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EPOCALC3時間前
3.90
Cornelius Cardewは、言わずと知れた英国現代音楽界の巨匠だ。
John CageやKarlheinz Stockhausenの演奏家としても知られ、特に儒教のテキストを取り入れた声楽曲「大学」が有名だ。
「大学」ではテキストの内容とそれを何回繰り返すかのみが指定され、それ以外はほぼ演奏者に委ねられる。「大学」は音楽未経験者も所属する音楽集団のために書かれており、「上手さとは何か?」「大衆にとっての音楽とは何か?」を追求した前衛音楽家である。
そしてそんな彼が行き着いたのが、民衆のための歌であった。Four Principles in IrlandでCardewは中国の民衆歌、革命歌を研究し、そのエッセンスを自作の曲として披露した。
本作の楽曲には、かつてのCardewのラディカルさはない。柔らかで暖かく、楽しげなピアノ楽曲である。録音にはミスタッチも含まれており、音質も相まって音楽室から聞こえてくる無名の誰かによる即興演奏のようである。
しかしよく聞くと、当時の現代音楽で使われているようなトーンクラスターやSatieの思想を取り入れたと思われる箇所がまま見られる。民衆に寄り添いながらも、自身のルーツでもある現代音楽に向き合った、切実な作品である。
私は、実はこのアルバムは山本精一や戸張大輔などに代表される「うたもの」を先どった作品ではないか、と思っている。あるいは、Velvet Underground "III"の、海もジャンルも隔てた兄弟。
PLAYGROUND acoustic+
The Velvet Underground
アヴァンギャルドが行き着く先にある、優しい音楽である。
Kun16時間前
5.00
このアルバムがリリースされる2年前、横浜市役所の新庁舎が完成した。適度にオープンスペースがあったり、特に水際線の広場は親水性の高い憩いの場となっている。
庁舎は最低限業務が行えるスペースがあれば十分であるがそれでは良い庁舎とは言えない。市民が集まるような空間、適度な余白が必要なのである。
betcover!!の今作は良い庁舎の作り方に近いアルバムの構成をしている。収録されている楽曲はリリース前にライブで披露されていて、私は何度も新曲を聴いていて今回のアルバムは割と激しめになるのかなと思っていた。しかしいざリリースしてみると割と余白を感じられる落ち着いた仕上がりとなっていた。
このアルバムのピークと言えるのは2曲目"超人"である。そして"超人"以外の楽曲はそのピークを越えることはない。越えることは無いものの退屈させることなく何度もプログレやジャズを飲み込んだ独創的な展開を見せる。アルバムトータルとして適度な余白を残しつつ完成させているのである。
このピークを意識した構成は前作『時間』には見られなかった。"二限の窓"終盤の音割れギリギリのテクノサウンドなどそういう突飛なことをせずに、『卵』しっかりと構成で魅せることが出来たのはこの一年で驚異的な成長である。
建築そして都市計画において余白は心地よく過ごすために非常に重要である。優れた造形であったとしても計画範囲ギリギリであるとどうしても居ずらい。大学の教授に散々言われてきた計画範囲を意識させないデザインというのを『卵』を通じて気づくことが出来た。
もう一つ良い庁舎の条件としてあるのは、オープンスペースを市民が自由に使えるということである。オープンスペースの用途を役所で制限しないことで真に居心地の良い空間が生まれる。それはデモをも受け入れるという事であり、相当な覚悟を要する。
betcover!!にはその批判にも耐えようという覚悟があった。その覚悟がよく表れているのが3曲目"壁"の歌い出しだ。「看護婦」という言葉が使われている。「看護師」としなかった、ここに強いこだわりが表れている。このアルバムは全体的にとして70〜80年代の歌謡曲など古き良きアダルティなムードが漂っている。そのムードを守るためには「看護婦」でなければならなかった。この部分からアルバムに対する覚悟を非常に感じられた。
公共的な建築物は何十年も使い続けられるため人々に開かれ、そして強固なものでなければならない。betcover!!20代前半で完成させたこの適度な余白と覚悟をもった『卵』今後何十年も聴き続けられる強いアルバムである。
このアルバムがリリースされた数日後、建築家磯崎新が亡くなられました。彼が丹下健三に対して提示した都庁コンペ案そして他の様々な建築は人々にたいして柔らかく、都市の未来を強い意志を持って見つめていたと思っています。
分野は違えど1人の若者が同じように強い意志を持って作品を作っていること私は嬉しく思います。
Kun4時間前
