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【槍弓】思い出を終える時/Novel by 田中M

【槍弓】思い出を終える時

17,984 character(s)35 mins

槍と一緒に過ごす思い出が欲しくて槍に近付いた弓と、そんな弓に「責任取れ」って言う槍の話

※エミヤの記憶など偽造いっぱい
※みんな女々しい
※細かいことは気にしない

勢いと雰囲気でお楽しみください。

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思い出を作ろうと思った。
これから先、どんなひどい殺戮を請け負うことになっても、それを思い出すだけで、奥歯を噛み締める力をほんの少し緩ませることができるような、そんな思い出を。



「何やってんだ、てめぇ」

ランサーが花屋のバイトを終え、住処にしているテントに戻ってきた時、嫌と言うほど見覚えのある男が、ランサーのテントの前に座っていた。

「何って、焚き火だが」

白髪の男が悪びれることなく、しれっと答える。
男の前には逆四角錐の形をした銀色の容れ物があり、そこに放り込まれた薪がパチパチと音を立てて燃えていた。

「いや、見りゃわかるわ。何でここでやってんのかって聞いてんだよ」
「凛の家でやるわけにはいかないだろう。火事と勘違いされて通報されてしまう可能性がある。凛が不在の今、ご近所トラブルなど起こすわけにはいかないからな」

たしかにここは住宅街から離れており、人気がないところではある。でもだからといって、わざわざ自分のテントの前でやることはないだろう。

「……何か燃やしたいものでもあったのか?消したいものがあるなら、燃やす以外にも処分の仕方があるだろうが」

呆れるように言葉を漏らすランサーを、男は馬鹿にするように鼻で笑った。

「これだから野蛮人は。私は焚き火がしたいから焚き火をしているだけだ」
「はぁ?」
「いいかね?私は何かの証拠隠滅の為に火を起こしているわけでもない。私は火を育てているのだ」

それが焚き火というものの醍醐味だ、と男は胸を張って言った。

「小さな火種から最適なタイミングで薪をくべ、火を徐々に大きくして育てていく。私が手をかけなければ火はあっという間に燃え尽きて消えるだろう。そうならないように、育て、世話をしていく。このロマンがわかるかね?今では焚き火をする為だけにキャンプ場に出かけるの者も多いそうだ」

つまり、この男の目的は焚き火をすることそのものらしい。
ランサーにとって火を起こすのは、野宿をする時など必要があるからやるものだ。
もちろん火を見ていると落ち着くという気持ちもわかるが、まさかそれ自体が現代では娯楽のひとつになっているとは思わなかった。

だったらお前もキャンプ場に行ってやれよ、とランサーが言おうとした時に、ふと頭に過ったことがあった。

そういえば、男が日頃甲斐甲斐しく世話をしている遠坂凛が、昨日からイギリスに出かけているらしい。時計塔に入学したらしく、しばらくは帰ってこないようだ。

ランサーは、先程この男が言っていたことを思い出す。自分は火の世話をしているのだと。
もしかしてこの男は、今まで手をかけていた遠坂凛という存在がいなくなったから、こんなことをしているのではないのだろうか。
世話を焼きたくてもその対象がいなくてはどうしようもない。だから突然、火の世話を焼くという奇行に走ったのかもしれない。
わざわざランサーのテントの側でやったのも、なんとなく人恋しいから。
衛宮士郎の家に行けば誰かしらいるだろうが、この男の性格上、あそこに寄りつくとは思えないし、寂しがっているのではないかと気をつかわれるのも嫌がりそうだ。
だから、適当に放っておいてくれそうな自分のところに来たのかもしれない。
そう思うと、追い返すのもなんとなくかわいそうな気がした。

別にこの場所はランサーが勝手に使っているだけで、ランサーの敷地ではない。
生活の邪魔にさえならなければ、別に好きにさせておいていいか。
ランサーは軽く息を吐いて、腕を組んだ。

「よくわからんが、火の始末だけはちゃんとしとけよ」

それだけ言って、ランサーは自分のテントの中に潜り込んだ。



薄い布の向こうから、パチ、パチ、と火の爆ぜる音がする。
ランサーは寝袋の上で横になり、あくびをひとつした。

テントの向こうにサーヴァントがいるのは気になるが、特に襲ってくる気配もなければ殺気も感じない。
そもそも、あの男がもしもランサーの命を狙ってここに来たのであれば、のこのこと姿を見せたりせず、もっと別の手段を取るだろう。いや、さっきのこそがランサーを油断させる為の手段なのだと言われたら、演技にしては設定が理解不能だし、それで騙されると思われるのも腹が立つ。
まぁ、どちらにせよ好きにしたらいい、とランサーは思う。

この世界は平和だ。
人に混じって生活するのも面白いが、やはり血が沸き立つ戦いというのもそろそろ恋しくなっている。
だから、あの男が実はランサー命を狙いに来たというのなら、それはそれで歓迎だ。そうだったら、何の憂いもなく槍を振るうことができる。
想像して、ランサーの口元がにやりと吊り上がった。

というか、あの男が今手が空いているのであれば、普通に誘えば手合わせでもなんでもしてくれるのではないのだろうか。
実は今までも何度か誘ってはみたが、忙しいだの暇がないだの言われていつも素気無く断られていた。
だが、今は一応、ランサーの寝床の近くにいることを許したという恩もある。声をかけたら応じるかもしれない。

そんなことを考えていた時、ふとランサーの鼻に香ばしい匂いが届いた。
醤油が焦げたような、ひどく食欲をそそる匂いだ。
ここは住宅街から離れている。いくらサーヴァントの感覚が鋭いとはいえ、こんなに美味しそうな匂いが漂ってくることは今までなかった。

