世界の守護者は幸福な夢を見るか?
2018年1月14日開催、大阪冬インテにて発売しましたかげろさん( @kagechan___ )の「世界の守護者は幸福な夢を見るか?」の原案となった小説です。
私が書いた小説を漫画にして絵を当てて書いてくださったかげろさんに本当に感謝!
「原案の小説も公開しちゃいなよ」とのお許しをもらったので、稚拙な文ながら投稿いたしました。
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無機質な部屋の明かりを消して柔らかなベッドに寝転ぶと、英霊である私に睡魔など襲ってこないと分かっているのに自然と瞼が閉じた。
睡眠の必要がないサーヴァントの中にはこうして眠らない者も多くいる。同じく起きているサーヴァント達と酒を酌み交わす者、一人静かに過ごす者、存在意義である執筆活動に勤しむ者もいるほど、カルデアに召還されたサーヴァントの過ごし方は実に自由で多様だ。
しかし、私には余暇を費やすほどの趣味と呼べるものも無かった。今日の分の仕事は全て終えてしまい、悪戯に魔力を浪費して過ごすよりも、と思って休息を取ることにする。
部屋の遠くに聞こえる話し声や足音を聞きながら静かに深呼吸をすると、睡魔ではないが、精神が静かに凪いでいく感覚がした。一種の瞑想にも近い状態で、瞼の裏の暗闇にゆっくり意識を沈めていく。
…死して英霊となった後も、一度召喚されれば日々は続き、まるで途切れ途切れの夢を見るように私の意識は常に生き続けているような錯覚すら覚えた。召喚された時代、場所、マスター、目的。それらすべての要因によって過ごし方は異なるが、此度の召喚では比較的穏やかな時間を過ごしている。
人理の存続を守ろうとするマスターと、そのマスターに救われた一人の少女。彼らの戦いとその意思を汲み、力を貸すため召喚に応じた多くのサーヴァント達。これまでの聖杯戦争とは規模もシステムも違う異例中の異例だが、だからこそ、通常なら駒として殺し合うはずであるサーヴァントたちがこうも衝突無く穏やかに過ごせているのかもしれない。
古今東西、神代の時代から近代史まで、ありとあらゆる英霊が集うカルデア。その中で、縁を結んだ多くの英霊達――巌窟王、彼もまたその一人だった。
アレクサンドル・デュマの名著『巌窟王』。彼はその小説に描かれる通り、復讐の化身として現界した。憎悪の炎を纏う男は、この守護者という存在と私の内面に興味を抱いたらしい。「お前は世界を、人を恨むことが無いのか」。以前にそう問われた事がある。私には答えるべき言葉が見つからなかった。守護者となったことに後悔はしている。争いを幾度も繰り返す醜さにも辟易している。しかし人というモノを存続させるために存在する守護者たる自分が、その守るべき人を恨むことは――きっと、いつまでもできないのだろう。
「私には、君が些か眩しく見える。怒りを怒りとして吼えることができる君が」
憎悪と恩讐の化身と、正義の味方。一見対極にいるようで、私達の根底はどこかひどく似通っていた。共に過ごして、惹かれあうのもまた一興。どうせいつかは記憶からも記録からも綻びて消えていく夢の一つなら、しばしの温もりを楽しむのも悪くない。
そう、このカルデアでの平穏な日々も、彼と過ごす時間も、これから永遠に続くような膨大な時間の中の一瞬、泡沫の夢でしかないのだから。
…熱い。気が付くと辺りは一面の炎の海だった。呼吸するだけで喉が焼け、息が苦しい。充満するのは肉が、骨が焼ける匂い。それは即ち、死の匂いだった。
暗い空も、瓦礫も、炎の海も、すべて見覚えがある。それは己の中に残る、原初の記憶だった。瓦礫に押し潰されて埋もれた人も、炎に皮膚を焼かれ肉を焼かれ骨まで焼かれて灰になった人も、暗い空を仰いで「まだ死にたくない」と涙を流しながら死んでいった人も、俺は確かにこの目で見たはずだ。そう、これは俺が初めに見た地獄。比喩ではなく、絶望と死に彩られた地獄の光景だった。
