【槍弓】せいてん の へきれき !
槍が好きだったという記憶を引き継いだままカルデアに召喚されて悩む弓と、そんな弓に絡む槍の話。
・カルデア時空
・みんな女々しい
短い話なので、細かいことは気にせず、気軽に読んでもらえると嬉しいです。
利休ちゃん、不穏でかわいい。
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どうして、あんな男を好きになってしまったのだろう。
夕食の時間が終わり、喧騒が去ったキッチンで鍋を洗いながら、エミヤはぼんやりと考える。
たしかに顔は良い。それは認めよう。武芸の腕も文句のつけようはない。
現代にも名が残るほどの英雄でありながら、誰とでも気安く話せる懐の深さも、そのくせ敵に回れば一切容赦をしない冷徹さも嫌いではない。
だけど、男には決して褒められない部分だってある。
例えば、伴侶がいながら、他の女性に手を出すこととか。
エミヤが育った国は一夫一妻制で、浮気や不倫は後ろ指を指される行為であり、してはいけないものだった。
もちろん、同じ国の人間でも、結婚しているにも関わらず、他の女性と関係を持つ男がいないわけではないが、エミヤはそれらの行為は恥ずべきものであり、愛する者を裏切る行為だと思っている。
そもそも恋人や伴侶がいるのに、どうして他の相手に手を出すのか。
それによって相手が傷付くとは思わないのだろうか。
エミヤには、よくわからない。
「アーチャー?どうしたんだ?」
声をかけられ、エミヤは顔を上げる。
キッチンカウンターの向こうには、不思議そうにこちらを見ている、ランサーのクー・フーリンがいた。
「いや、なんでもない」
エミヤはそっけなく答えて、作業に戻る。
君のことを考えたなど、口が裂けても言えるわけがなかった。
*
まずいことになってしまったな、とエミヤは思った。
それは、エミヤが今作っている朝食用のオムレツのことではなく、自身の腹の内で暴れ回る、とある男への想いのことだった。
焼き上がった一人分のオムレツを皿に盛り、新たな卵をボウルに割りながら、エミヤはこっそりと小さく息を吐く。
まさか前の召喚の記憶がここまで残っているとは。
カルデアに召喚されたエミヤは、過去の召喚の断片的な記憶を持っていた。
それがカルデアの特殊な召喚のせいであったのか、前のエミヤの何らかの思いが作用したのかはわからない。
とにかく、それが原因で、エミヤは過去の自分が抱えていたランサーのクー・フーリンへの想いまで引き継いでしまっていた。
なぜ前の自分は、次の召喚に引きずるほど厄介なものを持ってしまったのか。
突如それを押し付けられた形となったエミヤは、ひどく戸惑った。
たしかに惚れるに値する相手であるとは思う。それは認めよう。
でも、だからといって、あれは軽々しく手を出していい相手ではない。
あれに惚れたら大変なことになるのは、あの男の伝記でわかっているはずだ。目を覚ませ、と、エミヤは何度も自分に言い聞かせた。
だが、いくら男の駄目なところを挙げ連ねたところで、芽吹いてしまったあの男への想いは簡単になくなってくれるはずもなく。
それでもエミヤは諦めきれずに、今日も男の悪いところを考えていた。
そもそも、恋人がいるのに他の者に手を出すなど最低だ。
もしエミヤの知り合いがそんな相手に惚れたと言ったら、エミヤは何としてでもその知り合いの目を覚まそうとするだろう。
だいたい、恋人がいながら、他の相手に手を出すとはどういうことだ。
好き、という感情は、本来、ただ一人に向けられるべきものではないのか。
恋人がいる時に、魅力的な女性に出会ってしまい、そちらに恋に落ちてしまった、というならエミヤにもわかる。
その場合は、悲しいけれど事情を話して恋人と別れ、そちらの女性と新たに関係を築けばいいのだ。なぜ同時進行で事を進めようとするのだ。
苛々しながら卵を混ぜていると、不意にキッチンカウンターの向こうから声をかけられた。
「おい、アーチャー。朝からそんな顰めっ面してんじゃねぇよ」
その言葉で、無意識に眉間に皺がよっていたことに気付く。
見ると、そこにはエミヤの頭を悩ませている男が立っていた。
エミヤは動揺が表に出ないよう、ぎゅっと顔に力を入れる。
「……もともとこんな顔だ。で、何の用だ?注文だったら、今はブーディカのいるカウンターで受け付けている」
「別に。朝から辛気臭い顔してる奴がいるから気になっただけだ」
じゃあな、と男は手をひらひらと振って、エミヤの前を通り過ぎていった。
絹糸のような青い髪が、まるで尾のように、少し遅れてその背についていく。
何も知らずに優雅に揺れるその髪を、エミヤは思いっきり引っ張ってやりたいと思った。
*
こんなことを考えても、何にもならない。
レイシフトを終え、手に入った素材を倉庫に片付けながら、エミヤは思う。
いくらあの男の悪いところを頭の中で挙げ連ね、頭の中で罵ろうとも、エミヤの恋心が消える気配はない。
藁にも縋る思いで、パラケルススに、特定の記憶をなくせる薬はないかと聞いたこともある。
だが、そんな都合のいいものはなく、カルデアに召喚されてからの記憶全部ならすぐに消せると言われ、断念せざるをえなかった。
こんな私情で記憶を全て失くして、マスター達に迷惑をかけるわけにはいかない。
だけど、そんな薬に頼ろうとするほど、エミヤはあの男への想いを消したかった。
何せ今、エミヤは気付くとあの男のことを考えてしまうのだ。
何とかしたいと思わない方がおかしい。
それに。
いくらエミヤがあの男を想い、頭を悩ませたところで、この想いが叶うはずがない。
だから、一刻も早く、捨ててしまいたかった。
「まーだ、なんか考えてんのか?」
突然聞こえてきた声に、エミヤは驚いて振り向いた。
そこには、倉庫の入り口に寄りかかるようにして立っているランサーがいた。
「……何の用だ?」
何気ない仕草がいちいち絵になるところも癪に障る。
舌打ちしそうになるのを堪えながら尋ねると、男は手に持っていたものをエミヤに見せた。
「これが廊下に落ちてたから、届けにきただけだ」
その手にあったのは、見慣れた橙色の羽根だ。
もしかしたら、エミヤが運んでいる時に落としてしまったものかもしれない。
くだらないミスをしてしまった。
これがなければ、こうして男と2人きりになることはなかったのに、とエミヤは数分前の自分を罵った。
エミヤは召喚されてから、必要以上に男と接触しないようにしていた。
ただでさえ好意があるのだ。変に親しくして気持ちが燃え上がっても困るし、何より男が視界に入るたび、みっともなく動揺してしまう自分を自覚するのが嫌だった。
「そうだったか。手間をかけた。では、それは私が片付けておこう」
