マスターが寝落ちした。
いつものことだったので、案外重いような、それでいて軽いようなその体躯を持ち上げて白いベッドへいそいそと輸送する。……もちろん、時たま朝に寝ぼけ眼のマスターの悲鳴が聞こえる原因たる「忍び寄るもの」(それは大抵三人ワンセットである)がいないか確認済みだ。既に夢の中に揺蕩うマスターに毛布を掛け、さて、と楽しい時間の区切りをつけた。お片付けの時間だ。
先程まで散々駄弁っていたテーブルの上には、重ねられたトランプの山とは別に、Aが2枚とスペードの8が一枚。椅子の下に散らばっていたものはジョーカーだったから、うーん、これ、あのままだと沖田さん大貧民確定でしたね。革命起こしておくんでした。カードを束ね、エミヤさんが焼いてくれたクッキーの残りを片手にマスターの部屋から出る。狭まるドアの隙間から、部屋のスイッチが切り替わるのが見えた。ふん、あのアヴェンジャー、やっぱり今日もマスターの「お気に入り」ですか。別にいいですけど。いいですけども! 廊下を歩く歩幅が大きくなったのは決して嫉妬からじゃないですし、怒ってなんかもないです。ほんとです。ええ、そうですとも。あの復讐鬼とマスターの間にどうも入れなさそうなことなんて、沖田さんちっとも気にしてなんかいないんですから。
それにしても、と思考がふっと切り替わる。楽しそうにカードを繰るマスターの手つきはどこかゆったりとしていて、大丈夫だよと笑う目元には疲労の色が見え隠れしていた。本当にマスターのことを案じるのなら、彼の誘いを断れば良かったかもしれない。……でも、それはやっぱり惜しい。
「こういうのも、無理を言う、ってやつなんでしょうか」
時折、マスターと寝る前にゲームをする。カルデアは毎日世界を救うためにてんてこ舞いで、そうでなくても勝手に事件を持ってきやがるはた迷惑な英霊様が多いので本当に時折だけれど、ある程度落ち着いた日々が続くと見計らったようにマスターが私を誘うのだ。合言葉は「今日はエミヤにこっそりお菓子を焼いてもらおうか」。
ゲームの種類は決まっていない。今日はトランプで大富豪だったけれど(二人でも案外楽しめるものだ)、マスターの時代に流行っていたグミみたいなものが落ちてくるゲームだとか、人生ゲームなどのテーブルゲームだったりする。ようは楽しめれば何でもいいので、適当に倉庫から見繕ったもので、エミヤさんが作ってくれた夜食のお菓子をつまみながら一時間ほどワイワイする。二人で、そう、二人でだ!来客数の多いマスターの部屋にしては珍しく、これまで開催された計六回のこの密会は誰にも邪魔されたことがないのだった。
となれば、ただゲームをしながらお菓子を食べるという何ら変哲のないこの会も、何だか二人だけの秘密みたいでとても楽しい。それは本当。だとしても。
「お疲れのマスターの大事な睡眠を削ってまで構っていただくのは、申し訳ない、ような……」
日々あちこちの特異点を駆け巡り、サーヴァントが喧嘩をすれば仲介に入り、戦力増強のため幾度も森を駆け巡ったり、お部屋に舞い込んでくるサーヴァントのお悩み解決をしたり——はた目から見てもオーバーワーク。例え「ある程度落ち着いた日々」だとしても、何もないわけではなく、マスターの疲労の蓄積度は相当なもので。現に、六回中六回マスターはゲームの途中で寝落ちしてしまった。一回目は驚いたけれど、慣れた今はマスターが寝落ちしたのを見てベッドに運び、そそくさと退散するというのがセオリーになっている。毎度の如くマスターは「また寝落ちした!?ごめん!」と翌日の朝に謝ってくるのだけれど、気にしていないからまた誘ってほしいと言えばほっとしたように笑う、その顔が実は好きだったりして。
