敵であるならば恋人であろうと殺す。
それがランサーという男のあり方で、そして、それが彼の捧げる愛そのものだった。
まどろむような陽だまりの中で、エプロンを身に着けた男がかいがいしく動いている。ランサーはそれをだらりと畳に寝そべったまま見ていた。
男は、決して美しいわけではない。ランサーはあまり他者の美醜に頓着しない質だが、この男より美しい女はもちろん、美しい男も知っている。それらと比べると、男はあまりに幼い。その幼さは愛嬌でもあり、性愛の対象にはならないという絶対性でもある。
「アーチャー」
眠気を引きずった低い声でそう声をかけると、アーチャーは視線だけをよこした。そっけないといってもいい。
ランサーが伸ばした手でこいこいと手招くと、アーチャーはため息をついて膝でにじりよってくる。立ち上がることもしないのはそれほど遠くないことと、時折彼が見せる、隙のような素の部分のせいだ。
呼びつけたものの何をするわけでもないランサーを見下ろして、鋼色の瞳は困ったように揺らめく。わずかな沈黙の後褐色の手が伸びてきて、ランサーの頭をなでた。甘い接触ではない。大型犬の頭をなでるような、わしわし、という音があてはまるような、そんな手つきだった。
それは決して不愛想でも、不器用でもなかった。そこにこもる親愛の情は、違えようのないものだった。
「どうした、ランサー」
「お前、俺を殺せんのか」
不意を突かれたように、アーチャーは目を丸くした。
その質問を探るように、彼は沈黙する。
あぁ、かわいそうに、とランサーは思った。これは優しすぎるのだ。人間を辞めて、壊れてしまったと揶揄されることもある。けれどこの根本は優しすぎる。自分が少し苦労するだけでほかの何もかもが楽になるというのなら、自分の苦労など存在しないに等しいのだ。
頭から離れて行き場を失った手を、ランサーは握った。温かかった。獲物の違いなのか、アーチャーの手はがっしりとしている。対するランサーの手は戦士のものだが、アーチャーのそれと比べれば幾分かしなやかだ。
割り切ってしまえば、それは簡単なことだ。
敵と味方を分けるのは感情ではない。嫌いなやつでも味方は味方で、好きなやつでも敵は敵なのだ。それは実にシンプルで、合理的で、けれどなにより難しいことだった。
「なあ、アーチャー」
ランサーは握った手を、自分の心臓にあてた。薄い衣服越しに、心臓は脈打っている。音がしている。この音は、命そのものだ。
アーチャーは目を伏せた。手のひらから伝わる心音に心を寄せるように、それでいて、それから逃れようとしているようでもあった。
戦士として、ランサーはアーチャーを信頼していない。この男は優しすぎる。腕はいいが、性根が真っ直ぐなのだ。揺らぎやすい、といってもいい。男は他者を救うことだけには揺らがないが、自分自身のこととなると途端投げ捨ててしまう。
戦士として弱い。致命的なまでに。アーチャーは大切な人を盾に取られれば、表面上、身の振り方は別として、確実に大打撃を受ける。表面はまったくの普段通りで、身の振り方も裏切りだろうと、彼は確実に、その大切な人を守ろうとするのだ。
「君は、違うことなく私を殺すだろうな」
それは悲しみに彩られた声ではなかった。
アーチャーは、いとおしそうにランサーを見下ろしている。その瞳の柔らかさはこの男の無防備な情で、見た目や言動に反して、アーチャーは意外なほどに、そういったことを隠そうとはしなかった。
応、とランサーは答えた。アーチャーは綻ぶように笑った。嬉しそうですらあった。
彼は、自分の憧れた英雄が、憧れと違わぬことに狂喜したのだ。狂喜、まさしくそう呼ぶにふさわしい感情だった。アーチャーは、たとえどんな場面であろうと己を貫くその姿に、憧れたのだ。
「私は、きっと鈍る」
