ハードオフコーポレーションのトップが取材に応じた/編集部撮影
ハードオフコーポレーションのトップが取材に応じた/編集部撮影

全てはひとりの社員の提案から始まった

この強烈な山本氏の父こそ、ハードオフコーポレーションの創業者であり、現会長の山本善政氏だ(以下、善政氏)。そもそもハードオフの店舗は、善政氏の起死回生の策として誕生したのだという。

善政氏が最初に立ち上げたのは、「サウンド北越」という新品オーディオ等を販売する専門店だった。1972年創業の同社は、高度経済成長の恩恵を受けながら、グループ店を含め新潟県内で10店舗を展開するまで成長していく。

ところが、バブル崩壊で売り上げは一気に半減。倒産の危機に直面した際、会社の命運を託したのが、中古品の販売だった。

「サウンド北越は以前から下取りを行なっていて、中古品が倉庫にたまると定期的にガレージセールを実施していました。実際、開催するたびかなり売れていたようです。この成功体験がハードオフの創業につながったと聞いています」

ハードオフ1号店である「新潟紫竹山店」がオープンしたのが1993年。翌年にはフランチャイズ事業を開始し、1999年には100店舗を突破。わずか1年後の2000年には200店舗を超え、同年、当時のジャスダック市場に上場を果たす。一部上場企業(現・プライム市場上場企業)の仲間入りを果たしたのは2005年だ。

社内に張り出されたグループ店舗数(2024年4月22日撮影時点)。1000店舗に達する日も近い/編集部撮影
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ちなみに、ハードオフとブックオフは名前もロゴもそっくりだが、運営元は別会社なので注意したい。創業者同士の深い縁と展開するビジネスの共通点から、あえて似せたのだという。そんな関係性もあって、いまでも新潟県内すべてのブックオフは、ハードオフコーポレーションによるフランチャイズ経営なのだ。

さて話を戻すと、肝心のジャンク品の取り扱いが始まったのは、ハードオフ1号店がオープンしてから1〜2年を過ぎた頃だったという。きっかけは、今もハードオフで働くひとりの社員からの提案だった。

<もしかしたら壊れている商品も売れるんじゃないですか?>

山本氏曰く、当時ジャンクという言葉は秋葉原でこそ使われていたが、一般的には普及していなかったという。この常識はずれの提案に、他の従業員たちも驚きを隠せなかった。

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