モータースポーツ業界から映画業界へ。五木寛之原作作品も|レーシング・ドライバー大坪 引退の顛末 Vol.3

69年2月20日〜4月10日に日本TVで放送された夜のグランド劇場『愛の夜明け』にテクニカルディレクターとして大坪が参加した。

主演は南田洋子、伊藤孝雄。


 トヨタ自販を通してテクニカルディレクターの話が大坪にあった。

テストドライバー役の伊藤孝雄の事故と福沢の事故が酷似していたので、トヨタは放映に反対したが、日本TVは放映を強行した。


 これは憶測だが、大坪は自工ワークスと契約をしていた頃から自らの限界を薄々感じていて、映像の仕事を引き受けたのではないだろうか。

しかし、決定的な通告は「69日本グランプリ」直前まではされなかった。


関連記事:ホンモノのレースで3位入賞していた! 映画『ヘアピン・サーカス』の劇中のマカオGPシーン|レーシング・ドライバー大坪 引退の顛末 Vol.4


 70年からフリーになった大坪はトヨタ以外のワークスへの道を模索していた。

女優の南田洋子の紹介でマツダワークスに入ろうと試みたことがあった。

片山義美の経営する神戸の木の実レーシングへ行った。

しかし、マツダワークスの総帥片山の壁は厚く、断念した。


 大坪は幼い頃から『荒野の決闘』(46年、主演ヘンリー・フォンダ)、『シェーン』(53年、主演アラン・ラッド)、『慕情』(55年、主演ウィリアム・ホールデン)などを見ていて、映画に興味があった。

そんな理由もあり、大坪はマツダの話がなくなったのを機に、すぐ映像の仕事をやろうと決心した。


 71年には豊田四郎監督(『小島の春』や『恍惚の人』で有名)、松山善三(妻は高峰秀子)脚本の映画『炎よ永遠なり』に大坪がアシスタントプロデューサーとして参加。

日本人が「インディ500マイル」に挑戦するという物語だった。

主役候補としてチームトヨタを辞めてアメリカのレースへ挑戦していた鮒子田寛の名前が挙がっていた。

だが、配給会社とスポンサーの問題で、途中で頓挫している。


 大坪は72年4月25日公開の映画『ヘアピン・サーカス』のテクニカルディレクターを務めることになった。


 製作会社の東京映画(東宝配給)が五木寛之の作品を原作にして映画化することになった。

監督は西村潔、プロデューサーは安武龍、カメラマンは原一民だった。


 映画の話の前に五木がこの小説を書いたいきさつを説明しよう。


 五木が運転免許を取得するために、渡辺自動車教習所(88年、89年のGCレースで渡辺ドライビングスクールの名前で松本恵二のスポンサーについた)に入った。

そこで暴走族を相手にした元レーサーの教官の話を聞き、それを元にして『ヘアピン・サーカス』(71年に出版した『四月の海賊たち』の中の短編)を書いた。


 主人公の見﨑清志(当時26歳)と江夏夕子、睦五郎は東宝で選定した。

ジャズが趣味の監督がジャズシンガーの笠井紀美子(死亡する選手の妻役)を大胆に起用している。

カーチェイスとジャズのサウンドが織りなすシーンが心に残る。

  
 大坪は舘信秀(現トムス会長)、佐藤文康(耐久レースで活躍したが83年練習中事故死)を推薦した。

  
 同じレースに出ていたライバルのドライバーをアクシデントで死なせてしまい、心に傷を負った主人公は仮面をかぶったように無表情で自動車教習所の個人指導員をしている。

生徒だった江夏夕子が高速道路で標的を見つけて、事故死させていた。

見﨑は江夏夕子に愛を感じていたが、標的になりすまし、その誘いにのっていく。

そして、江夏夕子はT字路のレンガに激突死するというストーリー。


 なぜ映画の中でトヨタ2000GTをクラッシュさせたのだろうか?


