小学館「マンガワン」問題 性加害を許さない空気を 山内マリコ寄稿
Re:Ron連載「永遠の生徒 山内マリコ」第12回【エッセー編】
これを書いている今、私のXのタイムラインは、小学館のマンガ配信アプリ「マンガワン」関連の話題でもちきりである。事の発端は2月20日、札幌地裁で出た判決だった。北海道内の私立高校にて、元教員の50代の男性が、当時高校1年生だった少女を「グルーミング」して性加害をくり返していた事件。生徒だった女性が学校側に損害賠償を求め、請求の一部が認められて、札幌地裁が元教員に1100万円の支払いを命じたというものだった。
世の中には性加害のニュースがごまんとある。ここ数年だけでも、大阪地検トップの検事正による部下の女性への性暴力事件や、四国にある天台宗の寺の住職が長年にわたって尼僧に性暴力をくり返していた事件、12歳のタイ人少女が日本で性的サービスをさせられていた事件など、厳罰に処されて当然と思うひどい事件が次から次に報道される。
そんななか冒頭の札幌地裁の判決は当初、それほど注目されていたわけではなかった。2月20日に朝日新聞が配信した記事を見ると、「グルーミング」の悪質さを判決で認めた部分にポイントが置かれている。
グルーミングとは、加害者が児童や生徒と信頼関係を築き、手なずけたところで、目的である性的関係を強要する卑怯(ひきょう)な手段。子どもにこれを見破ることは極めて難しい。甘美な恋愛と思い込んでいた当事者が、何十年経ってからあれは被害だったと気づくケースもある。今年12月に「こども性暴力防止法」が施行されると、過去に性犯罪で有罪判決を受けた者は子どもと関わる仕事に就けなくなる。同様の制度がアメリカやイギリスで導入されたのが30~20年前のことだから、「失われた30年」は経済の話だけではないのだなとつくづく思う。
朝日新聞の記事は自粛したのかもしれないが、同様の判決を報じた弁護士ドットコムニュースでは、性加害の実態について、もう少し踏み込んだ、生々しい、不快な描写があった。被告の特殊な性癖に、少女の尊厳が激しく傷つけられたことが見て取れる、吐き気をもよおす内容だった。
性暴力や性加害といった字面から、どういう行為を想起するかは人それぞれだろう。もしかすると男性のなかには、女性側の「同意」の線引き次第で、性行為が「和姦」にも「強姦」にもなることに理不尽さを感じている人もいるかもしれない。ちなみにこの被告の男性も、これだけ非人道的なことをしておきながら、「合意に基づく交際関係の中でおこなわれたもので違法性はないと反論」したという。交際していれば相手になにをしてもいいと思っているのかとそれはそれで怖くなる発言だが、ともかく、普通の感覚の持ち主がこの被害のディテールを読めば、サーッと血の気が引いて、性欲どころか食欲も失せて、性暴力がどれだけ厳しく取り締まってもやり過ぎるというものではないと納得するのではないか。というかそもそも、これだけ非道な性犯罪が、拘禁刑を受けるわけでなく罰金刑で済んでいることが解せない。
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2024年7月、日本人男性がシンガポールで大学生を「残忍かつ残酷に」レイプした事件で、同地の裁判所はこの被告に、禁錮17年6カ月とむち打ち刑20回を言い渡した。むち打ちという身体刑もさることながら、17年超もの禁錮刑がくだされている点も、日本とはずいぶん量刑が違う。この判決が出たあと在シンガポール日本国大使館は、「海外安全対策情報」の中にこんな文章を掲載した。
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○痴漢、盗撮を含む性犯罪について
当地では、痴漢や盗撮を含む性犯罪に対する刑罰が非常に重く、パスポートを取り上げられ、拘束されたうえで刑事裁判となり、実刑を受ける可能性がありますので、これらの行為、或いはその疑念をいだかれるような行為は絶対に行わないように注意してください。当地では、性犯罪については初犯であっても実刑に処されることがあります。また、性犯罪は懲役、罰金のほかにむち打ち刑の対象で外国人であってもむち打ち刑に処される可能性があります。