いつも通りの表情を念入りに顔に貼り付け、エミヤは男に近付き、持っている羽根に手を伸ばした。
だが、羽根に指が触れる直前、男はエミヤの指を避けるように後ろに下がった。
その行動に驚いたエミヤは、思わず男の顔を見た。
男は、どこか不機嫌そうだった。
眉間には皺が刻まれ、その顔にいつもの気のいい笑みはない。
戦いの時には煌々と輝く赤い瞳が、何かを探るようにエミヤを見ていた。
「で、何をそんなに考えてるんだ?アーチャー」
男が、羽根をゆらゆらと揺らしながら聞いてくる。
答えるまで渡さない、ということなのだろうか。
その意図のわからない態度に、エミヤは苛立ちを隠さずに男を睨む。
「くだらない問答に付き合っている暇はないのだが」
「いいじゃねぇか、ただの世間話だ」
「だとしても、わざわざアルスターの英雄に聞いてもらうほどの話ではない」
「だったら、尚更隠す必要もねぇだろ」
それは確かにそうなのだが。
全く引く気のない男に、エミヤは言い返すのもだんだん面倒になってきた。
もしかして、エミヤが過剰に隠そうとするから、男は何かあるのかと躍起になって暴こうとするのかもしれない。
だったら、なんでもいいから適当に言ってしまおう。きっとその方が、早くこの場から解放される。
エミヤは渋々口を開いた。
「別に。本命がいるにも関わらず、他の相手を口説くのはどんな心境なのかと思っただけだ」
「はあ?」
エミヤの思わぬ答えに、男は眉をひそめた。
「なんだそれ。いい女がいたら口説くもんだろうが」
だろうな。
予想通りの答えに、思わずエミヤは鼻で笑ってしまった。
その態度が癇に障ったのか、男が不満そうに口を尖らせる。
「テメェだって、よくカルデアのスタッフを口説いてるじゃねぇか。その爪の色は柔らかな雰囲気の君には似合っている、とかなんとか言って」
「口説いてなどいない。ただファッションを褒めただけだ」
「はー、これだから無自覚は」
男は、やだやだと言いながら顔を歪めた。
その態度に、今度はエミヤがムッとする。
この男にだけは言われたくなかった。
確かにエミヤは爪を綺麗に塗っていたスタッフを褒めはしたけれど、そもそもエミヤに特定の恋人はいない。だったら、エミヤが誰を褒めようとも自由のはずだ。
妻がいるにもかかわらず、他の相手に手を出すような男と一緒にされたくない。
腹が立ったエミヤは、何やら言ってくる男の横を素早く通り抜け、倉庫から出た。
そして追ってこようとした男の鼻先に叩きつけるように、乱暴に倉庫の扉を閉めてやった。
何なんだ、一体。
エミヤは苛々しながら、廊下を大股で歩く。
こんなどうでもいいことで、いちいち絡んできてほしくなかった。
エミヤが、自分の想いが、万が一にもカルデアの生活に悪影響を及ぼさないよう、どれだけ気にしながら過ごしていると思っているのだ。
だから、男と必要以上に接触しないようにしているし、一刻も早く、この想いを無くそうと努めている。
それなのにそっちから近付かれては、エミヤとしてはたまったものではない。
もちろん、男はエミヤの様子がおかしいと思ったから、ああしてわざわざ声をかけてきたのだろう。それはわかっている。
エミヤだって、いつもと様子が違うサーヴァントがいれば、男と同じことをする。話を聞いて、何があったのかを探ろうとするだろう。
頭ではちゃんとわかっているのに、今のエミヤは、男がこちらを気にするような態度を取ることすら許せなかった。
だって、あの男に話しかけられれば、どうしてもエミヤは嬉しいと思ってしまう。
いくらエミヤが必死に気持ちを押し込めようとしても、あの男がエミヤの名を呼ぶだけで想いは簡単に膨れ、どうしようもなく好きだということを思い知らされてしまうのだ。
廊下を歩きながら、エミヤはぎり、と歯を噛み締める。
それもこれも、エミヤが男に異変を嗅ぎ取らせるような態度をとっていたのがいけなかったのだ。
気を付けていたつもりだったが足りていなかった。もっと気を引き締めなければ。
万が一、マスター達にも勘付かれ、彼女達に気を遣わせるようなことになってしまったら、それこそエミヤは申し訳なさで消えたくなる。
歩きながら、エミヤはちらりと後ろに目をやる。
そこには誰もいない廊下が続いているだけで、誰かがエミヤを追ってくる気配はない。
その時、胸に浮かんだ思いを振り払うかのように、エミヤはさらに歩くスピードを上げた。
*
この想いは、一体いつになったら消えてくれるのだろう。
夜のキッチン。
スープがくつくつと煮込まれる音を聞きながら、エミヤはぼんやりと思う。
その手にあるのはスタッフの夜食用のおにぎりだ。
今日は夜通し作業があるらしいので、何か差し入れをしようと、エミヤはひとり、キッチンでおにぎりを握っていた。
倉庫で男に問われてから、エミヤは人前で考え込む素振りをみせないよう気を付けてきた。
だが、その反動か、こうしてひとりになった時、不意に男のことを考えてしまう。
そもそも、一体自分はいつまで、あの男のことを好きでいるのだろう。
どう考えても脈はない。エミヤがものすごく頑張れば、体の関係くらいにはなれるかもしれないが、人理が燃えて大変な今、そんなことに時間を割くつもりはない。
だから、こんな感情は持っていても無駄だ。さっさと捨ててしまった方がいい。
そうわかっているはずなのに、当の本人がすぐ近くにいるせいか、なかなかこの熱は冷めてくれない。
どうしたものか。
そんなことを思いながら、出来上がったおにぎりを皿に乗せる。
皿の上には、すでに握られたおにぎり達がいくつか並べられていた。
中の具も楽しめるように色々なものを入れた。
梅や昆布、鮭にツナマヨ。これを食べた時のスタッフの顔を想像し、エミヤの唇がわずかに綻んだ。
「お、なんか作ってんのか?」
食堂の入り口から響いてきた声に、エミヤの体が強張る。
顔を上げると、エミヤの頭を悩ませ続けている男が、こちらに近付いてくるところだった。
食堂の鍵を閉めておけばよかった、とエミヤは心底後悔した。
「うまそうだな。スタッフに差し入れか?」
そんなエミヤの心情など知らず、男はのんきにエミヤの手元を見下ろしてくる。
「ああ、今日は夜通し作業があるらしくてな」
動揺を押し殺し、エミヤは平坦な口調で答える。
「ところで、君は酒のつまみでもねだりに来たのか?」
「いや、そういうわけじゃない」
「……じゃあ、何の用だ?」
エミヤが疑わしげな視線を向けると、男は、なんだよ、と不満そうに声を漏らした。
「ここはお前だけのもんじゃねぇだろ。夜にオレが来てもいいじゃねぇか」
「それはそうだが……。もしかしてキッチンを使いたいのか?それならすぐに場所を空けよう」
「そうじゃねぇよ。あー、前の話の続きだ。本命がいるのに他の奴を口説くって話。なんでお前がそんなことを気にしてるんだ?」
