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#25 秘密の帷/Novel by ちくわぶ

#25 秘密の帷

13,130 character(s)26 mins

士弓主従の第五次聖杯戦争ifストーリー二十七話目。腐向け。 

版権元:Fate/stay night 
注意(シリーズ共通):
 腐向け(士弓)、ねつ造、設定改変、独自設定、重大なネタバレ、原作程度の暴力表現・流血表現 

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 台へうつ伏せに拘束されている。完全に抑えつけられ身動きが取れない背中を、細い指先がなぞる。都度、触覚なんてすぐに役に立たなくなるくらいの電撃めいた刺激が体内を駆け巡り、蹂躙された体は俺の意志から外れて勝手に跳ね上がった。
「ぐ、んゥ――!」
 ガシャン、とそれなりに重たいはずの金属製の拘束具が俺の動きに応じて耳障りに鳴った。輪が填められている四肢なんかは後で痣になっていることだろう――などと呑気な考えで気を逸らそうとするものの、直接神経に電極をぶっ刺されるのに近い拷問のような外部刺激に、脳内はすぐ痛みに対しての緊急アラートで塗り潰される。
「……嘆かわしい。我らが魔術を、よもやこんな外様の、にっくき男の名を継ぐ者に――! 延命に注ぐだけでは飽き足らず、こうして! 力を戻すためなどに使わねばならないとは!」
 背後では言葉の通りに憤った気配が立ち上り、手先が狂ったのか――いや間違っても狂わせないでほしいのだが――、この拷問(仮)が始まって以来最大のスパークが俺を襲った。
「ンンーッッ! ぅう、ぐ、フ――!」
 思考が明滅する。赤と黒が代わる代わる視界を占有しては、明確な死への予感を訴えかけてきていた。
 もはや努力云々でどうにかなるあれではない。人体に電撃を通せばそりゃあ体は痙攣するし声は勝手に漏れ出るだろう。とはいえ、噛み殺し切れず迸ったはずの悲鳴はすべて唸り声にしかならないのだが。
「ええい、じっとしておられないのですか! こちらは繊細な作業をしているのですよ!」
 無茶を言うな、無茶を――!
 なんて文句と一時休憩の申し入れを叫びたかったが、うっかり舌を噛まないようにという気遣いで噛まされた猿轡が悲鳴ごと全部吸収してしまう次第である。
「まだ予定の半分です。そちらから望んだことなのですから大人しく、家畜のように無抵抗で耐えなさい!」
 ……ここまでで半分。
「――――」
 いかん、クラリと来た。
 しかし意識を失うわけにはいかない。というか失いたくてもこれだけ辛けりゃ強制的に起きざるを得ないのだが、とにかく全て終わっても正気を保っていなければ。無事に終わったときに廃人になっていたのでは意味がないのだ。
 瞼なんて開けていても閉じていても視界は体の異常事態を受けてかとうとう真っ赤に染まっていて全然役に立たなかったのだが、せめてもの抵抗で目は開けておく。固い台に額を押し付けるばかりだったのを、なんとか首を左に向け、何も見えないが確かにそこに固定されているはずの左手の存在を思い浮かべた。

 話を少し戻そう。
「ひび割れたグラスと同じね」
 上体だけ起こす俺のベッドサイドで、イリヤは手にしたワイングラスにワインを注いだ。眺めるように一回ししたあと二言の呪文を唱えると、見事に磨かれたグラスにピシリと深く細かな罅がいくつも走った。
 すぐに赤い液体を垂れ流し始めたグラスを、白いテーブルクロスの敷かれたテーブルに置く。
「一度こうなってしまえば、何もしなくても割れたところからどんどんワインは流れ出ていく。ガラスを修繕しない限りワインをどれだけ注ぎ足してもこぼれ落ちていくだけで、むしろひび割れはひどくなる。かといって、中に湛えたワインを涸らさないようにしながら罅を補修することなんてできはしない。ワイングラスの材料が、〝英霊の魂〟なんてものなんだから余計にね。まして、サーヴァントには常に世界から弾き出そうとする強い修正力が働いているわ。