まさかと思い、ランサーはテントの入り口を開け、顔を出す。
そこでは、白髪の男が焚き火の上に網を置き、三角に握られたおにぎりを焼いていた。しかもその後ろには、いつのまにか見慣れないテントまで建てられている。
まさかこの男も、ここで寝泊まりするつもりなのだろうか。

「……何やってんだ、てめぇ」
「見ての通り、焼きおにぎりを作っているのだが」

男が、網の上に置かれたおにぎりに刷毛でぺたぺたと醤油を塗りながら答える。
そのあまりに自然な態度に、ランサーが呆気に取られたまま無言で男を見つめていると、何を勘違いしたのか、男は「食べたいのなら、もう少し待ってろ」と言ってきた。

いや別に食べたくて見ていたわけではない。
そう否定しようとするが、網の上のほどよく焦げ目のついたおにぎりと、漂ってくる食欲をそそる香りに、向こうがくれると言うのなら断る必要はないか、とランサーは考えを改めた。

ランサーは、釣りをする時に使っている折り畳み式の小さな腰掛けをテントから持ってきて、焚き火の側に置き、そこにどかりと腰を下ろした。
さっきよりも近くなったその香ばしい香りに、思わずランサーの喉がごくりと鳴る。

すると、男は小さくふきだすように笑った。
その態度にむっとしていると、男が笑いを堪えながら、トングで美味しそうな焦げ目のついたおにぎりを掴み、用意してあった皿に乗せた。

「ほら、熱いから気をつけて食べるといい」

まるで子どもに諭すように言われる。
ランサーは色々な言葉を飲み込み、黙って差し出された皿を受け取った。
そして言われた通り、大人しくふーふーと息をかけ、手で持てる温度になったのを確認してから、大きな口でそれにかぶりついた。

かりかりに焼けた皮の下から、ほわりと温かい白米が顔を出し、口の中で解ける。
熱い。だが、それ以上にうまかった。
こんな小さな1個では物足りない。もっと食べたいと思うほどに。

「うまいな、これ」

素直にそういえば、男は少し目を開いた後にふっとそらし、ならもっと作ろう、と言った。

「これはスタンダードに醤油を塗っただけだが、ネギ味噌をのせて焼いても美味い。次はそっちも食べてみるか?」
「ああ」

ランサーは指についた米をぺろりと舐めて頷く。
その時、網の上に、おにぎりとは別に小さな鍋が置かれていることに気付いた。

「そっちは何だ?」
「これか?米だけでは何だから豚汁を作っている。……こっちも食べるか?」
「食う」

そう答えれば、男は少し黙った後、待ってろ、と言って、何やら口の中で呟いた。
すると男の手に、小さな器が現れた。

この投影魔術というのは本当に便利だな。
そんなことをランサーが考えていることなど知らず、男は鍋の蓋を開けた。
ふわりと湯気が溢れ、中から柔らかく煮込まれた野菜や豚肉が顔を出す。
味噌と生姜の匂いが、ランサーの鼻を優しくくすぐった。

男はそれをお椀に掬い、箸と一緒にランサーに差し出してきた。
あたたかなそれを受け取ったランサーは、さっきと同じように少し息を吹きかけた後、ひと口啜る。

「うまっ」

思わずランサーは声に出していた。
この空の下で食べる豚汁、というのもあるのだろうが、それを抜きにしてもうまい、と思った。
出汁の味がたっぷりと染み込んだ野菜に、とろりとした柔らかな肉。程よいネギの酸味と生姜が、豚汁の味をさらに引き立たせていた。

気付いたら、ランサーは夢中になって食べていた。
こんな小さな器ではなく、どんぶりで食べたいと思った。
そうして無心で箸を動かしていると、ふと男の視線を感じた。
こんなにがっついて食べていたら、品がないとか、マナーがなってないとか、また嫌味を言われそうだ。
そう思いながら、持ち上げていた器と指の隙間から、そっと男を盗み見る。

「……ふっ、そんなに焦らなくとも、まだたくさんあるぞ」

男は嬉しさを噛み締めるように、柔らかく笑っていた。
その表情に、ランサーはひどく驚いた。
どうせ、いつもの人を馬鹿にしたような腹の立つ顔をしているとばかり思っていた。
なのに。
この男はこんな顔もできるのか。
その衝撃で、あれだけ無心で動かしていたランサーの箸が、思わず止まった。

「家で漬けてきたきゅうりの浅漬けもあるのだが、それも食べるかね?」
「食う」

ランサーがそう答えると、男はわかった、と頷き、後ろにある真新しいテントの中に消えていった。

びっくりした、とランサーは思った。
まさかあの男が、自分に対してあんな無防備な表情を見せるとは。
セイバーや遠坂凛だったらわかる。だが、ここにいるのは自分だ。いつもなら、あの男があんな顔を見せるわけがない。

もしかして、あの男は、遠坂凛の不在で相当参っているのかもしれない。
その可能性はある。本人が自覚しているのかはわからないが、ランサーにまであんな柔らかい表情を見せるのだ。実はかなり弱っている可能性もある。