ともかく、世界で最後のマスターさんは毎日お疲れなのだ。だというのにこうやって私のためだけに時間を作って頂いているのはなんだか気が引けてしまう。沖田さんじゃなくても、マスターとこうやって楽しく過ごしたいサーヴァントは沢山いるというのに。
(といいますか、構ってもらうために面倒ごとを持ち込む厄介な人たちもいますし……)
幾人か頭に浮かべ、まったくもう、とクッキーを齧った。ほんのり甘くてサクサクとした触感に心が軽くなる。マスターはこのまかでみあなっつ?が入っていたクッキーが気に入っていたようで、二種類あるうちのこちらばかりつまんで食べていた。後でエミヤさんにそのことを伝えておきましょう、と頭の中でメモをする。普段は夜食にいい顔をしないカルデアの「食堂のおじさん」も、こういう時は何故だかいたずらな笑みを浮かべて意気揚々と作ってくれるのだった。
「……もう少し、マスターの負担を減らせればいいんですけど……」
そうすれば、まだ「子ども」であるはずのあの少年が、あんな大人びた顔で無理をせずに済むのに。
そう願う一方で、レイシフト先で私達サーヴァントが万全の力を出すには、マスターという楔は不可欠だ。必然的に、一人しかいないマスターはどうしても削れない仕事というのが出てくる。問題は、そのどうしても削れない仕事が多すぎる、もしくはいつの間にか増えていくということで。
「私、剣を振ることでしか役に立てませんしね」
いつしかパラケルススに言われた評価を思い出して、苦く笑うことしかできないのだった。
「マスター、帰ったら、しばらくぶりにお団子屋行きませんか?」
ずるり、と刀から滑り落ちる肉の感触にもはや「マスターへの危険」はない。安心してそこから意識を逸らして、後ろに控えていたマスターに誘いをかければ、ほんの少しだけ困ったような顔でごめんねと謝られた。
「凄く行きたいんだけど……、実は、王様から小間使い役を命じられてて」
ちょっと今日は無理だなあとぽりぽりと掻く頬は少しだけ疲れが見えているような気がする。それを思って休憩にと提案したのだけれど、心優しいマスターには逆効果だったのかもしれない。失敗しましたかね、と胸の中で独り言ちた。
今日のレイシフト先は北米の山岳地帯だったはずだったのだけれど、ダ・ヴィンチ曰く「ごめん!問題が発生した、着地点ちょっとズレる!」ということらしく、気が付けばケルト兵がうじゃうじゃはびこる街中に放り込まれていた。勿論悲しいことにこういうことは日常茶飯事なので、特段の感想もなくバッタバッタと肉を切り伏せれば、いつしか私たち以外の音は消えていた。あっけないものですね。
相変わらず乾いた空気はこの身になじまず、ああ、異国だなあと思わされる。いや、これまで共にしてきた数々が異国での出来事だったのだけれど。砂を乗せた風がバタバタと首に巻いたマフラーに叩きつけられれば、私やマスターが故郷とするあの国特有の湿った空気が恋しくなる。あちらでは、そろそろ桜が見ごろを終えたころかもしれない。葉桜も風流があっていい。そう思えば、俄然団子が食べたくなった。沖田さんは花より団子だよねところころ笑っていたのは、後ろでモードレッドと帰り道を模索しているマスターだけれど。
(……恋しくは、ならないんでしょうか?)