そう言われて、少し前の倉庫での男との会話を思い出す。
なぜ、よりにもよってその話を掘り返すのだ。あの話はあそこで終わったのではないのか。
エミヤは舌打ちしたい気持ちになった。
「君には関係ないだろう」
そっけなくエミヤは返す。
変なことを口走る前に、エミヤは男との会話を打ち切りたかった。
だが、向こうに引く気はないらしく、エミヤがいくら話をはぐらかしても、出て行くように言っても、もっともらしい理由をつけて、そこから動こうとしない。
この話題の何がそんなに気になるのか、エミヤにはわからない。
ただ、スタッフへの差し入れが完成するまで、男にずっとここで粘られるのは困るし、この状況を他の誰かに見られるのも面倒だった。
こんなことで頭を悩ませるのも馬鹿馬鹿しく、もうなんでもいいと、エミヤは適当にそれらしい理由をでっちあげることにした。
「実は、そういう相談を受けたんだ」
「相談?」
男が器用に片眉を上げる。
エミヤは神妙な顔を作り、こくりと頷いた。
この場を切り抜けられるのなら、嘘でも何でもいい。
実際、エミヤはサーヴァントやカルデアのスタッフから相談されることも多い。きっと嘘だとバレはしないだろう。
「誰からかは言えないが、そういう相手を好きになってしまったと。それで、どうアドバイスすべきかを考えていた」
「ふーん、なるほどねぇ。そんなの、気になるなら、その相手に言えばいいんじゃねぇの?やめろって」
さらりと言ってのける男に、エミヤはため息混じりに答える。
「恋人でもない相手に、そんなことは言いにくいだろう」
「少なくとも知ってる奴なんだろ?なら、友人として言うのは別におかしくねぇと思うがな」
だいたい、と言いながら、男がちらりとエミヤを見る。
なぜかそこで、不自然に男の言葉が止まった。
「だいたい、なんだ?」
「……いや、なんでもねぇよ。とにかく、ぐずぐず悩んでないで、気に食わないならそう言えばいいだろ」
わかんねぇなぁ、と男がぼやく。
そうだな、この男にはわからないだろう。
そんなことを言ったら嫌われてしまうかもしれない。今の関係すら壊れてしまうかもしれない。
それが怖くて言えない者の気持ちなど、自信に満ち溢れているこの男には、きっと。
エミヤは無意識のうちに口を開く。
「確かに君の言う通りだろう。だが、悩みの根幹はそこではない。そんな男であっても嫌えないことに、ひどく悩んでいるようだった」
自分が惚れた相手に、一体何を言っているのだろう。
だけど、一度口から出た言葉を戻すことはできない。
エミヤの言葉に、男は、なるほどなぁ、と呟き、考えるように腕を組んだ。
「でも、そこはもう諦めるしかねぇだろ。そういう男に惚れちまったんだから」
惚れちまったんならしょうがねぇよ、と男は笑う。エミヤの大好きな顔で。
エミヤはうまく笑えなかった。
しょうがないと開き直れるほどの余裕が、まだエミヤにはなかった。
「……アーチャー?」
「……いや、なんでもない」
反応の遅れを誤魔化すように、エミヤは咳払いをする。
「とにかく、それだけ話だ。君好みの話ではなかっただろう?そういえば、君は明日、朝からレイシフトではなかったのかね?そろそろ部屋に戻った方がいいと思うが」
「……」
「ランサー?」
「……いや、そうだな。そうするわ」
じゃあな、と言い残し、男はあっさり食堂から出て行った。
再び1人になったエミヤは、遠くなっていく男の足音を聞きながら、小さく息を吐く。
好きになってしまったものはしょうがない。だから、諦めるしかない。
そんなことはわかっている。
だけどまだ、エミヤはその感情をうまく受け入れられない。
一体いつになったら、何の罪悪感を抱くこともなく、何も偽ることもなく、真っ直ぐあの男と向き合えるようになるのだろうか。
そうなれる日が早く来ることを願いながら、エミヤは男が消えていった先をしばらく見つめていた。
*
「なぁ、お前に相談した奴が惚れた相手って、お前も知ってる奴?」
今日は珍しく、エミヤは男と同じチームで素材集めに駆り出された。
レイシフト先は深い森の中。
マスターの休憩中、近くの木の上で周囲の警戒をしていると、どこからともなくランサーが現れ、そうエミヤに聞いてきた。
無視してもよかったが、それも過剰な反応のような気がして、エミヤは渋々、口を開いた。
「ああ、前の召喚で会っている」
これは嘘ではない。
エミヤはランサーと幾度も顔を合わせてきた。
そしてその度に、この男への想いを腹の中で募らせてきた。
「そいつ、どんな奴?」
「そうだな。とてもいい男だ」
視線を遠くに向けたまま、エミヤは答える。
眼下に広がる森の中には、異形の獣が唸り声を上げて徘徊していた。
幸い、この辺りにはいないが、いつ異物の匂いに気付いてこちらに移動してくるかはわからない。あまり長い間、ひとところに留まらない方がいいだろう。
そのことを伝えておこうと、横にいる男に顔を向ける。
何故か男は目を丸くして、エミヤを見ていた。
「何をそんなに驚いている」
エミヤは少し前の自分の発言を思い出す。
もしかして、エミヤが、いい『男』と言ったことに驚いたのだろうか。
エミヤは相談してきた相手の性別を明言していない。だから男と言っても問題ないかと思ったのだが、もしや早計だっただろうか。
「いや、まさかお前がそんな男を褒めるとは思わないだろ。いつもなら、そんな軟派な奴は、いくら見た目がよくても駄目だとか、真っ先に言いそうじゃねぇか」
ああ、そっちか、とエミヤは内心胸を撫で下ろした。
たしかに、いつものエミヤだったら、もし自分の知り合いがそんな男に惚れたと聞いたら、なんとかして諦めさせようとするだろう。
そこに男が違和感を抱いて不思議ではない。
さて、なんと言い訳をしよう。
考えながら、ふと男を見る。
男の深く透き通る目には、ぽつりとエミヤが浮かんでいた。
「そうだな」
彼の中にいる自分の鏡像ですら羨ましい。その紅玉の中に、自分も溶け込めたら。
そんなことを思う己の滑稽さに唇を歪ませながら、エミヤは口を開く。
「そういうところが、全てどうでもよくなるほどの相手だと、私は思うよ」
エミヤの答えに、男の瞼がぴくりと動いた。
「……お前がそこまで言うのは意外だな」
「そうか?私だって褒める時は褒めるさ」
曖昧に言葉を濁しながら、エミヤは男の視線から逃げるように背を向ける。
これ以上探られたら、本当に余計なことを口走るかもしれない。そろそろ切り上げた方がいいだろう。
マスターの元に戻るため、木から飛び降りようとしたエミヤに、男が後ろから声をかける。
「もしかして、そいつ、お前ともなんか関係があったりしたのか?」
「まさか」
エミヤは鼻で笑う。