当の男はランサーの心配など他所に、鼻歌を歌いそうな雰囲気でテントから戻ってきて、透明な容器の蓋を開け、きゅうりを取り出している。

まぁ、うまい飯も食わせてもらったし、今日のところは放っておいてやってやるか。
一晩寝たら気が済んで、あっさりいなくなるかもしれないしな。

そんなことを考えながら、ランサーは残った豚汁をごくりと飲み干した。




だがランサーの予想は外れ、次の日も、その次の日も男はランサーのテントの前にいた。

とある日は、これがメスティンだ、と男は自慢げに銀色の鍋のようなものをランサーに見せつけた後、それで米を炊き、次に出してきたスキレットという厚手のフライパンでベーコンエッグを焼いていた。
スキレットを育てるのは時間がかかるのだ、という男の講釈はうっとおしかったが、作ってくれたベーコンエッグ丼は文句なしに美味かった。

またある時は、ランサーがバイトから帰ってきたら、男の焚き火台の上に、見たこともない丸い形をした鍋が置いてあった。何かと聞くと、燻製器だ、と男は胸を張って答えた。それで作ったというスモークチーズやスモークサーモンはめちゃくちゃ酒に合った。

朝、ランサーが起きたら、直火用のホットサンドメーカーでハムとチーズのホットサンドを作っていたこともあったし、ダッチオーブンで魚介がたっぷり入ったスープを作っていた時もあった。

それらはランサーが興味を示せば、ためらうことなくランサーに振る舞われた。逆に、ランサーが何も言わなければ、男が無理にそれを押しつけてくることはなかった。

相変わらず、男の意図はランサーにはよくわからなかった。
だが、目の前にある美味しそうな料理を逃すのも惜しく、気付けば男と焚き火を囲んで食事をする時間が増えていった。

男との奇妙な関係は、おそよひと月ほど続いた。
その頃になると、男がランサーのテントの前にいるのが当たり前になっていた。

食事中の会話も、はじめの頃は、男が料理の説明やキャンプ道具のこだわりを一方的に話していただけだったが、次第にランサーも、少しずつ今日あったことなどを話すようになった。
と言っても他愛もない世間話だったが、男が妙に楽しそうにしていたので、それならばとランサーはできるだけいろんな話をするようにした。

ランサー自身の昔話をしたこともある。
その時の男の反応は、予想外に可愛らしいものだった。
明らかに先を聞きたがっているのに、あえて興味のないふりをしている様は、素直になれない子供のようで、まさかこの男相手に可愛いなんて思う日が来るなんて、ランサーは夢にも思っていなかった。

また、釣った魚を衛宮士郎に分けてやった、という話をしたら、あんな未熟者に渡すよりも私に渡した方がいい、と男が大層不満気だったので、次に釣ったらお前に渡すと約束した。
だがその態度が気に障ったのか、別に欲しいわけではない、と今度は拗ねだした。
じゃあどうしたらいいんだよと思いながら、試しに、今度一緒に釣りに行くかと誘ったら、男は一瞬明らかに嬉しそうな顔をした後、誤魔化すように咳払いをして、仕方ない、それで手を打ってやる、と偉そうに言った。
そのわかりやすい態度に、ランサーは思わず吹き出してしまった。

男との時間が増えるたび、ランサーは男への苦手意識が徐々に和らいでいることに気付いた。
もちろん、幾度の戦いを経て、男の腹の立つ面は知っている。苛立ったこともたくさんだ。
だが、そもそも、元からすごく嫌っていたわけではない。むかつくところはあれど、好ましいと思っていた部分もある。その戦い方に文句を言ったこともあったが、男との戦いが嫌いなわけではない。

そのことに気付くと、料理もうまく、戦いでも自分といい勝負のできるこの男のことを、ランサーは悪くないと思った。むしろ、好ましいと。

なんだ、もっと早く関わっておけばよかった。
ランサーはそう思った。

そうしたらきっと、もっと早く男の良さに気付くこともできたし、もっと早く距離を詰められた。もっと早く、男とこんな時間を過ごすことだってできただろう。
だが、今更悔いても仕方がない。今からそれをすればいいのだ、とランサーは気持ちを切り替えた。

それからランサーは、より積極的に男に関わっていくことにした。
まずランサーは男に、自分も料理をしてみたいと言った。
ランサーの行動を当然あの男は訝しんだが、目の前でうきうきでやられたら、こっちだってやりたくなるだろ、と言えば、それもそうかと男は素直に納得し、今まで作ってきた料理をランサーに教えてくれた。

それからは、時々だがランサーも男に食事を作るようになった。
はじめて作ったのは、男が最初に作ってくれた焼きおにぎりだ。
焼き上がったそれを、どうだと男に差し出せば、形が悪い、焼きムラがある、まだまだだな、と言いながらも、男は一粒も残さずに食べた。
次はもっと美味いのを作ってやる、と言えば、楽しみにしている、と男はまたいつものむかつく顔で笑った。

いつかの約束通り、一緒に釣りも行った。釣った魚の下処理を一緒にやり、焚き火で焼いて食べた。焼きたての魚は格別で、もっと食べたいと思ったランサーは、また釣りに行こうぜと男を誘った。
男は、気が向いたらな、とそっけなく答えながらも、その表情はいつもよりも柔らかかった。

食事中、男はよく話した。
だが、それはキャンプ用品や料理の説明ばかりで、男自身に関するものはほとんどなかった。
それに気付いたランサーは、男に色々なことを聞くようになった。

はじめは何か探っているのかと警戒していた男だったが、軽い調子のランサーに絆されたのか、ぽつぽつと自分のことを話してくれた。料理は子どもの頃から作っていたこと。今日はこの近くで猫を見たこと。商店街で懐かしい歌を聞いたこと。

男は、自分に関する話はつまらないといつ前置きしていたが、男自身の話を聞くのは、ランサーは存外嫌いではなかった。
そんな男と焚き火を囲んで過ごす時間は、いつしかランサーにとっての日常で、とても居心地のいいものになっていた。