 ――だから、チェックメイトと同じなの。サーヴァントの霊核に傷が入るって言うのは、致命傷を受けるのと同義なのよ」
 ひび割れからにじみ出るワインは、すぐにテーブルクロスに到達し不吉な色の染みを広げていく。訥々と話しながらイリヤがワインを継ぎ足しているが、当然、なんの解決にもならず赤い染みは広がっていく一方だ。ワインがにじみ出るという圧を受けて、ひび割れは一層ひどくなっているようにも見えた。
「中に注ぐだけじゃこうしてすぐに限界を迎えてしまうから、今はワインでできたプールに沈めて凍り付かせているの。飽和させて、凍結させて――現状の維持だけを考えた応急処置。あそこから引き上げれば均衡は崩れ、アーチャーの崩壊は再開するわ。かといってあのままにしていても、ゆっくりと崩壊は進んでいくでしょう。保って数日、私たちはそう見ている。
 そもそももう治すことができないのだからこれも意味のない延命……のはずだったんだけど。シロウの血はわずかであってもアーチャーの霊核を補修し、欠けた部分を補填している。アーチャーを戻す手段があるとして、賭けるのであればそこだと思うわ」
 説明のためだけに台無しにしたワイングラスとテーブルクロスを気にも留めず、手の一振りで控えるサラに片づけを命じたイリヤは「よいしょ」と俺のいるベッドに乗り上げてきた。四つん這いでにじにじとこちらに寄ってくる。
「で、次はシロウの方」
 寄られる分ちょっと体を引いているのだが、お構いなしに距離を詰めてきたイリヤはベッド端まで追い詰められた俺と向かい合うようにして脚の上に陣取った。寝台に投げ出されている俺の両手を掬い上げて、
「はい、ばんざーい」
「……」
 小学校低学年の患児に対する小児科医みたいな言い方だ。俺は子供じゃないぞ、と無言で抗議してみたがイリヤはどこ吹く風で「ほらほら」と繋いだ手を揺すって催促してくる。
 不服だったが無視していても埒が明かないので、大人しくイリヤに握られたままの両手をあげた。イリヤはふむふむと頷くと上げさせた俺の手をすぐに下に戻させて更に続けた。
「じゃあ次、ぎゅーってして」
 言葉とともに強く手を握られる。
「…………むう」
 要求の意味するところに小さく唸る。イリヤが何を確かめたいのかわかっていたし、できれば誤魔化したかったがどうしようもない。
「早く早く。思いっきり、強く握らなきゃだめよ」
「……なんなんだよ、いきなり。いいだろこんなの、今しなくたって」
「今しなきゃだめなの。早くったら」
 せめてもの抵抗もなんなくスルーされる。「ほらほら」と催促してくるイリヤの無邪気さ、それから膝の上に彼女を乗せている俺を殺気に満ちた視線で貫いてくるベッド横のセラの無言の圧力に屈して、俺もようやく要望の通り両手を握りこんだ。
「全然だめ。これがお兄ちゃんの全力? 赤ん坊だってもう少し力強いわ。ほら、がんばれがんばれ!」
「う……ぐっ……!」
 応援されるまでもない。俺だって全身全霊、イリヤの華奢な手を握り潰してやるくらいの気概で力をかけている。
 しかし、全く力が入らない。脳が発したはずの命令は、肩から腕へ走りぬける間にへろへろと外へ流れでてしまい、手先にたどり着くころにはほとんど効果を発揮してはくれなかった。
 顔を赤くして精一杯握ってくる俺の手をしばらく好きにさせていたイリヤだが、こちらの額に汗がにじむころになると握られている手を軽々振り払い、ぽいと俺の両手をベッドに投げ捨てた。
「はい、ざんねーん。時間切れ。というわけで、こんなヨワヨワのヘロヘロが今のシロウなのでした」
「……なにさ。わかってるよ、自分のことなんだから」
 言われなくてもわかっている。歩くことすらままならないのだ、普通な状態であるわけもない。
 それでも、少し堪えた。自然、声も暗くなる。このままでは、剣の一つも握れやしないし、到底戦うことはできないだろう。イリヤの狙いは俺をこうしてうちひしがらせることだったのだろうか?
