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#26 分水界にて/Novel by ちくわぶ

#26 分水界にて

8,544 character(s)17 mins

士弓主従の第五次聖杯戦争ifストーリー二十八話目。腐向け。 

版権元:Fate/stay night 
注意(シリーズ共通):
 腐向け(士弓)、ねつ造、設定改変、独自設定、重大なネタバレ、原作程度の暴力表現・流血表現

次話は遅くなります。

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 横たわり散らばる白い髪を掬っては落とした。指先で撫でると、いつも変わらない艶やかで心地のよい感触が返る。
「ごめんな、イリヤ」
 赦しを求める咎人のような声音になった。それを恥じて口を噤む。
「どうして謝るの?」
 寝転んだままの少女は、きょとんと目を丸くしている。天井の照明の光を閉じ込めては反射する赤い瞳の輝きも、宝石のように揺らぎない。
 もう伏した床から起き上がることもできないのに、イリヤはずっと変わらない。それが、俺には身震いするほど恐ろしく思えた。
 普通の人の死とは違うから彼女の限界がどこにあるのかわからなくて、目を離した瞬間には帰らぬ人となるのではないかと、ずっと怯えて暮らしていた。
「だって、俺が……、面倒見るって言ったのに」
「面倒、みてくれているじゃない。今日のごはんもおいしかったよ」
 嘘だ。味なんてもうわからないはずだ。
 俺にだってそれくらいわかっている。魔術のことも、それ以外も、多くを学んだ。体だって大きくなった。それでもイリヤは俺を子供扱いすることをやめなかった。
「イリヤ、楽しかったんだよ。日本に来てよかったって、生まれてきてよかったって、最近は毎日思ってるの。それじゃあダメなの? それでも■■■は、自分のことが許せない?」
 何度目かの説得をされる。『自分は十分生きたのだ』、イリヤは何度も俺にそう教えてくれたけど、俺には一つもわからなかった。今が楽しいと思っているのならなおさら、もっと長く生きなきゃ嘘だと思う。
「わたしは満足なんだよ。■■■が気にすることなんて、これっぽっちもないんだよ」
 だって、本当にわからないんだ、イリヤ。
 俺の中身は、乾いた砂と、何にもなれない鉄くれと、人を焼く炎でだけでできていて、満たされたことなんて一度もない。
「俺には満足がわからない」
 だから最後まで、死にゆく君の笑顔が本物か虚勢かわからなかった。
「満足したから死んでもいいなんて、笑って言えるイリヤのことが――」
 私は、恐ろしくて仕方がなかったんだ。