ある日の夕食後、火の始末をした後に、男が不意に立ち上がった。

「アパートに忘れ物をしたから取ってくる」

そう言って、男はふわりと姿を消した。
ランサーはその行動に、特に疑問を持たなかった。
男の料理はランサーの目の前で作られるものと、男が住んでいるアパートで作って持ってくるものがある。だから、何か明日の朝食で使うものでも忘れたのだろうと、特に気にもとめず、自分のテントに戻った。

次の日の朝、テントの前に男はいなかった。まだ寝ているのかと、男のテントを覗いたが、そこにも男の姿はない。
ランサーは少し待った後、いつものようにバイトに出かけた。そして夕方にテントに戻ったが、夜になっても男は帰ってこなかった。
その次の日の朝も、テントの前に男はいなかった。ランサーは街で男を探したが、見当たらなかった。
さらにその次の日、ランサーはキャスターに頼んで、男の気配を探ってもらった。
そこで、この街にあの男がいないことがわかった。

そしてその日の夜、ランサーは今のマスターから、あの男が消えたことを聞かされた。
魔力不足による消滅だったらしい。遠坂凛からそう連絡があったそうだ。

教会を後にしたランサーは、住み慣れたテントの前に戻ってきた。
そこにあるのは空っぽのテントと、あの男が愛用していた焚き火台だけ。
もうあの男はここには戻ってこない。ここで、ランサーと一緒に食事を摂ることもない。
朝起きたら食欲をそそる匂いが漂ってくることも、バイトから戻ってきたら見慣れぬ道具を使って楽しそうに食事を作っている男の姿を見ることも、共に釣りに行くことも、焚き火を囲んで男の話を聞くことも、もう二度と。

それを理解した時、ランサーは。



『あなたの好きにしたらいいと思う』

かつて召喚された世界で、宝石のような気高さを持つ少女は、エミヤにそう言った。

『体を維持できるだけの魔力は、宝石に溜めて置いていく。あなたの為に用意したものだから自由に使ってくれて構わない。でも、それはあくまで私の気持ち。あなたがこの世界に耐えられないというのなら、無理にここに残る必要はないわ。でも』

そこで彼女は、ふわりと表情を緩めた。

『せっかく戦いのない世界に呼ばれたんですもの。私はあなたに、この世界を楽しんでほしいと思う』

楽しむ?と、エミヤは聞き返した。
すると彼女は悪戯っ子のように笑った。

『そう。こんな機会は滅多にないんだし、楽しい思い出をたくさん作るのも悪くないんじゃない?あぁ、でも、もし本当に座に還るなら、礼儀として最後に挨拶くらいはしていきなさいよね』

そう言い残し、彼女はイギリスへ発った。
残されたエミヤは、主のいない邸でひとり、彼女の言葉を思い出す。

今エミヤがいるのは、かつての自分が過ごしていた街だ。商店街があり、大きな橋があり、豊かに広がる森がある、懐かしい冬木の地。
自分以外にもサーヴァントは召喚されているが、互いに戦うことなく、それぞれがそれぞれのテリトリーで穏やかに暮らしている。
エミヤ自身もアパートで暮らし、遠坂邸の手入れをしながら日々を過ごしていた。

彼女はエミヤに、楽しい思い出をたくさん作ってほしい、と言った。
思い出、とエミヤは口の中でその言葉を繰り返す。
エミヤの頭の中には、1人の男の姿が浮かんでいた。

ここはサーヴァント同士、戦う必要のない世界だ。いつもは敵対している相手でも、ここでならば友好関係を結ぶことだってできるかもしれない。
今なら、エミヤがずっと恋焦がれていたあの男に近付くことも。

ごくり、とエミヤの喉が鳴る。
いや、迷っている暇はない。きっと今しかない。こんな平和な召喚など、もう二度とないだろう。
恋人になりたい、などとは思わない。そこまでは望まない。
ただ少し、ほんの少し、今よりも近付きたい。それだけでいい。
その思い出を記録として持つことができたら、きっとエミヤはどんなことにも耐えられる。
そんな衝動に突き動かされるように、エミヤは男の住処へ向かった。
それから男と過ごした時間は、エミヤにとっては夢のようなものだった。

楽しい時間は瞬く間に過ぎ、ある日、エミヤの体に限界がきた。
体が保てなくなる直前、エミヤはひとり遠坂邸に戻り、イギリスにいる遠坂凛に電話をした。
電話に出た凛は、変なところ律儀なんだから、と笑っていた。

『それで?いい思い出はできたかしら?』
『そうだな。得難い、いい思い出を作ることができたよ』

そう伝えた直後、エミヤの体は宙に解け、冬木から消滅した。
だが、あの時の記憶は、こうしてエミヤがカルデアに召喚された今でも、胸の中で温かく残り続けている。

正直、まさかあの記憶を次の召喚まで持ってこれるとは思わなかった。
これがカルデア式の特殊な召喚によるものなのかもしれないが、それでもエミヤにとってはありがたかった。

何せ今は世界の危機だ。
きっとあの頃のように、のんきに交流している場合ではないだろう。
だからこそ、あの思い出が胸にあるのがありがたかった。

カルデアにもあの男はいた。
男は、今回は同じ陣営だな、と言いながら、軽い調子でエミヤに話しかけてきた。
一瞬、あの焚き火の前で過ごした日々がよぎったが、エミヤは全てを飲み込み、いつものように無表情でよろしく頼む、とだけ答えた。