「――うん。シロウの魔術回路って変わってるのね。神経系と同化している回路なんて初めて聞いたわ」
「そうなのか?」
「そうなの。だから、シロウは運がよかった」
「?」
 はて、どう運が良いというのか。さっきまでの話とも結び付かず首を捻る。
「体に入りこんだマキリが真っ先に狙ったのは、シロウの魔術回路だったんだよ。そこさえ抑えちゃえば、魔術師としてのシロウの能力は振るえなくなるし、令呪だって手にできるでしょ? でもいざ回路を探りあててみれば、そこにあるのは神経だった」
「はあ……?」
「ビックリしたんじゃないかな。それに、回路に対してのシンリャクと神経に対してのドウカって、全然やり方が違う? のよね、セラ? ――うん。だから、ちょっぴり手間取った。そこをわたしが助けてあげた」
 ベッドから下りてセラがすかさず差し出した椅子に座りなおしたイリヤは、地面についていない両脚をぶらぶらと揺らしている。
「ほんとなら、魔術なんて一生使えない体にされていたわ。それじゃシロウも困るよね?」
「そりゃあ、困るさ」
 魔術回路がなければマスターでいられない。何よりアーチャーの令呪をとられるなんて、俺にとっては最悪の展開だ。
「だから運がよかったねって。代わりに、普通は関係ないはずの神経がダメにされちゃってるんだけど」
 ――ふむ。なんとなくわかった。
 つまり、魔術回路が被るはずだったダメージを神経が一部肩代わりした、ということだろう。一〇〇のダメージがあれば壊滅していたであろう魔術回路は、神経が五〇のダメージを引き受けてくれたおかげでなんとか難を逃れた、と。
「そっか。なら、目覚めて随分経つのに手足に力が入らないのは、そのせいなんだな」
 さっきイリヤに手放されたままシーツの上に転がる自分の手を見る。こうして体を起こしているのも、本当はすこし辛い。誰かに小突かれてバランスを崩せば、そのまま倒れてしまうだろう。
 あまり詳しくないのだが、こういうのってリハビリとかを頑張れば元に戻せるものなのだろうか……?
「さて。タイムリミットはあと数日。アーチャーをなんとかできる可能性があるのはシロウだけ。でも肝心のシロウはこんな体。どうしよっか?」
「どうするったって……。なんとかするしかないだろ。魔術回路だって、もとは毎日イチから開いてたんだ。今からずっと続けて、最低限アイツを助けられるくらいの魔力を使えるようにならなくちゃ」
 一晩でもよく意識を飛ばして終わっていたこともある、今や懐かしい毎夜の鍛錬だ。二十四時間続けるとなるとかなりの危険を伴うだろうが、やるしかない。
「ふーん……。どうやるのかわかんないけど、それ、手伝ってあげてもいいよ」
 なんでかちょっと面白くなさそうな声に、手元に落としていたままの顔を上げる。
「ホムンクルスでも魔術が使えるように作れるんだもの。アインツベルンわたしたち、魔術回路の鋳造なら得意だわ。たぶん、生きてる人間に後づけでやったら痛くてつらくてショック死するけど――」
「それなら、間に合うのか?」
「わかんないけど、シロウが一人でやるよりずっと早いと思う。あくまで、生きていられたら」
「頼む! やってくれ! 助けてもらってばかりで悪いけど、今はイリヤだけが頼りなんだ」
 がばりと頭を下げる。急な動きに体が傾ぎかけたが、今や腑抜けてしまった丹田に必死に力をこめて踏みとどまった。誠意を見せるべき場面で無様は晒せない。
 沈黙する室内で待つこと十数秒。呆れた溜息が降ってきたのに僅かに顔を上げると、イリヤは拗ねたように口を尖らせて言った。
「……あーあ。だからわたし、シロウにアーチャーがまだ消えてないことを教えるの、イヤだったんだ」

「――ました。起きなさいと言っているのです。聞いているのなら返事をなさい。
 ……ふむ。呼吸と鼓動はしぶとくもまだありますが、返事がないのならそれは屍同然。もとより死の危険を伴う処置、実際に死に果てたとあらばイリヤスフィール様もいい加減諦められるでしょう。ええ。では、起きてこないので死んだということで、ならば死体は早く処分せねばなりませんね」
