「先駆者」村上雅則さんが語る大谷翔平への感慨と期待

2023年11月09日08時30分

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 2023年の米大リーグでエンゼルスの大谷翔平選手が歴史的なシーズンを送った。投手で10勝、打者で44本塁打を記録し、史上初めて2年連続で「2桁勝利、2桁本塁打」を達成。パワーで劣るとされてきた日本選手としては、これまで考えられなかった本塁打王のタイトルを獲得し、11月中旬に発表される最優秀選手でも選出が有力視されている。今季の大谷の活躍について、1964年に日本人で初めて大リーグでプレーした村上雅則さん(79)はどんな感慨を覚えているのか。約60年前の思い出を含めて、先駆者に話を聞いた。(時事通信運動部 山下昭人)

日本人がこうなるとは…

 東京都内のホテルで待ち合わせた村上さんは、薄いブルーのポロシャツ姿で約束の時間より早く現れた。早速、今季の大谷に関する感想を問うと「日本人がこんな感じになるとは、誰も思っていなかっただろうね。良過ぎて答えようがないよ」。トップ選手の中でもトップクラスになった印象を強くしたのか、と水を向けると「トップになったと思うけど、100%じゃないよな。投手であと3、4試合投げられたらよかった」と言って、右肘を痛めて規定投球回に届かなかったことを惜しんだ。

 パワーヒッターとして成功を収めた象徴と言える本塁打王に手が届いたことには「日本では松井(秀喜)がパワーがあったけれど、(04年の)31本で終わっているでしょ。そういう意味からすると底知れない力を発揮した」と称賛。「ベーブ・ルースも成し遂げられなかったことをやっちゃっているし、99.9%は大丈夫じゃないの」と、最優秀選手の選出に太鼓判を押した。

打者は日米で実力差

 左投手だった村上さんは南海(現ソフトバンク)から大リーグ、ジャイアンツ傘下のマイナーリーグに野球留学し、メジャー昇格を果たして2シーズンプレー。「マッシー」が愛称で、通算54試合登板で5勝1敗9セーブ、防御率3.43の成績を残した。約60年前の日本球界を思い起こして言う。「杉浦(忠)さんとか稲尾(和久)さんとか、(メジャーで)通用する人もいっぱいいましたよ。杉浦さんは38勝4敗だった時(59年)、どっかのメジャーの方から投げてもらいたいなんてあったらしい。杉下(茂)さんも以前に言っていた。『お前な、本当は俺が日本人第1号なんだから』って」

 日米の野球を経験した村上さんによれば、大リーグでプレーできるレベルの日本人投手は当時も何人もいたという。一方、打者は実力差があったと考えている。「王(貞治)さんでも分からないね。(大リーグなら)あそこ(日本で868本塁打)まで本数は打っていないはず。400本は打っているでしょうよ。ただ、一本足打法が通用したかどうかは分からない。あの頃の投手は足を狙う。昔はビーンボールのサインがあって、(打者に)よけられたら『お前、何で当てないんだ』と言われたもの」

 ジャイアンツ時代、後に米野球殿堂入りした同僚の強打者オーランド・セペダと指相撲をしたことを思い出し、「すごい力でひねられたなあ」と村上さん。大リーグ選手のパワーをあらゆる場面で感じてきただけに、大谷の能力の高さは実感として分かる。大リーグ最多の通算762本塁打をマークしているバリー・ボンズと比較して「ボンズはホームランを打つし四球も多かった。大谷も(両方とも)多くて、その辺はよく似てるね」。ジャイアンツの後輩に当たるボンズには打撃用手袋を以前もらい、大谷にプレゼントしたことがあったという。

同僚や対戦相手に数々の名選手

 村上さんがプレーした当時のジャイアンツには、メジャー最高の万能選手とも評されるウィリー・メイズがいた。村上さんより13歳年上で、誕生日が同じ5月6日。村上さんが2年目だった65年は、打率3割1分7厘、52本塁打、112打点でナ・リーグ最優秀選手(MVP)に輝くなど全盛期にあった。「メイズは打って良し、走って良し、守って良し。センターオーバーのフライを背走して捕って、振り向いてカットマンへすっと投げる。その判断力の速さがすごかった。面白いのは走塁。メイズが三塁ランナーで、打者がサードゴロ。メイズは三塁に戻らない。『こっちに来たら戻ってやる』と。そうしたら打者がセーフになるし、一塁に投げればホームイン。ああいうのができるのはすごかったな」

 当時の対戦相手には、ロベルト・クレメンテ、ピート・ローズ、ハンク・アーロン、フランク・ロビンソン、ジョー・トーリ、ディック・アレンら球史に名を刻む大打者がそろっていた。「今思うと、すごい選手と戦っていた。クレメンテに『俺とメイズとどっちが上だ』と聞かれて、『メイズだ』と言ったら目をむいていたね」。打撃も得意だった村上さんは、ライバル球団ドジャースの絶対的エースだったサンディ・コーファックスからバント安打を決めたことが自慢の一つだ。

地元日系人が熱く歓迎

 戦後20年ほどしかたっておらず、日本人が少ない時期に米国で過ごした村上さんには、忘れられない記憶がある。ある日のドジャース戦。ストライクと確信した球がボールと判定され、マウンドを下りて「WHY?」と叫んだ。判定は覆らない。諦めてマウンドに戻り、ロージンバッグをグラウンドにたたき付けると、球審が詰め寄ってきた。捕手が間に入って「勘弁してくれ」と繰り返し、球審からは「もう一回やったら退場だ」と警告された。

 数日後、地元サンフランシスコで日本食レストランに入ると、日系人と思われるおじいさんが村上さんの元へ駆け寄ってきた。「俺の手をつかんでさ、『ユーはよくやってくれたの』って言うんだよ」。おじいさんは、ロージンバッグをたたき付けた場面をテレビで見ていた。「俺たちは戦争で迫害されて、米国人にノーと言えなかった。それをベースボールでやってくれた。あれを見て胸のつかえが取れた」と熱っぽく語りかけてきた。隔世の感があるエピソードだ。

大谷の殿堂入りに期待

 メジャーのスーパースターに上り詰めた大谷には、今後どんな期待を抱いているのか。オフに右肘を手術した大谷に、村上さんは「来年は(投手としては)完全に休んでもらいたい」と望んでいる。

 「投手は(指に)まめができたら駄目、爪が割れたら駄目。肩や肘が痛かったらもちろん。投手は簡単につぶれるけど、打者はつぶれないんだよ。できるだけの力を出し切って、後は打者一本でもやってもらいたい。ホームランを(通算で)400本ぐらいは打ってほしいな」と思い描く。「そうすれば殿堂入りですよ。ベースボールを愛する人たちからすれば、とてもうれしい」。そう言って、目を細めた。

 村上 雅則(むらかみ・まさのり) 1944年5月6日生まれ。山梨県出身。神奈川・法政二高時代、1学年上だったエース柴田勲(後に巨人入団)の控え投手で選抜大会優勝を経験。1963年に南海入りし、2年目に米大リーグ、ジャイアンツ傘下のマイナーリーグへ留学。64年9月に日本人で初めて大リーグで登板。主に救援で2年間で5勝1敗9セーブ、防御率3.43の成績を残した。66年に南海に復帰し、阪神、日本ハムと渡り歩いて82年限りで引退。日本プロ野球では通算103勝82敗30セーブ、防御率3.64。日本ハムや西武などでコーチを務め、野球解説者としても活動した。

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