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野球コラム(2ページ目)
就任1年目を終えたプロ野球中日の立浪和義監督が、最下位に沈んだチームに大なたを振るった。オフにトレードを3件成立させ、新外国人を3人獲得。その一方で、チームの顔というべき内野手、阿部寿樹と京田陽太を放出。戦力外の選手らを含め計17人が退団した。その間に語った立浪監督の言葉から、思惑をひもとく。
今年3月、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が6年ぶりに開催される。3大会ぶりの優勝を目指す日本代表「侍ジャパン」のメンバーの一部が1月6日に発表された。東京都内で行われた記者会見では、大谷翔平(エンゼルス)が栗山英樹監督とともに、侍ジャパンのユニホームに身を包んで登壇。王座奪還への強いこだわりを示した。
プロ野球で選手、監督として大きな足跡を残した星野仙一さんが、2018年1月4日に70歳で亡くなって5年の年月が流れた。中日一筋の現役時代はエースとして打倒巨人に燃え、中日、阪神、楽天を率いた監督時代は「闘将」として抜群の存在感を放った。15年7月に行った単独インタビューを改めて記事化し、星野さんのドラマチックな野球人生を振り返る。
プロ野球ソフトバンクのエースとして活躍した千賀滉大投手(29)の米大リーグ、メッツ入団が決まった。育成入団選手として初めてとなる大リーガー誕生。その原点を探った。
今年もまた、投打の二刀流で次々と金字塔を打ち立てた米大リーグ、エンゼルスの大谷翔平選手。ベーブ・ルース以来の「2桁勝利、2桁本塁打」を高いレベルで成し遂げ、ワールドシリーズが始まった1903年以降の大リーグで初めて、一人の選手が同一シーズンに投手の規定投球回数と打者の規定打席をクリア。投げて打って、さらには走ってと躍動。そんな大谷の奮闘ぶりを追った。
プロ野球中日の福留孝介外野手が引退した。福留が「師」と仰ぐのが佐々木恭介さんだ。近鉄の監督時代、福留がドラフト会議で重複指名を受けた際、抽選で交渉権を獲得して「ヨッシャー!」と気勢を上げた。しかし、福留は入団せずに社会人野球を経て中日入り。佐々木さんは後年、中日のコーチとして若い福留を指導。飛躍へのきっかけをつくった。
プロ野球ヤクルトの村上宗隆内野手が56号本塁打を放ち、1964年に王貞治(巨人)がマークした日本選手のシーズン最多記録を58年ぶりに更新した。史上8人目の三冠王を最年少で達成。球史を塗り替えた若きスラッガーの打撃を、82歳の王さんはどう見ているのか。改めて感じる本塁打の魅力などについて、熱く語った。
プロ野球で18年ぶりの三冠王が誕生した。ヤクルトの村上宗隆内野手が成し遂げた偉業を、同じ熊本県出身で平成唯一の三冠王に輝いた松中信彦さんは「自分のことのようにうれしい。熊本の後輩で、同じ左の長距離打者。彼に取ってほしいと思っていた」と喜ぶ。時事通信の単独インタビューで、村上の評価や当時の自分との比較などを語った。
プロ野球ヤクルトの村上宗隆内野手が、シーズン60本塁打に挑んでいる。60本は2013年にウラディミール・バレンティンがつくったプロ野球記録。バレンティンさんは今、何を思うのか。時事通信の電話インタビューに応じ、居住する米国から思いの丈を語った。
かつて日本のプロ野球を沸かせた外国人スラッガーが、北海道の北部に位置する士別市で奮闘している。近鉄で本塁打王や打点王に輝くなど長距離砲として鳴らしたラルフ・ブライアントさん(61)。今は野球の独立リーグ、北海道フロンティアリーグ(HFL)の士別サムライブレイズで指揮を執っている。指導者として再び日本でユニホームを着ることになった理由とは。
