北米

2024.12.11 18:00

ジョンベネ殺害事件、疑惑の兄は今どこに? ネトフリ出演拒否の理由

ジョンベネ・ラムジー(Getty Images)

兄バークが妹の殺害事件について語ったこと



妹の殺害から20年後の2016年9月、バーク・ラムジーはテレビのトーク番組『Dr. Phil(ドクター・フィル)』で、ジョンベネ事件について初めて公に語った。「世間が私や両親を犯人だと思っていることは知っています」

番組でバークは警察が家に到着したときは寝室にいて、最初は妹が死んだことが信じられなかったと話した。またPeople誌によると、バークは世間がどう思おうと犯人は「美少女コンテスト好きの小児性愛者」だと信じており、クリスマスの日、家族が外出している間に家に侵入された可能性について言及している。

当時29歳だったバークは今回なぜメディアに出ることにしたのかと聞かれ、次のように答えた。「このインタビューに答えることで妹が生きた証を伝えたいと思いました。世間に彼女のことを忘れてほしくないのです」

兄バークは今どこにいるのか?

バーク・ラムジーは2024年現在37歳で、米ミシガン州に住んでいる。Today.comが入手した公的記録によると、技術管理の仕事をしているという。


今回出演を拒否したネットフリックスのドキュメンタリーでは最終話の最後に、「マスコミの報道やネットのコメントを理由に、バーク・ラムジーは取材の依頼を断った」というテロップが出る。

監督のバーリンガーはToday.comに、バークは 「元気」で、「父親のジョンや異母兄を通して」接触を試みたが、バークが出演を望まなかったため無理強いはしなかったと述べた。「私たちは彼の気持ちを尊重することにしたのです」

2012年時、父ジョンは『People』誌に、バークはソフトウェアのエンジニアで、交際相手がおり、静かな生活を送っていると語っている。「彼はすっかり大人になりました。彼は年金のための投資もしています。すべて自分でやっています」

しかしその4年後、バークは米放送局CBSを相手取り、7億5000万ドル(約1122億1500万円)の損害賠償請求を起こす。バークが懐中電灯でジョンベネを殴って誤って殺害し、両親がそれを隠蔽したとする特番をめぐっての訴訟だった。また、バークはこの番組に登場した法医学者ワーナー・スピッツと専門家らを名誉毀損で訴え、1億5000万ドル(約225億2000万円)の損害賠償を請求している。バークとCBSは2019年1月に和解したが、『AP通信』によると、その条件は公表されていない。

ジョンベネの母親のパッツィ・ラムジーは2006年、卵巣がんにより49歳の若さで他界。4人だった家族(異母兄弟を除く)は2人きりになっている。

『コールドケース: ジョンベネ・ラムジーちゃんを殺したのは誰だ』は現在、ネットフリックスにて配信中だ。

forbes.com 原文

翻訳=猪股るー

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2026.02.25 11:00

ベンチャーの都で「20年の視座で向き合う」京都発スタートアップ・エコシステム、支援者の実像

最長20年という超長期の視座で投資活動を遂行する京都大学イノベーションキャピタル(京都iCAP)と、行政をあげて伴走する京都府。産学公が一体となるスタートアップ創出エコシステムはいかに実現されるのか。支え手たちの展望を聞く。


京都iCAPの歩みは、2014年に政府が打ち出した「国立大学に対する出資の制度化」にさかのぼる。当時、三井住友銀行から京都大学へ制度設計のために出向したのが、現社長の楠美公(以下、楠美)だ。

「その時は大学側にスタートアップ支援の知見も部門もありませんでした。制度設計を経て2014年12月に京都iCAPを設立し、16年1月にファンドを組成。当初は2年で銀行に戻る予定でしたが、設立に深くかかわった責任もあり、20年に銀行を退職して社長に就任しました」

楠美が設計したファンドの最大の特徴は、ファンド期間を「最長20年」という異例の長さに設定した点にある。一般的なVCが10年程度のサイクルで利益回収を急ぐのに対し、なぜ20年なのか。理由は、京都大学が抱える研究シーズの特異性にある。

「京大の技術シーズは、応用や開発に至る手前の基礎研究フェーズにあることもままある。そこから実用化まで長い歳月を要するディープテックを支援するには、10年では到底足りないのです。基礎研究の段階から時間をかけて伴走し、じっくりと社会実装するための20年なのです」

京大が長年蓄積してきた知をビジネスへと翻訳する組織もまたユニークだ。京都iCAPのキャピタリストの多くはPh.D.(博士号)をもつ理系人材で構成されている。

「理系人材を中心に組織をつくったのは、論文を読み込み、研究者と対等な立場で議論できることが不可欠だと考えたからです。投資部門に文系出身者は出向者を除き一人もいません。専門性を背景にした信頼関係こそが、京都iCAPの支援の基盤です」