 どれくらい経ったのか。
 体内を異物が這い回り、あまつさえそれが我が物顔で自分の肉体として居座るという絶望的な不快感。それに耐えているのか耐えられなかったのか自分が生きているのか死んでいるのかわからなくなるくらいの辛苦を経て、結局自分は生き延びているらしかった。
「まったく、この地は温暖に過ぎて死肉が腐りやすいので困ります。とりあえず息の根を止めたら、早く埋葬用に穴を掘らせなければ」
「……ぁ――」
 やめろ、俺はまだ死んでない。
 不吉なことを言いまくる誰かさんの声に、反論しようと口を開く。しかしずっと猿轡を噛まされていた舌は馬鹿になってしまったのか、まともな声は絞りだせそうにもなかった。
 だが俺のリアクションは少なくとも生存証明にはなったのか、背中で不穏な準備を整える女性は「まったく嫌になるほどしぶとい」と悪態をつけながらも、とりあえず俺が死体でないことはわかってくれたらしかった。
 無造作に体がひっくり返される。照明が眩しくなる――と身構えた俺の予想と反して、視界は相変わらず赤いままで明暗すら定かではなかった。
「五度は死んだと期待したのですが、本当に生き汚い男だこと」
 見えないが頭上でそう言ったのはセラの声だ。されるがままの俺の腕を上げ下げしたり首をぐいぐいと回したりした後、舌打ち一つを置き土産に気配が遠ざかる。ドアの開閉の音がしたから、一度退室したんだろう。
(……生きてる)
 体はまったく思うとおりに動かないので自覚症状としてはなんだか悪化している気がするのだが、とにかく死んでいないようだ。セラは五度と言ったが俺は十回は死んだと思ったし本気で一、二回くらいは死んでいたと言われても正直信じるだろう。
 だが、なんにせよ生きている。となると、次は俺が使い物になるかどうかだ。
「ぅ、あ、……は」
 せめて指先、それが無理でも声帯くらいは動かせなければ話にならない。赤ん坊みたいな声しか出ていなかったが当人である俺にとっては至って真剣な発声練習をしていると、セラが出て行った方からまた扉の開く音がした。
「ふわ~ぁ……。おはようお兄ちゃん」
 見えなくても想像がつく眠そうな大あくびとともに入ってきたのはイリヤのようだ。
「わあ、ほんとに生きてる」
「……ぁ、って、――ぉあ」
「あはは、何言ってるか全然わかんないね」
 くそう。勝手に殺すなって言ったんだよ。
「血が奥で固まっちゃったんでしょう、喉が動かなくっても当然だわ。今だと噎せちゃうから、ちょっと休んで動けるようになったら水飲もっか」
 ゴシゴシと顔を拭ってくれる手つきはちょっと痛かったが、声は優しい。その優しさが、なんだか場違いに感じて少し腹が立った。
「ぃりや」
 イリヤの名前は今の俺でも比較的言いやすい。呼ばれた少女にもきちんと聞き取れたか、「ん? なあに?」と返事をもらった。
「――――あー、」
 舌がもつれる。叫び続けた喉は血を流し、声を出す度に動く血塊が傷口を引き延ばして痛みを生んだ。無理に喋るな、というように小さな手がポンポンと肩を叩く。子供に対するような態度にも思えたが文句も言えず、一番大切なことくらいはと懸命に口を動かした。
「アーチャーのこと?」
 聞き返すイリヤに必死に頷く。……正直口もまともに動かないので首も全然動いてなかったが、イリヤは俺の意を組んで「特に変わりはないよ」と返事をくれた。
 少しホッとしたが、すぐに気を取り直す。セラとの拷問っぽい儀式を始めたのが夕方で、今イリヤはおはようと言って入ってきたのだから、一夜明けてしまっていることになる。のんびりしている時間はない。
 必死に体を起こそうと芋虫が如く蠢く俺を見下ろすイリヤはため息一つ、
「リーゼリット、入りなさい。シロウは一旦丸洗いしておきましょう」

 ひどい目にあった。
「ひどい目にあった」
 思わず口に出すくらいにひどい目にあった。
