2026年2月、ある国立大学(関東)のウェブサイトに次のような告知が掲載された。
「本学教員によるソーシャルメディア上の投稿において、外国人に対する差別的表現、および相手国への敬意を欠いたものがありました。本学の就業規則あるいはソーシャルメディア利用におけるガイドラインに抵触する可能性があり、調査を進めているところです。投稿された内容により、不快な思いをされた方々に、深くお詫び申し上げます」
この大学は、『ソーシャルメディア利用ガイドライン』を定めており、すべての教職員、学生に対して遵守するよう求めている。だが、ここ数年、同大学のある教員がSNSで「敬意を欠いた」発信をするようになった。その1つが次の発言である。
「これは私の経験から本当にそう。日本の大学に来る外国人は、だいたい能力が低く、トラブルメーカーが多いです。なので、何処の馬の骨かわからない外国人からのメールは、基本無視しています」(2026年2月8日)
まもなく、この教員はSNSで批判にさらされ、炎上してしまった。不特定多数から、教員が所属する大学に抗議される。教員はこの事態を受け止め、Xで謝罪をした。
「本投稿は極めて不適切であったことを深く反省し、皆様に不快な思いをおかけしましたことを心よりお詫び申し上げます。社会の一員として、また教育に携わる者としての自覚を持ち、今後の発信に細心の注意を払ってまいります」(2月12日)
そして学長も冒頭で紹介したように、謝った。
ネットには「監視役」と言っていいような人たちがいる。同じ大学で別の教員がXで2年前に次のような発信をしたことがむしかえされてしまった。
「日本の男性は自分たちにしか人権がないと思っていますからね。女性や子供の人権を踏み躙ってもお構いなし、海外でも性犯罪をして厳罰を喰らうようになりました」(2024年7月1日)
やはり、炎上してしまった。こちらの教員はこの件についてなにも発信していない。
大学教員がSNSで社会のあり方を論評したり、身近な生活を報告したりするケースはよく見られる。その際、学問分野で自説を批判されたとき、反論することもめずらしくない。論争である。が、その物言いが激しくなってエスカレートし、相手の人格を否定するような罵詈雑言を浴びせる人もいる。「あなたの顔は品がない」などと容貌にまでケチをつけてしまい、名誉基礎で争われる事態になることがある。
大学教員はもっと社会性があって、常識を身につけ、マナーをわきまえている、と思われがちだが、そうでもないようだ。舌禍事件がたびたび報じられる。自分の主張、思いを広く伝えたいために、差別的な言葉で人格を傷つけてしまう人がいる。無自覚のうちに。残念な話だ。
過去にこんなケースがあった。
2008年、私立大学(関東)の教員がブログで、光市母子殺害事件について、「最低でも永山基準くらいをラインにしてほしいものだ。永山事件の死者は4人。対してこの事件は1.5人だ」という書き込みを行った。事件の被害者には生まれたばかりの赤ん坊がいて、1人ではなく0.5人扱いしたのである。すぐインターネット上で大きな批判を浴びており、教員の所属大学に抗議が殺到してしまう。まもなく学長、発信した教員は謝罪した。
2010年代半ば、大手広告代理店の社員が仕事で悩みを抱えて自死した事件があった。2016年、亡くなった方の労働災害が認められた。これについて同年10月、私立大学(関東)の教員がフェイスブックでこんな発信をする。
「月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない。会社の業務をこなすというより、自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない。自分で起業した人は、それこそ寝袋を会社に持ち込んで、仕事に打ち込んだ時期があるはず」
当然、炎上してしまう。死者を冒涜しているからだ。教員はこう謝罪した。
「私のコメントで皆様に不快な思いをさせてしまい申しわけございませんでした。(略)以後、自分の専門領域を中心に、言葉を慎重に選び、様々な立場、様々な考え方があることを念頭において、誠意あるコメントを今まで以上に心がけてまいります」。
学長も謝罪するなど、大学は火消しに追われた。
大学教員は教育者である。ものを教える、もっと言えば人の範にならなければならない立場ゆえ、ほかの職業に比べて清廉潔白さが求められる。不祥事を起こせばメディアで大きく取り上げられる。大学教員は不祥事ともっともかけ離れた存在と認識されているからだ。大学教員は自らの置かれている立場に自覚と責任感を常にもってほしい。
大学教員による不適切な発言は、大学にすれば、受験生に大きな不安を与えるものとして受け止められ、「わが大学が選ばれなくなるのでは」と心配になる。大学が学長声明まで出して謝罪するのはそのためだ。

また、こうした危機管理が求められる際には、大学の姿勢がよく読み取れる。1990年代までならば、教員が差別的な発言をしても、大学はほとんど関与しなかった。教員がどんな発言をしようが大学はいっさい関知しないという考え方による。「学問の自由」「表現の自由」を錦の御旗をかかげるように、自分の発言は守られなければならないと訴える教員がいた。インターネットが十分に普及していない時代ゆえ、炎上はおこらなかったので放任されていた側面はある。
しかし、いまは違う。社会常識から大きく逸脱した発言はSNSによって見つかり、広まってしまう。そして厳しい批判にさらされる。そのとき大学はどう対応したか。大学の姿を知る上でとても参考になる。今後、不適切な発言を防ぐための具体的な方策、たとえば対策チームを作って不適切な発言にいたる経緯を検証し、講習会を開いて対応策をとるなどが明確に示されれば、その大学への信頼感は取り戻せる。
大学で不適切発言などの不祥事が起こったら、ウェブサイトからこの件に関する大学声明を読んでみよう。「遺憾に思う」と謝罪しているのか、残念に思っているのか、意図が測れない役所言葉でサラッと済ませる大学がある。一方で学問の府として、ていねいで心のこもった言葉を綴る大学がある。説明責任をどう果たしているか、という観点からの大学評価があってもいい。
2026年2月、ある国立大学(関東)で教員が収賄罪で起訴されたことについて、学長がこう記している。
「元教員の起訴という事態は、本学の社会的信頼を著しく損なうものであり、教育研究機関としてあってはならないことと受け止めております。本学としましては、既に進めている改革を不退転の決意で断行し、ガバナンス体制を再構築することで社会からの信頼回復に努めてまいります。多くの方々にご迷惑、ご心配をおかけしておりますこと、重ねて心よりお詫び申し上げます」(大学ウェブサイト2月13日)
説明責任を果たす上で評価していい内容である。
教育ジャーナリスト 小林 哲夫 さん
1960年神奈川県生まれ。教育ジャーナリスト。朝日新聞出版「大学ランキング」編集者(1994年~)。近著に『日本の「学歴」』(朝日新聞出版 橘木俊詔氏との共著)。