何故だ、何故俺の身体は動かない。指先一つすら碌に動かない。ただ膝をついたまま、金縛りにあったように呆然と街の様子を見ていた。
…痛い。骨が砕け、筋線維が引き千切れ、痛覚などとうに機能しなくなったはずなのに、まだ痛い。どこが痛むのかさえ分からない。折れた足か、潰れた腕か、焼けた皮膚か、破れた内臓か。
それとも、何度この地獄を見ても変わらず胸を掻き毟り、どうしようもない絶望にただただ軋み、悲鳴を上げるこの心が痛いのか。
突如、身体に電流が走ったような衝撃と共に飛び起きた。耳の奥でどくどくと鼓動が早鐘を打ち、浅い呼吸を繰り返す。頬を伝う汗が顎から雫になって落ちた。辺りを見回せば、そこは燃え盛る炎の海ではなく、瓦礫と死体の山ではなく、飾り気のない無機質で静かな室内だった。
ここは…カルデア、か。
漸く現状が飲み込めて、動揺していた思考がゆっくりと鎮まっていく。ここは人理継続保証機関、カルデア。今はこの場所がこの私にとっての現実だと思い出して、やっと長いため息をついた。あれは夢だった。それだけのことでこんなにも安堵するのかと情けなくなるほど、私はあの光景に固執し、同時にどこかで恐れを抱いているらしい。
ああそうだ。あれは、あの街は、あの記憶は……。
「……嫌な、夢だ…」
世界の守護者は幸福な夢を見るか
静まり返ったカルデア内の一画、サーヴァント達に割り当てられた部屋の中でも最端にその部屋はあった。エクストラクラス、復讐者(アヴェンジャー)。巌窟王と名高いその男は、嗜好品の煙草を悪戯にふかしながら人類史に関する歴史書を読み耽っていた。知らぬ知識、知らぬ歴史を知るのはなかなかに興味深い。そういった意味で彼はこのカルデアという機関の歪さも、古今東西の英霊が集う異常さも好ましく思っていた。ここには知らぬものが溢れている。ここには手が届かなかったものが溢れている。召喚に応じた英霊にはカルデア内での行動の自由が許されており、可能な限り書庫の本を読み耽るのが彼の常となっていた。今宵も毎夜の通り、読みかけの本を開き、膨大な文字の海を泳いでいた。そんな時。
控えめなノックの音が部屋に響く。現在の時刻は、通常の人間ならとっくに眠りに就いている深夜の三時。巌窟王はさして驚いた様子もなく手元の本を閉じた。
「入れ」
声に応じて扉が横に動き、廊下のおぼろげな光が暗い室内に差し込んだ。その光を遮る人影は、少しだけ躊躇ったような素振りを見せたが、やがて室内に足を踏み入れる。
「夜分遅くにすまない、巌窟王」
入ってきた人物は、褐色の肌に雪のような白髪、鈍色の瞳をした弓兵――エミヤだった。
「構わんが、珍しい時間に来たものだな」
「ああ。その、目が覚めてしまって…」
幾度となくこの部屋に足を運んだことのあるエミヤだったが、巌窟王が言う通り、夜更けに訪れたことは今までに無かった。適当なところにかけろと促す部屋の主は読みかけの本を片付け、まだ半分以上残っている煙草を灰皿に押しつけて潰した。
「珈琲でも淹れるか」
どこか物憂げな表情を浮かべるエミヤは、逡巡の後に首を横に振った。「いや、今は遠慮しておこう」 相変わらずどこか距離を感じる姿勢に、東洋の人間は皆こうなのかと巌窟王はため息を溢した。マスターといい、この弓兵といい、どうも他者に対して肝心なところで距離をとるきらいがある。それを謙虚と捉えて美徳とする心意気は分からないことも無いが、真意を曝け出してこそ人間の本質が見えるというものだ。些か物足りないと思う気持ちと同時に、いつか暴いてみたいと思う仄暗い欲求が黒炎となって燻り、それを表に出さぬように胸の内に押し留める。
「それで、何の用だ?」
問いかけに、エミヤは一度口を噤んだ。出かけた言葉を飲み込んで、視線を落とす。いつもの癖だ。本音を言おうとして止めた時に、決まってそんな素振りをする。そうして次に口から出る言葉は、決して本心からの言葉ではないのもいつも通り、決まっていた。
