自分と向き合うなんて言葉に騙されるな。
大阪在住の女性M様から「東京に出張で来ているから会いたい」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。数年前に一度お会いしたことがあるけど、その時は他の人もいたから何も話せなかったし、坂爪さんの目を見ただけで泣いてしまった。あの頃よりはましになっていると思って、今会ったら自分はどうなるのか知りたくて連絡した。仲良くなりたいのに、何を話したらいいのかわからない。M様は、そのようなことを言った。
私は「自分がどうなるのか知りたくて連絡したなら、あなたは私を道具として利用したことになりますね」と言った。別に嫌ではない。ただ、道具として利用された場合は「自分がどうなるのか判断できましたか?判断できてよかったですね。判断できたなら私はここで失礼しますね」となる。そのようなことを言ったら、M様は「違います。人と仲良くなりたいんです。だけど、何を話したらいいかわからなくて、頭の中が真っ白になるんです」と言って、ビリヤニを食べながら泣いた。
私は言った。人とうまく話せない現実があるとしたら、それに対して私たちは行動を選べる。事前にこれだけは言いたいと思うことを紙に書いておくとか、他の人はどうやっているのか観察するとか、やり方はいろいろある。やり方はいろいろあるのに、出会い頭に「話すのが苦手です」と自分を守って言い訳をするのは、やり方として最悪だと思う。話すのが苦手な上で、その上でどうするかだと思う。人を呼び出しておいて「話すのが苦手です」の弁解だけで終わるのは最悪だと思う。
自分と向き合うなんて言葉に騙されるな。自分と向き合って「私はどうしたいんだろう」とか「なんで私はこうなんだろう」などと考え出すと、自家中毒にやられて死ぬ。これを自己固執と呼ぶ。自分と向き合う暇があったら、目の前の人間と向き合う。人間に疲れたら、家に閉じこもって反省会をするのではなく、遠くを見る。自分と向き合うのではなく、遠くの空の雲を見たり、滔々と流れるメコン川を眺める。雄大な自然と向き合っていると、心がすーっと澄み渡り、清らかになる。
人間として生まれて来た以上、人と比べないなんて無理。問題は、何と比べるかである。得体の知れない普通と比べるのではなく、歴史上の偉人と比べる。私の場合は、クリシュナやキリストや素戔嗚尊と比べている。偉人と比べたら、落ち込んでいる暇はない。ただ、食らいつくのみ。同世代や同程度の人間と比べているから、小さいことが気になるのだ。欲を消すのは無理。欲を持つならでっかい欲を。我を捨てるのは無理。我を持つならでっかい我を。のびのび行こうぜ。選択肢は多い方がいいなんて大嘘。選択肢が多いから迷う。選択肢は少ない方がいい。持ち過ぎている人間はダサい。クリシュナやキリストや素戔嗚尊を見なさい。こいつらは、何も持っていないぞ。何も持っていないのに、こんなにも豊かなんだぞ。一切を所有しない人間が、一切を所有するのである。
今日はありがとうございました。
交わせた言葉は少なくなってしまいましたが、坂爪さんの言葉に私は何発もどつかれたみたいです。
どこをどつかれているのか、痛いのかどうなのか
何も分からなかったし、結局最後まで言葉は出てこないし
これを掴んでいるとよんでいいのかも分からないけれど、
何かをくらいました。
相手に何を求めているのか、私はどうしたいのか
相手を自分のための相手としてみているのか
気に入られたいために取り繕っているのか
そもそもなんで話したいのか、仲良くなりたいのか
ずっとずっと
仲良くなりたいのに雑談もできない
なんて悩んでいたんですが、
私はただ自分を可哀想に思っていただけでした。
なにか見る角度が変わった気がします。
今日、楽しかったです。
どつかれて嬉しかったです。
今度もしお世話になることがあれば、
坂爪さんと会う時間を余すことなく味わい、
そしてもっと本心の言葉を出してまたどつかれたいです。
(ドMじゃないです)
ありがとうございました!
おおまかな予定
3月9日(月)東京都文京区界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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ばっちこい人類!!うおおおおおおおおお!!


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