最高の復讐【F/sn】
タイトルは好きな格言「Vivir bien es la mejor venganza. (Living well is the best revenge.)」より。
最高の復讐を互いに試みることにした衛宮士郎の話。UBWグッドエンド、セイバーではなくアーチャーが残った場合を想定してます。ので、士郎と凛は恋人同士と言うほどでもない関係ですごめんなさい。
このシリーズnovel/series/476974を前提にお読みいただけると幸いです。
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私はおまえに絶望した、と。男は言った。
怒るでもなく、嘲るでもなく、淡々とした口調だった。
私はおまえに絶望した。もちろん最初から絶望していたが、この半年の間、間近でおまえを見ることで――凛と同じ目線で見ることで、改めてつくづく衛宮士郎という存在は救いようがない、と。骨の髄まで思い知った。
同じ調子で奴は語る。あまりにあっさりとしていたので、俺はいつものように反論のきっかけも掴めず、黙ってその独白――そう、それは独白だった――を聞いていた。
俺を詰る言葉は、つまりは己を詰る言葉だ。奴が責めているのは、他でもない奴自身なのだった。
だから、俺は黙って続きを聞いた。
俺に絶望したと語る男は、俺の瞳を真っ直ぐに見つめて言葉を続ける。俺の瞳に映っているであろう、己自身に語りかけるように。
おまえはこれから多くの人間を救うだろう。同じように多くの人間を犠牲にしながら。その是非については、私はもう何も言わない。衛宮士郎は、衛宮士郎としてしか生きられない。良くも悪くも。
衛宮士郎を貫き通した男はそんなことを言って、深い、それは深い溜息を吐いて目を閉じた。
男の俺に対する、つまりは己に対する絶望を、如実に示す溜息だった。
その後で瞳を開き、静かな、俺を見る時とは思えないくらい静かな凪いだ瞳で俺を見た。
だが、そのせいで。おまえがそんなふうにしか生きられないせいで。おまえのことを愛しく思う者たちが傷付くことを、オレはこれ以上許すことが出来ない。
そんなふうに生きて、自分を愛した人たちを傷付けたまま死んで行った男は、そんなことを言った。
凛がいればどうにかなると思っていた。……いや、違うな、どうにかなって欲しいと思っていた。遠坂凛がいて、間桐桜がいて、藤村大河がいる。それで何とかなると思いたかった。
男は笑った。苦笑めいた笑いだった。
どうにもならないことくらい、私が一番よく判っていた筈なのにな。全く、馬鹿は死んでも治らない。
そうして男は笑いを収め、再び真っ直ぐに俺を見た。やっぱり静かな瞳だった。それが怒りや、せめて悲しみで覆われていたら、俺も何かを言えたのだが。
絶望したのか。諦めたのか。衛宮士郎から最も縁遠そうなその感情を俺は当然上手く読み取れず、黙って聞くしか出来なかった。
おまえには、誰かを愛するという能力が決定的に欠けている。……いや、違うか。誰かを愛することは出来る。だが、それはただ出来るだけだ。誰かに愛されたとしても、正しく愛し返せない。それ故におまえが愛し、おまえを愛する者こそをどうしようもなく傷付ける。
きっとおまえには私が何を言っているのか判らないだろう、と。男は独りごちた。
わからないわけではなかった。それは恐らくは、俺が目の前の男の記憶を垣間見た時に感じた想い、そのままだったからだ。けれどそれは、あくまで俺がこの男を見て知った感情だ。我が身に置き換えることは、とても出来ない。
見越したように、男は言う。