 比喩表現ではなく本当にジャブジャブ洗われたのである。目は充血してるし鼻はまだツンと痛むしたらふく水を飲んだ胃が重い。
「イリヤのいうとおり、丸洗いしてやった。シロウは何が気に入らない?」
「人体は布と同じ扱いはできないって常識が通じないこと全部かな」
 一般常識を説いたつもりだがリーゼリットはわずかに首を傾げてそれ以上の応答をしなかった。俺の言い分に納得した気配はゼロなので「シロウは変なやつ」とか思われているのだろう。
 俺の方が絶対に正しい自信があったが、この城ではイリヤの意に反した時点で一対三のマイノリティが確定する。こんなどうでもいい話で孤立無援の徒労を味わうのも馬鹿らしいので俺も反論と説得を飲み込んだ。
「それにしてもやる前とは動きが段違いだ。セラはすごいんだな、リーゼリット」
 言いながら両手をぐっと握り込んでみると、圧迫された手のひらが白く染まるのがわかる。ちゃんと力が入っている証拠だった。最中は本当に殺されるかと思ったものの、終わってみれば俺の意志のまま体がちゃんと動くようになっているのだ。これには素直に感心する。軋む感じでギシギシと不快な痛みがつきまとうが、痛みくらいなら次第に慣れるだろう。
 今部屋にはリーゼリットしかいないのでお礼の代わりに同僚であろうセラを褒めてみたのだが、彼女は相変わらず無表情のままだ。
「セラができるのは当然。……すごいとしたらじじいの方」
「じじい?」
「…………」
 新たな人物の呼称に思わず聞き返したが、それ以上の返事はない。寝っ転がったままの俺から不意に視線を切って、どこともない中空を見ている。
 俺との会話に飽きたのだろうか。中々反応が読めなくて難しい。気分を害したのなら悪く思うが、見ている感じそういう起伏に乏しそうだ。この分なら俺への嫌悪を全開にしてくるセラの方がまだマシ――いや、どっこいどっこいか。リーゼリットは反応こそ乏しいものの、おおむね俺に好意的である。ただしサーヴァントなみの怪力を誇るくせに力加減が苦手らしく悪意のないまま人の手足をもぎそうになるから侮れない。
 ……いずれにせよ、世話になっていることに変わりない。この借りはいつかちゃんと返さなければならないだろう。
「イリヤはどこに行ったんだ?」
 恐々と痛む体を起こして聞いてみる。目覚めてから発声練習とか寝たまま体操とかして過ごしていたが、いつまで経っても部屋の中には扉横に控えるリーゼリット以外の姿はない。
「調整中。セラがいっしょ」
「ふうん……? 調整って、一体なんの?」
「ドレス」
 間髪入れず返った言葉に、ドレス、と口の中だけで繰り返す。ジジ、と頭蓋の裏で音が鳴る。
「――――」
 奇妙な感覚に目を瞬かせて少し待ったが、それ以上なんということもない。
 にしても、ドレスか。一般庶民には馴染みのないすごい単語が出たものである。随分と長い調整時間だが、本物のお嬢様とくればそれくらい時間がかかるものなのかもしれない。
「なあ、俺もう起きててもいいか」
 強烈な体験のせいで時間も日付もあやふやになってしまったが、今は多分週明けの昼前くらいではなかろうか。丸一日まともに起き上がりもせずにいたのだから早く慣らさなければならないし、魔術回路の調子も確かめたいところである。
「…………」
 果たしてリーゼリットの返事は沈黙であった。いや、沈黙というか無視というか、自分に聞かれていると思ってなさそうというか。
 まあいいや。まずかったら多分止められるだろうし、止められないのであれば好きにしていいということだろう。何をしても痛いせいでじっとしていると気が滅入るし、ひとまず腕立てあたりから始めるとしよう。

 イリヤが戻ったのは俺の筋トレがちょうど終わろうとするころであった。
「うひゃぁっ!」
 絨毯にそのまま座り込んで柔軟体操をしていたところ、ドアを開けた小柄な人影がビクッと体を跳ねさせた。
「――び、びっくりしたぁ。なんで動いてるの、お兄ちゃん」
