matsunaga

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行儀よくしたくない

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こういうタイプの誤読は授業や読書会でしょっちゅう見かけるな たぶん理屈の筋を追うこと(ひいては自分で理屈を組み立てること)に慣れてないんだと思うけど / 哲学の文章を精確に読むために|青山拓央
学部生を見てると、自分からはちょっと距離のある歴史的・社会的な事柄や抽象的な事柄を考えることがそれ自体で楽しめるタイプの人と、自分の身の回りの事柄に論点を接地させないと楽しめないタイプの人とが別々にいる気がする
だめな社会反映論がどの点でだめになりがちなのかについての私見のスライドを共有しておきます 卒論書くみなさまと卒論指導するみなさま向け
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鈴木『人工知能の哲学入門』はきちんとした哲学者が書いてるからだと思うけど、かゆいところに手が届く感じで、これまでコンピュータやAI関係の入門書でいまいち飲み込めなかったところがすっきりてきぱき整理されていって感激している これは名著というほかない amazon.co.jp/o/ASIN/4326103
必要条件と十分条件がそれぞれどんなはたらきをしているかの図が授業でわりと評判よかったのでツイッターにあげておきます
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手間がかかる応募書類のほうが応募者の誠実さが見えるとかいうどうしようもない発想を「コストリーシグナリング」とかいう概念で「合理的」なものだと擁護するの、合理性のスコープが局所的すぎてやばいのもあるが、端的に徳がいちじるしく低い
「ゲームは芸術かどうか」ではなく「ゲームはどんな芸術なのか」に話題を移すべきでしょう
VRは現実か虚構か境界侵犯か、"virtual"を「仮想」と訳すのは誤訳か、みたいな問いが浮かんでしまう人向けのちょっとした整理用の文章(たいした議論はしてない)
こういうのは苦手なのですが業務連絡として。今日から京都大学文学部メディア文化学専修の専任教員になりました。対象は広い意味での現代文化(ポピュラーカルチャー、インターネットカルチャーからデジタルテクノロジーまで)、アプローチは哲学/歴史学/デジタル人文学がコアになる予定の専修です。
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学問とは前者なのである(少なくとも全員前者からスタートすべきなのである)みたいな謎の限定のせいで後者タイプの人の潜在的な学問的関心がこれまでろくにケアされてこなかったという問題がいわゆる研究大学の学部教育にはありがちなんじゃないかなと思う しらんけど
「表象」の意味がわからんという人の参考になるかもしれないので私見を書いておくと、絵を「表象」と呼ぶタイプの文章を読むときに持っておくべき前提は 1. その場合の「表象」はたいてい絵自体のことを指すが、絵の作用を指すこともある。絵の内容は指さない。 2. 表象はふつう何らかの対象xの表象。
美学とか芸術学の文献に対してずれた読みをしてしまう人はこれが決定的に足りてない印象がある。あと人の美的経験をふむふむと聞いたり美的論争をして食い違いを楽しんだりもろくにしてない印象
すでに偉い哲学者が言ってそうだが、「形式/内容」の対比や「入れ物/中身」の比喩で言いたくなることは突き詰めれば「定項と変項の区別があるよ」くらいのことだと思うし、具体的に何が定項と変項に相当するかは当然ケースや文脈や観点によって変わると思う
ミゲル・シカール『プレイ・マターズ』今日発売なので宣伝しますが、古典的な遊戯論(ホイジンガ、カイヨワなど)から現代のゲームスタディーズへ、という流れに対抗する新しい遊び論の構想を示しているものです。 amazon.co.jp/o/ASIN/4845918
最近はリノベ系の物件をポエムつきで紹介する不動産サイト(多い)をめぐるのが趣味になってますが、物件ファンはもはや実際に住むかどうかを具体的に検討させるという機能を放棄していて純粋に物件の美的良さを伝えるだけのサイトになっており、批評としての純度が高い
受講者が増えすぎたら困るということで情報を出すのを控えてましたが、完全オンラインになったし履修登録も終わったのであらためて宣伝しておきますと、京大のメディア文化学の授業でゲーム業界の面白い方々を毎回ゲストスピーカーとしてお呼びするリレー講義をやっています。ラインナップは画像
永遠に言い続けてるけど、何かの定義を問題にする際には、①外延の確定の話とラベルの割り当ての話を区別する、②定義の成功条件を気にする(記述としての十全性か改訂としての有用性か)の2点がろくにできてないと何も生産しない謎バトル(楽しいことではあるかもしれない)をして終わりになると思う
ゲームとアートを結びつけることでゲームの地位を上げようとする立場に対しても、「芸術」を何か高尚なカテゴリーとしたうえでゲームは娯楽であってそんな価値づけは不要とする立場に対しても、わたくしはアンチです。ふつうに芸術でいいやろ
目次が出てますが、美術手帖8月号の特集「ゲーム×アート」でいろいろ協力しました。大まかにゲーム側視点とアート側視点で分かれている構成だと思いますが、どちらにしろ「アート×ゲーム」的なことを言う際には最初に必ず確認すべき情報の集積になってるんじゃないでしょうか bijutsu.press/books/4484/
定義論をする際の注意点というか、何かの定義を考えるまえにまず定義とは何かを考えたほうがいいでしょうというインタビュー記事です
人に見せるわけではない(なので「芸術」とか「表現」とか呼びづらい)タイプの美的な創造性や感受性の発揮は、「遊び」と呼んでしっくりくるケースがわりと多いのではないかと思う。散歩もそうだけど、ノートの落書きなども典型かもしれない
「客観的」とかもそうだけど、使うのをやめる理由はひとまずわからなくていいからとにかくそれを使うのをやめたほうが思考が健康になるという種類の言葉が世の中にはあるよ
これはその通りで、現代のポピュラーカルチャーを主題にした卒論の大半は実質的には力の入った数万字の考察ブログとほとんど変わらないわけで、同時代的なテキストとして一級の資料になるはずなので、すべて保存・公開したほうがアカデミズムにとってもいいと思う
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増田聡
@smasuda
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大学では毎年大量の卒論が書かれている。その多くは本人と指導教員以外にごくわずかな読者しか持たないまま大学で死蔵されていく。しかし学生が4年間かけて書いた知的成果ですから、オレできるだけ広く読まれるべきやと思うねん。入試問題が新聞に載ってるけどむしろ卒論こそ新聞に載せるべきだと思う
雑誌『広告』最新号に「まじめな遊び、ふざけた遊び」という文章が載っています。互いに正反対の2つの遊び観(ホイジンガとシカール)をもとに、カルチャーのあり方にもその二極とグラデーションがあるのではという話を書きました。最近書いた中では一番お気に入りの文章なので読まれたい
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雑誌『広告』
@kohkoku_jp
雑誌『広告』最新号、本日発売です! 特集は「文化」。 その概念の曖昧さと複雑さを受けとめたうえで、風土や言語、宗教や芸術、伝統や権威、経済や政治など「文化」をとりまく観念や事象をとおして様々な視点を投げかけます。 note.kohkoku.jp/n/n571eb6b1da7e