昼過ぎの街道は、妙に歩きにくかった。
石が悪いわけじゃない。
道がぬかるんでいるわけでもない。
ただ、身体の奥が少し重い。
ユーベルは、それが気に入らなかった。
道端の低い藪に指先を向ける。
魔力の線を通す。
大体なんでも切る魔法(レイルザイデン)。枝が一本、すっぱり落ちた。
切れてはいる。
でも、気持ちよくない。
いつもなら、もっと軽い。
もっと自然に、切りたい形に切れる。
今日はほんの少しだけ、そこにずれがあった。
その「ほんの少し」が、いちばん気に障る。
ユーベルは、もう一度、少し太い枝に線を引いた。
今度は音が残った。
切断面も、わずかに気に入らない。
ユーベル「……んー」
後ろを歩いていたラントが、ふいに足を止めた。
ユーベルは振り返る。
ユーベル「何」
ラントは街道の先を視線で示す。
道沿いに、小さな村の屋根が見える。
ユーベル「……休むんだ」
ラントは否定しなかった。
そのまま歩幅だけを少し緩める。
ユーベル「依頼は?」
ラント「逃げない」
最初から決めていたみたいな動きだった。
ユーベルは目を細める。
ユーベル「相変わらず、よく観察してるねー」
いつものラントなら、もっと面倒そうに言う。
あるいは、何も言わないまま勝手に進む。
今のは少し違った。
ユーベル「……へぇ」
ラントは返さなかった。
それが、ユーベルには少し面白かった。
村外れの休み処は、木の机と粗い椅子を並べただけの簡素な造りだった。
鍋から湯気が上がっている。
薬草の匂いが、薄く漂っていた。
ラントは席に着くなり、店の女に何か二つ頼んだ。
ユーベルは聞かずに、机に肘をつく。
座ると少しだけ楽になる。
そういうのも、気に入らない。
少しして、湯気の立つ椀が二つ運ばれてきた。
片方はただの湯。
もう片方は、少し甘くて、少し薬草っぽい匂いがした。
ラントがそっちを、何でもないみたいにユーベルの前へ寄せる。
ユーベル「何これ」
ユーベルは椀の縁に鼻を寄せた。
嫌いじゃない匂いだった。
ユーベル「私、頼んでないけど」
ラントは肩をすくめただけだった。
ユーベル「そういうことするんだ、メガネ君」
ラント「あのさ……僕には……」
ラントは黙った。
それが嫌なんだ、とすぐ分かる黙り方だった。
ユーベルは少し笑って、椀を持ち上げた。
一口飲む。
温かさが腹の奥に落ちていく。
むかつくくらい、ちょっと楽になる。
そこでようやく、ユーベルはちゃんとラントの顔を見た。
相変わらず、つまらなそうな顔をしている。
余計なことには興味なさそうな顔。
でも、机の上に置かれたこの椀だけが、その顔から少し浮いていた。
ユーベル「へぇ。そういうの知ってるんだ」
ラントは椀に口をつけたまま、何も言わない。
ユーベル「知らないなら、出てこないよね。こういうの」
ラントは椀を置いた。
目だけで、続きを言うのか、という顔をする。
ユーベル「ねえ、メガネ君。どこで覚えたの」
ラント「別に」
ユーベル「別に、で済む感じじゃない気がするけど」
ラントはまた黙った。
そのまま懐から小さな包みを出して、机に置く。
乾かした薬草を砕いて紙で包んだだけの、簡素なものだった。
ユーベル「何それ」
ラント「痛みが強いなら、こっちも入れるといい」
ユーベルは椀を持つ手を止めた。
今度は本当に、少しだけ驚いた。
ユーベル「……へぇ、そんなの持ってるんだ。どうしてかな?」
返事はない。
ユーベル「ふーん」
ラントは否定もしない。
ただ、視線を机に落としたまま、これ以上話す気はないらしかった。
でも、持っていた。