 勝手にベッドから出たことへの批難でもなく、純粋に心底から仰天したといった感じである。……しかし、俺だって生きてるんだから動きもするだろう。ちょっと不服に思って返す。
「なんでって言われても、動けるようになったから動いただけだ。あ、一応リーゼリットには動いていいか聞いたんだからな」
「動ける? うそでしょ、痛くないの?」
「そりゃあ痛いけどさ。多少痛くてもちゃんと動けてる今の方がずっといい。ありがとな、イリヤ」
 座ったままだとあんまりなのでちゃんと立ち上がって礼を言う。しかしイリヤは俺の言葉を聞いているのかいないのか、心細げに胸元に手を置いてなにやらオロオロとしていた。
「い、痛いんだよね? 多少じゃないよね、すっごく痛いはずだよね? こう、電気を流されたり、たくさんの太い針で刺されたみたいに……」
 おや、と目を瞬かせた。まるで見てきたみたいに言うなと思ったが、実際その通りであったので感心して頷く。
「そうそう、ちょうどそんな感じだ。よくわかったな」
「……『よくわかったな』、――じゃ、なーい!」
「うわあ!」
 オロオロから一転ガバッと突っ込んできたイリヤを慌てて支える。……が、
「――いっ、づ」
 自分で意識して体を動かすのと、予期せぬ行為で動かされるのでは痛さと心構えが全然違う。悲鳴が上がりかけたのはなんとか喉で殺したが、イリヤを受け止めきることはできず後ろのベッドへ倒れ込む。
「もー! バカバカ! なんだってじっとしてられないの!?」
「あいたた……。バカってなんだよ、ちゃんと許可はとったって言っただろ?!」
「そんなのリズが許可を出すわけないじゃない!」
「……む。それは、そうだったかもしれないけど……」
 理不尽な怒りに負けじと叫び返したが、思わぬ反撃を受けて思わず唸る。確かに、リーゼリットはダメとは言わないがオッケーとは一言も言わなかった。
「……じゃあ、どうしろって言うんだよ、ここでぼうっと待ってなきゃダメだったって言うのか?」
「ダメっていうか、こんなすぐには動けないって思ってたの。シロウからは一瞬も目を離しちゃいけないんだって思い直したわ」
 俺の上にのしかかったままウンウンと納得顔で頷いている。
 ……むう。俺の方は逆にあんまり納得できないが、ここで反論したら余計に怒りを買うことはわかる。
「見張ろうがかまわないけどさ、体を動かすなっていうのはやめてくれよ。時間がないからこうやって急いでるんだから。……あと、いい加減退けよな。はしたないぞ」
 イリヤは今、突っ込んできた体勢のまま俺の腿のあたりに居座っている格好になる。別にそれをどうこう思うわけでもないが、居心地が悪いのは確かだ。
「ふぅーん……? はしたないって一体なんのことかしら? ちゃんと言ってくれなきゃわからないわ」
「いや、だから座ってる位置がだな……。こら、タンマ、あんま動くなってば」
「へえー? ふーん? なるほどー? なぁんだ、シロウがトーヘンボクっていうのはタイガの思い過ごしだったのかな-?」
 ニヤニヤニマニマこっちの反応を笑いながら不穏な動きを始めるイリヤの肩を慌ててひっ掴む。グググ、と止めようとする俺と進もうとするイリヤが拮抗した。
「おい、やめろって。ホントに怒るぞ」
「あら、一体何を怒るっていうのかしら? まさかイリヤが重いってわけじゃないでしょう?」
 こっちは痛いのを我慢しているっていうのに、何が楽しいのかイリヤはいやな笑みを浮かべたままだ。眉をしかめて応戦するが、普段のような力も出せず、次第にこちらににじり寄ってくる。完全に面白がっている表情で、視線はこちらに固定したまま細い指先が俺の内腿――の結構際どい辺りを撫で上げた。
「ば――、な、な――!」
 沸騰というか更にワンランク上のスピード感。固体から液体行程をすっ飛ばして気体になるあれはなんて言ったっけか。なんか今そんな感じである。さすがの氷もびっくりしていきなり水蒸気になろうというもの。さもあらん。あ、そんなこと言ってたら思い出した。固体から気体になるのは確か『昇華』だ。俺は今昇華している。
 ……じゃなくて!