「こらー! よそ見しないの!」
 そんな威勢のいいお叱りが飛んできた。
 ふと気づけば、目の前には腰に両手を当てて怒るイリヤがいる。
「まったくもう、こんなに散らかして。ぐちゃぐちゃで溢れちゃってるじゃない」
 何が気にくわないのかあちこちに散らばる何かを拾い上げては文句を垂れているようだ。
 ここがどこでそれが何だかわからないが、あまり乱暴に扱われては困る。俺は止めさせようと手を――手?――伸ばした。
 伸ばしたはずの手は視界に入らず、そもそも俺には手も体も眼球もなにもないように思えたが、とにかく伸ばした。何かに触れた感覚はなかったが、イリヤには伝わったようでポイポイ放り投げるのをやめてくれる。代わりに諦めたような息をもらした。
「どっちがどっちのかわからないね。イリヤに関することだったら、わたしが整理してあげられるけど……。■■■■ったら、詰め込むだけ詰め込んで、無責任だわ」
 伸ばした手を取ったイリヤは、機嫌を損ねた足取りのままズンズンと前に進んでいく。あまりにも彼女が腹を立てているのでそんなにひどいだろうかと辺りを見渡してみた――目はないが気分の問題だ――が、いまいちわからなかった。あれもこれもすべて大切なものだ。それさえわかっているのなら、それが誰のものであるかなど些末事だった。
「とにかく真ん中を探さなくちゃ。■■■の真ん中はどこ?」
 行き先を尋ねておきながら、イリヤは迷いなく足を進めて移動をし始める。引っ張られる俺が何をしているかなんて前を行く彼女にはわからないはずなのに、イリヤの背中から流れていく景色の方へ意識を動かすと、途端に「よそ見しない!」と怒られる羽目になった。
 よくわからないが横暴だと思う。というか、ここはどこなんだろう。イリヤはどこを目指しているんだろう。
「真ん中を目指すのよ。あなたの真ん中、根っこの部分」
 なんとも抽象的な目的地だった。案内をしてやりたいけど、それだけじゃどうにもわからない。
「そうね、真ん中っていうのは――。うーん、例えばだけどね」
 イリヤは会話を続けるまま、何の気負いもなくいきなり「えいや」と軽いかけ声一つで空中へと飛び降りた。繋いだ手で結びつけられている俺も強制的にダイブである。
 幸い口がないから悲鳴は上げなかったが、結構な距離を一気に下ったような気がする。気がつくと辺りは一面の雪景色に移行していた。強く吹雪いていて、すぐそばの針葉樹の輪郭さえあやふやだ。
「ここはアインツベルンのお城」
 城があるらしい方を指差すイリヤは、随分幼い姿になっていた。元から小さいのに、もっと小さい。積雪だけで彼女の身長を優に上回る辺りの様子に、俺は彼女が埋まってしまうのではないかと危惧したが、また歩き始めた白い裸足はわずかばかりも沈み込まなかった。見えない膜の上を滑るように、あっという間に城内へ入る。途中の豪勢なエントランスや階段に見向きもせずどんどん進んでいって、ついに一つの部屋に到達した。
「あれはイリヤのお父さんとお母さん。ここが、わたしの真ん中。イリヤがわたしとしてはじまった場所」
 今度は指差すことはしなかった。俺の手をぐっと握ったまま、目前の風景を立ったまま睨み付けてイリヤは言った。
 大きな天蓋付きのベッドの中には、赤ん坊を抱く一人の女性がいる。すぐそばに寄り添うように、彼女らを見守る男がいる。
 そんなうつくしい親子の姿を一顧だにせず、イリヤはすぐに俺を振り返った。
「あなたはどこからはじまったの? あなたの真ん中はどこにあるの?」
 凍る城内に火の粉がちらつく。俺のはじまり。俺の心の中央に根ざすもの。
 瞬く間に周囲を埋めた炎と瓦礫に追われるように、今度は俺が繋いだイリヤの手を引いて歩き出した。
 ――炎が迫る。
 俺は歩いた。かつてと同じ家、かつてと同じ人を置き去りに、かつてと同じ道を辿る。
 苦痛を訴え助けを求める人の声が絶え間なくしている。それを平等に無視して前へ進む。
 降り始めた雨は熱と呪いを隠すにはまだ足りない。
 足を止める。
 ついに倒れ伏した誰かを、ついに死を受け入れた誰かを、男が救い上げている。
「――そう。ここが、あなたたちの始まりなんだ」
 後ろにいたはずの少女は気づけば目の前で腰を屈めて、幼い俺と視線を合わせてこう言った。
「私はイリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。あなたのお姉ちゃんだよ。
 わたしのかわいい弟さん、あなたの名前はなんていうの?」
 変なことを訊く、と思った。さっきからずっと、彼女は俺の名前を呼んでいる。
 だけどイリヤからはこちらをからかっているような様子もなかったので、俺も真剣に、自信を持ってこう答えた。