しかも迷いなく出した。
ユーベルは包みを指で転がした。
軽い。
軽いくせに、その中身だけが妙に引っかかる。
ユーベル「これ、使っていい?」
ラントは小さくうなずいた。
ユーベル「へぇ」
少し笑う。
ユーベル「やっぱ優しいんだ」
ラント「違う」
ユーベル「何が?」
ラント「君が鈍いままだと依頼に差し支えるだろ」
ユーベルは吹き出した。
さっきまでみたいな、腹の底が引きつる笑いじゃなかった。
ユーベル「面白い言い方をするよね、メガネ君」
ラントは答えず、湯を一口飲んだ。
ユーベル「でも、そういうの、最初から出せるんだね」
返事はない。
ユーベル「必要そうだな、って見て分かるんだ」
ラント「……まあ」
それだけだった。
その短さが、逆に少しだけ本当っぽい。
ユーベル「へぇ」
ラントはそこで、ほんの少しだけ嫌そうな顔をした。
ユーベルはそこを見逃さない。
ユーベル「何その顔。やっぱ触れられたくないんだ」
ラント「別に」
ユーベル「その『別に』はそういう『別に』じゃないよね」
ラントは何も言わなかった。
休み処の外では、村の子どもが走っていく音がした。
鍋の湯が小さく鳴る。
ユーベルは包みを開いて、薬草を椀に落とした。
少し苦い匂いが立つ。
ユーベル「ほんと、変わってるよねー」
ラント「君に言われたくない」
ユーベル「うーん、そういう意味じゃないんだなー」
ラントは視線だけを向けた。
ユーベル「他人に興味ない顔してるくせに、そういうのは見てるんだなって」
ラントはまた視線を外した。
否定しない。
ユーベル「何で覚えたのかなー?」
ラント「……」
ユーベル「本で読んだ?」
返事はない。
ユーベル「誰かに頼まれた?」
ラントは椀に指をかけたまま、黙っている。
ユーベル「それじゃあ、誰かのを見て覚えたんだ?」
そこで、ラントの指先がほんの少しだけ止まった。
ユーベルは目を細めた。
ユーベル「へぇ」
ラント「……君ってさ、本当に黙ったら死んじゃうタイプだよね」
ユーベル「なるほどねー」
ラントはそれ以上答えない。
でも、否定もしない。
相手の魔法の向こう側にある話を見つけるのが好きだった。
でも今日は、魔法じゃない。
もっと生活に近い、つまらなそうで、でもその人が出る部分だ。
ユーベルはそういうのも、嫌いじゃなかった。
ユーベル「ねえ、メガネ君さ」
ラント「何」
ユーベル「今の話、もっと聞きたいなー」
ラント「嫌だ」
即答だった。
ユーベル「そっか」
ラント「……」
ユーベル「まあいっか。まだまだ聞く機会もありそうだし」
ラントは少しだけ眉を上げ、嫌そうな顔をした。
その沈黙が、いちばん面白かった。
湯を飲み終わる頃には、身体の奥の重さはまだ消えていなかった。
切れ味も、たぶん今日は最後まで完璧には戻らない。
でも、さっきまでの苛立ちは少し薄くなっていた。
ラントが立ち上がった。
代金を置いて、先に外へ出る。
ユーベル「ちょっと、メガネ君さー」
ラントは休み処の外で足を止めたまま、振り返らない。
ユーベル「一人で行くつもりなのかな」
ラント「どうせ来るでしょ」
ユーベルは少し笑った。
そういう言い方のくせに、ちゃんと止まっている。
村の外れの風はまだ少し冷たかった。
でも、さっきよりは歩きやすい。
ラントは前を向いたまま、ほんの少しだけ歩幅を落としていた。
ユーベルはそれに気づいたけれど、何も言わなかった。
今日のその手際が、どこから来たのか。
何を見て覚えたのか。
どうしてそんな顔で知っているのか。
ユーベルは隣を歩くラントを見て、少しだけ口元を上げた。