ボンドガールに代わり、カツラを被って2000GTオープンを運転|レーシング・ドライバー大坪 引退の顛末 Vol.2

大坪善男は元チームトヨタのワークスドライバーでトヨタスポーツ800、トヨタ2000GT、トヨタ7を駆り数多くの優勝、入賞したことで有名だ。引退後には元チームトヨタのメンバーだった大坪だからこそできた映像作品を作る。自分のレースの経験を生かしたドラマやドキュメンタリーは他の追随を許さない。豊富な人脈を生かし、有名人を登場させる「技」は大坪ならではのものである。大坪の人生そのものが嵐に翻弄される小舟のような波瀾万丈のドキュメントである。

自工ワークスを辞めたストーリーとは別のストーリーが5人の関係者の口から新たに飛び出した。


 68年12月に契約更改のための選考会が鈴鹿サーキットで行われた。

河野は「2分14秒を出さないと契約をしない」と言い放った。

まず基準タイムをクリアしたのが細谷四方洋、次に福沢幸雄や鮒子田。

大坪はリアのスタビライザーが外れていたマシンでクリアした。

関連記事:五木寛之原作作品に携わることに! レーシングドライバーから映画業界へ|レーシング・ドライバー大坪 引退の顛末 Vol.3


 その頃、池田英三が各選手のコーナーの区間タイムをビデオに収め、その結果を河野に報告していた。

河野は大坪のパフォーマンスに不満を持っていたが、契約解除はいったん保留された。


 その内情は一切公にされなかった。

理由は視力。

片方の目の視力は1.5から1.2になり動体視力が低下していた。

大坪は体力に自信があったが、視力検査で厳しい結果が出ていた。


 68年12月末に津々見友彦、見﨑清志、蟹江光正の3人が東京本社に呼ばれて契約解除されることになった。

大坪の契約解除問題はくすぶったままになっていた。


 69年1月に自販チームから自工ワークス入りした川合の成長ぶりも大坪になんらかの影響を与えていただろう。


 69年2月12日の福沢の事故死以降、河野はドライバーの安全について神経質になっていた。


「危ないドライバーは乗せない。タイムを出せないドライバーも乗せない」と河野は公言していた。


 9月18日(日本グランプリの22日前!)にはイギリスからヴィック・エルフォードが急にトヨタチームに加わった。

そして、自販チームの高橋利昭、見﨑、蟹江、高橋晴邦の4名とスポット契約している。


「69日本グランプリ」のエントリーリストには、細谷四方洋/久木留博之組(2号車)、鮒子田寛/川合稔組(3号車)、大坪善男/高橋晴邦組(5号車)、蟹江光正/見﨑清志組(6号車)、ヴィック・エルフォード/高橋利昭組(7号車)の名前があった。

川合と大坪が1人で走りきる予定だったらしい。


 本番では、鮒子田が降ろされた大坪に代わって5号車をドライブした。


 大坪の自工ワークス離脱の理由を整理してみる。


 1つは「死相が出ている」と言われたから、自分で離脱を決めたという話だが、死相というより、若手がタイムアップしてきたことによって、その座を奪われたと考えるのが自然だろう。


 もう1つは河野が68年12月から「視力の衰えがあるので自工ワークスからうまいタイミングで辞めてもらおう」と考えていて、「69日本グランプリ」直前に「健康上の理由」ということにしたと推測できる。

さらに大坪の女性問題も契約解除に拍車をかけた。


 2つの大きな理由によって大坪は自工ワークスから降ろされることになった。

しかし、71年までプライベートで3つのレースに出場した。


 トヨタ7でテストをしていた時から大坪は撮影に興味を持っていた。

静岡県袋井のヤマハテストコースで、ドライバーはトヨタ7の助手席に重い計測器を積んで走っていた。

空力実験では糸をボディにはり付けて、空気の流れを見たり、前を走るクルマからインクをかけて、ヘルメットやボディのどこにインクがつくかを実験した。


 ボディの中で空気抵抗の大きい個所を探すためにカメラを備え付けた。

カメラは太陽が出たり、曇ったりするたびに絞りを変えなければならない。

大坪が自主的にその役をしていたら、カメラを操作する役になってしまった。

テストが終わると他のドライバーは急いで恋人や家族のいる家へ帰るが、大坪はカメラマンに同行し、その日にトヨタ本社の中にある東洋現像所(現IMAGICA)でラッシュプリント(ネガフィルムからリバーサルフィルムを作る映画用にプリントされたフィルム)を見ることが多かった。

 
 トヨタ時代に大坪は映像の世界へ入る兆候が見られる。

それはトヨタ2000GTオープンがボンドカーとして映画「007は二度死ぬ」(67年6月日本公開)に出た時だった。

大坪はカーチェイスアドバイザーとして協力した。

ボンドガールの若林映子の吹き替えとして、大坪が長い髪のカツラでジェームス・ボンドの横で運転した。

同時に黒服のギャング役もこなしている。

 大坪にとってボンド映画は魅力ある世界を垣間見た瞬間だった。

その時は映像の世界へ本当に入るとは思わなかったが。






映画「007は二度死ぬ」(67年6月日本公開)に出演した若林映子。大坪は長い髪のカツラをかぶってトヨタ2000GTを運転した。




映画『ヘアピン・サーカス』に出たクルマたちは右からトヨタ2000GT、エバ、ワールドAC7、セリカ、アルファロメオ・ジュリエッタ、サバンナGT。

キャスト&スタッフは左から舘信秀、佐藤文康、見﨑、江夏夕子、大坪、安武龍プロデューサー、西村潔監督。



掲載:ノスタルジックヒーロー 2011年 10月号 vol.147(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

text :Nostalgic Hero/編集部

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text : Rino Creative/リノクリエイティブ photo : Kazuhisa Masuda/益田和久 cooperation : R31HOUSE/R31ハウス

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