「最後に俺を失望させんなよ」
「それは、どうかな。保証はできん。全力を尽くすつもりではいるが、それが君の意に沿うかどうかは分からない」
「・・・まあ、それもしゃあねぇか」
ランサーは手を差し伸べて、その頬を撫でた。男の頬など撫でても何も楽しくはない。けれど、ただただいとおしいと思った。
愛も恋も語るには遠い。今ここにいる現身で語るには軽すぎた。ここで語った情はすべて夢と同じだ。座にある本体にとっては、大した記録にもならない。今ここにある感情、今ここにある空気、風景、そういったものすべて、紙面に書き起こしてしまえばただの文章に成り下がる。
それは、なんてかなしいことだろうと、ランサーは思った。
アーチャーは何も言わない。いつの間にか膝立ちをやめてぺたりと座り込んだ男は、ただランサーを眺めている。観察しているといってもいいし、茫然としているといってもいい。ただ、何も言わない。
他愛のない日々の一幕だった。
ランサーは目を閉じる。耳元でごうごうと風が鳴っている。ため息をついて目を開き、見下ろす先、力なく膝をついた英霊の姿があった。
虫の息だ。アーチャーにはもう立ち上がる力は残っていない。彼が背にかばったマスターである少女も、ランサーに抗うだけの力はない。勝敗は決した。それでも鋼色の瞳は、ランサーを見つめている。
「立て、アーチャー。次で終わりだ」
「・・・凛」
「っ・・・アーチャー・・・」
アーチャーは膝を立てて、立ち上がった。根性だけで立っている。そんな姿だ。もう力は残っていないし、魔力は枯渇している。体を維持するだけで精いっぱいだろう。ランサーの一撃を受け止めきる力は、もうない。
ランサーは槍を構えた。呪いを使うまでもなく、赤い槍は心臓を穿つだろう。この場にいかなるものの介入があろうと、それは変わることのない運命そのものだ。
逃げろと、アーチャーは少女を急かす。少女は泣きそうになって、それをこらえ、そして駆け出して行った。彼女は強い。合理的だ。それを実行できるだけの芯の強さもある。ただ一度時間を挟めば行動できなくなる。それだけだ。
赤い背中が翻って、消えていく。それを見送った後、ランサーは唇をしならせて、笑った。
「男前だねぇ。惚れた女は守り通すってか」
アーチャーは口を開いた。何か言おうとして、できず、彼はと息を吐きだすように、は、と、笑った。
きっと殺しあうことになるとわかっていて情を繋いだ己の愚かさを、彼は笑ったのだ。
ランサーは何も言わずに、穂先を定めた。貫くのであれば一撃だ。それは戦士に対する敬意であり、情人に対する愛情でもあった。死を目前にする苦しみを与えることをランサーは良しとしていない。
ここで彼の命を惜しいと思う気持ちがあれば、ランサーは違う道を歩んできたのだろう。ただ彼は、現状においての正しい認識と、その中に置いてできる最良を選び取ってきたのだ。もしここでランサーが穂先を下ろして見逃したところで、アーチャーは別の誰かの手にかかって死ぬだろう。そうなるのであれば、その前に手を下すのがランサーにできることだった。
「構えろ。一撃で終わらせる」
「・・・ランサー」
アーチャーは胸に手を当てていた。それは何か意図があるしぐさではなかった。ただ呼吸が苦しいから、肺を抑えている。それだけだ。苦痛を和らげようとする本能的な動きだった。
乾いた咳を吐き出して、アーチャーは、目を細めた。まぶしそうだった。
何も言わない。
ランサーは息をつめて、距離を測った。違わず刺し貫く。そのために力を込めたその一瞬、正面からにらみ合った瞬間に、あぁ、と、ランサーは吐息のように笑った。
真正面からしとめるのは、これが最初で、最後だ。