さらに楠美が強調するのは、研究者と経営者の役割を分離させて考えること。楠美自身、長年の経験から研究者が経営を兼務することには慎重な姿勢を貫く。そこで京都iCAPが戦略的に活用しているのが、「EIR(客員起業家)」制度だ。EIRとは、起業を志すビジネスパーソンを一定期間、投資機関の契約社員等として雇用し、学内の研究シーズの探索や事業化準備に専念させる仕組みを指す。

「研究者が経営判断も担うと自らの技術への愛着が時に盲点となり、事業が誤った方向に進んだ際にブレーキが利かなくなるリスクもある。だからこそ、経営と研究のプロを分ける。客観的な視点で事業を成功へ導く『経営のプロ』を、技術の源泉である研究現場へ引き合わせる。そのための最も機能的な装置がこのEIRなのです」

楠美 公 京都大学イノベーションキャピタル 代表取締役社長
楠美公 京都iCAP 代表取締役社長

光るシーズを見つける極意

EIRをはじめとする施策を講じる京都iCAPの具体的な支援の現場では、どのようなアクションが取られているのか。京都iCAPの菅野流飛(以下、菅野)は「エネコートテクノロジーズ」の事例を挙げる。同社は次世代太陽電池として注目されるペロブスカイト太陽電池を手がけている。

「担当者が設立の1年前から准教授のもとへ通い詰め、事業計画や資本政策、経営チームの構築を丁寧に練り上げた事例です。当時、太陽電池は投資領域として注目されておらず、ほかのVCはリスク回避のため投資に消極的でした。それでも我々はポテンシャルを確信し、単独で数億円のリスクを取りました」。投資から8年たった今、同社はトヨタ自動車との共同開発を実現するなど、時代のトレンドを先取りした存在となっている。

研究シーズの探索経路も多様に用意されている。大学の特許会議や、年間100件近い応募がある学内グラントの案件を精査し、光るシーズを見つけ出す。「会社設立の2、3年前から担当が張り付くこともあります。我々の強みは、研究者が思いつかないような技術の用途をビジネスの視点から発想し、提示できることにあります」(菅野)

さらに足元では、グローバル展開も加速する。23年からはシンガポールに拠点を設置し、投資先を海外の事業会社や投資家とマッチングさせるカンファレンスを毎年開催。これまでに33社を派遣して185件の商談を設定、4件の資本・事業提携を実現させた。25年にはニューヨークにも拠点を広げた。「ディープテックは国境を越えやすい。日本の技術力の高さは今、あらためて世界から注目されています。このタイミングで、世界へ羽ばたけるスタートアップを輩出したい」(菅野)。

設立から10年。京都iCAPのブランド力は確実に向上し、今や50名を超えるEIRコミュニティを抱えるまでになった。菅野は道のりをこう振り返る。「カンパニークリエイションという領域において、我々の手法と成果は国内トップクラスであると自負しています。研究者と起業家に実直に寄り添うコンセプトが結実しつつあります」

菅野流飛 京都大学イノベーションキャピタル
菅野流飛 京都iCAP

官学で挑戦者の「受け皿」をつくる

この京都iCAPの動きに呼応し、京都府も支援体制を敷く。府が本格的にスタートアップ支援に乗り出したのは19年。

「起業するなら京都プロジェクト」を立ち上げ、行政の産業振興部門で30年以上のキャリアをもつ上林秀行(以下、上林)らが中心となって推進してきた。かつて京セラや日本電産(現ニデック)、任天堂といった、独創的な技術を武器に京都から世界を席巻した巨大企業が生まれたベンチャーの都としての歴史がある京都。上林はこうした歴史を念頭に、支援に乗り出した当初をこう振り返る。

「京都には多くの大学があり、学生があふれていますが、卒業後に京都に残る人は2割に満たない。京都は学ぶ場所であっても、働く場所、挑戦する場所としての受け皿が不足していました。開業率も全国平均を下回っており活性化しているとは言い難い状況だったのは否めなかったのです」

20年には内閣府の「スタートアップ・エコシステム拠点都市」に採択。「京都スタートアップ・エコシステム推進協議会」を発足させ、現在、行政、経済団体、産業支援機関、大学等46団体が参画する。四条烏丸の京都経済センターには約60の支援機関や経済団体が集結し、産学公金の緊密な連携を可能にした。25年度からは、京都を世界的なディープテック拠点へと発展させていくための施策として「EIR活動支援事業」を講じており、京都iCAPとの連携を一層強めている。

