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教科書はなぜ間違えたか?~大航海時代とオスマン帝国

ひとまず、以下の二つの記述が、なぜ誤っているかを考えてみて欲しい。

ヨーロッパの人々は、なぜ遠洋に乗り出していったのだろうか
(中略)
アジア産の香辛料は重宝されたが、東地中海に勢力を拡大していたオスマン帝国を経由して輸入されたため高価であった。
(中略)
このため、15~16世紀のヨーロッパ諸国は、ポルトガル・スペインを先頭に大西洋に乗り出し、

山川出版社『詳説世界史』P158

(ヨーロッパの海外進出の動機は)オスマン帝国の地中海進出への危機感

東京書籍『世界史探究』P170



ヒント

香辛料交易《紅海ルート》
従来はティグリス川・ユーフラテス川からペルシア湾を経由する交易ルートが主流であったが、10世紀後半以降、アッバース朝の政治的混乱などによって、南方の紅海・ナイル川を経由して海路やアレクサンドリアに至るルートへと主流が変化した。

山川出版社『世界史用語集』P91

 1402 バヤジット1世、アンカラで大敗
1415 エンリケ、セウタを攻略
1419 エンリケ派遣隊、マデイラ諸島へ到達
 1422 ムラト2世、コンスタンティノープルを包囲
1444 ディアス父、ヴェルデ岬へ到達
 1453 メフメト2世、コンスタンティノープルを攻略
1488 ディアス子、喜望峰へ到達
 1517 セリム1世、マムルーク朝を滅ぼす

簡易年表(手製)

謬説への反駁

21世紀の日本の高校世界史教科書を置き論破しているのが、バルカン・中東(すなわちオスマン帝国)研究の大家Albert Howe Lybyer

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1876-1946

1915年の論文「The Ottoman Turks and the Routes of Oriental Trade」から引用。

The absence of marked influence upon prices exerted by the conquest of Constantinople by the Turks deserves special attention, since that conquest has been imagined to have closed the routes of the Levant to such an extent as to force the western Europeans to seek now routes. If this had been the case the price of spices must have shown a marked increase between 1453 and 1498, which it did not do. Nor was it the agencies engaged in the Mediterranean trade which sought the new routes, but Atlantic powers in no relation with the Turks. It is not even certain that the desire to profit from a more direct spice trade emerged in the consciousness of western Europeans before 1490.

トルコによるコンスタンティノープル征服によってレヴァントへの航路が閉ざされ、西欧諸国は新たな航路を探さざるを得なくなったと考えられていたが、征服が香辛料価格に顕著な影響を与えなかった点は特筆に値する。

もしトルコの影響があったなら、香辛料価格は1453年から1498年の間に著しく上昇したはずだが、実際にはそうはならなかった。
また、新たな航路を探したのは地中海貿易に従事する者達ではなく、トルコとは何の関係も持た​​ない大西洋諸国であった。

[アジアとの]直接的な貿易から利益を得たいという願望が、1490年以前の西欧の意識の中に芽生えていたかどうかさえ定かではない。

Lybyerは、経済学者のThorold Rogersによる香辛料価格の研究を引用し、謬説を一刀両断している。
価格の研究は日進月歩だが、Lybyerが補強されることはあっても論駁は今のところ見つからない。

より平易な方法による反駁

価格を用いずとも、「ヒント」で示した高校世界史レベルの知識でも十分に反証できる。
東方貿易はステップの道から黒海へ抜けるルート、ペルシア湾からアレッポへ抜けるルート、紅海からナイルを下るルートで三分できる。アッバース朝の弱体化に伴い衰退したペルシアルートは、モンゴル帝国で復活、しかし帝国も崩壊したことで、紅海ルート、つまりエジプトルートが長く主流となる。これは高校レベルでも「カーリミー商人」を学習する過程で抑えているだろう。

エジプトを抑えていたのは言うまでもなくマムルーク朝。1516-17年に一気呵成に滅亡するまで、オスマン帝国がエジプトでの貿易に介在する余地はそれほど無かった。
また、帝国がティムールにボコられ再建過程のまさにその時期、エンリケが「大航海」の口火を切ったという事実でも、反駁に事足りるだろう。

謬説の起源

Lybyerが同論文で、(断定的すぎるきらいがあるが)持論を述べている。

The entire hypothesis seems to be a legend of recent date, developed out of the catastrophic theory which made the fall of Constantinople an event of primary importance in the history of mankind. The great discoveries had their origin in a separate chain of causes, into which the influence of the Moslems of Spain, North Africa, and the Mameluke empire entered, but not that of the Ottoman Turks.