「いくら軟派な男とはいえ、私をそういう対象に見るはずがないだろう」
「どうだか。お前、変なところ鈍いから、気付かなかっただけじゃねぇの?」
それこそあり得ない。
むしろそうだったら、エミヤがここまで悩むこともなかっただろう。
「お前、そいつのこと、どう思ってたんだ?」
後ろから投げられた言葉に、エミヤの心臓がどくりと跳ねる。
どう。どうだと。
エミヤは慎重に顔を作ってから、ゆっくりと振り向いた。
「別に。特になんとも思っていないが」
さて、そろそろ戻るぞ、と声をかけ、エミヤは木から飛び降りた。
男も後ろをついてきたが、それ以上、何かを聞いてくることはなかった。
*
昼食の慌ただしさが落ち着き、食堂にはまったりとした空気が流れていた。
紅茶を飲みながら談笑する者。遅くなった昼食をゆっくり食べる者。甘味を片手に読書する者。
それらを眺めながら、エミヤはキッチンで、おやつに頼まれたパンケーキを焼いていた。
フライパンに流し込まれた生地がふつふつと膨れ、辺りに甘い匂いがふわりと広がる。
そろそろひっくり返そうとフライ返しを手に取った時、食堂にランサーがふらりと入ってきたのが見えた。
昼食の時に、何か忘れ物でもしたのだろうか。
何気なく目で追っていると、男はテーブルで談笑していたサーヴァントに軽く挨拶をした後、なぜかエミヤの前にやってきた。
そして、ひょい、と、エミヤの手元を覗き込み、ごく自然に話しかけてきた。
「なんだ?マスター達になんか作ってやっているのか?」
「……ああ、果物と生クリームがたくさん乗ったパンケーキが食べたいと言われてな」
数日前のレイシフト先で交わした気まずい会話を思い出し、エミヤは男の顔を見ずに答える。
そんなエミヤの心境など知らず、男は、何枚ほど焼くんだ?とか、昔、バイトした時に食ったことあるわ、と、のんきに話しかけてくる。
何故、人が避けている時に限って、この男は寄ってくるのだろう。
察しが悪い方ではないはずだ。エミヤが避けているとわかれば、空気を読んで話しかけてこなくなると思ったが、男は平気で近付いてくる。
もしかして、熊のように、逃げると追ってくる習性でもあるのだろうか。
それとも、エミヤの避け方が自然過ぎて、避けていることに気付いていないとか。
だが、あまりにあからさまに態度に出すと、男じゃなく、マスターが気にしてしまう可能性がある。それは困る。こんなことで絶対にマスター達の手を煩わせたくない。
なかなかうまくいかないものだ。
もっとうまい具合に、程よく接触を減らすことはできたらいいのだが。
「まだ、なんか考えてんのか?」
男の声に、ぎくりと体がこわばる。
何のことだ、と誤魔化しながら、エミヤはパンケーキをひっくり返す。
綺麗に焼けた生地に満足しながら顔を上げれば、男がじとりとこちらを見ていた。
「……別に考えていないが?」
そう言ってみるものの、男の疑わし気な視線は外れない。
どうしたものかと思っていると、男があからさまに、はぁ、と息を吐いた。
「何をそんなにぐずぐず悩んでんだよ」
「悩んでなどいない」
「嘘吐きめ。なんだ?相談してきた奴がなかなか諦めなくて苛ついてんのか?」
確かにそれもある。
自分の想いを自覚してから、エミヤは何度も諦めようとした。
だが、いくらエミヤが自分に言い聞かせようとも、この想いは無くなってくれなかったのだ。
だからこそ、今もエミヤはこうして苦しんでいる。
「……まぁ、なかなか思うようにはいかないものだ」
「そりゃそうだろ。色恋沙汰は特にな」
そんなもんだろ、と呆れたように男が笑う。
「いっそのこと、さっさと告白したらどうだ?そうしたら、結果はどうであれ、そいつも吹っ切れるんじゃねぇの?」
「それはできない」
そんなことをしたら、今の関係が壊れてしまう。
だから、絶対に言うわけにはいかなかった。
エミヤの言葉に、男は不審そうに眉を顰める。
「なんでだ?万が一、その告白が受け入れられたら、お前としてはまずいからか?」
「いや、それはないが……」
反射的に否定した後、エミヤは口をつぐむ。
なんと言ったらいいだろう。
下手に相談されているという嘘をついてしまったせいで、告白ができない理由をうまく説明できない。
恋しているのがエミヤで、その相手がランサーだからだ、と言えたらいいのだが、それを本人に言うわけにもいかない。
エミヤはパンケーキの焼き加減を見るふりをしながら少し悩んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「実は、告白したくとも、その相手がカルデアにはいないのだ」
「はぁ?」
エミヤが新たに吐いた嘘に、男は顔を歪める。
「どこかの特異点で会ったとかか?」
「いや、そういうわけではない。会ったのは前の現界の時で、この現界では一切会っていない」
「というと何だ?お前らは、ここにいもしない相手についてずっと悩んでるのか?」
「まぁ、そうなるな」
そろりと目線を外しながらエミヤは答える。
もはや苦笑いするしかない。もう少しうまい嘘を吐けばよかった、とエミヤは後悔した。
「だったら尚更、お前も、お前に相談した奴も、ここにいねぇ奴のこと考えてもしょうがねぇだろ」
男の言うことは最もだ。エミヤだってそう思う。
だが、考えたくて考えているのではない。エミヤ自身、何度も考えるのをやめようとした。
だけど、頭が勝手に考えるのだ。
不意に声をかけられた時のこと。作った食事を褒められた時のこと。血に塗れながら戦っている姿。マスターを褒める朗らかな顔。旧知のサーヴァントと笑い合っている時の顔。
やめられるものならやめたかった。
エミヤの口が、勝手に動く。
「さっき君が言ったように、やめろと言われて、やめられるものでもないだろう?」
「そりゃそうだがよ。それに囚われて、今思い悩むのはなんか違うだろ。ただ一人のことを想うのもいいが、今あるものに目を向けねぇともったいねぇぞ」
カルデアには、いい男もいい女もいっぱいいるじゃねぇか、と励ますように男が笑う。
エミヤがもし逆の立場だったら、男と同じことを言うかもしれない。
だが、想いを寄せる当人にそんなことを言われてしまったら。
「君の言うこともわかるが」
エミヤはフライパンを握る手に、ぎゅっと力を込める。
「誰にも迷惑をかけていないのだ。好きでいるくらい、別にいいではないか」
目線をそらしたまま、ぽつりと呟く。
別に、好きだから付き合ってほしいとしつこく強請るようなことはしないし、好意を匂わせるような鬱陶しい態度も取らない。必要以上に近付かないよう、ちゃんと距離もとっている。
何もしない。だから、それくらいは許してほしい。
男が小さく、え、と聞き返す。
もしかしたらエミヤの声が小さくて、うまく聞き取れなかったのかもしれない。