5.00
2024年はタイミーの年だった。
私の大学3~4年生の収入はほぼタイミーで賄っていた。横浜市のレストランの洗い場を転々とし、最初は誰も知らない厨房で疎外感を感じることもあった。でも徐々に洗い場のスピードが向上していき、感謝されることも増えていった。ランクはMASTER、キャンセル率0%、Good率100%、この称号を誇らしく感じるようになった。そう、タイミーが居場所になっていた。居場所になってしまったのだ。実際はもっとキラキラしたアルバイトや長期インターンを居場所としたかった。タイミーなんかにやりがいを感じたくなかった。でも居場所になってしまった。
このように現代には相席屋、バー、腰掛けのバイト先、陰謀論YouTube、スピリチュアルなど、望んでいないのに落ち着いてしまう所に溢れている。この「不本意な居場所」というのがこのアルバムのテーマだと思う。
でも、最初からキラキラした居場所にいる人もいる。最後の曲『ギフテッド』はそういう人たちに向けた妬み。
Kun4時間前
5.00
MUSICAの2023年ベストアルバム号で、様々なアーティストにアルバムという表現についてどのように考えているかインタビューする企画があった。中でも最も印象的だったのがヤングスキニーのボーカル・かやゆーのこの回答。
「基本的にできた曲順に入れ込んでいるので、個人的にはアルバムというものをそこまで、重要視していません。」
MUSICA2024年1月号より引用
ここまでいくと清々しく、カッコ良さまで覚えた。実際、若いアーティストにとってはアルバムというのはこのくらいの重要度しかないのだろう。
そんな中、有田咲花のこのアルバムを聴いた時に真逆の印象を受けた。サウンドテクスチャーや曲順、曲の繋ぎまで練られているように感じられた。曲それぞれのクオリティも高いが、アルバム全体に統一感があり、アルバムという表現を大切にしているのだなと嬉しく思った。
しかし、そんな考えは一変される。
なんと、有田咲花は楽曲制作を全てiPhone Xのみで完結させているそう。ギターアンプの前にiPhoneを置いたり、ボーカルもiPhoneのマイクにティッシュを挟んだりして録音しているとのこと。
しかも、作り始めたら、曲の完成からSoundCloudへのアップロードまでその日のうちに終わらせるそう。そしてこのアルバムも曲が溜まってきたから制作したそうで、だいたいできた順とのこと……
できた順なのにも関わらず、アルバムに流れができていたのは、一日で一つの曲を完成させており、時間軸そのものが生活と地続きで自然と流れが生まれていた。サウンドに統一感があったのはiPhoneで全て完結させていたから……
日記の延長のようなスタイルが結果的にアルバムとして完成してしまっている。令和の四畳半フォーク、あまりにも現代的で自然発生的な傑作。ありえない
今の日本のアーティストで有田咲花とvqはわかりやすく頭一つ抜けてる天才だ。ギター1本からiPhone1台へ、iPhoneネイティブによる新時代。
Ikazo9時間前
4.50
欧米の2010s以降のポピュラー音楽、とりわけインディー音楽においては、コードやメロディーなどの"何を鳴らすか"ということ以上に、それを"どう鳴らすか"という音響的、サウンドデザイン的側面が重要視されてきた。その潮流を決定づけたのがフランク・オーシャンの『Blonde』であっただろうし、最近のインディー音楽において外すことのできないディジョン・マッギーもその価値観の上にいるアーティストであろう。
一方で日本においては、メジャー、インディー共に依然としてバンドサウンドが根強い人気を誇っていることからもこの潮流を直接受け入れたかと言えば、疑問が残る。ある意味では、この音響的価値観を日本のインディーアーティストたちがバンドという形体を残しながら取り入れたのが、近年話題になる"下北のシューゲイザー的、また一方ではエモ的バンド"であるともいえるわけだが、水いらず『水を捨てよ、内へ還ろう』は見事にこの潮流を日本語の語感の中に落とし込んだ。
すずめのティアーズや民謡クルセイダーズ、折坂悠太や俚謡山脈など、戦後の日本のポピュラー音楽において埋もれた民謡を今一度掘り起こし、現代的なサウンドで甦らせるアーティスト達はこれまでも存在してきたが、彼らもまたその日本語的側面に注目が集まったともいえる。しかし、その鳴らし方そのものは非常に2025年的であり、日本のバンドにおいてここまでバンドサウンドに執着せず、どう鳴らすかというサウンドの面に向き合っている作品は稀有であるともいえる。
ディジョン的音楽作品を今一度作ったところで、それはただの二番煎じに過ぎないであろう。しかしこの作品では完全に"日本のバンド"が作り上げた新しいサウンドが鳴っているといえる。2025年を代表する名盤。