正式命令前「トモダチ作戦」実行
東日本大震災から2日後の平成23年3月13日。米原子力空母「ロナルド・レーガン」は日本から1300キロ近く離れた太平洋上を航行していた。米韓合同演習に向かう途中だった。
艦長だったトム・バーク氏(現・米海軍作戦本部艦隊即応課長)は、艦内でCNNテレビの映像にくぎ付けになっていた。そしてロナルド・レーガンを中核とする部隊の司令官だったロバート・ギリア氏に連絡した。
「(被災地の周辺海域に)向かうべきだと考えますが、どうですか」。するとギリア氏から「よし行こう」との返事が返ってきた。13日中には仙台沖に到着。同日中に早くも艦内で自衛隊側との調整会議が開かれ、ヘリによる物資の運搬、捜索・救出に加えて自衛隊ヘリへの給油も始まった。
これを後追いするように、日本への急行と、人道支援活動の正式な命令が出たのは翌14日。バーク氏とギリア氏の判断と行動は軍組織ではまれな「独断専行」だったのだ。
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12日に東京電力福島第1原発の1号機の原子炉建屋が水素爆発し、14日から15日にかけて3号機と4号機の原子炉建屋も水素爆発。在日米大使館は日本時間の17日未明、原発から半径80キロ圏内にいる米国人に退避勧告を出した。後にロナルド・レーガンの乗組員らが被曝(ひばく)していたことが判明し、乗組員らは東電などを相手に訴訟を起こしたが、ロナルド・レーガンにとってはまさに身をていしての救援活動だったのだ。
米海兵隊中佐(現在は笹川平和財団米国の研究員)で、防衛研究所(東京都目黒区)に留学中だったジェームズ・ケンドール氏は震災翌日の3月12日、「横田基地へ行け」と命令を受けた。横田基地には沖縄から海兵隊が集結。「彼らと一緒に仙台へ行け。自衛隊が求める手助けを何でもしろ」
使用不能だった仙台空港を再開させ、救援物資の輸送などを自衛隊との間で調整することが任務だった。宮城県の石巻市や女川町などの被災地を回り、被害状況の把握に努めた。「海岸地域ではあらゆるものが流され、まるで巨大な手で全てが掃き出されたようだった。イラクで見た砂漠のように思えた」
日米合同演習を除いて、米軍と自衛隊員の多くが現場で一緒に活動・交流したことがなく、自衛隊との調整と連絡に当初は苦労した。
だが、次第に現場で米軍兵士と自衛隊員とのつながりができていく。ケンドール氏は「私の調整を必要としないほどまで協力関係が構築された」と振り返った。
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あれから5年。ケンドール氏は「『トモダチ作戦』は日米双方に、頭ではなく心と感情で関係の重要さを感じさせた」と話す。
バーク氏は日本人の整然とした姿を今でも思い出すという。「日本人の文化は並外れている。物資を積んだヘリが到着しても、誰も走り寄ってこず、整列して礼儀正しく受け取る。震災から5年という節目は、日米の結びつきを回顧し、さらに強化する、いい機会だ」(ワシントン 青木伸行)