それから、慌ただしく日々は過ぎていった。
激動の日々ではあったが、ハロウィンやバレンタインなどには笑ってしまうような特異点が発生したりもして、辛いだけでの日々ではなかった。
あの男との関係も、特に劇的に変わったりはしなかった。ただ顔を合わせれば他愛もない話をしたり、くだらないことで口喧嘩をしたりする程度。
言ってみればごく普通の関係だ。すごく仲がいいわけでも、悪いわけでもない。多くいるサーヴァントの中の一騎。

だけど、それでいい、とエミヤは思う。
だってエミヤにはあの記憶がある。あの思い出さえあれば寂しくない。
あれがなければ、エミヤはカルデアで男への恋心を募らせ、血迷った行動をしていたかもしれない。
それくらいこのカルデアという空間は、エミヤにとって魅惑的な場所であった。

そして、ある夏に発生した特異点で、カルデアはサマーキャンプをやることになった。
夏はカルデアが盛り上がる時期のひとつだ。
だからというわけではないが、エミヤも新しい霊衣に着替え、マスターと共に夏のひとときを満喫していた。

そんなある夜。エミヤが拠点にしているロッジ周辺の見回りをしていると、少し離れた森の中に、1人でいるランサーを見つけた。

男は少し開けた場所で火を起こし、その側に腰を下ろしていた。
釣った魚でも焼いているだろうか。
そう思っていると、不意に香ばしい匂いがエミヤの鼻に届いた。

おや、と思ったエミヤは男に近付き、その手元を覗き込んだ。
そこにあったのは網の置かれた小さな焚き火台だ。その上には2つの焼きおにぎりが並んでいた。

「珍しいものを作っているな。マスターにやるのか?」

そう聞くと、男はこちらをちらりと見上げた後、そういうわけじゃねぇよ、と気まずそうに答えた。

「ちょっと思い立って作っただけだ。道具もあったしな」

たしかに、この特異点には多くのキャンプ用品が持ち込まれていた。その中にはエミヤが投影したものもあるし、英雄王やレオナルド・ダ・ヴィンチがどこからか仕入れてきたものもある。
それらを見ていて、作ってみたいという気持ちになったのかもしれない。

エミヤはそうか、とだけ答え、網の上で焼かれるおにぎりを見つめた。
ぱちぱち、と火の爆ぜる音が夜に響く。
そういえば、あの時、焚き火のそばでエミヤが初めて男に作ったのも、焼きおにぎりだった。
懐かしい思い出が、エミヤの胸にじわりと広がる。

「……食うか?」

思わぬ男の言葉に、エミヤは目を瞬かせた。

「いいのか?」
「ああ」

随分と気前がいい。だが、男からのせっかくの誘いだ。ここはありがたくいただこう、とエミヤは投影した皿を男に差し出した。
男は無言でトングを手に取り、その上に焼きおにぎりを置いた。
綺麗な焦げ目がついたそれは、いつか彼が作ってくれたものよりも、幾分か形が整っていた。

「んだよ、形が悪いとか難癖をつける気か?」

エミヤが食べずにまじまじと見つめていると、男が不満そうに言ってきた。

「いや、思ったよりも丁寧に握られていると思っただけだ。これは君が握ったのか?」
「……そうだけどよ」

だとしたら、随分と上達したものだ、とエミヤは思う。
まぁ、カルデアの食堂は基本的には解放されていたし、夜食などでこの男もおにぎりを作っていたのかもしれない。
そんなことを考えながら、エミヤは醤油の香りのするそれを手で持ち、かじりついた。
程よく焼かれた焦げ目がぱり、と割れ、中から温かなご飯がほろりと顔を出す。
塗られた醤油の量も焼き加減も、悔しいがちょうどいい。

「ふむ、よく焼けているではないか」

素直にそう言えば、男は驚いたように顔を上げた。
その表情は男には珍しく、戸惑っているようにも見えた。

「……なんだ、その顔は」
「いや、……思ったよりもあっさり褒めたなと」

その発言に、エミヤはムッとする。

「私だって無闇矢鱈に難癖をつけているわけではない。そもそも、この焼きおにぎりだって、非の打ち所がないほど完璧なものだというわけではないからな。そっちが望みなら、いくらでも厳しく批評してやるが」
「いい、いい!いいから、黙って座って食べてろ!」

男はそう言って立ち上がり、エミヤの肩を強引に押して、自分が座っていた簡易式の椅子に座らせた。
そしてため息をつきながら、焚き火台の側に転がっていた丸太に腰をかける。

全く、人をクレーマーのように言いおって。
エミヤはむしゃくしゃしながら、おにぎりにかぶりつく。
エミヤは、男が前に作った時の焼きおにぎりを知っている。だから、その上達した部分をきちんと認めて評価したのだ。なのに、あの言い草。無論、前のことを男は知らないから、あの態度になってしまうのは仕方がないかもしれないが、それでも腹が立つものが腹が立つ。
もっとこき下ろしてやればよかった、と悔やんでいた時、不意に男が口を開いた。

「なぁ、アーチャー」
「なんだ?」
「それ、うまいか?」
「……まぁまぁだな」
「そうか」
「マスターや女性陣にやるなら、もう少し小さくしたほうが食べやすい。あと、中にチーズなどを入れてもいいだろう」
「いいんだよ。これはお前用なんだから」