エミヤはそらしていた視線を戻し、表情も変えずに、静かに言い直した。
「この現界で会えなくとも、次の召喚で会う可能性はある。その時の為の対策を考えておくのは、無意味ではないだろう」
「次の召喚の時だと?その時には、今考えてることなどすっかり忘れちまうだろうが」
何を言っているんだ、と、その馬鹿にするような言い方に、思わずエミヤは言い返す。
「忘れない。現に、私は忘れなかった」
この男への想いも、後悔も。
エミヤは全てを持ってカルデアに来てしまった。
男が驚いたように目を開いている。
しまった、余計なことを言ってしまったとエミヤは慌てた。
とにかく、と誤魔化すように、エミヤはひとつ咳払いをする。
「君のように、きれいに割り切れる者ばかりではないのだ。こういうのは本人が納得しないと、周りが何を言っても聞く耳は持たんさ」
まるで他人事のようにエミヤは言った。
そうだ、結局はエミヤ自身が諦めるなり開き直るなり、なんらかの踏ん切りをつけなければ決着しない。
もちろん、時間が経てば多少は気持ちも薄れるかもしれないが、それに一体どのくらいの時間を要するのか、エミヤにはわからない。
「……ふぅん、そういうもんかねぇ」
男はつまらなそうに呟き、その宝石のような目をすぅっと細めた。
この男には、理解し難い感情なのかもしれない。
苦笑混じりにエミヤは答える。
「そういうものだ。君にはわからないかもしれないが」
「ああ、全然わかんねぇな。お前に相談した奴の考えも、そいつを庇うお前の考えも」
男が剣呑な目つきのままそう呟いた時、明るい声が空気を裂いた。
「エミヤー!パンケーキのことなんだけどー!」
パタパタと足音を立てて食堂に現れたのは、マスターである藤丸立香だ。
彼女はそのまま男の横に並び、エミヤの手元を覗き込んで、美味しそう!と感嘆の声を上げた。
エミヤは男から視線を外し、突然現れた少女に声をかける。
「どうしたんだ?マスター」
「あ、パンケーキなんだけどね、もう2人分追加しても大丈夫?モルガンとバーヴァン・シーとも一緒に食べたいんだけど……」
言うの遅かったかな、と恐る恐る聞いてくる少女に、エミヤは柔らかく笑いかける。
「大丈夫だ。果物やソースは多めに用意してあるから、2人なら増えても大丈夫だ。ただ、その分、少し時間がかかってもかまわないだろうか?」
「うん、もちろん!ありがとう、エミヤ!」
少女は嬉しそうに笑った後、横を見て、あれ、と声を上げた。
「ねえ、エミヤ。さっきまでここにランサーいなかった?もしかして私、話の邪魔しちゃった?」
立香の声につられるように、さっきまであの男がいた場所を見る。
そこにはもう誰もいなかった。
「……別にたいした話はしていないから、気にしなくていいさ」
エミヤは己に言い聞かせるように、はっきりとそう言った。
*
「よぉ、手合わせしねぇか?」
レオナルド・ダ・ヴィンチ達との次のレイシフトの打ち合わせが終わり、自室に戻って休もうかと廊下を歩いていた時、ふらりと現れたランサーにそう言われた。
エミヤは迷った。
できれば男との接触は避けたいが、クー・フーリンとの手合わせ、という魅力的な誘いを断るのは、少しもったいない気がした。
むしろ、断る方が不自然なような気がして、エミヤは、面倒だ、というふりをしながら、その誘いを受けることにした。
男の後をついてシミュレーションルームにはいる。
昼間は血の気の多いサーヴァントで賑わっているここも、深夜が近い今、まるで海の中のように、しんと静まり返っていた。
「こんな時間に手合わせとは珍しい。酒を飲む相手が見つからなくて暇だったのか?」
エミヤは両手に使い慣れた夫婦刀を投影し、男に尋ねる。
シュミレーターが映し出したのは、深い森だ。
男がどこでもいいと言うので、エミヤが場所を設定した。
男はヒュン、と槍を回し、腰をぐっと落とす。
「ちょいと酒を飲む気分にはなれなくてな。こういう時は体を動かした方がいいと思った時に、たまたまお前がいたんだよ」
なるほど。エミヤが誘われたのは偶然だったらしい。
自分の幸運値も悪いものではないな、と喜んだのも束の間、すぐに気分が落ち込んだ。
何をのんきに喜んでいるのか。
男への想いを忘れたいが為に距離を取っていたのに、自分からほいほいと近付いてしまってどうする。本当にこの男への想いを忘れる気はあるのか。
だが、逆に誘いを断った方が怪しまれたかもしれなかった。
だから、あえて男の誘いを受けたのだ、と、エミヤは誰に言うともなく、胸中で弁解する。
でも、それは本当か。本当にそう言い切れるのか。
男と一緒にいたいが為の、後付けの言い訳ではないのか。
己を責める声は止まらない。
エミヤがそれを必死に否定しようとした時、目の前の男が跳んだ。
ガキン、と、金属のぶつかり合う音が、作られた森の中に響き渡る。
男が振り下ろした槍を、エミヤは間一髪、交差した刀で受け止めた。
その向こうに見える男の目は、興奮するようにギラギラと輝いていて。
「考え事してる暇なんかねぇぞ!」
「っ、わかっている!」
エミヤが槍を弾いて後ろに跳ぶと、それを追うように男が二撃目を放ってきた。
それを紙一重で避けたエミヤは、くるりと後ろに回り、男の背後を取る。
直後、男が振り向き様に放ってきた蹴りを身体を捻って避け、エミヤは持っている剣を突き出した。
だが、それは槍で容赦なく弾かれ、遠くに飛ばされる。
エミヤはすぐに次の剣を投影した。
数秒にも満たない間の剣戟。
そこに、余計な思考を挟む余裕はない。
いかに男の攻撃を避け、自分の一撃を入れるかだけの、シンプルな攻防。
だけど、そこに集中していくうちに、エミヤは自分の頭がどんどん澄んでいくことがわかった。
先程までのごちゃごちゃとした頭の中が嘘のようだ。
今やることはひとつだけ。それ以外のことはいらない。
だからこそ、エミヤは堂々と男と向き合うことができた。
薙ぎ払われた槍を避けた時、男の顔が目に入った。
男は、ニヤリと口角を上げ、楽しそうに笑っている。
その赤い目に映る自分も、男と同じ顔をしていた。
赤い湖面に浮かぶ自分は、ただただ純粋に、この手合わせを楽しんでいた。
この時間がずっと続けばいい。
ふと、そんなことが頭をよぎる。
この手合わせが終われば、エミヤはまた男への想いに頭を悩ませなくてはいけない。
どうにもならない恋心を抱え、男が笑いかける相手に後ろめたい感情を抱きながら、男の目をまっすぐに見れない日々に戻るのだろう。
こんな想い、早く捨ててしまいたい。
エミヤは男の槍を受け止めながら、ぎり、と、歯を食い縛る。
こんなものがあるから、エミヤは男と思うように関われないのだ。
エミヤは、ただの敵として、また、ただの仲間として、男の前に立てればよかった。