青い影が走り、そして、赤い穂先は吸い込まれるように心臓を貫いた。体の正面から背中までを、衝撃をもって走る。貫き通された穂先からは赤い液体がしたたり、エーテルが溶け出した。
衝撃に体を揺らしてなお、アーチャーは立っていた。それは立っているとは言えない姿だった。もう力が入らない全身は、心臓を突き破った槍によって支えられている。寄り添うでもない使い手がみる先で、アーチャーの姿は足もとからほどけ、背景と同化し、やがて、跡形もなく消え失せた。
最後の顔は、見なかった。
並んで道を歩くと、ランサーは何にでも興味を惹かれ、アーチャーはあきれたようにそれについてきた。知識があっても実体験のないランサーにいろいろとレクチャーをするアーチャーという組み合わせは、その頃になると珍しくもなかった。
道を歩くとき、手を繋いだことはない。お互いに立場というものがあるし、男同士ということもある。ランサーは気にしたことはないが、アーチャーは自分が生きていた時代というだけでいたたまれないところがあるらしく、あまりいい顔はしなかった。
ただ道を歩くとき、時々お互いの手の甲が触れあうことはあった。それくらい近くで、けれどどちらともなくそっとその距離をわずかに離すような、そんな触れ合いをしたこともあった。
お互いの名前を、真の意味で呼んだことはない。よくおとぎ話では名前を呼ぶことが特別だというし、名前には意味があるということはわかっていた。けれど、そうすることはしたくなかった。名前を呼び合えば、それは深い部分でのつながりになる。真剣な愛だった。だからこそ、そうしたくはなかった。
「おう、アーチャー。ありゃなんだ」
そう言ってランサーが振り返る。青い髪が彼の動きに合わせて背中で跳ねて、冬だろうと薄着の男は目を細めて笑う。
見た目もそうだが、笑い方が華やいでいる。不思議と人の心を解きほぐすような、そんな人懐っこい笑い方だ。ふとした真剣な表情は戦士のそれだが、こうして笑っているときの姿は、子犬が戯れるさまを思わせた。
アーチャーが、ランサーの白い指が示す方向に視線を向けた。対するこちらは不愛想なほどに表情の変化がなく、あぁ、とつぶやいた声もほとんど平坦だ。対照的な二人組だった。
相反する存在だった。お互いに気に食わない部分が多く、けれど、だからこそ惹かれたのかもしれない。
守護者であるアーチャーは、ランサーに憧れていた。少年のころに見た背中はいつだって大きく、力強く、頼もしく、優しかった。近所の年の離れた兄を慕うように、アーチャーはランサーを慕っていた。恋情と呼ぶには色薄く、親愛と呼ぶには恐れ多い、そんな感情だった。
ランサーは、この英雄と呼べない男を気に入った。女を裏切り、主人を裏切り、自分殺しなどというどうしようもない願望を抱くところは心底、それこそ殺してやろうかと思うほど気に食わないが、それ以外はおおむね好みだった。もっというなら、その戦い方に惚れたのだ。その、才能のない凡夫が必死に身に着けた、荒削りな強さに惹かれたのだ。
本当なら恋にもならない感情だった。
どうしてそうなったのかはお互いにわからない。星の巡りだとランサーが笑い、アーチャーは腐れ縁だとうそぶく。そんな姿だった。
けれど、とランサーは思う。
もう姿はない。静まり返った廃墟の中、彼が愛した男はもうどこにもいない。
愛とも呼べず、恋にもならず、ただ寄り添う、子供じみた戯れを繰り返した。色を好んだ英雄と、女と縁遠いわけでもない守護者の二人がするには、あまりに幼い日々だった。ただそれがどうしようもなく心地よく、愛おしい日々だった。
戦いもなく、愛だセックスだと面倒もなく、ただ家族のように過ごした。刺激のない日々だった。
平穏こそが尊く、美しく、愛おしく、どうしようもなく残酷なのだと、ランサーは知っていた。
そしてもうここに、彼が愛した日々はない。