その言葉に、エミヤは思わず男の顔を見た。
男の視線は焚き火に向けられていて、こちらを見ていない。
男の赤い瞳の中で、炎がゆらりと揺れた。

困惑するエミヤをよそに男は、もう1個も食っとけ、と残っていた焼きおにぎりを皿の上に乗せてきた。
エミヤは戸惑いながらもそれを受け取り、黙って口に運ぶ。

一体、どうしたのだろう。何かあったのか。
実はエミヤの知らないところでロッジのキッチンを壊したとか、カルデアのキッチンを破壊したとかで、エミヤに胡麻でも擦ろうとしているのだろうか。

「……もしかして、何か壊したりしたのか?それで私の機嫌を取ろうとしているのか?」
「そういうんじゃねぇよ。ただの差し入れだ。お前、さっきまで見回りしてたんだろ?」

それはそうだが、とエミヤは口籠る。
すると男は不満そうに口を尖らせた。

「なんかやけに疑ってくるじゃねぇか。オレが差し入れしたら駄目なのかよ」
「そういうわけではないが……」

たしかに彼はサーヴァントの中では気安い部類だし、気の利く男ではある。
だから純粋に見回りをしているサーヴァントを気遣って差し入れを作ってくれた可能性は十分にある。
そこまで考えて、そうか、とエミヤは思った。
彼は『見回りをしていたサーヴァント』に差し入れを用意していただけで、エミヤの為に作ってくれたわけではない。たまたまここに来たのがエミヤだっただけ。ここに来たのが他のサーヴァントであっても、きっと彼はその焼きおにぎりを渡したのだ。そう考えると納得がいった。

だがまさか、彼の手作りの焼きおにぎりを、この召喚でも食べることが出来るとは。
これは幸運Eにあるまじき幸運だ。
すっかり気をよくしたエミヤは、皿に乗せられた焼きおにぎりを全て腹の中におさめ、男に向き直った。

「正直、小腹が空いていたところだったから助かった。その礼、というほどでもないが、何か食べたいものがあれば、明日の食事の時に一緒に用意しよう」

ちなみに明日の朝はマスターのリクエストでハムとチーズのホットサンドを用意する予定だ。
そう伝えると、男は考えるように視線を少し上げた。

「……じゃあ、豚汁?」
「……さすがにホットサンドには合わないな。夕食でもいいか?」
「おう」

そう言って、男は再び視線を火に戻した。

「なぁ、アーチャー」
「なんだ?他にも食べたいものがあるのか?」
「違ぇよ。そうじゃなくて。……お前さぁ、前の召喚でオレとあったこと、どのくらい覚えてんだ?」

問われて、ぎくりとした。
この男がいつの前の召喚のことを言っているかわからない。だが、なんとなく、自分があの焚き火の記憶を未練がましく持っているのを知られたくはなかった。
エミヤは持っていた皿を消し、考えるふりをして腕を組む。

「そうだな。と言われても、基本的には戦っているものばかりだ」
「それ以外だと?」
「……決まった日々を繰り返したこともあったな」
「ほう、そんなこともあったのか」

男が興味深そうな声を出す。

「私と君と英雄王と3人で、釣りをしたこともあったぞ」
「マジで?釣り場を荒らされる予感しかしねぇんだが」

けらけらと笑う男はどことなく楽しそうだった。

「あとは、……あぁ、君の働くカフェにキッチンで入ったこともあったな」
「ん?お前もバイトしてたのか?」
「君に半ば強制的にやらされたんだ。私が自ら進んでやったわけではない」

他にはないかと男が聞いてくるので、エミヤはなんとか記憶を絞り出す。
君はよく商店街でバイトをしていた。よく女性に声をかけては振られていた。あとは。あとは。
思いつく限りの話をしても、男は他にはないのかと問うてくる。

もっと話したい、とエミヤは思った。
カルデアに召喚されてから、男とこうして腰を下ろしてゆっくり会話した記憶はない。
エミヤはキッチンを預かる身でなんだかんだ忙しく、男も頻繁に素材集めに駆り出されており、言葉を交わしはするものの、どれもこれも立ち話程度。
だから、こうして2人きりで話すのは、実はこれが初めてだった。

じくり、とエミヤの中に押し込めていた恋心が疼く。
この時間がもう少しだけ続けばいい。せめて夜が明けるまでの間だけでも。
そんなことを思うものの、あとエミヤの中に残っている男との記憶は、あの焚き火を囲んだ思い出だけ。

どうせ覚えていないだろうし、少しくらいなら大丈夫だろう。
一緒にいる思い出がほしくて押しかけたことさえ言わなければ、男も気持ち悪がったりはしないはずだ。

そんな浅はかな考えで、エミヤはあの時のことを口にした。

「そういえば、こうして君と火を囲んだこともあったな」
「へえ。野営でもしたか?」
「野営というか……、君はある召喚ではテント生活をしていたと言っただろう?その時に」

なんと言ったらおかしくないだろうか。
エミヤは慎重に言葉を選びながら男に説明をする。

「世間的にキャンプがブームで、私もやってみようと思ったんだ。だが、いかんせん場所がない。あの街から離れるわけにもいかないし、当時のマスターの家の敷地内で火を起こしたら、近所迷惑になる。そこでテント生活をしている君のところに行ったのだ。君がいる場所は火を起こしても差し支えがなさそうだったからな」

こんなところで大丈夫だろうか。
話しながら、エミヤの記憶がどんどんと蘇ってくる。
煙の向こうに見える男の姿。エミヤの作った料理をうまいと言って食べてくれた、その時の顔。声。匂い。温度。
あのすばらしい思い出を、エミヤはきっと忘れないだろう。