そういった感情の動きを、理解は出来るかもしれない。だが、理解出来るだけで行動には反映されない。全き他者を助ける為に、おまえは己を犠牲にし続ける。それを犠牲とも思わず、その犠牲がおまえ一人で贖える筈がないことにも気づかず。おまえに関わる誰かを傷付けながら、おまえは誰かを救い続けるんだろう。
その是非については、もう何も言わない、と。同じ言葉を男は繰り返した。
だが、そのせいで。おまえのことを愛しく思う者たちが傷付くことを、オレは許すことは出来ない。
だから、と。その鋼の瞳に静かに意思を込め、俺の未来は言い放った。
だから、おまえの残りの人生を全部オレに寄越せ。それ以外の方法が思いつかん。人はどう足掻いても一人では生きられない。だったら必要な役割は全て私が果たす。おまえがこれ以上誰も愛さないよう、誰からも愛されないよう、私が常に傍にいて気を配る。
我々は、我々以外の人間と深く関わるべきではないのだから。
そこで漸く長口上は終わったらしい。グッと口を引き締め、正座した膝の上に置いた拳も同じように握り締め、男は、俺の返事を待つように視線をくれた。
それが、アーチャーの俺へのいわゆるプロポーズだった。
酷いプロポーズもあったもんだと、今思い出しても感心する。
俺も安易に頷いたわけじゃない。当たり前だ、一生のことだ、そう簡単に決められるわけがない。
だから、アーチャーの言ったことを俺なりにじっくり考えてみた。考えてみた所でよくわからない所のほうが多かったが、そんなことを言える雰囲気でもなかった。
そうして今更だが、この男の決定的な歪みに改めて気づく。これだけ長々語っておいて肝心要の部分が欠けてるんだから、全くどうしようもない。
俺のことをぐだぐだ言う前に、自分のことを省みて欲しい。今正にこの瞬間、己を犠牲にすることで他者を救おうとしていることを。そうすることで、己を愛する者こそを深く傷つけていることを。
でもまあ、本当に今更だ。こいつのこういう所は俺がフォローしてやるしかない。故意かどうかは知らないが、言葉にされなかった部分を俺が言ってやった。
じゃあ、俺があんただけのものになることで、あんた自身は幸せになれるのか?
人生の伴侶を決めるにおいて、恐らく一番大事な部分を俺が改めて確認すると、男は一瞬の間を置いて。
ああ、と頷いた。何だその間は、と疑わしげな俺を見て、アーチャーは矢継ぎ早に言う。
おまえがオレだけのものになれば、他人を巻き込むことがなくなれば、オレはもちろん幸せだとも。衛宮士郎が衛宮士郎によって幸福になるなど、自分殺しよりも余程大きな矛盾の発生だ、やつあたりとしても最上級の部類だろう。
いつもの如くまわりくどいが、それでも肝心な部分はちゃんと言っていたので、良しとする。
だから。
あんたが幸せになるんだったら、いい。
だから、奴の目を見てはっきりと言った。そうだ、この男がここまではっきり己の幸福を打ち出したことなんて、生前含めて今までかつてなかった筈だ。
だったら、いいと思った。
俺の人生、残り全部あんたにくれてやるよ。しっかりサポートしろよな。
素直にイエスと言うのも腹立たしく、俺がぶっきらぼうにそう言うと、何故か男は顔をしかめた。
……おまえは、結局それか。
意味がわからずに顔を見返すと、再び深い溜息を吐かれた。
私の幸せなんぞを気にする暇があったら、己の幸福を少しは気遣え。
などと、こいつにだけは言われたくないセリフ付きで。ムッとして、あんたが幸せなら俺も幸せだよ、なんて。つい言ってしまった。
今度はずいぶん長い沈黙の後。
……おまえを殺さず傍に在り続けるのも、なかなかに厳しい苦行だな。まあ、いい。
ある意味最高の復讐だろう、と。男は呟くように言った。誰の何に対する復讐か、なんて野暮なことは聞かなかった。
衛宮士郎が復讐を望む相手なんて、この世に一人しかいない。
冷えてから食べると一番美味しい料理、だったか。まあ、さっくりと殺すよりも余程俺らには似つかわしい方法だと。
