「帰ってきてくれてありがとう」、14年7か月ぶりに抱いた6歳の娘…震災行方不明者なお2500人
[東日本大震災15年]
2011年3月11日に発生した東日本大震災から、まもなく15年になる。行方がわからなくなっている人は、現在も2500人以上に上る。近年は新たに見つかる人も少なくなっているが、昨年、2年半以上かけて鑑定を進めていた遺骨が岩手県の6歳の女児のものであると判明した。一方、遺体も見つからず、心の整理がつけられない家族もいる。警察は捜索を続けるとともに、家族らを対象とした相談会などを開き、広く情報を集めている。 【図表】遺骨が家族の元へ引き渡されるまで
自宅から100キロ、海岸に遺骨
止まっていた家族の時間が動き出したのは、1本の電話からだった。昨年9月30日、岩手県山田町の会社員、山根朋紀さん(52)の携帯電話が鳴った。宮城県警の捜査員だった。同県南三陸町と気仙沼市の海岸清掃で2023年2月に見つかった遺骨が、震災の津波で行方不明となった長女・捺星(なつせ)ちゃん(当時6歳)と判明したとの連絡だった。
11年3月11日、捺星ちゃんは祖母と自宅で津波に襲われた。逃げようとしたが、玄関先に迫る津波を見て家の中に引き返し流された。祖母は漂流物につかまり奇跡的に助かった。
自宅は全壊し、その後の火災で全焼した。翌日、自宅跡を見た母・千弓さん(49)は「助からなかっただろうな」と覚悟した。
夫婦は遺体安置所に通い、子どもの遺体を見て回った。だが手がかりはなく、半年後、死亡届を出すことを決めた。
ペンを握った朋紀さんは、文字が涙でにじみ、何度も手が止まった。それでも書き上げ、書類を提出した。翌朝、新聞を開くと訃報(ふほう)欄に娘の名前があった。「本当に亡くなったんだな」。書類上の区切りのはずが、現実として目の前に突きつけられた気がした。
家族にはその後も、割り切れない思いが残った。
捺星ちゃんは人と話をするのが苦手だった。小学5年だった兄・大弥さん(26)は、そんな妹を自分が守って生きていくと子ども心に思っていた。遺体が見つかっていないため、「どこかで生きているのでは」という期待を捨てきれずにいた。