それ以上は望まない。愛してほしいなどと、そんな大それたことは望んでいなかった。
なのに、こんな気持ちを腹に抱えてしまったせいで、そのささやかな願いすらも叶わなくなった。
ただのサーヴァントとして、戦士として、向き合えたらそれでいい。
それだけでよかったはずなのに、前の召喚で、あの穏やかな世界で、エミヤの恋心は想像以上に膨れ上がってしまった。
それを突然押しつけられたエミヤは、一体ここで、どうすればいいのか。
「おい」
地を這うような低い声。
じりじりと焼けるような怒りを孕んだその声に、エミヤの意識が一瞬で現実に引き戻される。
「テメェ、何考えやがる」
直後、エミヤは横っ腹に強い衝撃を受け、森の中に吹き飛ばされた。
緑の上を転がりながら、エミヤは舌打ちをする。
しまった、気を抜く余裕などないのに。何をのんきに考え込んでいたのか。
エミヤは即座に体勢を立て直すが、それよりも先に男の足がエミヤに振り下ろされる。
咄嗟に腕で防ぐ。
だが、勢いを殺すことは出来ず、そのままエミヤは地面に叩きつけられた。
土が舞う。
煙る視界の中、エミヤはすぐに体を起こしてが男を探す。
追撃があるかもしれないと構えるが、エミヤの予想に反して、二撃目は来なかった。
土煙が徐々に収まり、ゆっくりと視界が開ける。
男は少し離れたところに立っていた。
次こそ、と思って踏み出そうとしたエミヤの足が、男の顔を見てぴたりと止まる。
男は怒っていた。
燃え上がるような怒りを湛えた目はきつく吊り上がり、噛み締められた歯が、ギチギチと音を鳴らす。
体から溢れ出る殺気と魔力により男の髪は舞い上がり、その光景を目の当たりにしたエミヤは、男の凄まじい怒りに思わず唾を飲んだ。
おそらく気が抜けたエミヤの態度が、男の逆鱗に触れたのだろう。
たしかに、せっかく手合わせに誘った相手が上の空では戦い甲斐もない。そもそも、そんな態度で戦うことを、生粋の戦士であるこの男は厭うだろう。
非礼を詫びなければ、と思った。
だが、男の今にも噴き上がりそうな怒りに飲まれ、うまく言葉が出てこない。
無言で睨み合ったまま、時間だけが過ぎていく。
それは、エミヤにとって、とてつもなく長い数秒だった。
男は苛立ったように舌打ちをし、そのまま何も言わずに、シミュレーションルームから出ていった。
気付けば森の風景は消えていて、味気のない灰色の部屋にエミヤはひとりで立っていた。
エミヤは後悔と不甲斐なさで、しばらく動くことができなかった。
*
そもそも、こんな想いを抱えてやってきたのが間違いだったのだ。
自室のベッドの上で、エミヤはひとり頭を抱えた。
これさえなければ、男に不快な思いをさせることもなかったし、もしかしたら、前の召喚の時のように、それなりに仲良くやれたかもしれなかったのに。
こんなことになるなら、前の召喚の時に潔く告白して振られておけばよかったのだ。
エミヤは心の底から後悔する。
あの懐かしい冬木の街に呼ばれた時。
サーヴァントがいるのに戦いが起こらず、人のように暮らしていた、あの奇跡のような召喚で。
あの時に、告白でもなんでもしておけばよかった。
何を躊躇することがあったのか。サーヴァントとなった身で、あんな穏やかな時間を過ごせることなどない。言うなら、きっとあの時だった。
それを、エミヤはみすみす逃してしまった。
それは、あの時のエミヤが、あの世界での男との関係を壊すのを躊躇ってしまったから。
きっとその時の後悔が、今のエミヤにこの記憶を持たせたのだろう。
好きだと言えばよかった。
そこできちんと振られておけば、エミヤの中できちんと区切りをつけることができた。
そうしていれば、このカルデアで、エミヤはまた新たな気持ちで、男との新しい関係を作っていけたはずなのに。
はあ、とエミヤは深く息を吐く。
今更、前の召喚のことを考えても仕方がない。
同じ後悔をしたくないのであれば、エミヤはこのカルデアで、男に告白するべきなのだろう。
このカルデアだって、いつもの聖杯戦争に比べたら随分とイレギュラーだ。
同じ陣営で共同生活をしているなど、通常なら考えられない。
今なら、気持ちを打ち明けるチャンスはいくらでも作れる。
ちゃんと好きだと言って、振られることができれば、少なくとも次の召喚のエミヤは、割り切って過ごすことができる。
今のエミヤのように、ぐずぐずと悩まなくて済むだろう。
だが、修正すべき特異点はまだ残っている。
ここで言って、もし男との関係が悪化してしまえば、マスター達に余計な迷惑をかけてしまうかもしれない。
でもまた、この気持ちのせいで、昨夜みたいにあの男を苛立たせることがあったら。
これが続けば、告白する前に今の関係は壊れ、結果的にカルデアに迷惑をかけることになる。
一体どうすればいいのだろう。
エミヤは逃げるように目を閉じる。
とりあえず、さっきのことは明日にでも男に謝罪しよう。
険悪な雰囲気が続けば、それこそマスター達に気付かれてしまう。
だからまずは、なんとかいつも通りに戻さなくては。
その後は、より一層、男との接触に気を付けよう。
あの男は妙に勘が鋭い。現に、エミヤは隠しているつもりでも、あっという間にエミヤの異変を見抜いてきた。
いや、そもそもエミヤが、バレないだろうと高を括って本音を漏らさなければよかったのだ。
あれがなければ、男が必要以上にエミヤに接触してくることもなかった。
正直、男があそこまで他人の恋愛話に首を突っ込んでくるとは思わなかったが、それはきっと、エミヤが話を小出しにしたせいで、変に興味を持ってしまったのだろう。
だからもう、あの話は無しだ。解決したことにして、さっさと終わらせよう。
相談してきた者が吹っ切ったことにすればいい。
そうすれば、男がこれ以上エミヤに聞いてくることもないだろう。
それからは、今以上にきちんと線引きをして行動をするのだ。
男との接触を極力減らし、悩んでいる素振りなど見せない。聞かれても、頑なに誤魔化し続ける。
そうしたら、そのうち男からの接触も減り、きっといつか、エミヤの想いも消えてくれる。そうなるはずだ。
だからどうか、一刻も早く、その時が来ますように。
そう願いながら、エミヤはキツく目を閉じる。
瞼の裏には、怒りに満ちた男の目が、不甲斐ない弓を責めるようにずっと浮かんでいた。
*
腹が立っていた。
ずっとずっと。
話しかけてもどこか上の空で、ここにはいない誰かのことをずっと考えている、あの男が。
はじめは、ちょっとしたお節介だった。
なんだかんだ忙しいあの男が、たまに何かを考え込んでいるような素振りをしていたから、マスターか他のサーヴァントに何か厄介ごとでも頼まれたのかと思って、声をかけた。