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これってつまり、「日本では痴漢や盗撮といった性犯罪は刑罰が非常に軽く、拘束もされず刑事裁判になることもなく、実刑を受ける可能性は極めて低いです。だから、痴漢や盗撮といった行為はとてもカジュアルに行われています。しかも初犯だと不起訴になることが多いです。日本にいるつもりで性犯罪をやったら大変なことになるので気をつけてください」……ということ? なんだか、日本における日本人男性のデフォルトのふるまいを裏書きしているような気がするのだが、うがちすぎだろうか。
いや実際、そうなんだろう。
日本では性犯罪の不起訴率がとても高い。警察に逮捕されても、証拠不十分などで野放しになるケースは無数にある。それに味を占めてくり返している常習犯は多そうだ。
それにたとえ起訴されて刑事裁判で争えたとしても、性犯罪の判決には耳を疑うものが度々ある。例えば2022年に滋賀医大生らが集団で、女子大学生を脅迫しながら代わる代わる性的暴行を加え、その様子をスマホで撮影したとして起訴された事件。一審の大津地裁では被告それぞれに懲役2年6カ月~5年の実刑判決が出ていたが、2024年に大阪高裁の飯島健太郎裁判長は「女性に同意があった疑いを払拭(ふっしょく)できない」として逆転無罪を言い渡したことが波紋を呼んだ。被害者の証言を信じず、加害者に過剰に同情する姿勢に、正義とはいったい……と思わず天を仰ぐ判決だった。
また昨年、当時12歳の女子児童が登校中に、後をつけてきた男に殺すと脅され性的暴行を加えられた事件もあった。当時20歳の男に対し福岡地裁の今泉裕登裁判長は、懲役6年6カ月の判決を言い渡した。2023年に改正された不同意性交罪の法定刑は5年以上の有期拘禁刑だが、被害者は未成年者、それも小学生だ。素人目にも、もっと厳罰に処するのが妥当に思える。ここでも裁判長は、「若年で前科前歴が全くなく、不同意性交の犯行については罪を認めて、被害女児に対する謝罪の言葉を述べている」ことを加味している。本来なら加害者を糾弾し、被害者に優しくするのが人道的な態度だと思うのだが。男性の性犯罪者をかばう裏のネットワークが日本にはあるのかと、陰謀論みたいなことまで思い浮かべてしまった。
この原稿を書いている途中でも、こんなニュースが流れてきた。知人女性に対する不同意性交罪に問われていた復興ボランティア団体代表の50代の男性。懲役6年の求刑に対し、前橋地裁の高橋正幸裁判長は無罪判決を言い渡した。その理由が、「当時25歳で相応の社会人経験を積んでいた女性において、いくら復興活動の点で尊敬していた被告人を信頼していたとはいえ、本件客室で2人きりで飲み直しても性的行為をされるとは全く予想していなかったというのは、不自然さを否めない」というもの。ここまでくるともう明白に、日本の司法における女性蔑視的、女性差別的な病理を感じてしまう。正義はないです。
ためしにChatGPTに、もしシンガポールで冒頭の判決、「元教員の男性」の犯した罪が裁かれる場合、どんな量刑になるか予想してもらったところ、「懲役15~20年以上+むち打ち刑(12~24回)という、桁違いに重い処罰が科される可能性が高い」と出た。しかし日本では、刑法改正前だったこともあり、そもそも刑事事件として起訴することすらかなわなかった。苦肉の策として児童ポルノ禁止法で逮捕、さらに被害者が自力で民事訴訟を起こしている。未開の地なのかと見まごう非人道的な状況が、日本の実情としてある。
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とまれ札幌地裁の判決は、世間にあまたある性加害の一つとして、タイムラインを流れていきそうだった。急展開を迎えたのは4日後。「元教員の男性」と表記されていた被告が、某漫画家であるというリーク投稿があり、そこから一気に内部事情がつまびらかになった。
この某漫画家が作品を掲載していたのが、小学館のマンガ配信アプリ「マンガワン」。小学館による経緯説明や関係者のSNSなどによると、2020年に作者が児童ポルノ禁止法違反容疑で逮捕・略式起訴されたことを受けて、彼の連載は中止されていた。ところが、2022年からペンネームを変える形で「マンガワン」に復帰、漫画原作者として新たな連載に関わっていた。作画担当の方はこの事情を知らされていなかったというから、編集者が相当悪質な手引きをしたように思える。しかもこの編集者、被害者との示談交渉にも加わっていたという。裁判所だけでなく、企業組織の中で関わる人もまた、徹底的に加害者に甘くて優しい。もう本当に、正義なんてどこにもないです。