思って何だかおかしかった。
これから先はともかくとして、既に深く関わってしまった人たちはどうするつもりなのか。そう尋ねると、アーチャーはきっぱりと言い切った。
こういうことは正直に告げるのが一番だろう、と。
周囲を誤魔化し続けて結局皆を泣かせたらしい男の言葉だ、説得力が違った。
そんなわけで、俺たちは身近な人に「これからの人生をこの人と歩むことに決めた」なんて説明して回ることになった。それ程多くはないとは言え、なかなかに大変だった。したことはないけれど(そしてすることもないけれど)結婚の挨拶回りそのものだった。
そうは言っても、全ての事情を説明出来たのは遠坂だけだったが。説明だけでなく、交渉を行う必要もあった。表面的には使い魔を寄越せと言うようなものだ、俺も長期戦を覚悟したんだが。
遠坂は、俺の――俺たちの話に拍子抜けするくらいあっさりと頷いた。代償は要求されたが、令呪とサーヴァントに対しての等価交換とはとても呼べない。
あっちに行ったらアーチャー養う余裕なんてなくなるだろうし、そもそも協会側にバレると面倒だし、どうしようか悩んでたのよ。ちょうどいいわ、貴方に預ける。
そんなあっさりと、と言い掛けた所で、その声が震えていることに気づく。凛、と隣の男が躊躇いがちに名を呼ぶが、それ以上は彼女が言わせなかった。
俺たちに何も言わせないまま、彼女は言葉を紡ぐ。
だから、約束して。二人で幸せになるって。これ以上自分たちのせいで悲しむ人を見たくない、なんてふざけた理由でわたしたちの前から去るんなら、みんなが地団駄踏んで悔しがるくらい、二人で幸せになってみせなさい。そうすれば、わたしたちは貴方たちのせいでこれ以上泣かずに済むんだから。よーく肝に銘じておきなさいよね。
約束を破ったら、即座に返してもらうから。遠坂はそう言って、きっと唇を結んだ。アーチャーも似たような仕草をしていたことを思い出して、ああ、やっぱりアーチャーのマスターは遠坂なんだって、こんな時なのに嬉しく思った。
遠坂以外には、俺らの特殊な事情は省いて説明した。曰く、アーチャーは仕事の関係で冬木に来て遠坂の所に出入りしているうちに俺と知り合い、こう、色々あって、今後は俺がアーチャーの仕事を手伝いつつ一緒に暮らすことにした、と。色々あって、の部分は聞き手の想像に委ねた。
我ながら頭を抱えたくなる説明だが、全くの嘘ではない。これくらいで許して欲しいと、アーチャーに泣き付いたのだ。運命の人に巡り逢ったとか、俺の口から言うのも目の前で言われるのも本当に勘弁して欲しい。これも復讐の一環なんだろうか。
泣く泣く指輪まで用意させられたのだ。しかも投影品でなく新都のそれなりの店でわざわざ買いまでした。何でこんな物がいるんだと流石に耐え兼ねて文句を付けたら、説得力が違う、と言われておしまいだった。何の説得力だよ、とは怖くて聞けなかった。
そんな説明を受けた皆は、ただただ絶句していたが。それは、そうだ。我ながら言葉を失うしかない。それでも女の子だったらない話じゃないだろうし、男だってそういう意味では有りだと思うし、何とか押し切った。何の仕事か、と詳しく問いつめられたら正義の味方としか答えられないのが困るが、幸い、みんな勝手に想像して納得してくれた、ようだった。薬指に嵌めた指輪の説得力のおかげかもしれない。
こういう謎の処世術に長けてるのを見ると、ほんとにコイツはロクな生き方をして来なかったんだなと、改めて思う。
そう、桜は『せ、先輩が幸せなんでしたら……!』と最終的に声を振り絞るようにして言ってくれたが、慎二には率直に『頭おかしいんじゃないの』と言われてしまった。俺もそう思う、と真顔で言った隣でアーチャーが同じ顔で頷いているのを見て、それ以上突っ込む気力も起きなかったようだが。