「その時もこうして焚き火をして、その火でいろんな料理を作った。……いい思い出だ」

無意識にエミヤの口の端が上がる。
そうだ、あの記憶はエミヤの宝物だ。そうなるようにエミヤは動いた。
あの時間を振り返るたびに、エミヤの胸は甘く締め付けられる。
その優しい痛みが、エミヤには心地よかった。

「……思い出だと?」

不意に男の声が低くなった。
途端に、辺りの空気が一瞬にして重苦しいものに変わる。
突然のことに驚いたエミヤが顔を上げると、さっきまで穏やかだった男の目から完全に温度が消えていた。
氷のように冷め切った赤色が、エミヤを威圧するように見つめている。

しまった、とエミヤは狼狽えた。
せっかくカルデアで良好な関係を築けていたというのに、浮かれて余計なことを言ってしまったのかもしれない。
どれだ。思い出という言葉で、過去に浸っている感じが気持ち悪かったのだろうか。
ならば、とエミヤは慌てて言葉を付け足す。

「思い出というと湿っぽくなってしまうが、ただの召喚の記録のひとつだ。君にだってあるだろう」
「ああ、あるぜ。思い出だの記録だの、過去のものとして扱うにはムカつきすぎてできないもんがな」

男の目が、ギロリとエミヤを睨む。
その視線に込められているのは、今にも爆発しそうな怒りだ。

エミヤは困惑しながらに、男の言葉を必死に考える。
つまり、エミヤが大切だと思っていたあの焚き火の思い出が、男にとっては腹立たしいものだったのだろう。それで男は苛立っているようだ。

そんなことは知らなかった。
だって、あの時の男は、エミヤには楽しそうに見えた。エミヤの作った食事を食べる時も、エミヤに話しかける時も。
その様子は、エミヤがお互いに楽しく過ごせているのだと勘違いするには十分だった。

だが、それが間違いであったとするならば、エミヤがやることはひとつしかない。

「……そうか。あの時は、私の勝手な思いつきに付き合わせて悪かった」

エミヤは謝った。
実際、彼に想いを寄せて、思い出を作るために近付いたのはエミヤだ。エミヤが男を巻き込んだ。
だから、ちゃんと謝るのが筋だと思ったのだ。

「簡単に謝るんじゃねぇよ。たわけが」

男は怒りに顔を歪めて吐き捨てた。
だが、謝る以外男の怒りを収める方法がエミヤにはわからない。
エミヤが何も言えずにいると、男が自分を抑えるように長く息を吐いた。

「……あの時、何故黙って消えた」

怒気を孕んだ男の目が、エミヤを射抜く。
思わず、全てを吐き出して逃げ出したい衝動に駆られるが、ぐっと堪え、エミヤは立ち向かうように男を見返す。
本当の理由など、絶対に言うわけにはいかない。

「……別に理由などない」
「ないだと?」

不快そうに男が顔を顰める。

「ああ。ただの魔力不足だ。あの時はマスターと契約していなかったからな。当然の末路だろう」
「なら」

男の声はあくまで静かだった。

「だったら、何故それをオレに言わなかった」

その問いに、エミヤは内心首を傾げる。

「魔力が足りなくなっていたことをか?言って、どうなるものでもないだろう。君から魔力をもらうわけにもいくまい」
「……へえ」

男はそう答えて、うっすらと笑った。
焚火の明かりで照らされたその顔は、恐ろしく綺麗だった。

「なるほど。オレは魔力不足のてめぇに魔力を分けてやらないくらい、狭量な男だろ思われていたわけか」
「そういうわけではない!ただでさえ、私は君の生活の場に勝手に入っていったのだ。あれ以上の迷惑はかけられない」

決して男の度量を疑ったわけではない。
自分勝手な理由で、男から場所も時間も奪っているのだ。これ以上、男から何かをもらうのが申し訳なかっただけだ。
必死に弁明するエミヤを見て、男はゆっくりと口を開く。

「……そもそもあの時、何故オレのところに来た」
「それは」

一瞬、言い淀む。
それは、エミヤが男との思い出が欲しいと思ったから。思い出の中だけでも、男と親しくしたかったからだ。
でもそれこそ言えるわけがない。言ったら最後、本当にカルデアでの男との中は壊れてしまう。
エミヤはぎゅうと拳を握り、目線を下げて答える。

「……特に意味はない。さっきも言ったが、あの場所なら火を焚いてもかまわないと思った。それに君だったら、横に私がいても気にしないと思ったのだ」

たとえエミヤが消えたとしても、男はいつも通り。
気にも留めないと思っていたのだ。

「……そうかよ」

男は静かに言葉を落とした。
次の瞬間、エミヤの左頬に男の拳がめり込んでいた。

「……っ!」

その衝撃で、エミヤの体が地面に叩きつけられる。
さっきまで座っていた椅子が、一拍遅れて、かちゃん、と音を立てて倒れた。

エミヤが起き上がるよりも先に、男はエミヤの腹をまたぐように膝をつき、その胸ぐらを掴んで引き起こす。
無理矢理合わされた視線の先では、怒りに満ちた赤色が、痛いくらいにエミヤを睨んでいた。

「お前にとって、あの時のことは、その程度のものだったんだな」
「違う、私は」
「黙れ」

男の言葉で、びり、と空気が震えた。
男から溢れた殺気が、容赦なくエミヤに突き刺さる。
エミヤは思わず言葉を飲み込んだ。

「その程度のもんだったんだろうが。何も言わずに消えて、カルデアで会っても素知らぬ顔で、覚えていたと思ったら、『いい思い出』なんていう言葉で片付けやがった。てめぇのその態度が全てだろ」