プロ野球のヤクルトと近鉄でプレーし、本塁打王にもなった「赤鬼」チャーリー・マニエルさん(78)が、時事通信の単独インタビューに応じた。米国では数々の強打者を育成。監督としてフィリーズをリーグ優勝2度、08年にはワールドシリーズ制覇に導いた。「日本に行っていなければ、コーチにも監督にもなっていない」。長い野球人生を送る契機となった日本での経験を語った。
かつて「怪物」と騒がれた剛腕投手が、エンゼルスの大谷翔平選手が成し遂げた偉業をたたえた。江川卓さんが時事通信の単独インタビューに応じ、大谷選手が達成した「2桁勝利、2桁本塁打」を独特の言い回しで評価した。「野球が好き、打つのも好き、投げるのも好き、走るのも好き、ということだけでは語ることができない」
かつてプロ野球で活躍した選手を父に持つ「2世」たちが、東京六大学野球の主役を目指してステップを踏んでいる。慶大の清原正吾内野手(2年)と前田晃宏投手(1年)、東大の渡辺向輝投手(1年)、法大の吉鶴翔瑛投手(2年)。4人はフレッシュトーナメント(新人戦)ではつらつとプレーした。神宮球場を沸かせる選手へと成長するか、期待と注目が高まっている。
今季のプロ野球では、開幕から3カ月以内で完全試合を含む無安打無得点試合を既に4人(4度)が達成した。これほど多いシーズンは戦前、まだプロ野球が草創期の時代にまでさかのぼる。なぜなのか。かつて中日の投手で入団から2年連続30勝以上を挙げるなど活躍し、監督としては1998年に横浜(現DeNA)を日本一に導いた権藤博さん(83)に聞いた。
故郷の沖縄にとって節目の年に、沖縄出身者として初の大記録をつくった。プロ野球ソフトバンクの東浜巨投手が、5月11日に福岡ペイペイドームでの西武戦でノーヒットノーランを達成。快挙の4日後、沖縄は本土復帰50年を迎えた。自分が生まれるはるか以前の歩みや歴史について、30歳を過ぎて改めて考えたという。常に沖縄を思い、マウンドに立つ右腕が成し遂げた快投の意味は大きい。
プロ野球ロッテの佐々木朗希投手が目覚ましい活躍を続けている。時代を超え、往年の名打者は「令和の怪物」にどう挑むのか。その想定に応じたのは、阪神と西武で歴代11位の通算474本塁打を放った田淵幸一さんと、巨人で2度の首位打者に輝いた通算1696安打の篠塚和典さん。豪打と巧打を誇る2人に、攻め方や対策、さらに「凡退の仕方」などを語ってもらった。
プロ野球中日の大野雄大投手が、5月6日の阪神戦で圧巻の投球を見せた。延長十回2死まで走者を一人も許さないパーフェクト投球。そこで初安打となる二塁打を打たれた。後続を断つと、その裏チームが1―0でサヨナラ勝ち。球団初の完全試合こそ逃したが、記憶に残る「1安打完封」だった。試合の背景にあったものとは―。
プロ野球ロッテの佐々木朗希投手が完全試合を達成してから、1カ月余り。日本のプロ球界で28年ぶりとなった快挙に続く登板でも、8回を「パーフェクト」に封じて降板するなど、多くの野球ファンを興奮の渦に巻き込んだ。日本と米大リーグで過去に大記録を達成した名投手たちと比較しても、佐々木が2試合にわたって演じたパフォーマンスは別次元だ。
半世紀に近い歳月をまたいだ「後輩」の偉業を喜んだ。1973年10月に、プロ野球ロッテの投手として完全試合を達成した八木沢荘六さん。今月10日、同じ大記録をロッテの佐々木朗希投手が成し遂げた。八木沢さんは佐々木を「球界のスーパーマン」と高く評価。「これから何度でも達成してほしい」と期待を寄せた。
プロ野球ロッテの佐々木朗希投手(20)が新たな伝説をつくった。球界16人目、28年ぶりの完全試合。歴史を塗り替えた105球を、担当記者がネット裏から凝視した。
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