小学館はこの件で対応を迫られているが、フジテレビ問題のその後を思うと、私は暗澹(あんたん)となる。あれだけ第三者委員会が「魂の報告書」を仕上げても、それに真正面から向き合って社会を変えようという意識は乏しく、1年経った今、スポンサーもほぼ元通りに入り、うやむやになっているように見える。そしてまたこんなことが起こった。
前回対談したライターの古賀史健さんの著書『集団浅慮』には、フジテレビ上層部が性加害の報告を受けて、「テラスハウス」で自死者が出た一件を想起し頭を抱えていた様子が記されている。同様に小学館も、ドラマ化された「セクシー田中さん」の原作者が自死に至った件での対応が疑問視されていた。どちらもSNSでの誹謗(ひぼう)中傷が矢面に立つ女性を追い詰めた形であるが、企業側に彼女たちを守る体制が皆無だったことが明らかになったあとも、改善されなかったようだ。
かくして3月初週の今、なにが起きているかというと、小学館のマンガ配信アプリ「マンガワン」で作品を配信していた漫画家さんたちが、この件への抗議として、自分の作品を取り下げる動きが広がっているのだ。作者が作品を引き下げるということは、なににも勝るアクションであり、無言のステートメントである。
当事者でもないのになぜそんなことを?と思う人もいるかもしれない。性加害などのハラスメントが起こった際、見て見ぬふりを決め込む「傍観者(バイスタンダー)」にならず積極的に介入して被害を防止し、事態の悪化を防ぐ概念/方法を「アクティブバイスタンダー」という。その場に居合わせたわけではなくても、起こった問題に対して第三者が声をあげることはとても大事なのだ。被害者には「あなたの味方だよ」という励ましになり、社会には「こんなにも怒っている人がいるんだ」というメッセージになる。日本漫画家協会も「業界の信頼に関わる重要な問題であると認識しています。本件は漫画界全体に関わる課題です」との声明を出している。
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アメリカをはじめ諸外国では昨年末からずっと、「エプスタイン文書」にまつわるニュースで大騒動になっている。アメリカの投資家で大富豪だったジェフリー・エプスタインが、長年にわたり未成年少女を対象とした人身売買・性搾取のネットワークを構築していた件。捜査資料が段階的に公開されるや、各国の政治家や王族といったセレブリティーの関与が発覚し、大変な騒ぎになっている。
その大騒ぎぶりを垣間見て思ったのが、日本のメディアも昔は、一つの問題に対し、こういう騒ぎ方をしていたよなぁということだ。私が記憶しているものだと、1990年前後に顕在化した統一教会の霊感商法の問題。それから1995年は地下鉄サリン事件から、オウム真理教の問題が連日連夜、ものすごい熱量で報道されていた。VTRも出演者も、全体のトーンはメラメラと怒りを帯びており、正義を追求しようという目的意識があったように思う。
報道だけでなく「議論」も、メディアの中にあった。この時代、男性が未成年である女子高生を買春する行為が「援助交際」という呼び名で広まり、社会問題化していた。女子高生側が主体的にやっていることだとし、それを是とするか非とするかといった議論がメディアでやたら交わされていた。あの騒ぎ方は正しかったのだなと、今になって思う。現代でも「パパ活」という、よりカジュアルな名前で同様の行為は行われているが、もはやそこに疑問は投げかけられていないように見える。一事が万事この調子なので、イスラエルとアメリカによるイランへの爆撃すら、さらーっと流れてゆく。湾岸戦争や9.11テロのときとはえらい違いだ。震災だってそう。能登半島地震の際に、あっという間にメディアが正月特番に戻ったのには驚いた。
フジテレビ問題が起きたとき、もっともっと、世間は大騒ぎして、メディアは連日連夜ぶち抜きでこの問題を取り上げて、これがいかにヤバいことか、あらゆる角度から検証し、議論を尽くし、徹底して再発を防止させるにはどうすればいいか、「もうたくさん!」と全員が音を上げるまで、やるべきだった。忘れた頃に、「みなさん忘れていませんか?」と、蛇のようなしつこさで取り上げるべきだった。そうやって、性加害を許さないという社会的な空気を醸成すべきだった。この判決はおかしいですよねと議論すべきだった。あらゆるニュースメディア、YouTube、SNSが。
