★本番が恐ろしかった

「志村けんのだいじょうぶだぁ」や「志村けんのバカ殿様」で披露した強烈なボケ役も注目された。挙動不審なサラリーマン、年増の芸者…。志村さんは後に「笑いとかやるには得な顔」と直感的にオファーを出したことを明かしている。

「30代の終わりから40代にかけて呼ばれましたね。志村さんとの仕事が一番怖かったかもしれませんね。あの台本作りは言語を絶するくらいすごかった。何人も(放送)作家さんがいて、それが1人ずつ殺され(ボツにされ)ていく。ほとんど私語はかわしません。おはようございますとお疲れさまだけですね。あとは、ここはこういこうという具合に台本を合わせて本番を待つ。志村さんと僕の間で何かがうまれるだろう、と。だから、本番が恐ろしかった。あるインタビューで読んだんですけど、この仕事をしていなかったら何をしていましたか? と聞かれた志村さんが『そんな根性じゃやってません!』と。そんな風に言えませんよ。普通何か職業をいいますよ。命懸けなんだね。女性は好きだったけど、まず家庭は持てない人ですよ」

プライベートでは渥美清さんにも呼ばれた。

「晩年、笹野高史と3人で年1回か2回会いました。僕が会った人の中では一番カッコ良かった。渥美さんが黙っていれば、こちらも黙っていましたね。あんな方に言葉は掛けられませんから。でも、興が乗ると、昔の芸人さんの話をしてくれるんですよ。悲しい話というか、(寅さんの口調で)あの芸人はな、3畳一間のアパートで押し入れの一升瓶に手を掛けて死んだ…とか。自分は板橋のどぶ板に挟まって死ぬ、なんて言ってましたね」

文字通りの芸能一家。8年前に亡くなった妻の女優、角替和枝さんとの間に3人の子がいる。映画製作に関わる長女かのこさん、長男佑と次男時生は俳優、それぞれの伴侶も女優の安藤サクラとドラマーで女優のほな・いこかだ。

「ウチのおやじとおふくろが家で映画の話しかしないような人で、僕も映画館に通うようになった。ウチの子どもたちにも続いてますね。長女なんて大学のときは(年に)360本ですよ。ウチの映画の本数は(配信等を除いて)映画館でしかカウントしないからね。佑は今でも200本くらい見ているんじゃないかな。(ポルトガルの巨匠)オリヴェイラが好きでね。僕には劇団(東京乾電池)もあるし、(芸能一家になったのも)しょうがないね」