「衛宮。衛宮士郎だ」



 起きると目の前にはイリヤがいた。
「…………」
 びっくりしてちょっと固まったが、寝る前のことをよく思い出せば当たり前だ。ついでに自分の腕が枕代わりにされていることを思い出して、咄嗟に飛び退きそうになった体をがんばって抑える。
 今は何時くらいだろう。ものすごく長く寝ていたような、案外短い対話だったような、どっちとも言えないふわふわした目覚めだ。絶賛腕枕中の左腕が多少のしびれを感じている。が、イリヤの体はどこも――人体の構造としてはまったく不自然なほど――軽いため、あまり強くしびれてないのが時間が経っていないからなのか、単に彼女が軽いからだけなのかの判別がつかなかった。
 リーゼリットの姿は見えない。室内には俺たちだけのようだ。
 こっちリーゼリットはともかくあっちセラが現状を許すとは思えないのだが、部屋の外にはちゃんと控えているのだろうか。ドアは見えてはいるが、でかいベッドから降りてなお七、八歩は歩かないと届かないくらいの距離があるので、外にいるかもしれない二人を呼ぶには結構声を張らないといけないだろう。
 巡らせていた視線を戻す。イリヤはまだ眠っているようだ。
「……うーん」
 弱った。大声で起こしてしまうのも忍びないし、枕にしている腕を抜いてしまうのも悪い気がする。かといって人を呼ぶことも起き上がることもできないとなると、ベッドから動くことができない。
 眠くもないし、こうして目覚めたのなら今度こそ俺にはやるべきことがあるのだ。モゾモゾと足だけ動かして動作を確認してみるが、覚悟していたような痛みは襲ってこない。筋肉を酷使したあとのような重だるさがあるが、無視できる範疇だ。
 あの後も好き放題人の恥ずかしい過去から秘密までのぞき見されたような感覚があるものの、体の不調を治すという点ではイリヤの忠告は正しかったと見える。……同調中のことはあまりしっかり覚えていないが、覚えてたら多分俺は正気じゃいられなかったので無理に思い出すのはやめておこう。魔術師としての格の違いか、俺のプライバシーは一欠片も配慮されず好き勝手暴かれたのだ。今や俺本人よりイリヤの方が俺に詳しい可能性がある。
「…………ふふ」
 苦虫を噛んだ気分で眉間に皺を寄せつつ現状の打開を図っていると、目を閉じたままのイリヤの息が不自然に乱れた。
「イリヤ?」
「…………」
 イリヤは目を閉じて黙ったままだが、口元が情けなくふにゃふにゃと緩んでいるように見える。
「……イリヤ。起きてるだろ」
 怒った風を装って言うと、イリヤもすぐに堪忍して片目を開けた。
「えへへ。バレちゃった」
「バレるさそりゃあ。で、何笑ってたんだよ」
「なんとなく。イリヤはもう起きてるのに、起こさないよう頑張ってるお兄ちゃんがかわいいな~って」
 と、聞き捨てならない形容詞を大変嬉しそうな顔で宣う。
 ぐぬぬ。文句を言いたいがあまりにも嬉しそうなので水を注すのも大人げない気がする。
「お兄ちゃん、じゃないだろ。俺の方が弟だったんだし」
 なので、話を変えることにした。
 外見からは全く想像のできないことだが、どうやら本当はイリヤの方が俺より一つ上だったらしい。そう知らされてみると、確かに見かけによらず子供らしからぬことを言ってくることもあった。
 ……逆に見た目相応にしか見えない態度ばかりであったのも事実なのだが、今更蒸し返すまい。
「えっへん。そうなんだよ、イリヤの方がお姉ちゃんなんだから。シロウは本当は、私のことイリヤお姉ちゃんって呼ばなきゃだめなんだからね」
 寝転んだまま器用に胸を張るイリヤ。今更そんなたわけたこと言い分は聞けません、とか言って知らぬ振りもできたのだが、こちらの胸元に忍び寄って見上げてくるイリヤの期待に眼を直視してしまったのが敗因だった。
 まさか我が弟が姉の言うことを聞けぬはずがないと言わんばかりの期待に充ち満ちた眼差し。こっそり後ろに下がってみたが、同じ分だけ前進されるので逃げられない。
 別に呼び名くらいなんでもないはずなのだが、こうも期待されるとものすごく恥ずかしい。首から上が異様に熱いので多分顔が赤くなっていると自分でもわかったが、ここまで接近されると隠しようもなかった。長い沈黙が長くなるほど口が重くなるぞ、と懸命に自分で自分を励ます。ただの日本語を五音くっつけるだけなのだから何ほどということもない。深く考えず勢いで行くのだ、勢いで。
 深呼吸すること七回。丹田に力を集め、カッと目を見開いて覚悟を決めた。
「イリヤおね………………ね、姉さん」
 無理だ。恥ずかしくて死んでしまう。
 吐いた言葉の余熱だけで顔から頭まで茹だり上がりそうな案配だ。今なら額で茶を沸かせる気がする。
 しかもイリヤも、笑い飛ばすなりなんなりしてくれればまだ救いがあるところを、こっちの気化熱が移ったのかなぜか顔をちょっと赤くして黙り込むのであった。
「…………」
「…………」
 顔の赤い二人が同じベッドの上で向かい合ってむにゃむにゃと二の句を躊躇っている。
 先に我に返った――というか現実に耐えられなくなった――のは俺の方だった。
「ええい! もういいだろ! さっさと起きるぞ!」
 言うが早いか、くっついてるイリヤ諸共布団を蹴飛ばし跳ね起きる。ありがたいことに、眠る前と違って体に痛みはなかった。
 「きゃー」とちょっと楽しそうに転がっていったイリヤがベッドから落ちる前にキャッチし、そのまま両脇に手を入れて猫の子にするように持ち上げる。ベッドから下ろし、床に両足をつけたことを確認して手を離した。
「改めて、おはよう」
 寝台に座ったままの俺と強制的に立たされたイリヤでようやく視線が水平になる。
 さっきまで寝転がっていたところを急に起こされたイリヤはまだ驚いた様子で瞼をパチパチと上下させていたが、少しすると気を取り直す。
「――おはよう、シロウ」
 ありふれた朝の挨拶。たった四音、それを交わすことができるのが幸福でたまらないのだと、俺にでもわかるくらいの柔らかな笑顔。
 眩しくて目を細めた俺を咎めることなく、イリヤは朝の身支度のために、軽やかなステップで扉の外の従者を呼びに駆けていった。

