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常若の国/Novel by りりこ

常若の国

4,439 character(s)8 mins

ツイッターで流していたものを加筆修正しました。
暗い話ではありませんが死ネタです。

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『まさか君なにも食べてないんじゃないだろうな。作りおきのおかずは冷凍庫に入っている。肉ばかり食べずにバランスよく野菜も摂るように』

 君は代謝がいいがそろそろ年齢を考えたまえと毎度の小言付きのメモが冷蔵庫から出てきたのは、アーチャーが亡くなって四日目の朝だった。



 風邪の治りが悪いとぼやいていたアーチャーが職場で倒れて二年。最後の三ヶ月はアーチャーの希望から自宅で過ごした。均整のとれた体は闘病で痩せてしまったけれど、得意の皮肉は一切衰えを見せず、お前さん本当に病人かとこぼした己に可笑しそうに笑っていたのがすでに遠い昔のことのように感じる。慌ただしく通夜と葬式を終え、ようやく空腹を覚えた頃には三日が経っていた。何もないだろうと思いながら冷蔵庫を開けた己を見透かしたように、見慣れた文字のメモがこちらを向いていた。
 予想外のことに動揺しながらも指示通りに冷凍庫を開けると『カレー(じゃがいも抜き)』だの『青椒肉絲』だの、ご丁寧にラベルを張られたタッパーやジッパー付きのビニールに入れられた料理が整然と並べられていた。 試しに『シチュー』と書かれた塊を手に取ると、これまた裏側に『なにか副菜もつけること』と書かれている。アーチャーの眉間に寄った皺の形まで思い出せそうな言葉に思わず笑ってしまった。
 その後発掘したホウレン草のおひたしとシチューを解凍し、炊飯の中に入れられたメモを参考に米を炊いた。それなりに様になった食卓につき手を合わせる。確かにアーチャーが作ったそれだと分かる味付けであるのに、向かい合う空間がぽっかりと空いているのがなんとも不思議な心地になった。


 メモは家の至るところから見つかった。カーテンの裏。ソファの下。クローゼットの奥。ごく自然に折り畳まれ置かれていることもあれば、隠すのを楽しんでたんじゃねえのと思う場所もあった。使い終わったシャンプーボトルの底から『ストックは洗面台の右下奥。ちゃんとドライヤーを使っているだろうな』とビニールに入れられたメモが出てきた時は、アーチャーがいなくなってから髪の手入れをサボっていることを見透かされ、本当はどこかから見てるんじゃなかろうかと思わず周囲を見渡してしまったが、一人暮らしにはずいぶんと広くなった家にはやはり己ひとりしかいなかった。
 アーチャーからのメモは大抵が己への小言で、稀に頼み事が紛れていた。バイト先の花屋のエプロンには『すまない、時々でいいから凛の庭の様子を見てやってほしい』のメモが入っていたし、野菜室の奥から発見した梅のシロップ漬けの瓶には『セイバーに分けてやってくれ』のメモが貼られていた。その通りにしてやると行く先々で呆れたような笑顔で出迎えられ、アーチャーの思い出話を交わすこともあった。気障で格好つけで皮肉屋、その実子供っぽいところや熱い一面を併せ持った男の話題が尽きることはなく、姿が見えないだけでアーチャーが普通に暮らしていた頃と変わらない気さえした。
 小言だろうがお節介なアドバイスだろうが見つけたメモは全てスクラップ帳に貼り付けた。厚みが増していくそれを一冊終え二冊終え、見つけたメモが増えていくのに反比例して見つかるメモは少なくなっていく。アーチャーの一周忌を迎える頃には二週間に一つ見つかるかどうかの頻度になっていた。冷蔵庫の作り置きもとっくに底をつき、アーチャーの机から見つけた手書きのレシピ帳を頼りに時折キッチンに立つようになった。
 そんな時、ふと本棚の奥に仕舞い込んでいたアルバムの存在を思い出した。今まで思い出さなかったのが不思議だがアーチャーのメモが彼の不在を和らげていたのかもしれない。
 久々に開いたアルバムは過ぎ去ってしまった思い出であふれていた。旅先のものから何気なく日常を収めたものまで、アーチャーが几帳面にまとめた写真は鮮やかすぎるほどに二人の日々を残している。向けられたカメラにはにかむアーチャーの頬を指先で撫で、己は写真を一枚ずつ指でなぞっていった。
 アルバムには二人で写っているものや己がアーチャーを写したものと同じくアーチャーが己を写したものも収められている。明らかにアーチャー以外が撮ったものとは違う、何度見ても見慣れない己の表情に彼には己がこう見えていたのかとこそばゆくなる。参るよな、と溢した言葉に返事はなかった。
数冊あったアルバムを眺めているうちに日は落ち、西日が部屋に差し込んでいた。己ごと部屋を赤く染め上げる光に目を細める。
 ほんの少しだけ期待していた。アルバムのどこかにメモの一枚でも挟まっていやしないかと思ったのだ。あのひねくれ者がこんなあからさまな場所に仕込まねえか、と本人が聞いたら鼻を鳴らしそうなことを考えて苦笑する。アルバムの残りもあと僅かだ。これが終わったら夕食の買い出しに行くかとページをめくった。

『ランサー』

 見覚えのある字に息が止まりそうになった。そこにあったのはいつものようなメモではなく手紙だった。それもご丁寧に糊付けされた封筒に入れられている。差出人の名前はないが、真っ白なそれにただ一言だけ『ランサー』と書かれた文字は間違いなくアーチャーのものだった。
 思ってもみなかったそれに肌が粟立つ。