マスターが、である。私でさえもこれだけ長く異国に留まれば時折ほんのりと郷愁の念に駆られるというのに、年端も行かないこの少年は自国に帰りたいとほーむしっくになったりはしないのだろうか。
無論、幾度か日本にレイシフトする機会はあった。沖田さんがマスターと出会ったのも日本の特異点ですしね。けれど、一番近くてもマスターが後にした時の日本よりも十年以上まえの日本であって、やはりそれは「別物」なのだろう。十年あれば国一つ開いたりしますしね!薩長死すべし許すまじ。
(ああ、そういえば……)
いつだったか、マスターとカルデア職員の方が食堂でお喋りしていた内容を思い出す。いえ、決して聞き耳を立てていたわけではなく、偶々隣に座っていたから声が丸々聞こえただけなのですけど。そう、あの時彼らは外国旅行の話をしていた。どこに行ったことがあるだとか、あそこに行ってみたいだとかそういう他愛もない話で花を咲かせていたのだった。
『外国に行くと、自分の国のご飯とか空気が恋しくなりますよね。空港に帰ってきた瞬間のむわっとした感じ、オレ結構好きで』
そんでもって寿司屋に直行です!あの人はそう言って屈託なく笑っていなかったか。——だとすれば。
(ご飯……はエミヤさんがいつも何かと気を遣っていると聞きますし、今更沖田さんができることなど……そもそも私料理殆どできませんし。であれば帰省——現代日本は燃え尽きていますし、何か……なんでしょう……私にできること、私にしかできないこと……)
駄目です。流石人を斬ることでしか存在価値を表せない人斬り。全く妙案がありません。
やはり私は人を殺すしか才がありません……人を殺すにしても途中で病弱スキルが発動すればお荷物ですし。ああ、もしや私マスターの役に立てていないのでは!?
なんて自己嫌悪のスパイラルに陥ってうんうんと唸っていれば、ひょっこりと後ろから顔を出したマスターが心配そうな顔で私を見ていた。近い、近いですよマスター! こちらの慌てふためく姿なんてお構いなしに顔を近づけたマスターは、へにょりと眉を下げる。ああ、そんな顔しないでください。心臓に悪いので。
「沖田さん、どうかした? とりあえずこの辺りに見過ごせない歪みがあるみたいで、そのせいでレイシフト先が変更しちゃったらしい上に、それを取り除かないと帰れなさそうなんだけど——気分が悪いなら、少し休憩する?」
ここで、オレ達が何とかするから沖田さんここで待っていてよ、と言わない辺りにこの人の優しさを感じてじんわり目のふちが熱くなる。既にマスターに己の悲願は伝えてある。それを聞いたマスターは、青空を溶かしたようなまっすぐな瞳で、分かった、自分もできるだけ協力したい、と言ってくれた。それを実行してくれているのだ。
——置いていかないで、戦場に連れて行ってください。
あの無念を晴らそうとしてくれるこの方の優しさは、いつだって本物だ。
それはきっと、私なんかでは手が届かない位に。
「いえ、大丈夫です。少し考え事をしていただけで……沖田さん絶好調ですよ、マスター!さくさく行きましょう、この後ご予定あるんですもんね」
むん、と腕をまくってやる気を見せれば、マスターはそうだね、とこくりと頷いた。何も聞かないのは、私を信頼しているからだ。言うべきことは言ってくれる、言わないのなら言いたくないのだとそういう類の信頼をしてくれる。押し付けるのではなく、受け入れるその在り方は、きっと誰にとっても心地よいものなのだろう。言うまでもなく、この沖田さんにとっても。
「おーい、マスター、置いてくぞー!」
モードレッドが少し離れたところで私達を呼ぶ。そちらの方に目線をやれば、私とマスター以外の面々の準備はできているようだった。早くさっさと終わらせようぜ、とモードレッドが続けるのを聞いて、モードレッドらしいなあとマスターはとなりで肩を揺らした。
「じゃあ行こうか、沖田さん」
「……はい、一緒に行きましょう」
マスターがいつものように私に手を差し伸べ、私は当然のようにその手を取った。