男は答えなかった。なんでもない、とランサーに背を向けた。
もちろん、男が簡単に口を割るとは思っていない。
だが、その時は妙に引っかかった。
もしかしたら何かの予感が、ランサーにあったのかもしれない。
声をかければ、男はこちらを向く。だけど、会話が終わると、すぐに自分の思考に戻る。
まるで、前にいるランサーのことなど見えていないように。
マスターやキャスタークラスの自分にそれとなく聞いてみたが、男の異変に気付いている様子はなかった。
だが、その態度がどうも気に食わず、1人になった時を見計らい、半ば脅すように尋ねれば、男はようやく口を割った。
『本命がいるにも関わらず、他の相手を口説くのはどんな心境なのかと思っただけだ』
この言葉に、ランサーは内心、首を傾げた。
そんなことを、この男はずっと悩んでいるのか。
そもそもどうして、この男がそんなことを悩んでいるのか。
その理由がわかったのは、別の日の夜。
スタッフへの差し入れを作っていた男を捕まえて問えば、そういう相談を受けている、と答えた。
そういう相手を好きになってしまった者から、どうしたらいいか聞かれている、と。
ランサーも、はじめは男の言葉を素直に信じた。
厄介ごとに巻き込まれやすい男のことだ。
カルデアのスタッフにでも相談されたのだろうと思った。
だが、話を聞けば聞くほど違和感があった。
もし知り合いがそんな相手に惚れようものなら、男の性格を考えると絶対に、やめろと口出しをするはずだ。
だが、男はそんなそぶりを見せず、あまつさえ、その相手を「いい男」だと褒めた。
いつもの男のことを考えると、それはあり得ないことだった。
話を聞いていくうちに、その『いい男』とやらは、カルデアにはいないこともわかった。
ここにはいない相手のことをずっと考え、悩み続ける男。
こちらが声をかけても、男はどこか上の空で。
ランサーの目には、男自身がその『いい男』に惚れているようにしか見えなかった。
ここにいない相手のことで悩んでもしょうがない。
ここは割り切って、新しい恋でもしたほうがいい。カルデアにはいい女もいい男もいっぱいいる。
そう言ったランサーを、男は拒絶した。
好きでいるくらいはいいだろう、と、大事なものを守るかのように、ぼそりと呟いた。
しかも、男は消えるはずの前の召喚の記憶も、その相手に関しては失くしていなかった。
前の召喚のことなんて覚えていられないだろ、と言ったランサーに、忘れない、と男ははっきり言った。
その態度に、無性に腹が立った。
だから、少しでも男がそいつのことを考えないように、ランサーは手合わせに誘った。
はじめは順調だった。
目の前には男しかいなくて、男もランサーのことしか見ていなくて。
とてもとても楽しい時間だった。
それなのに、気付いたら、男はまた何か違うことを考えていた。
次の瞬間、ランサーは言いようもない怒りに襲われた。
目の前に自分がいるのに、一体何を考えている。何をそんなに考えることがある。そんな余裕があるのか。
どうして、そんな奴のことばかり。
ランサーは感情のまま、男を蹴り飛ばし、床に叩きつけた。
ふーっ、ふーっ、と自分の荒い息が聞こえる。
体が熱い。耳の奥が燃えているようだ。
どうして自分がここまで苛立っているのかわからない。
男の目が、戸惑ったように揺れているのが見える。
違う。困らせたいわけじゃない。
ただ、ランサーは男に、これ以上そんなくだらない奴のことで悩んでほしくなかった。
違う。それだけではない。わかっている。これは八つ当たりだ。
こっちを見ず、よくわからない相手のことばかり考えているあの男が、ランサーはどうしても許せなかったのだ。
思うようにならない自分の感情に舌打ちし、ランサーは踵を返してシミュレーションルームから出た。
あのままあそこにいると、怒りに任せて男に何をしたかわからない。
「あー、くそっ」
ガリガリと頭を掻く。
その日、ランサーはあまりよく眠れなかった。
次の日、もう一度男と話そうと思ったが、ランサーが寝坊をしてしまったのと、男が早くからマスターと共にレイシフトしてしまったため、男と会えたのは、その日の夜だった。
ランサーは男の部屋で、その帰りを待っていた。
多少強引な気もしたが、こうでもしないと男に逃げられるような気がしたのだ。
夜遅く部屋に戻ってきた男は、備え付けられた椅子に我が物顔で座るランサーに驚きつつも、さらりと昨日の謝罪をしてきた。
「昨日のことは本当にすまなかった。でも、もうあんなことはない。問題は無事に解決した。だから、これ以上君が気にすることもない」
男の顔は、むかつくほどいつも通りだった。
ここ最近の何かを考え込んでいる顔ではなく、いつもよく見ていた男の顔。
だけれども。
ランサーの胸の奥がざわめいた。
嘘だ、とランサーは思う。
多分、この男の悩みは続いている。
ただ、ランサーの前で出さなくなっただけ。
それは昨日、ランサーが怒ったから。
だから、ランサーの前で出すのもやめてしまったのだろう。
別にあそこまで怒ることはなかった。
いつも通りの顔をしている男を見ながら、ランサーは思う。
自分との戦いに集中できないほどの何かがあったのだろう。
だったら、黙って聞いてやったらよかった。
そうしたら、少なくとも男はランサーの前では気持ちを吐き出すことはできていた。
でも、男はそれもやめてしまった。
今からでも、男を問い詰めることはできる。
だが、この頑固で面倒な男は、聞いても、もう二度と答えないだろう。なんのことかね、と頑なにはぐらかすに違いない。
そして、これからは悩んでいる素振りを決してランサーの前では見せないだろう。
だけど、その裏で、ずっとこの男は悩み続けるのだ。
どこの誰とも知らない相手のことを想って。たった一人で。
「じゃあ」
考えるよりも先に、ランサーの口が動いた。
「代わりに、オレの話を聞いてくれよ」
ゆらりと椅子から立ち上がり、ランサーは男の前に立った。
ランサーの気持ちなど何も知らない男は、意外そうに目を瞬かせた。
「君の?どんな話だ?」
「そうだなぁ、恋の話ってのはどうだ?」
ニヤリと笑って尋ねるが、男の反応は薄い。
訝しげに眉を顰め、はぁ、と興味なさげに答えただけ。
「なんだよ、反応悪ぃなぁ」
「あいにく、人の恋愛話にそこまで興味がある方ではなくてね。しかも、君の恋愛話となれば、本に載るほど有名だろう。聞くまでもない」
「そんなこと言うなよ。まだ本にも載ってない話だ。聞く価値はあると思うぜ」
男は不満そうにこちらをじとりと見てきたが、ランサーに引く気がないとわかったのか、男は諦めたように息を吐いた。
「好きに話すといい。その代わり、話し終わったら、さっさとここから出て行ってもらおう。こちらもレイシフト帰りでね」