「ば、ば、ば、ばか! ばかイリヤ! 遠坂でもあるまいし、人をからかって遊ぶんじゃありません!」
「……うん? トーサカ?」
 信じがたいことに子ウサギにするような手つきでまだ俺の脚の付け根を撫でて遊んでいたイリヤは、耐えきれず叫んだ俺にキョトンと目を丸くして首を傾げた。合わせて手の動きと侵攻もようやく止まり、俺もなんとか一息つく。 
「…………なんでそこでリンの名前が出てくるのかしら」
 う。なんでか知らないが怒らせたらしい。
 動きは止まったがジトーッと物言いたげな目で見下ろされて思わず怯む。
「遠坂は見た目と普段の言動こそ優等生だが皮一枚剥ぐとそこには赤いあくまが潜んでいてだな、イリヤも今のうちから気をつけておかないとどういう風に育つかわかったもんじゃないぞと人生の先達として俺には言わねばならない義務があって――あ、いや、別にイリヤがあくまとか外道とか言ってるわけではなく――」
「…………」
 自分でも何を言っているかわからないしどろもどろに、イリヤは見る間に拗ねてわかりやすく頬を膨らませた。小さな顔が見る間に風船みたいになっていくのを現実逃避混じりに感心して見ていると、ガバリとベッドの上で勢いよく立ち上がり、
「もう知らない! シロウなんてこうだわ!」
 その位置エネルギーをふんだんに活用して、俺の上半身にタックルをしかけてきた。
「い゛っ! ~~~~ッ!」
 ボフリとベッドに倒れ伏しちょっと目が回ったが、それどころではない痛さに悶絶する。
「――だからっ! 痛いんだってわかってるならちょっとは遠慮しろよな!」
「痛くたって勝手に動き回ってたのはシロウでしょ-!? 今更になってわがまま言ったって聞かないんだから!」
「わがままじゃなくて割と切実――」
 必要があって我慢する痛みとこんな与太事で被る痛みとでは全然別物だし、回避できるなら断然回避したい。しかしイリヤは聞く耳持たずで「リズ!」とずっと室内に控えていた従者の愛称を呼んだ。俺が体の上にしがみつくイリヤを引きはがそうと奮闘する間にすすすっと近づいてきて、俺たちの体の下でぐちゃぐちゃになっている布団をわし掴んで勢いよく引いた。
「どわっ……!」
 ひっくり返りそうになるのをなんとか堪える。なんだなんだと目を白黒させている間に、テーブルクロス引きが如く掛け布団を引っこ抜いたリーゼリットは、両手で持つそれを俺たちの上にかぶせた。
「???」
 本格的にわけがわからない。説明を求めてリーゼリットを見るが、彼女は「おやすみイリヤ、シロウ」と言うと役目は終えたとばかりにまた壁際に戻ってしまった。
「おやすみ……?」
「そうよ、一緒に寝るの。シロウに拒否権はないんだから」
 もぞもぞと俺の上から横に落ちてきて体勢を整えていたイリヤは、俺の腕を無断拝借して枕とする形で落ち着いたらしく宣言通り目を閉じて就寝体勢に入っていた。仰向けの俺の方に体を向けて側臥位を取っている。
「…………」
 慌てて顔を天井に戻した。俺が横を向くと、イリヤとの距離がすごく近い。
「眠いなら悪いけどイリヤだけで寝てくれ。そんなことしてる場合じゃないんだってずっと言ってるだろ」
「気づいてなあい? お兄ちゃんの体、すっごく熱いよ。急いでるなら焦っちゃダメ。魔術がからきしのシロウでも、一緒に寝ればちょっとは同調できるでしょう? イリヤが調整を手伝ってあげる」
「同調? イリヤと?」
「そうだよ。二つを一つにする技法。シロウはあとでもっとちゃんとしたのをアーチャーとしなきゃいけないんだから、その練習と思えばいいわ」
 俺にとっての同調は、強化の時の手順の一つだ。人間相手の同調はやったことがないから、練習をしておいた方がいいのは事実だろう。
 あるいは大人しくしない俺を黙らせるための方便だったのかもしれないが、言っていることには一理あるのでようやく俺も抵抗を諦めた。