じんわりとしみ込むような、温かな日差しのようなこの手のぬくもりを私はいつから手放しがたく思うようになったのだろう。
願わくば、人を斬ることしか能がない私でも——そんな貴方の優しさに報いたい。
……報いることが、できたらいいのに。
七回目の「駄弁ってゲームしましょう会」の開催は、それから一か月後のことだった。喜々としてエミヤさんに伝えれば、彼は待ってましたと言わんばかりにそそくさとお菓子の準備を始めた。相も変わらず、いい人だ。その間にマスターと二人で倉庫の中を物色すれば、本日のイベントがどこかの土木工事のおじさんのカーレースに決定。オレこれ好きなんだよね、と嬉しそうにしているマスターと共にカセット片手に食堂を訪れれば、以前伝えたマスターのお気に入りたるマカデミアナッツクッキーがほくほくと湯気を揺らしてエミヤさんの前に鎮座していた。とそれから、
「柏餅……?」
白いお餅が柏の葉っぱで巻かれている。それが二つ、クッキーとは別のお皿に一つずつ乗せられていた。隣でマスターがわっと声を上げる。私も目を瞬いてエプロンを外し始めたエミヤさんを見上げた。こんなもの、ここで見ることになるとは思わなかった。
「ああ、こどもの日だろう? であれば、故郷の心を忘れず、伝統文化に身を浸してきたまえ」
「はは、なんかその言い方アヴェンジャーっぽい」
最も、海の向こう側から伝わってきたものだがねと続けるエミヤさんに、ありがとうと言うマスターは目に見えて先程よりも上機嫌だった。柏餅がお好きなのだろうか。それにしても、そもそも日付をあまり確認しないので今日がこどもの日だと気づかなかったし——柏餅を作って、マスターを喜ばせようという発想もなかった。やはり、沖田さんではマスターを喜ばせる術がいまいちわかりませんねえ。マスターが剣のお相手でテンションが上がるような、このカルデアにごろごろ転がっている戦闘狂であれば沖田さんでも力になれるのに。いえ、そうでない方だからマスターはマスターなのですけれど。ちょびっと落ち込む。
とはいえ折角の楽しい時間に水を差すわけにはいかない。そんな内心はおくびにも出さず、ありがたくお皿を受け取ってマスターの部屋に転がり込んだ。私がお茶を用意している横で、慣れた手つきでゲーム機をセットするマスターは楽しそうだ。ふっと思わず口が緩む。こういうときのマスターの横顔は、口癖のように吐き出される「大丈夫だよ」という声に相応しい何かを堪えたような笑顔ではなく、年相応の少年の様で好ましい。きっとこんな場所でなければいつだってみられる物なのでしょう。
カーレースの結果は一戦目から三戦目までマスターの独壇場だったけれど、四戦目からはコツをつかむことができて、マスターと善戦することができるようになった。ふふ、楽しいですねこれ。カーレースなのにバナナ投げつけたり甲羅投げつけて勝つとか沖田さんの信条にばっちり合います。ようは戦場に最後までたっていたもん勝ちってことですもんね!そこに手段なんて問いません。殺せばいいんです殺せば。
「こどもの日に柏餅食べるのってさ」
五回目のレースの後、しばし休憩という名のもとにマスターが柏餅にかぶりついた。私も残りの一つに手を付ける。ふむ、もちもちとして非常に美味。流石はエミヤさん手作りのお餅。そこらの団子屋に勝るとも劣らないこの出来、あの方、台所関係の英霊だったりしないんでしょうか。
「子孫繁栄とか、そういう意味もあるんだってね」
「子供が生まれるまで親は死なない、でしたっけ。後継ぎは大事ですからね」
家の存続には後継ぎは必須だ。その大事さは、恐らくマスターよりも私に根付いている感覚だろう。現代では家の存続というのはあまり重要視されないらしいということを驚いたのを覚えている。やはり時代が変われば国は変わるものなのですねえ。
口の中にこびりついた餡子を流し込むようにお茶を含めば、ほっと一息。緑茶と和菓子の組み合わせはいつだって最強無敵だ。マスターの湯飲みも空っぽであることだし、急須を取りに行きましょう。そう腰を上げようとして、