『君がこれを読むことがあるかはわからないが、自己満足として残しておくことにした。わざわざアルバムを開くということは私が恋しくなったか?……まあ冗談は置いておいて、きっとメモは読んだと思うが恋人の小さなサプライズとアドバイスとして受け取ってくれ。君は口で言っても聞き流すからな。』

 いつもよりずっと長い文章を食い入るように眺めた。あんなに大量のメモを見つけてもまだ足りない己に僅かに驚く。

『メモは役に立っただろう?一人暮らしになった途端に家が腐海にでもなったらたまらん。まだ見つけていないようなら私の机の一番上の引き出しにレシピ帳が入っている。冷凍庫には暫く持つよう目一杯詰めたのだが足りただろうか。君の好きなものを中心に入れたつもりだ。食べきってくれるといいのだが』

 病と言え腕は鈍っていないつもりだと続けられた文字をなぞる。そんなもの、とっくに空になってしまった。今冷凍庫を開ければアーチャーのレシピに習って己が作ったものと買い置きの冷凍食品、それでも埋められない隙間がこちらを見上げるはずだ。所狭しとタッパーとビニールが詰められたあの日開いた冷凍庫には程遠い。

『君はやろうと思えばできるのだから自炊と掃除はきちんとするように。髪の手入れも怠らないでくれ。メモにも書いたぞ。これは念押しだ。』

 余程気になっていたのか、散々メモに残されていた内容の念押しに苦笑する。思えばアーチャーは己の髪をいたく気に入っていた。己の手入れに小言をこぼす彼にそれならお前がやってくれと丸投げすると喜々としてドライヤーとブラシを手にしていた。

『君がこれを読む頃にはこんな忠告など必要なくなっているかもしれないがな』

 そう結ぶと、僅かにインク溜まりをつけた句点で一枚目の手紙は締め括られていた。最期まで普段と変わらぬ態度を貫いたアーチャーの姿が思い起こされる文面にどこか安堵を覚える。
 そのまま重ねられた紙をずらし二枚目が露になった瞬間、己は目を見張った。

『私が死んでどれくらい経っているのだろうか。数日間か数週間か。もしや数十年後かもしれんな。まだこうして生きているのに己のいない先のことに思いを馳せるとはなんとも奇妙な心地だ。私はどんな最期を迎えたのだろうな』

 淡々と綴られる言葉はアーチャーが病に倒れてもついぞ口にすることがなかった自身のいない未来のことだった。みしりと心臓がきしむ。思わず口を押さえた己を見透かすように言葉は続いた。

『ああ、勘違いしないでほしい。死ぬことは怖くないんだ。嘘じゃない。』

 迷いのない文字がまるで小さな子供に言い聞かせるようにアーチャーの意思を綴る。

『君が隣にいてくれるんだ、こんなに心強いことはない。』

 あの鋼色の瞳が瞬くのが見える。 喉が熱い。唇が震える。

『私の身に余る幸福をもらってしまった。感謝している。』

 手紙を持つ手に力が入りそうになるのを懸命にこらえた。もうアーチャーが残したものに代えはきかない。なにひとつ損なうわけにはいかない。

『ただ、君に報いる方法が見つからなかった。君に返せるものがない。……メモはせめてもの罪滅ぼしなんだ。退屈しのぎにでもなれば重畳だ。最期までつまらない男ですまない。』

 たわけ、と呟いたはずの声はひりつく喉では上手く言葉にならなかった。
 与えられたものに報いようとしていたのは、己の方だ。皮肉と小言に隠れて自身の全てを差し出すように与えようとするアーチャーの想いに応えてやりたいと思った。与えられたものと同等のものを返してやりたかった。お前が与えようとするものはこんなにも己の心を満たすのだと教えてやりたかった。己へ返せるものなどなくて当たり前だ。アーチャーは初めから与えてくれていたのだから。

『君を愛してる。いつでもどこにいても。たとえ姿が見えなくとも、君がオレを想ってくれる時、オレも君を想っている。』

 こうやって、今もなお与えようとしてくれる。
 涙が頬を伝う。喉がしゃくりあげるのを止められない。
 馬鹿馬鹿しい話だが、ふいにあの玄関からただいまと声が聞こえるのではないかと未練がましい思いが捨てられなかった。遅くなってすまない、つい買い物に熱が入ってしまってな、すぐ夕食の準備をしよう――。
 漠然と抱いていた感情が輪郭を持ってしまった。本当は、己はずっと悲しかったのだ。アーチャーがいなくなって初めて寂しいと思った。もう手の届かないずっと遠くに行ってしまったのだとようやくわかった。

「オレも愛してる」

 窓の外はとうに暗く星がそっと輝いている。
 大の大人がひとり蹲って泣いているのはさぞかし滑稽な姿だっただろう。けれど己は、アーチャーが亡くなってようやく涙を流すことができたのだ。



 アーチャーのメモは今でも見つかる。何度も開けたはずの戸棚の奥や洋服のポケットのなか。不思議なもので、真夜中の廊下を歩いていて、昨日までなかったはずのそれがぽつんと落ちていることもある。庭の鉢植えの裏にビニールに入れて貼り付けられていた時はいつぞやのシャンプーを思い出して大笑いした後、写真を撮って凛に報告してしまった。
 やっぱり隠すのを楽しんでたんじゃねえのかと思いながら丁寧に皺を伸ばしてスクラップ帳に貼り付けていく作業にももう慣れた。いつかまたアーチャーに会う時はすべて持参してやるつもりでいる。呆れた顔をするのが目に浮かぶが、己は笑って抱きしめて言ってやるのだ。お前を想わない時などなかったと。

Comments

  • 月城 紗弥
    September 22, 2023
  • キチヤシキ
    June 2, 2022
  • p13
    October 4, 2021
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