日本ハムの監督としてリーグ優勝を2度、16年は日本一。過去3シーズンはリーグ5位と起伏があった。理想とする指導者像とは。
「僕らに求められるのは結果。選手が人間的に成長すれば野球もうまくなるというプロセスもあるが、単に人をつくって結果が出ないのも少し違う。結果や実行が伴わないと何にもならないというのは、この10年間ですごく感じた。『勝ち切らなきゃ伝えられないことがある』と表現しているのは、そういうこと。日本代表なら世界一になって『やっぱり俺らはやれる!』と。それで成長し、大きくなった姿を見せることで、みんなが憧れ、子どもたちは夢を見る。そういうお手伝いができるといい」
結果を出すため、選手に寄り添った丁寧な指導を心掛ける。ヤクルトで過ごした自身の現役時代に原点がある。
「僕はテスト生での入団。全然駄目な選手だった。僕みたいな選手は、本来なら誰も相手にしない。でも当時の2軍監督だった内藤博文さんは『まず一度は1軍に上がろうよ』と言ってくれた。ずっと見守ってくれて、毎日声をかけてくれた。その恩は一生忘れない。僕も指導者として、一人ひとりの選手が良くなるとだけは思っていないといけない、と決めていた。それは、(プロ入り当初の)そういうところから教わった」
◇野球の神様に感謝
年越しは北海道栗山町の寺で、受験生の合格を祈願する太鼓をたたくのがルーティン。元日の午前2時前後に、自宅に併設している自前の少年野球場にお酒をまく。
「子どもたちが野球をするので、1年間けがのないよう無事に、よろしくお願いします、という思い。監督になってからは選手らを含め、野球の神様に喜んでもらえる野球ができるよう、精いっぱいやっていきます、と。そんな感じですね」
自身の姓と同じ町名が縁で自宅も構えた栗山町。私設野球場「栗の樹ファーム」は、好きな映画を模して外野のフェンスはトウモロコシだ。日頃から草刈りや種まきなどで息抜きや物思いにふける大事な場所でもある。映画では「動けば縁が紡がれる」という意味の名言が出てくる。町民の協力も得てつくった「夢の球場」が完成して10年後、2012年から日本ハム監督に。さらに10年後の今年からは、日本代表監督として本格的に活動する。
「僕みたいなタイプの人間がこうやって(代表監督を)やらせてもらうということは、やっぱり野球の神様がいると思う。使命というか、恩返しするために頑張りなさいと言われている気がする。こうした縁は自分自身が一番不思議だと感じているし、感謝している」
「野球ファンに『わくわくドキドキ』『いやあ、侍ジャパンって楽しいよね』という思いを持ってもらうことが大前提。昨年は五輪の関係でシーズンが長くなり、選手のコンディションなどがすごく気になった。そこも加味して考えながら、楽しめる雰囲気を伝えていきたい」
「今が全て、きょう一日全力でやるという形を考え、WBCで勝つことが最大の目標。その目的でチームをつくるので、両方を考えながらやっていきたい」
◇最後の最後で「魂」を
多士済々、個性豊かなチームを標榜する。その中で、代表選手に求める「資格」があるという。
「最後は魂。日の丸のためとか、自分の家族のためとか、そういう思いや魂というのは、最後の最後で大事になる。もちろん技術の練習やトレーニングは必要。その中で自分たちは『侍』だから、何があろうと日本の野球を守るぜ、というつもりで。こちらもけがをさせない、壊さないのは大前提になるが、それくらいの思いを持っている選手が集まってほしい」
◇ ◇ ◇
栗山 英樹(くりやま・ひでき) 1961年4月26日生まれの60歳。東京都出身。東京・創価高から東京学芸大に進み、ドラフト外で84年にヤクルト入団。右投げ両打ちの外野手として、実働7年で494試合に出場。89年にゴールデングラブ賞。90年を最後に引退した。解説者などを経て2012年に日本ハム監督に就任。1年目でリーグ優勝、16年にはリーグ制覇と日本一に導き、正力松太郎賞を受賞した。21年限りで退任後、球団の新設ポスト「プロフェッサー(教授)」に就き、選手への講義も定期的に行うという。札幌市の東側に位置する北海道栗山町にログハウスの自宅がある。
(2021年1月13日掲載)
新着
オリジナル記事
(旬の話題や読み物)