「うん、そうだね。……オレの子孫だけじゃなくて、きっと、世界を救ったら今の人類の子供もさ、きっと繁栄するよね」
びっくりしてマスターの横顔を見れば、彼は遠い目をしていた。空のようだと常々思っているその青色が、寂し気に揺れている。根っこは少年の感情なのに、その「広さ」はなんだか年相応でない気がして。私は思わずマスター、と案ずるように声をかけた。マスターは大丈夫だよと笑った。
いつも何一つ大丈夫じゃない、彼の「大丈夫」だ。
「……よし!続きやろう!さっきは沖田さんに負けちゃったからな、リベンジしなきゃ」
マスターが重い空気を振り払うように明るく言ってコントローラーを私に渡した。こうやって幾人の人がマスターに心を軽くしてもらっているんだろう。貴方の明るさは貴方の才能だ。私の才能は人を斬ることだけれど。
其れに関して、私はなんら後悔をしていないし、全く持って辛いとも思わない。けれど——貴方の心を照らせないのは、少し寂しい。
貴方が私を頼らないのが、悲しい。
「私では、お力になれませんか」
「え、どうしたの!? 沖田さんはいつもめちゃくちゃオレを助けてくれてるじゃん。ほら、この前だってオルレアンの森に行ったとき――」
「そうではなく!……そうではなくて、ですね……」
ああ、もどかしい。言葉ですら伝わらない。もとより言葉を武器にしたことはない。刃が敵の体を貫いても、私の思いが貴方に届かない。頭が真っ白になる。どうすればいいのか、私は術を知らない。戦場でそうであるように、ただがむしゃらに言葉振るうくらいしか分からないのだ。
「私では、貴方を喜ばせることができません。私では、……マスターのお気持ちを和らげることはできない」
貴方の敵を須らく屠りましょう。貴方に仇為す全てを黄泉に送って見せましょう。
けれど、私は貴方を苦しめるものから貴方を守ることはできないし、貴方の気持ちに寄り添うこともできない。
私は人を殺すことでしか、生きる道を知らないのだから。
なんてことだろう。無理をしているマスターに報いたかったのに、結局は子供の我儘みたいに、もしくはどうにもならない弱音を吐く無様な結果に陥っている。こんなことをしたいわけではなかったのに。例えば、エミヤさんみたいに美味しい食べ物でマスターを幸せにするような、そんなことを私だってしてみたかっただけなのだ。
目を伏せて黙り込んでしまった私は、もうこのまま霊体化して逃げ出したい気分になっていた。恥ずかしい。今の失態はもちろん、貴方の優しさに何一つ返せない己も。せっかく楽しい時間だったのに、自分でぶち壊しにしてしまった。
——もう帰ろう、そう思った私の手を包み込む手があった。
「沖田さんさ、来たばかりのころから一緒にお団子食べようって誘ってくれるでしょ」
「……へ?」
このぬくもりを知っている。だって何度も繋いだものだから。太陽のような強烈な存在感ではなく、誰かがほっとして呼吸ができるような、微睡みに揺蕩うような陽だまりの温かさだ。思わずそろそろと視線を滑らせれば、ぎゅっと私の手を握ったマスターの瞳は相も変わらず澄んでいた。それがやんわりと緩められる。ああ、好きな顔だとぼんやり思った。
「あれ嬉しくってさ。エミヤが来てから日本食とか結構食べれるようになったけど、お団子はさあ……西洋のサーヴァント多いし、お饅頭、外国人苦手な人も多いって聞いてたから」
餡子って好みが難しいから、誘いづらかったんだよね、一緒に食べようって。恥ずかし気に吐露するマスターの言葉に嘘が混じっているようにも、気遣いに包み込まれているようにも感じなかった。本心だ、これは。マスターの心からの真実だ。
頬に逸るように熱が集まるのをどこか遠くの方から感じる。体が動かない。同じ言語を扱うはずなのに、処理が追いつかない。いっぱいいっぱいだ、貴方の言葉が、私の全てを満たしている。
「だから、皆が食べるおやつにはリクエストできないし、だからといって俺だけに作ってって言いづらくて……。でも沖田さんは最初から気軽に誘ってくれたし、一緒に団子屋に行って団子食べたり、最中とか食べてくれてさ。めちゃくちゃ嬉しかった」