「わかった」
ランサーは頷いて、そしておもむろに口を開いた。
「実は最近、好きな奴ができたんだ」
「は?」
男が驚いたように目を丸くした。
構わずに、ランサーは続ける。
「そいつがクソ真面目な奴でな。で、そいつが、よりにもよって気の多い浮気性な奴に惚れちまったみたいでよ」
「……まぁ、真面目な子ほど、そういう相手に惚れやすいとは聞いたことはある」
男はランサーの視線から逃げるように、目線をそらして答えた。
「そうなのか?まぁ、オレも、はじめはそいつに惚れてる自覚はなかったし、好きにしたらいいと思ってたんだけどよ。でも、そいつ、本当にクソ真面目な奴なんだよ。恋人がいるのに、他の奴を口説くのとかあり得ないと思っていそうなタイプ。本人は、全然割り切れます、みたいな顔をしてるが、多分無理だな。いや、腹を決めたらできるんだろうが、惚れた奴が、そんな無理してまで他の奴と付き合っている姿とか見たいもんじゃねぇだろ」
男の返事はない。
静かな部屋に、ランサーの声だけが響く。
「そもそも、そいつを大事にしようとしない奴に、オレが惚れた相手を持ってかれるのも腹立たしい。だからせめて、もうちょっとまともな奴を紹介しようとしたんだが、全然聞く耳をもたねぇ。オレといても、そいつのことしか考えてねぇし」
「……恋とはそういうものだからな」
ぼそり、と男が言う。
その目はランサーを見てはいない。
「そういう相手に惚れてしまったのなら、しょうがない。そう言ったのは君だろう」
「わかってるがよ、むかつくもんはむかつくだろうが。お前だったらどうする?」
そう聞いても、男の視線はランサーから外されたまま。
男は腕を組み、考えるように指を顎に当てた。
「……本人の好きにさせたらいいんじゃないか?やめようと思っても、やめられるものではない。逆に周りから、それこそ君みたいな英雄に言われてしまったら、余計に意固地になってしまう可能性もある」
「何もせずに放っておけって?ロクでもない相手に惚れてる奴を?お前らしくもない答えだな」
「……何が言いたい。君こそ、そんなに気になるなら告白でもなんでもすればいいだろう」
ランサーの言葉に苛立ったのか、不意に男の声が低くなる。
「君こそ、らしくない。君が好きなら好きと言ってしまえばいいだろう。何をこんなところでぐずぐず言っているんだ」
「それをお前が言うのか?お前だって同じだろう。ここしばらく、訳のわからん奴のことばかり考えやがって」
「何を言う、私は……」
男は誤魔化すように、ぎこちない笑みを作った。
「前にも言ったが、私は相談されたから、どうしたらいいかを考えていただけだ」
「いつまでもくだらねぇ嘘吐いてんじゃねぇよ、見苦しい。それで誤魔化しきれると思ってんのか」
この男の嘘など、全てわかっている。
相談してきたという相手などいない。その相手が浮気性の相手に惚れたというのも嘘。
この男自身が、そんな男に恋をしてしまっただけだろう。
それなのに、この男は壊れかけの嘘に縋り、頑なにランサーに本音を見せようとしない。
「誤魔化すも何も、それが真実だ」
これ以上は絶対に引かない、と言わんばかりに、男がランサーを睨んでくる。
その姿に、ランサーの腹がカァっと熱くなった。
どうして。
どうして本当のことを言わない。
正直に言ってくれたのなら、少しくらいは手伝ってやってもいいと思った。
そんな相手に惚れたことはむかつくが、それでも、お前のためなら、お前があんな顔で思い詰めなくていいように、これからも話くらいは聞いてやろうと思ったのに。
どうして、そんなクソみたいな奴に惚れたくせに、こちらのことは欠片も信用してくれないのか。
ぎちり、とランサーの歯が鳴った。
「テメェなんぞ、さっさとそいつに告白して、振られちまえばいいのに」
男の目が、一瞬傷付いたように揺れる。
だが男はすぐにそれを打ち消すように歯を食いしばり、憎々しげな顔でランサーを見た。
「……君に言われなくとも、遅かれ早かれ、いつかそうなる。だから、それまでの時間を楽しむだけだ」
「それは楽しいのか?」
「それなりには。ティーンの気持ちを味わえる」
自嘲するように男が笑う。
その顔をさせている相手がこの世界のどこかのいるのだと思うと、腹の底から殺意が湧いてきた。
それを押し殺し、ランサーは口を開く。
「じゃあ、そいつに振られたら、オレに言えよ」
「は?」
虚をつかれたように、男が目を瞬かせる。
「……何故?」
「いいから。一応話は聞いてやったんだ。報告くらいあってもいいだろ。次の召喚で一緒になった時でいいから、ちゃんと言えよ」
「はぁ」
男は怪訝そうにランサーを見ている。
「……次の召喚の時に、君がこのことを覚えているわけがないだろう」
「覚えている。絶対に忘れねぇ」
お前がその相手のことを覚えていたように、ランサーだってこのことを忘れない。
惚れた男をくだらない相手に取られたことを、霊基の底の底に刻みつけてやる。
そして次の召喚では、お前を絶対に逃してやるものか。
男はランサーの決意など知らずに、呆れたような笑みを浮かべている。
「はぁ、なら期待して待っているとしよう」
「お前こそ忘れんなよ」
「善処する」
「振られたら、すぐにオレのところに来いよ。そうしたら、ちゃんと慰めてやるから」
「はっ、クー・フーリンに慰められるとは、ありがたすぎて涙が出そうだ」
「それで」
ランサーは男の目をまっすぐに見て言った。
「お前がそいつへの想いを全部吐き出して空っぽになったら、オレがお前に告白する。お前が好きだと言おう。だから、アーチャー」
忘れずに、ちゃんと来いよ。
顔を寄せ、囁くようにランサーは男に告げる。
言うべきことは言った。
ランサーは呆然とする男の横を通り過ぎ、部屋から出ていこうとした。
だが、部屋の扉が開く直前、ぐい、と髪を掴まれ、ランサーは思い切り後ろに引っ張られた。
首から変な音がした気がする。
突然の痛みに、ランサーは思わず怒鳴りながら振り向いた。
だが、そこにいた男の顔を見て、思わず口をつぐむ。
そして、耳まで赤くした男が震える声でランサーに告白したのは、それから数秒後のことだった。
おわり
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ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
この話、結末は一緒なんですけど、弓が最後にちゃんと告白しようって思うルートもあって、最後までそっちと悩んだんですけど、先に思いついたのはこっちだったので、こっちにしました。
でも、弓が告白するverも個人的には好きなので、そっちは、ぷらいべったーにでもあげようと思います。