日頃の行いの成果だな、と後でアーチャーに言われたが、どういう成果だ。俺は、こんな謎のガチムチ野郎と突然結婚(俺が言ったんじゃない)するような奴だと思われていたんだろうか。それはそれでショックだ。
ああ、意外、でもなかったのは、藤ねえの反応だった。藤村の皆にきちんと報告する前に、前以て家で伝えておいたんだが。
しどろもどろな俺と、黙って裁きを待つアーチャーを前ににこりと微笑んで。
士郎をお願いしますね、アーチャーさん。
そう言って、藤ねえはぺこんと頭を下げた。
俺は何と言っていいのかわからず、アーチャーも言葉を選び兼ねて珍しく黙り込んでいたら。
アーチャーさん、切嗣さんにそっくりなんだもん、しょうがないかなって。
なんて、言うのだった。
えっと、アーチャーさん、ふつつかな士郎ですが、わたしにとっては世界一可愛い弟です、大切にしてやってくださいね。士郎も、アーチャーさんの面倒をしっかり見ること。二人でいっぱい幸せになりなさいね。
全くふさわしくないようで、それでいてどこか的を射た言葉に、俺たちはやっぱり何も言えなかった。
俺たちはそんなふうにして、冬木を離れた。別にすぐに冬木を離れる必要はないだろうとも言われたが、何と言うか、なるべくこいつと近しい生き方をしたかったのだ。既に完全に異なってはいるけれども。
時計塔で学ぶ予定だった知識や技術は、アーチャーが手ずから教えてくれた。おまえの為を考えるなら時計塔に行かせてやりたいが、と俺の為に何かをやる気のない男は言う。
凛やあちらで出会う可能性のある人物のことを考えれば、行かないに越したことはない。などと言われてしまっては、ぐうの音も出なかった。
だったら、冬木にいればいいんだろうけれど。今いる場所で身の丈にあった人助けを続ければいいのだろうけれど。
アーチャーが、俺の未来が今の俺に望むのは、正にそういう生き方なのだろうけれど。
それは、俺には――俺たちには出来ない相談だった。蛙の子は蛙ってヤツだ。
そもそもそれが無理だと匙を投げたからこそ(これも衛宮士郎からは縁遠い行動だ)、アーチャーがこんなふうに思い詰めたわけだし。
だから、俺が高校を卒業してからすぐ冬木を離れることにした。正直、ここに至るあれやこれやで、居たたまれなかったのもある。橋を焼いた気分、とでも言うんだろうか。
周りも察したのか、アーチャーの手伝いをしながら世界を旅する、なんて胡乱な説明に深く突っ込んでは来なかった。これもアーチャーの狙いだとしたら、策士だ。
それから二人で色々な所を旅して回った。南の島、冬の森、昔切嗣と訪れた場所から始めて、世界のありとあらゆる場所を。
大小はあれ世界のどこでも苦しむ人はいて、俺のちっぽけな力じゃ彼らを救いたいと願うことすら傲慢極まりないと、改めて思い知ったけれども、出来ることを続けるしかなかった。
アーチャーは、そんな俺に黙って付き合ってくれた。言った通り、魔術の修行、体術の修行、何でか銃の訓練までしてくれながら。ほんとに何でも器用にこなす奴だと、改めて感心した。絵に描いたような器用貧乏である、我ながら。
それ以外では、アーチャーは俺の行動にほとんど口を出すことはなかった。奴が俺に望んだことは二つ。一つの場所に長居をしないこと。己を粗末にしないこと。それだけだった。その代わり、その二つは徹底的に守らされたが。
前者は、簡単なようでいて難しい注文だ。一つの場所に長く留まらないと言っても、場所によっては後から後からトラブルが湧いて来て、これを放置したまま立ち去るなんてとても無理だ、なんてことはザラだった。
アーチャーがそろそろ行くぞ、と言う度に俺はいつもそう文句を付けていた気がする。するとアーチャーは、以前見せた静かな眼差しで俺を見据えて言うのだった。