「そ、それは単に私が好きだからというかなんといいますか——!」
「うん、だから――食べ物の好みが合って嬉しい。それに、一緒に食べる時の楽しいのも嬉しい。あと、沖田さんと一緒ならわがまま言いやすい」
エミヤに作ってって言いやすかったんだと、いたずらっぽくマスターは笑った。
――よくよく、思い返してみれば。
一回目の時はあんころ餅。二回目の時はあんみつが。六回目の時だって、クッキーの隣には小さめのどら焼きが乗っていた。毎回そのチョイスは和菓子だった。
そういう意味だったのか。マスターと一緒に食べるものはたいがい和菓子であったものだから、本当に全く気付かなかった。
でも、それが本当だとするのなら。私が団子屋に誘うことが、こうやって共にゲームをして和菓子をつまむことが、貴方の喜びに繋がっているのだろうか。
エミヤさんのようにお菓子を作ることはできなくても、ただ、そばにいるだけで。
人を斬ることでしか役に立てない私が、そんなことで貴方の役に立てていれたと——そう、愚かにも思っても許されるのか。
「そんなことで、いいんですか……」
絞り出した声は震えていた。連動するように指先も空を掻いた。だって信じられなかった。
「そんなことで、マスターは、喜んでくれるんですか」
私は貴方の隣にいるだけで楽しくって堪らなくって、ゲームなんかしなくたって何時間でも幸せをかみしめられるし、馬鹿みたいにはしゃいで貴方のことを見つめてしまう。
それほどではなくても——この、どうにも言い表せないような、幸せをぎゅっと結んだようなこの想いを、貴方は抱いてくれるのか。
「そうだね、オレ、沖田さんとこうやってゲームして一緒にお菓子食べたり、お団子屋に行くのが凄く楽しい」
「こんな、私で……いいんですか」
私の恋願う様なその問いに——貴方は、やっぱり笑うのだ。
陽だまりみたいに、私がいつか恐れたものを、塗り替えるみたいに。
「——うん、沖田さんがいい」
ただ一緒に食べるだけだ。和やかに話すのだって、きっと私である必要はなかった。誰とでも仲良くなれるマスターなら、どんなサーヴァントだってこうして仲良く和菓子をつっつくことなんて簡単なのに。昔ならともかく、今なら日本からのサーヴァントだってたくさんいて、私にこだわる必要なんてない。
「沖田さんだから、嬉しい」
それでも私を選んでくれた。
私がいいと、言ってくれた。
人を斬るしか能のない私でも、マスターを喜ばせることはできていたのだ。
それはなんて、幸せなことなんだろう。
「……ありがとうございます、マスター」
十センチの距離にいるマスターの肩に頭を押し付ける。内側からあふれるこの喜びを表す言葉を私は持っていなかったから、万感の思いをもってその身を寄せた。ぐりぐりと、まるで子猫のように。そうしていると、マスターが私の手を握っていないほうの手でくしゃりと頭を撫でたものだから、意図せず体が硬直してしまう。まったくもう、貴方がそうしてくれるたびに私はそこらの小娘みたいに舞い上がってしまうことなんて、貴方、知りもしないんでしょう。
その意味を、今はまだ見つけることはできないけれど。
「お礼を言うのはこっちなんだけど……うん、じゃあオレも。いつも付き合ってくれてありがとう、沖田さん」
その日も、やっぱりマスターは寝落ちした。
「最初から知ってたんですか?」
「何がだ――なんて、はぐらかす必要はないな。ああ、知っていたよ。マスターが和菓子を強請り難いということならね」
八回目の会は、マスターが部屋で人生ゲームの準備をしておくということで、私が食堂に夜食をもらいに行く係を任命された。そういえば、と気になっていたことを端的に尋ねれば、エミヤさんはあっさりと白状した。むむ、いけしゃあしゃあと。
「だから君とマスターがこういう会を開くから、和菓子を作ってくれと言われたときは嬉しかったよ。中々子供らしからぬところがあるからな、あのマスターは。年相応でなによりだ」