「わかった、俺の負けだ。参ったよ、イリヤだって俺よりよっぽど頑固じゃないか」
 やれやれと些かわざとらしいくらいに肩を竦めてため息をすると、むうと頬を膨らませたイリヤが布団の中でこっちの脚を蹴ってきた。なにおうと負けじとこちらも応戦し、なんとなく二人無言でしばらくゲシゲシと静かな攻防をする。
 ちょっと冷静な自分が一体何をやっているんだと呆れていたが、見かけによらず結構すばしっこい動きで逃げ回るイリヤに少々ヒートアップしていると、あちらも意地なのかすました顔で目を瞑ってあくまで寝ようとしているポーズをとっていたイリヤが、突然ふるふると震え出して破顔した。
「ぷ、あはは、あはははは! おっかしいの! お兄ちゃんってば、キリツグそっくり!」
 言葉のとおりおかしくてたまらないと言った様子で、お腹を抱えて大笑いしている。
 突然笑い出したイリヤに少し驚いて目を丸くしたが、あまりに邪気のない楽しげな様子を見ているとこっちまでなんだか暖かな気分になってくる。何より切嗣の名が彼女の口から何の衒いもなく発せられたのが嬉しく思う。
「あのなあ。今の流れで似ているって言われるのは、ちょっと釈然としないものがあるぞ」
「子供っぽくて負けず嫌いで、全然大人げないんだもの。キリツグもね、今よりずっと小さい私が遊んであげてるのに、いつもズルばっかりしてた」
 クルミの芽探しの話やかくれんぼの話なんかを、目を塞いだまま歌うように語るイリヤを黙って見守る。他人の口から語られる義父の姿は、少し違ったようにも聞こえるが、やっぱり俺の知る切嗣とそう変わらないように思えた。
「シロウの話も聞きたいな。ちっちゃいシロウってどんなのだった? キリツグにいじめられてなかった?」
 俺も次第に目を閉じて、一晩中だって聞き手に徹するつもりだったのだが、イリヤは俺からの話もねだってきた。
 俺なんかの話よりイリヤが気が済むまで話せばいいと思うのだが、切嗣が濡れ衣を被せられているのを放置するわけにもいかない。うーむと唸りながら瞼をあげてみると、イリヤもいつの間にやら大きな目を開けていて悪戯そうにこっちを見上げていた。
 仕方が無い。俺の幼少期の話はともかく、切嗣の話をする分には構わない。実のところ切嗣は家を空けていることが多かったので思い出話はそう豊富ではないのだが、幼いころまでしかともに過ごせなかったイリヤも似たようなものだろう。
「いじめられてなんかないさ。切嗣はいつもニコニコしてて――でも、そうだな。かなり子供っぽくて、プリンとかハンバーガーとかそんなのばっか好きで食べてた。よく噛んで食べろとか野菜も食えって言っても、てんで聞かなくてさ。気づいたら俺の皿に移してきてるんだ」
 死んだ義父の思い出なんて普通の人には気を遣わせるので、切嗣のことについてなんてたまに藤ねえと話すくらいしかなかった。随分と久しぶりに思い返したが、あれこれ理由をつけてはジャンクフードに走ろうとしていた切嗣の姿をちゃんと声つきで思い出せて少しほっとする。
「やっぱり、キリツグって嘘つきだわ。イリヤにはいろんなものをたくさん食べなきゃ大きくなれないって言ってたのに、のっぽのキリツグはそんなのばっかり食べてたんじゃない」
 ツンと澄まして言うイリヤの口ぶりには、不満はあるがいつかのような憎悪はない。それを確認したのに満足して、再び瞼を下ろした。
 そんなに多くないと思った思い出は、こうしてみると次から次へと沸いて出てくる。目を閉じたまま、それぞれが抱える記憶の中の父の姿を思い思いに語った。

 ……尽きることのないように思われた昔語りは、どちらともなく次第に途絶えがちになり、
「――おやすみ、シロウ」
 そう言われたのが夢と現のどちらだったか判別がつかないくらい自然に、俺は穏やかな眠りに就いていた。

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