど。では私もはっきり言わせてもらうわ、それは無理よ」
顔を上げてハッキリと申し出を断った女性こそ、アーチャーに呪いをかけた魔女と呼ばれるものだった。そして彼女を問い詰める黒髪の少女、アーチャーの住む城にほど近い場所に領地を持つ地主の娘は凛という。
元々魔女の嫁いだ土地、極東の島国を故郷にする凛は言葉も土地勘もあるためアーチャーの姉であるイリヤスフィールの付き添いとして彼の地へ来た。
イリヤに頼まれたというのもあるが、何より凛もアーチャーとは長い付き合い。あの不器用で世話焼きのことはよく知っている。
それが旅に出ると言って姿を消したかと思えば、帰ってきた時には複雑な魔術によって異形へと姿を変えさせられてしまったのを見て、言葉を失った衝撃は忘れられない。
帰ってきたアーチャーから凛は旅の目的を聞いた。その上で帰るまでに自分の夢への希望を失い、ただ自分のことを摩耗させていつか終止符が打たれる時を待つ姿を見て、凛もじっとしていられなかったのだ。
決して誹られる事ではないアーチャーの夢、それを図らずも踏みにじる形となった魔女へ歯軋りをすると拳を握った。
「無理、ですって?ちょっと甘く言い過ぎちゃったみたいね。こっちはお願いしに来てるんじゃないの、あいつの姿を戻すために戦う覚悟だって出来てるのよ」
「私だって意地悪で言ってるんじゃないの。たとえここに彼を連れてこられても、かけた魔術は私の手によって解けるものじゃないから何も出来ないわ。私がかけた呪いは解く手段はとても簡単なの、その代わりにそれ以外では解けない。ある者にとっては呪いなんて言えないおまじない、ある者にとっては死ぬまで解けない不治の呪いってこと」
険悪な雰囲気になった凛へ魔女も困ったように肩をすくめた。予想していなかった反応にきょとんとした凛が一旦力を抜くと、魔女はアーチャーに呪いをかけた夜を思い出して、 今は微かな跡になっているアーチャーによって切り裂かれた傷を撫でる。
「私も責任は感じているわ。でも、勝手に呪いを難しくしているのは彼の方よ。私はかけた時に言いました。あなたの剣をあなたのために振るえれば呪いは解けると」
しかしそれもすぐに険しい表情へと変わり、改めてはっきりと凛の要請を跳ね除けた魔女の答えにとうとう凛は立ち上がり、勢いよく指を突きつけた。
「…それがあいつにとって一番難しいってわかっているはずなのに。この性悪女!」
「命にかかわるものでもありませんし、そこまで罵られる謂れはなくってよ?それにあなたならわかるでしょう。それが彼にとって必要なことだと」
毛を逆立てる凛をぴしゃりと言い含めた魔女は、それきり言葉を切って再度湯のみへ手を伸ばす。
魔女の言うことに理を見ている凛はそれ以上の反論を紡げず、用意された座布団へペタンと座った。
ふと見上げた先の青空、それが繋げる雪深い土地で自分らの帰りを待つ大切な友人は自分の幸せを求めることが滅法弱い。
呪いを解く道はまだ遠く、愚かなほど優しい野獣の幸せを願って凛も出された湯のみへ手を伸ばすのだった。