「そうですか……、なら、良かったんですね」
「ああ、良かった。君がいてくれてマスターは美味しい和菓子にありつけるし、こちらもヤキモキせずに存分に腕を振るえるだろう?」
「……そうですね」
そう言われれば気恥ずかしさゆえの抵抗はもうできない。そもそも、マスターが和菓子を好きなことは普通に沖田さんが気づいてしかるべきだった。あんなに一緒に団子屋に行ったのに。私はあの時一体全体何を考えていたのだろう。大方マスターと過ごす時間が楽しすぎて何も考えていなかったに違いない。……本当に、ふがいないサーヴァントこの上ないと自省した。
「では、あのクッキーはなんだったんです?」
マスターが和菓子を遠慮なく頬張れる絶好のチャンスに、何故普段でもリクエストしやすいクッキーを作ったのか。この会の主旨の一つが和菓子を心置きなく食べることにあるのなら、わざわざそんなことはする必要がないのに。
そう思い聞けば、エミヤさんは何を言っているのだという顔をした。
「? 君が好きだからだろう」
「……へ、何を」
「チョコチップクッキーを、だ。以前だしたときに君が大層嬉しそうにキラキラして食べていたから、そちらも作ってほしいと言われたんだ。偶々マカデミアナッツがあったから、そちらも一緒に焼いてみたんだがね」
「………………、え」
そう、あの日マカデミアナッツと一緒に乗っていたクッキーはチョコチップクッキーだった。クッキーの中に蕩けるチョコレートの触感がとても好みでまた食べたいと思っていたから、内心とても嬉しかったのだ。マスターがマカデミアナッツの方を好んでいると察してからは、ほくほくとそちらの方ばかり取っていたのだけれど。
では、マスターがマカデミアナッツの方ばかり食べていたのは、それが好きというわけではなくて。
自惚れでさえなければ、沖田さんが、沢山チョコチップクッキーを食べれるように、ということなんでしょうか……?
「はわぁあぁああぁぁぁああ……」
マスター、貴方反則過ぎやしませんか。
頬を抑えてうずくまった頭上から、エミヤさんが「なるほど、だからマスターがマカデミアナッツクッキーが好きなようだと報告してきたのか」と追い打ちをかけてくる。やめてくださいやめてください。マスターの好物を発見した気になって得意になっていたのが恥ずかしい。その実こちらの好みがばれていたのだから、合わす顔がないというものだ。なんでそういうことさらっとやってのけてしまうんでしょう、あのマスターは!
「ほら、さっさと立ち直ってこのおはぎを持って行ってくれ。そろそろマスターも準備ができているんじゃないか」
そわそわと君を待っているよと菩薩のような笑みを浮かべお皿を差し出されたので、ふらふらしながらもなんとか立ち上がってそれを受け取る。おはぎもマスターのリクエストだったりするのだろうか。こうなれば、マスターのとっておきの好物を沖田さんだって見破ってやるんですから!
なんてふんふん闘志を燃やして——あれ、一つ、解決していないことがある。
「いつもこの会を開くとき、誰も突入してこないんですけど――変じゃないです? ゲームとか好きそうな人たち沢山いますし、そうでなくても普段皆さん勝手にマスターの部屋に入り浸っているのに」
昨日の夜だって、マスターの部屋で男衆が集まってやいのやいのして最終的に某アヴェンジャーに叩きだされたということを、朝にマシュが困ったような顔をして話してくれた。そういうどんちゃん騒ぎはことマスターの部屋では緊急時以外は日常茶飯事なのだ。だというのに、やっぱり七回目のあの会も誰も部屋を訪ねてこなかった。不思議である。
エミヤさんはぽかんとした後、成程、とつぶやいてにやにやと口元が緩ませた。なんでしょう、意味は分からないのに凄く恥ずかしいんですけど。
「誰も馬には蹴られたくないんじゃないか?」
「はぁ……?」
意味が分かるようになったら、また言ってくれ。
エミヤさんは心底おかしそうに笑って、食堂から私を追い出したのだった。
心が洗われました…。