大谷翔平は苦境をどう乗り越えたのか

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速球派投手の宿命

 大谷はインタビューで、当時の心境について丁寧に言葉を紡いだ。

 「落ち込みはしましたけど、何にも考えていなかったら多分もっと落ち込んでいたのかな。それこそ立ち直れないんじゃないかなって。『もう投げられないんじゃないかな』とか、『もう野球はいいや』とか、それぐらいになるんじゃないかなと、そういう人も実際にいるので(そのようなことを)思うんですけど。(自分は)比較的いつもこうなる可能性はあるよな、というのは(考えていた)」

 「靱帯なんかそれこそ典型ですけど、速い球を投げる投手の宿命みたいなものなので、そういう風になる可能性はあるだろうなと思ってずっとやってきていたので。実際になるとならないのとでは違うので、(けがをした)その時は落ち込みますけどね。予想していた分(精神面での落ち込みは)そこまでなかったかなと思う」

 「僕は18(歳)くらいから100マイル(約161キロ)くらいを投げていたので、そういう可能性があるというのは普通です」

 岩手・花巻東高時代から160キロ右腕として注目を浴びてきた。それだけに、頭の中には靱帯損傷のリスクも。マウンドで力投しながら、ある種の「心の備え」があった。

◇まだ試合に出られる

 投手にとって深刻なけがに直面しても心を乱さなかった理由は、もう一つある。

 「他の選手と違うのは、やっぱり打つ方があるので、まだ試合に出られるし、野球もできるし。そういうのは全然違うかなと思う」

 まだシーズンは半ば。けがが判明してからしばらくは、患部の経過を見るために右手を使えず、打者としての出場も見合わせていたが、その間も左腕だけでの打撃練習を行うなど打者での復帰をしっかりと見据えて調整を続けていた。

 戦列に戻ったのは7月3日のマリナーズ戦。6番指名打者で先発出場も、甘い球を捉えきれない場面があるなど、4打数無安打で3三振。いいところがなかった。それでも「こうやって試合に出られるのはうれしい」。打撃への不満よりも野球ができる喜びが上回ったのか、すがすがしい表情を浮かべていたのが印象的だった。

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