おまえが長居すればするだけ、救われる人間に比例して不幸になる人間も増える。今はおまえに感謝している者も、やがておまえを憎むようになるかもしれない。おまえが憎まれるのはどうでもいいが、そのことで一番傷付くのは彼ら自身だ。己の欲を満たす為の行動だ、どうせおまえは気にしないだろうが、私は気にする。これ以上余計なしがらみを作るな。
わかるようでわからない説明に納得行くはずもなく、言い争いになることもしばしばだったが、奴はそういう時は遠慮無く実力行使に出た。気絶させられ気づいたら別の場所、なんてこともザラだった。たびたび繰り返すうちに、俺もそこに関しては諦めた。
その理由の本当の意味が、しばらくして何となく理解出来たからでもある。一つの場所にいると、奴の言う通りしがらみが生まれる。良い物も、悪い物も。
悪い物はまだいい。単純に敵視されるだけならば、平気だった。困るのは、相手がこちらに好意を抱き、その好意を裏切らざるを得ない時だ。その時の失望……いや、絶望したような顔を見るのは、辛かった。
それをはっきりと理解したのは、俺自身じゃなく、そんなことをぐだぐだ言っていた当の本人がやらかした時だが。本当に馬鹿な男だ。他人のことばかり気にして、やっぱり自分のことは疎かにしてるから、こういう目に合うんだ。
そりゃ、俺が言うのも面映いがあれだけいい男だ、好かれるに決まっている。無愛想を装っても、根っこの人の良さが滲み出てるんだろうな、あれは。俺みたいなコブがくっついていてもあまり関係なく、アーチャーは場所も性別も問わずモテた。本人が自覚していたかは疑わしいが。
俺はそれをこっそり微笑ましく思っていたんだが。
ある異国の、小さな村でのことだった。俺たちはある魔術師を追っていたが綺麗に痕跡を消され、途方に暮れていた。この村の近くにいることだけはわかっていたから、空き家になっていた家を借り受け、しばらく待機することになった。
平和そのものという感じの村で、油断していたわけじゃないが、少しでも情報を求めて村の人たちとそれなりに交流しているうちに、案の定しがらみが出来て。
そう、まだ幼い、可愛い女の子だった。
戦場ジャーナリストとその連れが休養に訪れた、なんて胡散臭い説明を村人がどこまで信じたかはわからないが、何故か俺たちは抵抗もなく彼らに受け入れられていた。
ついでに、俺とアーチャーの関係もすぐに察して安心したのか、物珍しげに村の子供が遊びに来ても大人たちは咎めることなく、追い払うのもおかしな話で適当に相手をしているうちに、その子にアーチャーがすっかり懐かれてしまった。
奴にそんな気がなかったのは、見ていればわかった。あいつはいつもの如く、彼らとは最低限のやり取りで済ませようとしていた。ただの行きずりの人間であろうとした努力は、よく伝わって来た。
でも、結局無駄だった。何て言うか、根本的にお人好しで、あれだけの目に遭っていながら人間というものに好意を抱いているのだ、こいつは。そういう所は、たぶん、どうあっても変わらないんだろう。
それは、いいことなのかもしれない。こいつのことを思えば、そんな所こそ擦り切れた方が楽になるだろうとも思うけれども、でも、それを無くしてしまったら、こいつがこいつである意味が――俺が俺である意味が、無くなってしまうだろうから。
だからこそ、磨耗して行くんだろうが。
最終的に魔術師含め村人の半分を『処分』せざるを得なくなった時、当然のようにその子の両親も含まれていた。秘密裏に行える状況ではなく、記憶操作を行う暇もなく。
結局、協会に後始末を丸投げして逃げるように去った時。その少女と最後に見交わした視線のことは、今でも焼き付いている。