 大坪は「69日本グランプリ」の前に自工ワークスから降ろされた。

その悔しさがトヨタ2000GTのクラッシュシーンに表れているのかもしれない。


 大坪が自工ワークスを辞めるとき、トヨペットサービスセンターの宮島貞利部長と石塚昭夫に「退職金がわりに3台のトヨタ2000GTをください」とお願いすると、簡単に「持って行っていいよ」という答えが返ってきた。


 2台はエンジンがかからず、3台とも一部FRPのアルミボディだ。

本橋自動車で3台から1台に組み直して映画で走らせた。

関連記事:ボンドガールの若林映子に代わり、カツラを被って2000GTオープンを運転|レーシング・ドライバー大坪 引退の顛末 Vol.2


 大坪は江夏夕子がドライブして大破するトヨタ2000GTのシーンを見て、複雑な気分だった。

監督やプロデューサーも「トヨタ2000GTをつぶしたらトヨタとの関係がまずくなるよ」と気遣ってくれたが「問題ありません、やりましょう」と大坪は答えた。


 この映画の主演男優になった見﨑は、映画とは別に「マカオGP」に参戦する予定で、マシンを探していた。

菅原義正(日野トラックでパリ‐ダカールラリーに挑戦中)からワールドAC7を借り出すことにした。

「JAPAN RACING MANAGEMENT」(菅原の会社・日本レーシングマネージメント)のステッカーがフロントに大きく貼られている。




エバがクラッシュするシーンは江ノ島近くの駐車場で撮影された。





『ヘアピン・サーカス』ではジャズシンガーの笠井紀美子が死亡する選手の妻役を演じている。



掲載:ノスタルジックヒーロー 2011年 10月号 vol.147(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

text :Nostalgic Hero/編集部

よく読まれています

RELATED

RANKING

欧州車を彷彿させる魅惑のボディ。1990年代を駆け抜けた「走りもイケる」本格スペシャリティークーペ

マツダスピードバージョンのMX-6

1994年式 MX-6 2000 V6 マツダスピードバージョン

バブル崩壊直後の混迷期、マツダが推し進めた5チャンネル体制のなかで誕生したMX-6。1750mmのワイドな全幅を活かしたロー&ワイドなフォルムは、当時の国産車の常識を覆す流麗な美しさを誇りました。
全車V6エンジン搭載、熟成の4WS採用など、贅を尽くした設計ながら、多チャンネル化の荒波に呑まれわずか4年足らずで姿を消した「悲劇のスペシャリティ」。しかし、その色褪せない造形は今なお周囲の視線を釘付けにします。四半世紀、2台にわたりこの稀少なクーペを愛し続けるオーナーと共に、その真価に迫ります。

バブル期にマツダが推し進めていた5チャンネル体制

販売力の強化を目指してマツダ店、オートラマ店、アンフィニ店、オートザム店、ユーノス店という5つの販売店を展開したわけだが、その中でメインとなるマツダ店で取り扱った2ドアクーペモデルがMX‐6だ。
このMX‐6のベースとなっているのは、先にデビューした4ドアセダンのクロノス。
クロノスはカペラの後継として登場しただけに、MX‐6はカペラのクーペモデルとなる「C2」の後継にあたる。

【画像16枚】全幅1750mm! 国産車離れしたスケールと流麗なフォルムを誇ったスペシャリティークーペ「MX-6」

1994年式 マツダ MX-6 2000 V6 マツダスピードバージョン(GEES)

低く伸びやかなサイドフォルムは、最近のクルマでは見られないもの。ボディカラーは当初6色設定されていたが、一部改良でブラック、シルバー、レッドの3色になった。
次ページ > 

MX‐6の魅力といえば、なんと言ってもスタイリングだ。
1750mmという全幅を生かしたプロポーションは国産車離れした流麗なもので、高さを抑えたボンネットとスラントノーズ、低く後方に伸びたリアデッキなど、スペシャリティーカーならではの雰囲気満点。
また、特徴的な一体式ヘッドランプや、ステアリング舵角と車速に応じて照射範囲を自動可変するステアリング連動フォグランプ、ユニークなリアコンビランプなど、各部で個性を表現している。