だったらなんと言えばよかったのか。
声に出さずにエミヤは反論する。
君が好きだったから、君と過ごす思い出が欲しくて君に近付いたと。
想いを寄せる君にたくさん料理を食べてもらえて嬉しかった。釣りにも行けたし、いろんな話も聞けた。たくさんの言葉を交わせた。男の色々な顔も見ることもできた。そんな、サーヴァントにあるまじき穏やかな時を、共に過ごせて嬉しかった。
あの時そう言っていたら、何かが変わっていたのだろうか。

「お前は知らねぇだろ」

男は責めるように言った。

「お前が帰ってこなくなって、街中探しまくったオレの気持ちも、知らないところで消滅してたと聞いた時のオレの気持ちも、わかっていても、お前の置いていったテントを片付けられず、ずっと眺めていたオレの気持ちも知らねぇくせに。オレが、お前とのあの時間をどう思ってたなんか、何も知らねぇくせに!」

だからそんな軽々しく思い出などと言えるのだ、と男は吠える。

「魔力が足りなかったのなら、言ってくれたらいくらでもやった。言ってくれたら、オレだって、お前のために手を尽くした。それができる距離にオレはいると思っていた。何かあったら言いあえるくらいの信頼は得ていると、オレは思っていたのに」

悔やむように、ぎり、と男が奥歯を噛み締める。

「何故言わなかった。どうして言ってくれなかった。お前にとってあの時間は、そんな簡単に諦められる程度のものだったのか」
「違う!」

エミヤは咄嗟に否定した。
それは違う。あの時間はエミヤにとって本当にかけがえのないものだった。
何物にも代えがたい、大切なものだった。
ただそれを否定したくて、自分が何を言っているのかよくわからないまま、エミヤは必死に言葉を並べる。

「あの時間は、私にとって本当に大事なものだった。嘘ではない。ずっと続けばいいと心から思っていた。私がどれだけあの時間を渇望していたか、君こそ知らないだろう!私は君が好きだったんだ。近付くなら今しかないと、浅ましい自分の欲をを自覚しながら、あの時、君の住処に転がり込んだ。誰よりも私が、あの時間が続くことを願っていた!……でも、だからこそ、これ以上続けてはいけないと思ったのだ」

思い出は、あくまで思い出。それにふさわしいサイズがあった。
それ以上になると、大きすぎて抱えていられなくなる。なくなったものが大きすぎて、思い出すだけで辛くなるのだ。
だからそうなる前に、エミヤはあの時間を終わらせたかった。

「君だっていつまでも付きあってくれるわけではない。いつ喧嘩になって、あの生活が破綻するかわからなかった。だったら、いい思い出であるうちに終わらせたいと思ったんだ」
「……何故それを、あの時、オレに言わなかった」
「それとはどれだ?私がいかに君と過ごしたいと思っていたことか?それとも、この生活をずっと続けたいと思っていたことか?どちらにしろ、言えるわけがないだろう」

エミヤは鼻で笑う。
言ったところで、頭がおかしくなったと思われるだけだ。言うわけがない。
エミヤの言葉に、男は苛立たしげに顔を歪める。

「言えよ」
「無理だ」
「無理でも言え。そうしたら」

男は少しの沈黙の後、ぽつりと言った。

「オレだって、お前を離したくないと言ったよ」

その言葉に、思わずエミヤは目を瞬かせた。
ぱちり、とまぶたを閉じ、もう一度開いても、男の表情は何も変わっていない。
深い赤色が、じっとエミヤを見ていた。

「……は?」

エミヤの口から、間の抜けた音が漏れる。
動揺するエミヤを置いて、男はずっと胸ぐらを掴んでいた手を離した。
がくりと落ちそうになった体を、エミヤはかろうじて肘で支える。

男は構わず、空いた手をエミヤの頬に伸ばした。
指が触れる。
その熱さに、頬が焼けるようだった。

「待て。意味がわからない」

エミヤにはそう言うのが精一杯だった。

「どういうことだ。何を言っている。君は私が好きなのか?違うだろう?何かの嫌がらせか?だとしたら自分に好意を持っている相手にやるのは趣味が悪すぎる。もっと相手を選んで」
「オレは」

目を細めた男の顔が、ゆっくりとエミヤに近付いてくる。

「お前が消えた後、もし次があるのなら、次は逃すようなヘマはしないと決めた」

わかるか、と男が問うてくる。
わからない、とエミヤは首を横に振った。

男の吐息がエミヤの顔に当たる。
それだけでエミヤの頭は冷静ではなくなるというのに、男がさらに訳のわからないことを言ってくるのだ。理解しろと言う方が無理だ。

「いいか、お前がオレをこうしたんだ。その責任は取ってもらう」

頬に触れていた男の手がエミヤの後頭部にまわり、ぐい、と引き寄せられる。
その勢いのまま、エミヤと男の唇が重なった。

エミヤの頭は真っ白になった。
どういうことだ。一体何が起きている。どうしてランサーにキスをされているのだ。

いつものエミヤだったら、何をする、と怒鳴って、男に投影した剣を振り下ろすこともできたはずだ。
だが、体に力が入らない。どろりとした熱のこもった男の目が、エミヤから抵抗する力を奪っていく。

混乱するエミヤを置いて、男はそっと口を離した。

「なんで……」

数秒後、ようやくエミヤが言えたのは、そんなありふれた言葉だった。

「さぁな。てめぇで考えろ」

そう言って、エミヤをきつく抱きしめた男の顔は、どこか晴れやかだった。


おわり

Comments

  •  ぱ
    Mar 1st
  • わんわんお
    January 20, 2025
  • ねいねい
    October 9, 2022
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