 二月十二日、火曜、午前十時。
 学校でライダーと遭遇してから、丸二日は経った計算だ。負傷やら処置やらで記憶が変に飛んだり繋がったりしたので、正直日付を言われてもいまいちピンと来ない。ただ、思ったより時間が過ぎているのには驚いた。
 しかし大事なのは、今が何日かというよりもあれからどれだけ経ったか、の部分であった。
「血印が薄れてきているみたい。多分そろそろタイムリミットね」
 イリヤは液体の入った小瓶を机に並べて、俺とアーチャーのための儀式の説明を始めた。
「大きくわけると二段階になるわ。まずは仮死状態からの復帰、それから、アーチャーの欠損を埋めるための同調過程。どちらにしても魔力が必要だけど、今のシロウには辛いだろうから補助としてこれを飲んでね」
 俺から見て一番左に並んだ瓶を注す。インク瓶くらいの大きさで、飲んだら駄目そうなケバケバしい蛍光ピンクの液体が入っている。
「身の程以上の魔力を引き出すなんて、本当はやらない方がいいんだけどね。これはその手の霊薬の中では比較的良心的で、簡単に言うと未来の自分からの前借りになるのかな。シロウなら、これ一つで普段の六倍くらい魔力生成効率が上がるけど、多分丸一日くらいは魔力を作れなくなると思う。だから、部屋に入ってから、儀式の直前に飲むんだよ」
 霊薬の類はどれも高級品だ。材料自体も貴重で金さえあれば手に入るわけではないのがほとんどだし、各々の家系で秘伝のレシピというのを有している。よそ者に無償で譲り渡していいものではもちろんないし、その証拠に室内のセラはずっと不満そうにしている。
 見返りとして内蔵二つくらい差し出して一生分の隷属契約でもしないと割にあわない代物なのだが、イリヤに支払いを申し出たら今度こそ真剣に怒られて愛想をつかされるだろう。
 少し気が引ける思いは未だあるが、俺への手助けのすべては、『イリヤがお姉ちゃんだから』の理由だけで何の見返りもなく提供されてしまうのだ。この場合俺ができる恩返しは、弟らしく彼女に甘えることくらいしかなかった。
「今のアーチャーはほとんど死体のようなものだから、当然そのままじゃ同調なんて成功するはずがない。まずは彼を起こして、それから同調――なんだけど。あの状態で起こしてしまうと消滅まっしぐらだから、工夫がいるわ。それがこっち。アーチャーに魔力を与えたらできる限り早く飲ませて。できる限り早くって言うか、同時で構わないから。とにかくすぐにね」
 ピンクの隣の小瓶を指す。目薬くらいの大きさで、中の液体は無色透明だがどろりとした粘性を有しているようだ。
 どんな味がするのだろうかと少し気になったが、おそらく碌な原料を使っていないので深く考えるのは止めにした。
「人間で言うところの麻酔薬みたいなものよ。シロウが間違って飲んだら大変なことになるから気をつけてね」
「……具体的には、どうなるんだ?」
「よくて死んじゃうかな。運が悪いと魂と精神だけ引っこ抜かれた動く屍リビングデッドの仲間入り」
「オッケーとっても理解した」
 絶対に間違えないようよくよく目に焼き付けることにする。他の薬もどうせ間違えたら大変なことになるに違いない。余計な茶々も入れず、とにかく真面目に説明を聞く。
「それじゃあここからは二段階目、同調の魔術ね。シロウとアーチャーはマスターとサーヴァントとしてのレイラインも綺麗に通ってないから、合わせてその補強にもなるわ」
 ドン、とひときわ大きな瓶が置かれる。一升瓶くらいはありそうなサイズだ。中身は透明度のある褐色の液体で、ウイスキーなんかにも見えなくはない。
「あの部屋の凍結作用は解かないまましておくけど、人間のシロウには寒すぎるわ。これには体を温める効果と催淫作用があるから、適宜飲み足していってね。あとは、なんとかアーチャーと同調できるまでがんばって」
「……サイン?」
 余計な口は挟まないつもりだったが少々俺の常識を飛び越えた発言が聞こえたので思わず聞き返す。