「…君はいつも遅くまで起きているようだったからな。何をしているのかと、前から少し気になっていた」
上手く誤魔化したつもりなのだろうか。それは無意味に等しい。誤魔化せたと思っている滑稽で不器用で愛しい男のためにも、俺はあと何度気づかぬ振りをすれば良いのだろう。
「なに、ただの読書だ。どこぞの教授の様に犯行の計画などしていると思ったか」
「ああ…どうだろうな。その可能性も捨てきれはしないだろう」
「ほう、身体を許した相手にも猜疑の目は忘れない、か。なかなか良い心がけだ」
今まで上の空にも見えた覇気のないエミヤの顔に、はっきりとした動揺が現れた。含羞に顔が赤く染まり、目を丸く見開く。「なっ、き、君は…っ!」あまりのことにそれ以上の言葉が出ないらしい。相変わらず初心な反応に、つい興が乗って熱い頬に手を伸ばした。
「どうした、何をそんなに慌てる。ここへ来たのも、それが目的ではないのか?」
「ち、違う!私は…いや、もういい。私はどうも君を買い被りすぎていたようだ」
「クハハ、興が過ぎたか。それは失礼した」
機嫌を損ねたようで、エミヤはふいと顔を逸らした。その頬を手の甲で撫ぜると警戒心を露わにするようにきっと睨み付ける。鈍色の目が、部屋に来た時よりも生気を戻したようで好ましい。じっと見つめ合っていると、その瞳が揺れた。何かを躊躇っている。本音を言うか、言わないか。そんなところだろうか。
「……巌窟王、私は…」
先を急かさず、焦らず。じっと静かに待つと、まるで小鳥が囁くような声で、弱弱しく本心を溢した。
「……ただ、君の顔が見たかった、だけだ……」
「そうか。ならば気が済むまでここで寛いでいくといい」
俺の言葉に、エミヤは安堵したように肩の力を抜いた。何を思い詰めていたのか、今日の彼はどこか様子がおかしい。彼の不調など放っておいても俺に損害はないのに、目を離せなくなるほどには彼を気にかけているらしい。自分の中にまだ残る人間的な愛情に近しい“何か”に、胸の奥が焼け焦げるような思いがした。こんな存在に成り果ててさえまだ、感情を捨てきれないなどとは自分の甘さに頭が痛くなりそうだ。
仄かに温かい頬を撫でると、また恥じらったように瞳がうろうろと宙を泳ぐ。それでも拒む素振りが無いあたり、東洋人はこういう時さえも素直になれないのだろうか。そのいじらしさを愛しいと思える俺は、この男に絆されているらしい。見た目に反して少し柔らかい短髪を撫でて、額にキスを落とす。
「…さて、俺もたまには人間らしく眠るとするか。お前はどうする」
「明日も早いのでな。君が寝かせてくれると言うのであれば、どこで寝ようが睡眠の質など同じだとも」
「ふ、今日のところはこれくらいで勘弁しておいてやろう」
なかなか素直になれない減らず口に、そっと唇を重ねた。
薄暗い室内は目が慣れると白い壁がぼんやりと明かりを放つように見える。外で吹きすさぶ吹雪の咆哮は厚い壁に阻まれて聞こえてこない。
大の男二人で寝そべるには狭いベッドの中で、エドモンとエミヤは互いの体温を共有するように抱き合っていた。
「……今日は、冷えるな」
抱き寄せる手が、体を締め付ける。体をぴたりとくっつけると、互いの息遣いまではっきりと聞こえ合う。冷えた肌に温かい吐息がかかり、エミヤがびくりと肩を震わせた。
「眠れないのなら、素直にそう言えばいいものを」
艶のある声はまるでお伽噺か子守歌を歌うように、穏やかな声音をしていた。シーツが肌の上を滑るさらりとした感覚が心地よくて、つい火照った顔をそれに埋めた。
「サーヴァントに睡眠は必要ないさ」
「クハハ、普段このベッドで幸せそうに寝ているのはどこの誰だったか」
「…………」
「まぁ、そう怒るな。たまにはお前から誘われるのも悪くない」
今日の彼は機嫌がいいらしい。悉く言い返されて、もう誤魔化しさえ滑稽なほど彼に見透かされているエミヤは、せめて赤い顔を見られまいとシーツを引き上げた。
「もう寝よう、明日も早いんだ」
「ああ、おやすみ、エミヤ。―――良い夢を」