柳には「ついていきたい」と思うだけの人間性がある

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———現在はDeNA主砲へ成長した佐野選手ですが、ここまでの話を聞くと、人望がとても厚い方ですね。

中道 そうです。とても良いやつです。さらにレスポンスが早いんですよね。人間的にも頼りになります。

 僕も少しだけプロにいたので、色んな方から「誰々のサイン、用具をもらって」とお願いされることがあるんです。とても面倒なことですよね。商売道具ですし、彼らも忙しいので、そのたびに断っているんですけど、それでも佐野のサインをどうしても欲しい方がいて、佐野に「大変申し訳無い、頼む」とお願いすると、「ええで」と応じてくれましたね。

———主将でエースだった柳 裕也投手は明大でもリーダーシップを発揮されていますね。

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中道 立派な主将です。僕は4年春に一度だけ怒られたことがあります。僕と佐野が副主将で、柳は投手なので、僕ら2人に「野手のことは見られないので、お前ら頼むわ」とお願いされて、僕と佐野が仕切っていました。ある日のノックで僕がエラーした時、柳から「そんなんじゃダメだろ!」と叱られたんです。絶対ついていこうと思いましたね。同級生になかなか怒ることは難しいですし、気持ち的にしんどいですよね。心を鬼にして叱ってくれた柳についていこうと決めました。4年のとき、明治神宮大会に優勝できたのも柳のキャプテンシーがなければできなかったと思っています。


明治大時代の柳 裕也

———中日でリーダー的存在なのも納得ですよね。

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中道 現在は選手会長をやっていますが、大学時代の柳を知っている僕らからすれば納得です。先日、中日の若手投手と食事にいった時、その投手から「柳さんは人として尊敬しています。柳さんからプロ野球として必要なことを一から十まで教わりました」と語ってくれて、流石だなと思いました。

———投球についてはやはりコントロールが素晴らしかったのでしょうか

中道 コントロールの良さは次元が違いますね。狙ったところにしっかりと投げられました。そして伸びがすごくて、140キロ後半ですっと伸びてくる球質なんです。ワンバウンドかなと思ったら、そのまま伸びて、キャッチャーミットに収まっていました。

 カーブはドロップカーブのような軌道を描きますし、チェンジアップの精度も高い。リードしていて楽しい投手でしたね。構えたところに来ますので。

———仲間にも恵まれた明大での4年間でしたね。

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中道 明治に進んで良かったと思っています。どこにいっても明治OBということで、先輩の方々、関係者の方々にも助けてもらいます。こうして野球を続けられているのも、明治大OBの助けがあります。

 現在も明治大の後輩にも挨拶をもらいますし、縦のつながりはすごいなと実感します。

中道 勝士(なかみち・かつし)

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1994年4月30日生まれ。右投げ左打ち。柏原ボーイズ時代は捕手としてAA代表を経験し、藤浪晋太郎投手とチームメイトだった。智弁学園では1年春からベンチ入りし、1年夏に5番ライトでスタメン出場。その後は強打の捕手として元オリックスの青山大紀投手とバッテリーを組んで、2年夏(11年)の甲子園でベスト8、3年春(12年)にも出場した。明治大では4年間で10試合出場にとどまったが、副将として16年の大学選手権出場、明治神宮大会優勝を経験した。試合出場機会は少なかったが、打撃力を評価され、オリックスから育成5位指名を受ける。入団後に患った厚生労働省指定の難病の潰瘍性大腸炎の影響で2年目で退団。その後、オーストラリアの独立リーグを経て、19年は関西独立リーグの堺シュライクスで一度目の引退。その後は焼肉店を立ち上げたが、持病を考慮し、店長を退き、奈良県の野球教室でコーチをしていた。22年から北東北大学野球連盟のノースアジア大学でヘッドコーチを1年半務めた。コーチ退任後、24年1月に社会人野球に加盟したムラチグループに入社し、野球部の初期メンバーとして一からチームを作り上げた。現在は社業では営業マン、チームでは選手兼任チーフマネージャーとして首脳陣、後輩選手から頼られる存在として活躍した。6月に引退を決断し、ヘッドコーチに就任した。

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