「え? 違うよ、サイイン。催淫剤。……あれ、日本語まちがえちゃった? えっと、なんていうのかな。シロウをずっと、性的に興奮させたままにするための薬なんだけど――」
 イリヤは俺に通じていないと判断したらしく、困ったように通訳を求めて背後のセラを振り返った。
「あ、いや。大丈夫、意味はわかる。ちょっとその、動揺しただけだ」
 懇切丁寧な説明を受けたい代物ではない。ブンブンと首を振って辞退した俺に、イリヤは「ふーん?」とイマイチ納得のいっていない様子ながらも蒸し返すことはしなかった。
 ともあれ、これで説明は終わりのようだ。三種の霊薬はセラたちがあの部屋にまで届けて準備してくれるとのことなのでお願いした。
 時間はない。俺も移動しようと立ち上がる。立っても歩いてももうほとんど違和感はなく、痛みも無視できるくらいになったのだからイリヤには感謝してもしたりない。
「…………」
 お礼も言いすぎては軽薄に思われるだろうか――などと思って座ったままのイリヤに視線を落とせば、何か言いたげな様子で沈黙している。
 言動の端々から伝わる。イリヤは俺がこれからしようとすることに、本当は反対なんだってことが。だから今も深く問いたださない方が俺にとっては都合がよかったのだろうけど――
 ――こうやって曲がりなりとものんびりと、悠長な時間を過ごせるのも今限りか。
 そう思うと脳裏がジリと焦げ付くような錯覚がした。
 たまに何か言いたげに騒ぎ立てるアーチャーからの記憶はほぼ完全に断片化していて、得られる情報がほとんどないという一点でノイズと何も変わらない。押し動かされる感情の揺らぎを与えてくるだけだ。
「どうした?」
 気が進まないような、ちゃんとしっかり話してほしいような。中途半端な心持ちで、それでもしっかり口は動いた。
 イリヤの方も少し言いづらそうな――申し訳なさそうにも見える――様子で、やっぱりちゃんと口を開く。
「……もう、ここでおしまいにしたって、アーチャーは十分満足してるよ」
 促すことはしない。お見通しなんだなってわかったから、誤魔化すこともしなかった。
 見下ろす俺に挑むように、イリヤも立ち上がってこちらを見る。下ろされた両腕の先、拳が強く握られている。
それ・・を、アーチャーは喜ぶの?」
「――――」
 何も答えなかった。
 困惑からの沈黙ではない。単に「いや、多分怒られる」という俺の本心をここで零したら、目の前の少女にも今ここで怒られるだろうなと予想できたからだ。叱られるとわかって開き直れるほど、俺の神経は図太くない。
 なのでここは、ちょっと卑怯かもしれないが笑って誤魔化すこととする。
「とりあえず、行ってくるな。なんにせよ、アイツを叩き起こさないとはじまらないだろ」
 批難の目に背を向けて廊下に続く扉へ向かう。このままじゃどうにもならないのは事実だし、時間がないのも事実であった。俺がそれを言い訳に使ったのも、事実なわけだが。
「……ずるいよ、シロウ」
 扉を開ける音に紛れて糾弾が飛ぶ。
 俺は「またあとでな」とだけ告げて、正しく逃げるように、その部屋を後にした。

Comments

  • とても好きです…凛と剣主従も、士弓主従も、姉弟なイリヤと士郎も、慎二との戦闘シーンも…原作を思い返しても違和感のない話運びで、丁寧な心情と情景描写が素晴らしいです。ここ数日はこのシリーズを読み耽っていました。続きも本当に楽しみにしています!ゆっくりお待ちしていますね。

    May 24, 2019
  • ヒサギ
    April 12, 2019
  • 天井

    戦闘シーンやキャラの会話などSNプレイ時を思い出すようで夢中になって一気に読ませていただきました。また士郎とアーチャーが組む事は考えてなかった為、目から鱗のアイデアに驚きました。物語の展開がとても好きです。作者様の士弓萌えます!本当にありがとうございました。続き、待機します!

    August 23, 2018
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