俺たちが恨まれたり、憎まれたりするのはいい。そういう覚悟は出来ている。けれど、傷付き裏切られた人たちのほとんどにそんな力は残っていない。ただ悲しみ、絶望するだけだ。愛するに値しないものを愛した後悔をする余裕さえもなく、彼ら自身に何の咎があるわけでないその事実にただ打ちのめされるだけだ。
そしてもちろん、アーチャーも深く傷付いていた。そんな素振りを欠片も見せようとしないが、いや、もしかしたら本人も自覚出来ていないのかもしれないが、もちろん俺にはわかった。
その姿を目の当たりにして、やっと前に言われた言葉の意味を理解した。俺たちは、他者と深く関わるべきではないのだと。
それから俺は、言われずとも一つの場所に長居することを避けるようになった。俺の成長(と言ってもいいだろう)についてアーチャーは暫く何も言わなかったが。
結局、他者を通じてしかおまえは理解出来ないのだな、と。ある日ぽつりと言われた。
それは、確かにその通りだが。
あんたと同じでな、と。やっぱりその通りのことを言い返したら、黙って肩を竦められた。
もう一つの、己を粗末にしないこと、に関してもいろいろと揉めた。そもそも俺は己を粗末にしたことなんて一度もない。必要だからそうしているだけで、それは、粗末にしていることとは根本的に違う。だいたい俺は、粗末にしていいような命なんて持ち合わせちゃいない。
それは、こいつだってわかっている筈だ。俺は、別に自分を大事にしていないわけじゃない。むしろ大事にし過ぎて浅ましいくらいだ。
他人の目にどう映るかは知らないが。
そこが問題なのだと奴は言う。それはまあ、理解出来る。俺だってこいつの人生を外から見ていたら、心底呆れる以外にないから。でも、それを自分の身に置き換えるのはどうにも無理だった。俺はこいつほど馬鹿じゃないし潔くもない。と、思う。
そんなこんなで俺が何度か怪我をするうちに(不可抗力だ、粗末にしたわけじゃない)、痺れを切らしたのか最初からそのつもりだったのかわからないが。奴は痛覚共有の呪いとかいう、聞くからに怪しげな呪文を持ち出して来た。
遠坂直伝だというそれは効果自体は単純ではあるものの、サーヴァントにも効く強烈なシロモノだった。さすが、遠坂。最初に聞いた時は断固として撥ね付けようとしたんだが、ふと気づいて確認してみた。
あんたが感じる痛みも、俺が共有出来るのか?
俺の問いに、心底嫌そうな顔でアーチャーは頷いた。それで腹は決まった。
俺を叱り付けてばかりいるが、怪我の頻度じゃこいつの方がはるかに上なのだ。だいたいが俺を庇って巻き込まれてる。文句を言っても使い魔というのはそもそもそういうものだと取り合わないが、今の俺らの関係は一応パートナーとかそういうのだから、その考え方はおかしいと思う。
だいたい抗魔力の低いこいつは、そういった攻撃を受けると普通の人間と変わらないくらいのダメージを受けるのだ。当然、痛みもあるに違いない。しかも魔力に余裕がない今、傷の治りも遅い。だと言うのに、全く自身を大事にする気配がない。
だったら、俺と共有すれば少しはマシになるんじゃないかと、そう思ったのだ。まあ、相手が俺じゃそこまで遠慮はしないだろうが、それでも今よりはマシな筈だ。
アーチャーの思惑と俺のそれが珍しく一致して、その痛覚共有の魔術とやらを施すことになった。俺はやり方なんてわからないから、アーチャーに任せっ放しだったが。
凛は、自分とおまえにこれを使うつもりだったんだ、と。アーチャーは血に濡れた指先で俺の肌に何かの模様を描きながら、今更そんなことを教えてくれた。
もう、これくらいしかないと思い詰めていた。全く、貴様の甲斐性の無さに絶望する決定打だったな。
返す言葉もない俺に、アーチャーは淡々と言う。
こんな愚かしい呪文を、彼女に使わせる訳にはいかないだろう?