二度あることは三度ある。ことわざの通りなら、フジテレビと小学館はどうか、三度目の覚悟を。
やまうち・まりこ 1980年、富山県生まれ。大阪芸術大学映像学科卒業。2012年、『ここは退屈迎えに来て』でデビュー。著書に『あのこは貴族』『選んだ孤独はよい孤独』『一心同体だった』『すべてのことはメッセージ 小説ユーミン』『マリリン・トールド・ミー』『逃亡するガール』など。共著に『地方女子たちの選択』『世界は団地でできている』。最新刊は『きもの、どう着てる? 私の「スタイル」探訪記』。
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- 【視点】
教師と生徒の関係は、『高校教師』をはじめ、文学やドラマで、長く「禁断の恋」というモチーフとして描かれてきました。しかし、そもそも「禁断の恋」と呼ぶこと自体に違和感があります。恋愛という言葉には、互いに選び合う対等な関係というニュアンスが含まれます。しかし、実際には、教師は評価権や指導権を持つ立場にあり、生徒との関係には明確な権力差があります。 だからこそ、今回の記事で触れられている「グルーミング」という概念は、日本社会にとって重要な視点だと感じました。信頼関係や憧れといった感情が、権力関係の中で利用される可能性があることを示しているからです。 同時に考えたいのは、なぜ日本では「年上男性と年齢の離れた若い女性」の関係が、しばしばロマンチックな物語として受け取られてきたのかという点です。多くの作品でこの構図が美化されてきた一方、逆に年上の女性と年下の男子生徒の関係になると、社会の反応は急に「逸脱」や「気持ち悪い」といったものになりがちです。この非対称性は、日本社会におけるジェンダー観や年齢ヒエラルキーの価値観と無関係ではないように思います。 もちろんフィクションは自由であり、さまざまな関係性を描くこと自体は否定されるべきではありません。しかし、権力勾配のある関係を「禁断の恋」としてロマン化する文化が長く存在してきたことは、現実の性加害やグルーミングをどう理解するかという問題ともどこかでつながっているのではないでしょうか。個別の事件や企業対応の是非だけでなく、そうした文化的背景についても考えることが必要では、と感じます。
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こちらの寄稿を、心情としては共感しつつ、他方で司法の世界の複雑さにも悩みながら読ませていただきました。 私は性犯罪に関しては被害者側の弁護専門なのですが、その中では被害者の同意を巡って、理不尽と思える無罪判決にも実際に直面してきました。 被害者は現に苦しんでいるのに、「なぜこれが無罪になるのか」と、裁判官の感覚のズレに対して暗澹たる思いに至ったこともありました。 他方で、刑事法の領域では実体法上も手続法上も、容易には有罪にできない制度が組み上がっています。 これは歴史的な経緯から、冤罪の防止が非常に強く要請されてきたためです。 江戸時代のお白州の如く、こいつは悪いやつだというだけでは有罪にはできないのです。 そして制度上はそうであっても、実態としてはほとんど「推定有罪」と言われても仕方がない状況にあるのが日本の刑事裁判です。 起訴された刑事事件の99.9%近くは有罪判決が下されます。 この理由は二つ考えられるでしょう。 一つは、検察官が確実に有罪判決が取れそうな事件に絞って起訴していること。 もう一つは、裁判官の感覚が被告人を有罪とする 方向に偏っていること。 …そういう状況を背景にして、昨今の無罪判決が出ているという複雑さがあります。 とりわけ性犯罪の場合、傷害や殺人とは異なり、同意の有無という主観的な要素が争点になりやすいという問題もあります。 おそらく多くの人は、昨今の性犯罪の無罪判決について、司法に対する疑問や不信、そして怒りを抱いたかと思います。 その率直な心情は分かります。 だからこそ、そこからもう一歩踏み込んで、刑事司法の仕組みや実情についての議論が必要だとも、あるいは弁護士として問題の複雑さをどう解きほぐせば良いのだろうかとも、私は悩み続けています。
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