「トルコ・香辛料仮説」は比較的新しい年代に作られた伝説のようなものであり、人類史においてコンスタンティノープルの陥落を最重要の出来事とするカタストロフィー的な理論から派生したものである。
地理上の発見の起源は別の一連の要因にあり、そこにはスペイン、北アフリカ、マムルーク帝国のムスリムの影響は含まれているが、オスマン=トルコの影響は含まれていない。

Lybyerの指摘は、事件中心史の危うさ同時代的な意義付けの危うさを示唆する。
包括的に東方貿易の実体を論じるよりも、コンスタンティノープル陥落という大事件に紐づけるほうがウケは良いし、
とっくに滅んだマムルーク朝の影響を回想するよりも、未だ健在だったオスマン帝国を語るほうがウケは良い。
易き・近きに流れるのは人の性だが、歴史をそのように語るのは危うい。

日本での謬説

Lybyerの批判も虚しく、謬説が半ば通説となってしまった。日本もその影響を免れることはできていない。

謬説の通説化には日本の専門家も苦慮していたようだ。
ポルトガル史の大家の金七紀男は、1989年『マヌエル1世期(1495-1521年)におけるポルトガルの香料貿易』で、以下のように述べている。

ポルトガルの海外進出とオスマン・トルコの膨脹を結びつける要因は全くなく、オスマン帝国がスパイス・ルートに介入するのは、1517年以降のことである。
強いてポルトガルの海外進出と中東の動向を関連づけるとすれば、それはマムルーク帝国の動きであるが、
この帝国もその繁栄がスパイス・ルートの支配にあることを熟知しており、キリスト教徒商人の商業活動を歓迎し、15世紀を通じて香料価格は安定していたのである。

PDF直リン注意
https://tufs.repo.nii.ac.jp/record/6016/files/acs039013.pdf

一般書ではなく論文の中でこのように書くというもの、なかなかの話だ。

オスマン帝国・ポルトガル・ヴェネツィア等の「ピンポイントの専門家」以外は必ずしも謬説を見抜けなかったからこそ、教科書等で再生産され存続してきたと言って差し支えあるまい。
たとえ高校世界史程度の知識で反駁可能だとしても、そもそも批判的に読む姿勢が不十分なら気付くことはない。
また、仮に気付いたとしても、わざわざ資料をまとめて問い合わせてまで修正しようと試みる人は極めて稀なのだろう。修正されたところで当人に得はないし、カタギの大人は暇もないので仕方ない。

教科書会社の反応

恥ずかしながら私は暇だったので、教科書会社にメールで問い合わた。

山川は「海洋ルートの開拓とオスマン帝国の動向を結びつけるのは時期的に無理があると結論。至急修正を検討。」
東書は「次期改訂の際に時間をかけて検討」との返答。

たいへん誠実な対応。

おまけ

大航海時代という謬説製造機

やたら問題のある記述が目立つので紹介しておく。

『山川用語集』では「喜望峰航路の開拓で東方貿易が衰退」としているが、これは誤りとまでは言えないが語弊がある。商業の重心は大西洋側に移ったので相対的衰退は間違いないが、絶対的衰退は確認されていないし、地位変化も緩やかなものであった。
また、フランスなどが競ってカピチュレーションを獲得した事実も、東方貿易の衰えざる重要性を示唆する。
近年の論文では、飯田巳貴『近世のヴェネツィア共和国とオスマン帝国間の絹織物交易』(※PDF直リン注意)があり、東方貿易の変化が一通り説明されている。

『帝国 図説タペストリー』では「喜望峰はアフリカ最南端」としているが、最南端はアガラス岬である。

『新世界史(R7年度から修正)』『山川用語集』では「香辛料は同重量の銀と等価」としているが、これは香辛料の重量測定に銀と同じ方法を用いたことから産まれた謬説。伝言ゲームの過程で話がすり替わった可能性が高そう。

学参・一般書で頻繁に見かける「香辛料を肉類の鮮度低下を誤魔化すために重用」というのも、しつこい俗説
アンドリュー=ドルビー『スパイスの人類史』P263で、食物史のプロの視点からメタクソに否定しているので、興味がある人は読んでみて欲しい。



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世界史探究の探究 いいね
教科書はなぜ間違えたか?~大航海時代とオスマン帝国|世界史探究の探究
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