何処か苦笑混じりのその声には、滅多に見せない愛しさが溢れていて。ああ、こいつは遠坂を守りたかったんだなと、改めて思った。そうだ、こんなおかしな呪文を遠坂に使わせるわけにはいかない。
だったら、この未だによくわからない俺たちの関係も、少しは意味があったんだろうと。
言われたままに呪文を繰り返しながら、少しだけ納得した。
そうして俺たちは、己の痛みを相手と共有する関係になった。互いがもう少し自分の体を労ることを期待して。
それで俺らの行動が少しは変わったのかは、正直今の今までわからない。
そんなふうにして、俺たちは旅を続けた。
どこか新しい場所に着く度に俺たちはその土地の絵葉書を買って、故郷の皆にそれを送った。差出人住所は書けない上に、文面も判で押したようにいつも同じだったが。
お元気ですか。俺たちは二人とも元気にしてます。どうか体に気をつけて。また連絡します。
衛宮士郎
もちろんそんなことをしようと言い出したのはアーチャーで、きっとこれはこいつの抱える後悔の中でもでっかいヤツなんだろうと、さすがにそれくらいは俺にもわかったので、黙って従っていたんだが。
あまりに同じ文面が続くので、これじゃ意味がないだろうと文句を付けたら、文面に迷って送らないより遥かにマシだ、と返された。全くその通りだった。
俺の考えることなど、ほぼ全てこいつがかつてやらかしたことなのだ。本当に俺たちは駄目だな、と。あの時のアーチャーの絶望とやらを今更思い知った。理解出来るようになったということは、少しは成長したんだろうか。
そんな絵葉書が二桁をとっくに超え、二人で過ごした時間が数ヶ月から数年になり、アーチャーが隣にいることが当たり前のようになった頃。
あれは、何の仕事の時だっただろう? 血腥い仕事にもすっかり慣れた頃だったのは確かだ。色々あって、二人で砂漠の真ん中をさすらっていた。確か、魔術師だかテロ組織だか、その両方だったかを追っていた時だったと思う。
昼の暑さが嘘のように酷く冷え込んだ夜だった。砂漠特有のその温度差に辟易しつつも、昼間に動いて体力を消耗するよりは、と俺たちは夜を中心に動いていた。
随分と歩き詰めで、一休みしようということになって。見渡す限りの砂の海の真ん中に座り込んで、そうだ、火も起こせなかったから水筒に入れておいたすっかり冷えた紅茶とウィスキーを流し込んで。
少しでも寒さを和らげようとぴたりと互いに身を寄せ合って、まあ、それくらいは普通にするようになっていたから特に何も感じないままふと空を見上げて。
あまりの星の美しさに今頃気づいて、息を飲んだのだった。
明かり一つない砂漠の夜の星は、本当に美しかった。しばらく呆然と見とれていた気がする。隣の男も同じように空を見上げていた。二人で隣り合って同じ空を見つめて、その美しさに見とれたその時に。
ああ、幸せだなと思った。思ってしまった。
そう思ったことに気づいた瞬間、ぞっとした。あまりのおぞましさに叫び出すかと思った。込み上げて来た吐き気がなければ、実際叫んでいたかもしれない。
代わりにさっき飲んだ物を全て砂の上にぶち撒けた。突然の嘔吐に驚くでもなく、アーチャーは何も言わず俺の背を撫でてくれた。しばらくして漸くえずきが収まり、礼を言おうとアーチャーを見上げて。
生理的に出て来た涙で霞んだ視界に映った奴の顔を見て、全てを察した。
ああ、全く同じことをこいつも感じていたのだと。
どれくらいの間、互いの顔を見つめ合っていただろうか。やがてアーチャーは静かに言った。
言っただろう、復讐だと。
……確かに俺たちにとってこれ以上はない、最高の復讐だった。
殺される方が、余程楽だ。
アーチャーと過ごすうちに、俺はとっくに幸せになっていたのだった。
それは、決して許されないことだった。だから俺はずっとその事実から目を背けて、背けて、背け続けて。やっと自覚した時は、何もかもが手遅れだった。
いや、手遅れではなかったのかもしれない。すぐに逃げ出せば、まだ間に合ったのかもしれない。
けれどそれも許されないと、俺を幸福にした男は言う。
私は、おまえによって幸福になった。そしておまえが生き続ける限り、この幸福に耐え続けねばならない。これは、私の義務だ。そうしておまえの義務でもある。約束を忘れたのか?
