若さは無駄にするべきか
時々どうしようもなく漠然とした不安に襲われることがある。最近その頻度が増えてきた。
不安の正体は分かっている、"若さ"という武器をいずれ手放すことになる将来に対しての不安だ。
自分はこのままでいいのか、今の自分だからこそできることはやりきれているのか、やり残して将来後悔することがあるのではないか、何者かになれているのか、若さを無駄にしていないだろうか。
哲学的な抽象的な悩みが毎日、日を追うごとに募り続けている。
自分でも思う、なぜこんなに生き急いでいるのか。
時間がないことはない。人生100年時代、あと78年もある。けれど大学4年生の今、来年度から社会人として働く同級生もいる訳で、"若い"という特権を使えなくなる時は刻一刻と近くなっている気がするのだ。
憧れのあのバンドマンやテレビスターは学生の頃から一際異彩を放っていたという。同じ土俵に立てるとは微塵も思っていないが、どうしても何もアクションを起こせていない自分と比較をしてしまう。
少し話は逸れるが、テレ朝系列で放送している『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』という番組をご存知だろうか。大人顔負けの知識や才能を持つ子どもたちが「博士ちゃん」として出演し、MC陣に授業をするバラエティー番組なのだが、自分はこれを見ると変な汗が出て鼓動が早まる。倍以上歳の離れた"何者かになりきれている"子に焦りを感じてしまうのだ。22年も生きているのに何者にもなれていない自分が情けなくなってしまい、チャンネルを変えてしまう。
現在22歳。若い頃に訪れる大きな行事や記念日は過ぎてきたように思う。そのどれもが自分の人生を決めるかのような大きな衝撃や出来事があったわけでもない、ただただ記憶としてしか残っていないような気がする。「恩師のあの言葉が~」「部活動の最後の夏の大会でのあの一幕が~」なんていうエピソードを持っている人は稀なように思う。
「若い時の苦労は買ってでもせよ」
苦労をたくさん経験して、次に生かすことができるのも若さ故。
苦労だけじゃない、"初めて"を経験することができるのも若いからこそだと思う。当然、歳を重ねるほど”初めて”の出来事は少なくなる。”初めて”給料を貰った時、”初めて”親に反抗したとき、”初めて”恋人が出来たとき。過去はもう戻れず、上書き保存はできない。
つまりは、若いうちは初体験が多いから苦労が伴うとも言える。
歳をとり初めてのことを経験するということは「年齢」という1個大きなハードルを乗り越えなければならない。それは「いい歳にもなってー」「今更ー」という枕詞をつけて自分を制限させてしまう。
だから人生の先輩たちはまだ無限の可能性を秘めた我々後輩の若さに対して羨望のまなざしを向けてくるのだと思う。そして大人たちは若いうちにたくさんのことを経験しろというのだと思う。
全大人が欲しがるこの若さという有限のものを持つ今、果たして本当に活かしきれているのか。結局この問いに返ってくる。
しかし、若さを無駄にできるのも若いからこそ。
全大人とは言ったが、若さに対して対して貪欲でない人もいる。
その人は決して若い頃に何もかもを経験をして、やり残したことはないということではなく、あの頃に馬鹿をやったからこそ今があると考える人だった。聞いてみると本当にくだらないバイトの失敗談だったのだが、時々こうして当時を懐かしんで、思い出すときが1番楽しいらしい、私の父なのだが。
これを聞いた瞬間に深く考え過ぎていたのかもしれないと、少し気持ちが楽になった。若いからこそ、その若さを無駄にもできる。というか、無駄なんてないのだ。時間を無駄遣いしていたなと思いを馳せ、懐かしむことが出来ればそれは貴重な思い出として残る。無駄と一掃すること自体間違っている。その大事なことに気づかされた。
とはいえ、時間にも体力的にも余裕のある今のうちにしかできないことは山ほどあると思うのであまり気負いし過ぎず”若さ”を最大限に酷使していきたい。
今日の1曲
andymori『16』


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