2019年冬。大谷は投手での復帰に向け、本拠地エンゼルスタジアムでリハビリを続けていた。日本ハム時代から二刀流で活躍してきたが、投打のどちらかに絞るべきだという意見は当時からあった。同年の打者専念のシーズンを終えた本人に、二刀流への思いを問うと、こう答えた。
「(引退まで)やりたいという気持ちはもちろんある。あとはフロントがどう考えるかではないか。絞れと言われるんだったら、絞ることもあるかもしれない。もちろん、こちらは使われる側なので、そこのニーズに合わせていくことが大事」
あくまでチームの勝利を最優先に考えている。一方で13年に18歳でプロ入りしてから、投打の二刀流でキャリアを積んで驚異的な結果を残してきたのも事実だ。
「やりたいという意思を示していくのも大事。(二刀流が)一番自分の能力をチームに還元できるポジションだと思うので、やりたい。そこが一番、自分を生かせるんじゃないかと思っている」
この先も投打でチームに貢献していく―。その強い思いが、当時はリハビリ中だった大谷の言葉からにじみ出ていた。
100年ぶり「本塁打王」の先発登板
21年の初登板をまずまずの形で終えた大谷だったが、右手中指のまめの影響で2度目の登板は中15日の間隔を空け、4月20日に球数制限つきで4イニングを投げた。この間も指名打者としては出場を継続していた。本塁打をコンスタントに重ね、25日のアストロズ戦では両リーグ最多に並ぶ7号を放った。
そして翌26日。レンジャーズ戦では再び「2番投手」で先発出場。1921年のルース以来となる「本塁打王」の先発登板だ。100年前、ルースは「3番投手」で出場した。投げては5回3分の0を4失点で、シーズン初勝利を挙げ、打席では2本塁打、3打点の活躍を見せた。日本人選手が、スポーツ史屈指のレジェンドと並んで語られること自体、夢物語にも近い。
投手大谷を自らバットで援護
そのマウンド。大谷は立ち上がりに苦しんだ。一回は直球も変化球も抜けるボールが目立ち、制球が定まらない。内野安打と四球で走者をため、4番ネート・ローにはスライダー系の球を右翼席にたたき込まれる3ランを浴びた。その後も四死球と暴投でピンチを背負うと、犠飛で追加点を許し、いきなり4点を失った。
復活の白星はまたも持ち越しか、とも思われたが、自らのバットで「投手大谷」に立ち直るきっかけを与える。3点を追う二回。2死一、二塁の場面で、見送ればボールかという内角高めの直球を右翼線にはじき返す2点二塁打。続く3番トラウトの左前打で自ら同点のホームを踏んだ。
「自分自身で点を取ったというのはすごく大きなこと。あの回で同点になって実質、振り出しに戻ったので、気持ちを切り替えることができた」
二回以降は別人のような投球を披露した。本人によれば、投球動作を修正したことで制球が安定。直球には球威があり、スプリットもうまく操って三振の山を築いた。二回から五回までに出した走者は単打での1人だけで、5連続を含む8三振を奪った。圧巻は三回、先頭で打席に入った強打者ジョーイ・ギャロに挑んだ力勝負。ストライクゾーンへの直球を2球続け、相手はファウルにするのが精いっぱい。3球目、この日最速の99.3マイル(約160キロ)は外角に外れたものの、続くスプリットであっさりと空振り三振に仕留めた。
投げて、打って、走って
投打に派手なプレーを続けた大谷。その締めくくりは、たくみな小技だった。7-4で迎えた六回の攻撃。先頭で打席に入り、三塁へのバント安打で出塁した。打線は三回途中から救援登板した左投手の梁玹種に対し、走者を一人も出せていなかった。日本ハム時代を含めプロ9シーズン目を迎え、試合の中で何をすれば有効なのかも十分に心得ている。
「向こうの中継ぎ投手が素晴らしくて、なかなかこっちもリズムがつかめなかった。ああいう時はやっぱり、きれいなヒットよりも虚をつくようなヒットのほうが効果的ではないかなと思った」
思い描いた通りに進んだ。3番トラウトが内野安打で続き、5番のウォルシュが二塁打。大谷はリードを4点に広げるホームを踏み、お役御免となった。投手で5回3安打4失点。打者でも3打数2安打2打点に加え、果敢な走塁で3得点。投げて、打って、走って。二刀流が「自分を一番生かせる」と語った理由を証明するかのような縦横無尽の活躍だった。
大きな手術を乗り越えた末につかんだ白星にも、本人は感慨に浸る様子はない。チームの勝利の瞬間も、大谷の姿はベンチになく、裏で降板後のトレーニングを消化していたという。試合後のインタビューで、まずは「個人的には初回(の乱調)もあるので、手放しでは喜べない」と反省を口にした。
とはいえ客観的に見れば、奇策とも思えた「2番投手」を機能させ、チームに勝利をもたらした価値のある1勝だった。
「初回が良くなかったとしても、しっかりと切り替えて五回まで投げ切れるのであれば、監督としても使いやすいと思う。初回、二回くらいで降りていたら、思い切って采配にいけない部分が(今後)あるかもしれない。そういう意味でも5回以上投げられたのはよかった」
さらなる高みへ、「日本のルース」
本人の淡々とした反応とは裏腹に、4月26日の登板は米メディアでも取り上げられ、CNNさえも電子版でルースと大谷の写真を並べて報じた。大谷は「日本のルース」とも呼ばれ、本場の米国でも野球史上最大のスターと比較されることが多い。
「そういう選手を引き合いに出したえもらえるのは、すごくうれしいこと。まだ開幕してそんなにたっていない。(今後)必ず好不調はあると思う。しっかりと、なるべく(好調を)維持していけるよう、もっと良くなるように練習していきたい」
100年前のルースは26歳で、その時は既に打者としてのプレーが中心。登板はわずか2試合だけだったが、打撃ではいずれも当時のシーズン最多記録となる59本塁打、168打点の圧倒的な成績を残し、2冠を獲得した。この時のルースと同じ26歳の大谷は、二刀流に磨きをかけながら、さらなる高みを目指す。(2021年4月30日掲載)
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