忘れたわけではなかった。俺は、俺たちは確かに約束したのだ、幸福になると。けれどそんなことが叶うとは、本当に全く思っていなかった。
アーチャーが俺によって幸福になったとはっきりと言い切った時、最初に感じたのは喜びだった。それは、確かに喜ぶべきことだった。
それだけなら良かったのに。それだけなら耐えられたのに。
奴以上に幸せになってしまった俺は、どうすればいいのだろうか。
混乱する俺を見て、アーチャーは言う。
おまえの考えていることなど、手に取るようにわかる。逃げ出したいのが自分だけだと思うな。私だって、今すぐおまえの前から姿を消したい。
けれど、と。今まで見せなかった苦渋の表情で、アーチャーは俺を見つめた。
私がいなくなれば、おまえは安堵すると同時に悲しむだろう。その悲しみにも気づかないまま、幸福でなくなったことに安堵してまた一人で旅を続けるのだろう。同じ悲しみを他人に振り撒きながら。私は、それに耐えられない。不幸になる他者の為ではなく、おまえを悲しませたくない私自身の為に、おまえを一人にする訳にはいかない。
驚くほどに素直で、自分勝手な言葉だった。びっくりして奴を見て、それから思わず尋ねた。
俺がいなくなったら、あんたは辛いのか?
もちろんと、アーチャーは頷いた。頷いて、ふざけたことを言った。
辛くて、辛くて、座に還ることも出来なくて、未練がましくこの世界に残って、おまえを求めて彷徨い続けるかもしれない。そうして誰かをおまえの身代わりにして、また幸福になって、耐え切れずに逃げ出して、その相手を不幸にするかもしれない。
何だそれは、と言いかけて、黙る。そう、それは俺がこいつから逃げ出した後に、如何にもやりそうなことだった。
俺が幸福に耐えられないように、この男も幸福に耐えられない。耐えられないことこそが、俺たちにとっての罰であり互いへの最高の復讐なのだ。
*
それからは、幸福な地獄のような日々が続いている。
何かが大きく変わったわけではない。俺たちはそれまでと同じように旅を続け、長居をしないよう、己を粗末にしないよう気を付けながら、人助けという名目の自己満足を積み重ねている。
隣に常に男がいて、幸福であるという事実を突き付けられながら。
耐え切れず、逃げ出そうとしたこともあった。恐らくは、奴も。そんな夜は、俺たちは何も言わず一晩中互いを縛り付けるように抱き締め合って過ごした。そう、同じタイミングで同じ症状が出るからわかりやすいものだ。そういう意味でも、やっぱり俺らは互い以外に迷惑を掛けるべきではないとしみじみ思う。
変わったのは、そんな夜が増えたことと、後は絵葉書の内容がほんの少し、だろうか。
もう何十通にもなる手紙だ、ちゃんと届いているかもわからない。返信だって受け取れない。それでも俺たちは、それを送り続けている。送り続ければその内の一通や二通、届くだろうとアーチャーは言う。俺もそう思う。
身勝手な手紙だけれども、優しい人たちばかりだから、こんな手紙でもきっと喜んでくれるだろうと。やっと俺にも理解出来るようになった。だから、やっぱり送り続けようと思う。俺たちには、これくらいしか出来ることがないから。
ああ、けれど。最近、故郷に帰ってもいいのではないかと思い始めた。この復讐が終わる時は、あの懐かしい場所に帰りたい。約束を果たしたその時は、その報告くらいはしたい。
俺か、アーチャーか、どちらになるかはわからないけれど。
それまでは、こうして手紙で済ますことを許して欲しい。
お元気ですか。俺たちは幸せにやっています。どうかあなたも幸福であるように。また連絡します。
衛宮士郎
Comments
- toraApril 11, 2021