優しいと優しさの違い、記憶喪失と死にかけの猫、どこかのくにでだれかがしんだよ。
私は、優しいひとだね、と言われることが度々あるけど、その度、ガチガチに否定している。
なぜなら、「優しい」は、自ら進んでひとを救ける積極的なものと、ウッカリ嫌なことをされたとき別にいいよと言えるような受動的なものがあり、私は後者しか持っていないから。誰かが私に嫌なことをしないと発動しない「優しい」ってなんなんだ。とても優しいひととは言い難いと思う。
以前、「優しい」と「優しさ」について考えたことがある。
そのとき出した結論は、「優しい」とは受け取った側の感想、つまり結果で、「優しさ」とはその結果から推測されるものである、ということ。
わかりにくいと思うので、「パンのあだしごと」という童話を例に出してみる。
ざっくり解説すると、パン屋を営んでいる女主人が、毎日、安くなったボロボロの古パンを買っていく男を見兼ねて、こっそりパンの間にバターを忍ばせたところ、その男は実は建築家で、いつも設計図を描くとき古パンを消しゴム代わりに使っており(消しゴムが存在する前はパンで消すのが主流でした)、女主人の仕込んだバターのせいで男の設計図がめちゃめちゃになる、というもの。
この話は「善女のパン」という訳し方をされた題もついている。
あなたは女主人を「優しい」と思いますか?
男が本当にただただ貧しいひとだったら、女主人を優しいと感じると思う。
しかし、結果的には、女主人のバターは男にとって迷惑極まりない存在になってしまうのである。
女主人のバターは、男が「優しい」と受け取って初めて、「優しさ」になるのである。男が「お節介だ」と思えば「お節介」にもなる。
これが先程言った、「優しい」とは受け取った側の感想、つまり結果で、「優しさ」とはその結果から推測されるものである、ということ。
つまり、自分一人だけで自分のことを優しいひとだと判断するのは、絶対にできないということです。
余談ですが、この結論に到達する前、優しいね、と言われた私は私自身の持つ優しさがわからず、
「一般的に優しいと思われる行動を把握している時点で、意識的に優しい行動をとってしまっている自分は果たしてちゃんと優しいのかわからんので、一旦記憶喪失になって目の前に死にかけの猫を置いてもらい、その時の行動で自分が真に優しいかどうか判断したいが、その時に死にかけの猫を助けたとして、自分が観測できる範囲のものだけに優しくするのは果たしてどうなのか、エゴに近いんじゃないか、そうなると、今もどこかのくにでだれかがしにつづけているのが悲しくて仕方がないことになる。」
と思い、知らん国で知らんやつが知らんうちに死んでることを、毎秒悲しんでいた。(アホすぎる)
では、女主人が、男に「優しいひとだ」と思われるには、なにをしたらよかったんでしょうか。
それは目一杯、想像することです。
男が古パンを買っていく理由を、深く深く想像することです。
私が関わってきたひとには、ドラッグ依存、援助交際、未成年なのに酒煙草、みたいなやつが結構いました。まあ言っちゃえば犯罪なんですけど、はい違法、没収。これで良くなるからね。では根本的にダメで、そんなのは優しさに見せかけてる暴力なんだと思います。(これは犯罪の肯定ではありません。誰かを傷つけるタイプの犯罪じゃないのでこういう書き方になっています。)
なんでそんなことをしなければならなかったのか。背景を深く深く想像しないと、状況は好転しないと思うんです。
蓋を開けてみれば、ドラッグを毎日やってたやつは仕事ができなくて自殺するくらい追い詰められてたり、援助交際をやってたやつは親が借金塗れだったり、酒煙草に溺れてたやつは虐待からの逃げ場がなかったり、大抵のやつは精神への悪影響より身体への悪影響を選択しているだけで、表面の犯罪だけ摘み上げても、良くなるわけじゃないんです。
私は中高と行ってないせいでクラスメイトに「学校サボってる怠け者」みたいな言い方をされていたことがあるんですが、飲んでる薬の副作用で何時間も寝ないといけなかったり、人んちに住み込みで働いてたり、単に卵巣に腫瘍ができたので摘出手術を受けてただけの日もありました。色んなことがあったんですけど、それを「学校にきていない」という表面的な情報だけで「怠けている」に直結させてしまうひとがかなり多くて、想像力の無さってマジで暴力だな。と思いました。普通に街中で遊んでただけの日もあるのでそこだけピックアップされたのかもしれませんが。(カス、学校行け)
想像することです。その人が、その行動に達さなければいけなかった凡ゆる状況を、想像することです。
電車で舌打ちしてくるひとも、街中でわざとらしくぶつかってくるひとも、なんかしら嫌なことあったんでしょう。他人に当たるひとはカスだけど、そういうことしたくなる気持ち、わからんでもないので。
常に全部に優しくあろうとするぞ!というのは、無思慮なひとに出くわしたときワンパンで破壊される思想なのでほどほどで良いですが、自分に余裕があるときくらいは、目一杯色んなことを想像していたいですね。
どこかのくにでだれかがしにつづけても、目の前のものに一心に優しくありたいです。
がんばります。
2019.10.29


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