【谷繁元信さん殿堂入り】横浜Vのため巨人・長嶋監督の誘い断る 97年FA取得、サシで“極秘交渉”【番記者メモ】
2024年1月19日 05時00分
1997年。当時、横浜(現DeNA)の正捕手だった谷繁は初めてFA権を取得した。96年に初の打率3割をマーク。97年は初の2桁本塁打(13本)にも届き、攻守で6年連続Bクラスからの2位躍進に貢献した。その谷繁を補強の目玉としてリストアップしたのが、正捕手が不在だった長嶋巨人。水面下でFA獲得に向け、調査を続けていた。
去就が注目されたそのオフ。谷繁はある日、東京都内の高級ホテルに車を走らせた。到着後、人目を避けるようにエレベーターに乗り、伝えられていた部屋番号に向かう。そこで待っていたのが長嶋監督だ。当時、報じられることはなかったが、サシで“極秘交渉”に臨んでいた。
「あの長嶋さんだからね。そりゃ、すごく緊張したよ」。独特の甲高い声で覇権奪回のため力を貸してくれ…、と熱く口説かれた。横浜の4年契約に対し、巨人は5年契約。年俸の差はほぼ1億円で待遇面の差は火を見るより明らか。落合博満、広沢克己、清原和博、江藤智、工藤公康…。93年のFA導入以降、ミスターの熱意と巨人の好待遇で他球団のビッグネームは次々と盟主のユニホームに袖を通した。
ただ、谷繁が出した答えは「残留」。長嶋監督へ丁重にお断りの旨を伝えた。谷繁は後日、その時の心境をこう明かしてくれた。
「きれいごとと言われるかもしれないけど、少しずつ成長してきた仲間と一緒にリーグ優勝を勝ち取りたかった。97年は野村(克也監督が率いる)ヤクルトと優勝争いをして2位で悔しさも経験したけど、次のシーズンは勝てる…、という感触もあった。長嶋さんに誘われたのは名誉だし、心底うれしかったけど、ブレることはなかった」
その翌98年、横浜は38年ぶり2度目のリーグ優勝、そして西武を破り日本一も達成。谷繁は扇の要として奮闘し、長嶋巨人の誘いを断った選択が間違いではなかったことを証明した。=敬称略
(報道部長・伊藤哲也=2001、02年横浜担当、13、14年中日担当)
関連キーワード
おすすめ情報