【証言】「日本人はみんな一文無しに」旧満州での貧しい生活…山田洋次監督 戦争の原体験1
■なけなしの金で母が買ったピーナッツ
山田監督
やっぱり必要なカロリー取らないと、体力が落ちていくだろう。お袋がなけなしのお金でピーナツを買ってくるわけ、南京豆を。それを夜になると、貧しいご飯を食べた後で、僕は男の兄弟ばかりだけど配給するわけよ。 1人15個ずつよみたいな」
「『お兄ちゃんはちょっとお体大きいから20個よ、お前は10個よ』なんて。そう数えて、それをひとつずつ丁寧に食べる。だから、これ今でも、南京豆を食べると、なんか幸せな気持ちになる。ピーナツなんてのは、本当におなかいっぱい食べたいなといつも思ってたけどね」
■突然泣き出した母…固い黒パン巡る兄弟げんかで
山田監督
「黒パンが手に入って、ロシア軍のね。それで大騒ぎしてそれを切るわけだよ。兄弟はお袋の手元見てるわけだ。 お袋はなるべく均等にする。それから、『これはお兄ちゃんで、これがお前、これが弟で』こう分けてくれる。すると、『大きい』とか『小さい』とかで兄弟げんかが始まるわけだ」
「ある時、突然お袋がわーっと泣き出したことがあったね。 包丁を放り出してさ。一瞬僕たちは、何が起きたのかわからなくて、ぼーっとしてるんだけど。要するに悲しくなっちゃったのね。 その固いパンを巡って兄弟が喧嘩している姿がね。妙に覚えているな」
「中学2年としてはさ、なんか胸が痛むっていうか。なんかこういうのはよくないなっていう事をした。 それは、わかるのよ。パンを巡って兄弟げんかするのは良くないってことはね。お袋が泣くってことで初めてわかるわけだな」
■「着物を持っていった」山田監督が見た旧ソ連軍と中国の軍(八路軍)
――他の引揚者からは旧ソ連兵に暴行されたり、中国人からひどい目にあったりという話がある中、大連の状況は?
山田監督
「僕たちは中国人に復讐されるという恐怖を持っていたけれども、そういうことはなかったですね、中国の人たちは、その辺はね、きちんと優しかったな」
「でもロシア(旧ソ連)の兵隊は乱暴だったよ。突然家の中に入ってきて鉄砲で俺たちを脅かしておいて、タンスをあけて着物を、だーーと持っていったりして。そういうことはずいぶんあったけども。僕のお袋なんかは逃げるわけね、屋上に」
「だけど間もなく、中国の軍隊に交代したの。 当時まだ八路軍って言ってたね。 国民党の蒋介石の軍隊と、毛沢東の軍隊(八路軍)が、共同して日本と戦ってたんだな。 やがて日本が負けると両方が戦う。そして国民党はどんどん負けて、台湾に行ってしまうんだけど」
「その八路軍がロシアと協定を結んで、ロシアと交代して、八路軍が治めるように。この軍隊が来てからはピタッと平和になったね。 八路軍てのは本当にね、なんか秩序正しいっていうか、道徳的っていうかね、きちんとした軍隊だったね」
――旧ソ連の軍隊の秩序は?
山田監督
「ロシア軍はだいぶ乱暴だったね。 そうは言っても、ロシアの将校達と結構付き合っていたけどね。(アルバイトで)使ってもらっていたわけだから」
「『夜、今日パーティーだから夜働きに来い』って言われて、僕なんかは片言のロシア語を覚えるわけだ。 夜行くとみんな集まって、うわーっと大きな声で、彼らはすぐコーラスをするんだ。いい声でロシア民謡を歌うんだよ」
「その間を、お酒を運んだりなんかして。台所で黒パン…黒く固いパンがあるんだけど、そのクズが落ちてるんだよね。 それをポケットに入れて、持って帰ったりしてたね」
――旧ソ連兵に略奪された時に思ったこと
山田監督
「“戦争に負ける”とは、こういうことなんだろうなって。 だって日本の軍隊も同じことやっていたんだから中国で。全く同じことをやっていたんじゃないかな。反抗すると、殺しちゃったりもっとひどいことをやったんじゃないかな。そういう話はよく体験者から聞くけどね」
「食料も何も持たずに、つまり食料補給なしに戦争してたんだからね。 現地でどんどん調達しろと。現地で、農家で、食べ物をとれっていうことだからね。 そういう戦争だったから。中国の人たちは本当につらい思いをしたんじゃないかな。だからロシアの兵隊がやったことも同じことなんじゃないの」
「もちろん、もっと(旧満州の)北の方の開拓部落みたいなとこでは、もっとひどい目に遭ったって話をいろいろ聞くけどね。 大連では、そんなことはなかった気がしたけどね」