京都発のスタートアップエコシステムをいかに醸成できるか。上林はこう意気込んだ。「ディープテックは資金も時間もかかりますが、何より経営側のリーダーが圧倒的に不足しています。府が予算を出し、優秀な人材を研究現場へ送り込む。流出を恐れるのではなく、京都で挑戦するメリットを提示し続けるのが行政の役割です」

上林秀行 京都大学イノベーションキャピタル
上林秀行 京都府

京都府および京都iCAPでは、京都に根を張りながらディープテックスタートアップの創業を志すCEO候補者を求めている。日本の科学技術にキャリアを賭したい方は京都iCAPにコンタクトをとってほしい。

京都大学イノベーションキャピタル
https://www.kyoto-unicap.co.jp/


くすみ・こう◎三井住友銀行を経て、2013年より京都大学に出向し京都iCAPの制度設計を担う。14年同社設立にかかわり、20年代表取締役に就任。金融のプロとしての目利きと、超長期の支援哲学を貫く。

かんの・りゅうひ◎連続起業家、柔術家。複数の大学VCにて投資・支援活動を行い、2023年より京都iCAPに参画。日本最大のディープテックスタートアップスタジオの構築を目指している。

かんばやし・ひでゆき◎1988年に京都府入庁。30年以上にわたり商工労働の分野を中心に行政に携わる。2019年より京都のスタートアップ・エコシステム形成を牽引し、25年からは京都iCAPとのEIR連携を推進。

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伝説のF1ドライバーの素顔に迫る、『セナ』がいよいよネットフリックスで配信

1992年7月7日、英シルバーストーン・サーキットで行われたテストに参加するマクラーレンのアイルトン・セナ(Mike Hewitt/Getty Images)

1992年7月7日、英シルバーストーン・サーキットで行われたテストに参加するマクラーレンのアイルトン・セナ(Mike Hewitt/Getty Images)

レース中の事故で30年前にこの世を去った伝説のF1ドライバー、アイルトン・セナの知られざる素顔に迫る、ネットフリックスの新シリーズ『セナ』が11月29日に配信を開始する。私生活での人間模様、サーキットを離れたところでの人柄、そして文字どおりグランプリレースに捧げた生きざまを、実話を基に6部構成のドラマで描く。

史上最速のドライバー」と名高いセナを演じるのは、故郷ブラジル出身の俳優ガブリエウ・レオーニ。ブラジルの花形テレビ司会者で恋人のシューシャ役を、同じくブラジル人の女優パメラ・トメが務める。宿命のライバルだったアラン・プロスト役にはフランス生まれの俳優マット・メラ、所属チーム・マクラーレンの監督ロン・デニス役に英俳優パトリック・ケネディが扮している。

セナは1984年のブラジルGPでトールマンからF1デビュー。その後ロータス、マクラーレンと渡り歩き、ドライバー選手権を3度制覇してF1の代名詞となった。しかし、ウィリアムズに移籍して臨んだ11年目の1994年、イタリアのイモラで行われたサンマリノGPで、時速300km以上でコースアウトしてコンクリート壁に激突し、帰らぬ人となった。

1994年5月1日、サンマリノGP決勝を前に、ウィリアムズFW16ルノーのコックピットに収まり前方を見つめるアイルトン・セナ(Pascal Rondeau/Allsport/Getty Images)

1994年5月1日、サンマリノGP決勝を前に、ウィリアムズFW16ルノーのコックピットに収まり前方を見つめるアイルトン・セナ(Pascal Rondeau/Allsport/Getty Images)

セナの死後、F1では車体の空力特性やピットレーンの走行速度に制限が設けられるなど、多くのレギュレーション変更が行われた。そして、2015年にジュール・ビアンキが9カ月前の2014年日本GPで負った怪我がもとで亡くなるまで、グランプリ期間中の死亡事故は起きなかった。

10年にわたるキャリアで築き上げた勝利記録に加え、マクラーレンでチームメイトだったプロストとの激しいライバル関係でもセナは有名で、その様子は2010年公開の英ドキュメンタリー映画『アイルトン・セナ 〜音速の彼方へ』にも取り上げられている。

1988年オーストラリアGPで2位に終わったマクラーレンのアイルトン・セナと、優勝したチームメイトのアラン・プロスト(Tony Feder /Allsport)

1988年オーストラリアGPで2位に終わったマクラーレンのアイルトン・セナと、優勝したチームメイトのアラン・プロスト(Tony Feder /Allsport)

セナはモータースポーツファンの間でレジェンドとなっただけでなく、ブラジルでは国民的英雄として愛された。死去を受けて、ブラジル政府は3日間の服喪を宣言。イタリアから帰国した遺体を100万人以上の市民が沿道で出迎えた。葬儀は国葬として行われ、推定300万人が棺を見送った。
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翻訳・編集=荻原藤緒

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