「統一感とラウンド感、そしてコックピット感覚の表現」をキーワードにデザインされたインテリアもスペシャリティークーペならでは。
基本的には前席での快適性を重視したパッケージングとなっており、ゆとりある空間と優れた前方視界を確保している。
また、センタークラスターを運転席側に傾斜させてスポーティー感を強めている。その一方で、リアシートはプラス2的な空間。
ちなみに2.5リッター車には本革シートもオプションで設定されていた。


後期の標準タイヤは2.5ℓが205/55R15なのに対し、2ℓは195/60R15。取材車両は215/45R17にインチアップしており、シルバーのワーク・エモーションT5Rもシンプルなデザインでマッチしている

エンジンは全車V型6気筒DOHC。2.5リッターと2リッターの2種で、前者は200psを発揮する。車両重量が1.2トン程度なのでパワーウエイトレシオは約6㎏/ps。
この数値は当時でいうと三菱GTOツインターボと同じ。それゆえ走りは十分にパワフルだ。
また、独自の低振動騒音設計により、V型6気筒ならではの滑らかさと静かさを実現している。
クルージング時は優雅な走りを味わえ、ひとたびアクセルを踏み込めば力強い加速を感じることができる。

エンジンには200psの2.5リッターと160psの2リッターが搭載されるが、マツダスピードバージョンは後者のみ。とはいえ、十分にゆとりある走りを披露する。

サスペンションは前後ともオーソドックスなストラットだが、4WS(電子制御車速感応型4輪操舵システム)を採用。
57㎞/hという絶妙な速度を境に、それ未満では前輪と逆方向に転舵されてリニアな回頭性を発揮する。
それ以上では前輪と同じ方向に転舵してクルマのムダな動きを抑制し、安定性を高めている。
この4WSは当初全車に装備されていたが、のちに一部グレードのみに搭載されるようになった。

美しいスタイリングと走りの両方が楽しめるクルマだったMX-6
このように、美しいスタイリングだけでなく走りも楽しめるMX‐6だったが、実際には他の姉妹車同様販売は伸び悩み、4年に満たない期間で生産を終了することになる。
しかし現代でも十分に通用する、上質なクーペだったのだ。

抑揚のあるボディラインながら、モール類やガーニッシュを排除してシンプルなスタイリングを実現。サイドスカートはマツダスピード純正だが、リアコンビランプは社外品。マフラーはマテラス製だ。

そんな隠れた名車「MX‐6」を2台乗り継いだのがこの個体のオーナーだ。彼はMX‐6のスタイリングに引かれ、1台目を新車で購入した。
「社会人になってすぐ、自宅近くのショップに展示してあった赤のMX-6を見て衝撃を受けたんです。他のクルマとはデザインのレベルが違い、ずっと見ていたいと感じました」。こうMX-6のファーストインプレッションを話すオーナー。
そして、走行距離が30万㎞近くに達して維持費がかさむようになったことで、8年ほど前に乗り換えを決意。
ただ、他のクルマに興味がなく悩んでいたところ、インターネットで奇跡的に1台目と同色同グレードの個体を発見。実車を見に行き、即決したという。


インパネからドアトリムまで連続したデザインで、包まれ感のある運転席とゆとりを感じさせる助手席を実現。ステアリングは、手をそえる部分にパンチングレザーを使った本革巻き仕様。

刺激的な出合いだっただけに25年以上たった今でも印象は変わらず、他に欲しいと思えるクルマもないそうだ。
そして、「信号待ちなどで周囲の視線を感じると優越感に浸れるんです。また、『どこのクルマ?』などと聞かれると快感ですね」。こう話すオーナーの表情は、満足感にあふれていた。

通算で25年以上にもおよぶMX‐6とオーナーのカーライフは、これからもしばらく続くだろう。

前席優先のパッケージングのため、フロントシートの居住性は高レベル。また、バケットタイプで快適な乗り心地と優れたホールド性を両立する。ちなみに2.5ℓには本革シートもオプション設定されていた。

text : Rino Creative/リノクリエイティブ photo : Kazuhisa Masuda/益田和久 cooperation : R31HOUSE/R31ハウス

よく読まれています

RELATED

RANKING