大谷翔平は苦境をどう乗り越えたのか

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「6月」と「9月」の危機語る

 米大リーグで2018年のア・リーグ新人王に輝いたエンゼルスの大谷翔平選手(24)。ベーブ・ルース以来となる本格的な投打の「二刀流」を実現させ、米球界には新鮮な衝撃が渦巻いた。

 大谷はメジャー1年目を「すごく楽しかった」と振り返ったが、投手生命の岐路に立たされるようなけがに見舞われた。18年6月と9月に右肘の内側側副靱帯(じんたい)に損傷が判明し、シーズン全日程終了翌日の10月1日に右手のけんを右肘に移植する靱帯再建手術(通称トミー・ジョン手術)を受けた。投手としての復帰には1年以上のリハビリが必要となるため、19年は打者に専念し、再びマウンドに上がるのは20年になる見通しだ。

 肘の故障が判明した時、どんな心境だったのか。昨年12月に単独インタビューを行い、当時の心の揺れ、苦境をどう考えて切り抜けたのかなどを語ってもらった。【時事通信社ロサンゼルス支局エンゼルス担当・安岡朋彦】

◇6月6日の異変

 大谷が肘の異変を訴えたのは18年6月6日、ロイヤルズ戦の登板後だった。この試合は四回まで1失点に抑えていたが、右手のマメの状態が悪化。五回の投球練習を終えたところでマイク・ソーシア監督(当時)が水原一平通訳を引き連れてマウンドに向かった。その場で降板を告げられた大谷は、明らかに不服そうな表情を浮かべながらベンチへと引き揚げた。

 登板後には記者会見を行う予定だったが、球団はマメの治療と遠征先のミネアポリスへ向かう飛行機の時間が迫っていることを理由に一方的に中止。記者らが会見場からロッカールームに向かうと、大谷はまだそこにいた。だが、険しい表情を崩すことなく、言葉を残さずに球場を後にした。

 ミネアポリスに大谷の姿はなかった。ビリー・エプラー・ゼネラルマネジャー(GM)は6月8日の電話会見で、大谷は降板後に「アドレナリンが収まったところで右肘の張りを訴えた」と明かした。そのため、登板翌日の同7日にロサンゼルスで検査を受けたところ内側側副靱帯の損傷が判明したという。靱帯再建手術を受ければ、投手としての復帰までに1年以上を要する。大谷は保存療法での復帰を目指し、7日のうちに自身から採取した血小板を使って組織を修復するPRP注射などの治療を受けた。

 球団は8日に故障者リスト入りを発表。大谷は約1カ月にわたってチームを離れ、この間は報道陣の取材に応じる機会もなかった。

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