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#24 氷柩/Novel by ちくわぶ

#24 氷柩

14,163 character(s)28 mins

士弓主従の第五次聖杯戦争ifストーリー二十六話目。腐向け。 

版権元:Fate/stay night 
注意(シリーズ共通):
 腐向け(士弓)、ねつ造、設定改変、独自設定、重大なネタバレ、原作程度の暴力表現・流血表現 

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 思考がばらける。
 ああ、折角目が覚めようとしているのに。この思考をこのまま保持していなければと思うのに、思うそばから千切れていく。いや、なんだよ。そもそも俺は今寝ているのか? そんな場合じゃないのに、何を呑気に。起きなくちゃダメだろう、俺が倒さないといけないんだ。まだ、あいつが戦っているんだから。
 ――くそ、足掻くたびに体が軋む。何を考えていたのかわからなくなる。
 指先に力をこめる度に、手のひらから肘の内外、肩から骨の髄までもが破裂したかのような痛みが走った。細やかな呼吸をするだけで、肺胞一つ一つが融け落ちて体が中から崩壊していく感覚がした。全ての動作に不都合があって、ツギハギだらけのガラクタ人形にでもなったようだった。一度死んだ肉体に、乗り移って操作しているようなもどかしさだった。
 他人事のように体はうまく動かせないのに、苦しみと痛みだけは的確に俺を苛んだ。
 この呼吸と脈動を止めて、感覚して思考する脳髄も流れ出てしまえば楽になるだろうと夢想する。どうせこの先苦しいことばかりが待っているのだから、なぜ今辛苦を負う必要があるのかと俺の中から諭される。
 今の俺にとっての時間の経過は世界のそれとはずれていて、一瞬の苦しみは永遠に感じられるほど、いつまでも残響して好き勝手に蹂躙を続けた。

 長く、足掻いていた気がする。多分ここで死んだ方が楽だっただろう。
 足掻いても、がんばっても、努力しても、諦めなくても、結局理想には届かないのだ。衛宮士郎を限界まで鍛え上げて理想を体現してみせた男が、文字通りの生命を賭して、それを証明して見せたのだ。
 どれだけ力を尽くしても、俺は視界に映るちっぽけな世界一つすら救うことができない。衛宮士郎は衛宮切嗣の憧れを追う限り、永遠に幸福になんてなれはしない。
 誰かを救おうと願う限り、俺は誰をも救うことができない。
 わかっている。わかっているのに、死んだ体はそれでも生きようともがいていた。薄れていく自我は、まだ目覚めねばならぬと足掻いていた。
 思考がばらける。拡散と集合を繰り返し連続性を保持できないまま、明滅する一つの星明りだけが俺の自意識を規定している。
 こんなところで死ぬわけにはいかない。結局俺は死ぬまでこう思い続けるのだろうけど、この焦燥感は早々置いていけるものではなかった。
 俺はいつだって助けられてばかりで、一つも返せるものはなくて。ずっと、やらなければならないことがあると思って生きてきた。強迫観念と呼ばれる衝動に突き動かされて走ってきた。走り続けたいと思ってすらいた。
 それを間違いだとは思わないけど、歪なものだと今ならわかる。
「――――」
 思考がばらける。永遠と一瞬が等価になって交わされていく。デタラメな情景、一瞬のような永遠、黄泉にたどり着くまでの走馬燈。その狭間にあって、俺のやれることは結局いつも通りだった。
 撃鉄を起こすイメージ。激痛とともに火花を走らせた魔力回路は、俺の肉体の神経回路が残存していることを証明してくれていた。
 千切れかけた右腕を治した。片腕一本じゃやりたいことに届かないから。
 食い破られた血管を繕った。鉄の血潮を巡らせなければ大切な剣が鍛てないから。
 欠損した大脳を埋め立てた。衛宮士郎の根幹は、イメージすることにあると知っていたから。
 死んだ方が楽なのに、こんなツギハギで生き延びてもすぐに綻びるに決まっているのに、現実に帰ろうと必死になった。まだ、死ぬわけにはいかない理由があった。確かに、果たしたいと思える願いを見つけた。
 ばらける思考でたどり着く。霧散しようとする衛宮士郎の自意識は、傷ついたまま立ち続ける男の背中に手を伸ばすことで保たれていた。
 その衝動に名を付けるなら“願い”であった。
 やらなければならない、ではなく。やりたい・・・・と思える願い。

 そうだ、アーチャー。おまえに会いたい。
 俺にはまだ、おまえに伝えてやらなきゃならないことが――、

 ハッ、と落下する錯覚とともに、覚醒は唐突に訪れた。
 目覚めるより前からずっと脳髄を焦がしていた予感に従って横たえていた体を起こそうとしたが、体がひっくり返るような強烈な嫌悪感に中断を余儀なくされた。
「――ぐ、ガ、ァッ……!」
 意志から外れて勝手に喉が鳴った。体中の筋肉、それこそ気道を覆うような些細なものまで全てが誰かに操られてでもいるように限界を超えて収縮した。
 人体改造にも等しい急速な肉体回復に、精神の方は全くついていっていなかった。傷はもうどこにも残っていないと理解できるのに、最大限に痙攣する筋肉の締め付けは傷を負うよりも厄介な痛みを植え付けてくる。
 横隔膜が縮こまったまま返ってこない。肺を覆う筋肉は中の空洞を締め付けるばかりでちっとも息が吸えなかった。しまいには心臓までが奇妙なビートを刻み始めた。
 息ができない。血が巡らない。それはつまり、死ぬってことだ。
(……死ぬ?)
 冗談じゃない、こんな馬鹿げたことで死んでたまるか。自分の体くらい、自分の意思で操れなくてどうする。 視界は真っ赤で目は開けているはずなのになんの役にも立っていなかったが、とにかく物を考えられているうちに呼吸を整えなければまずいと懸命に冷静を装う。こんなに無様を晒しているのに外敵の存在を感じないのだ、バカになってしまった自分の体さえコントロールできれば、ここは安全な場所なのだろう。
 滝のような汗がどこからか滲んでは米神を伝い後頭部へと流れていく。どうやら仰向けでいるようだ。ひゅーひゅーと狭い喉を空気が通過する音が耳障りであったが、逆に言えばその微かな音に気がつけるくらいになってようやく、ここがどこで、自分はどういう状況にあるのか記憶を辿るくらいの余裕が出てきた。
 ――慎二。
 俺はあいつを本気で殺すつもりでいて、実際に殺さなければならないほどの敵で、真剣に挑み、……そして負けたのだ。てっきりあれで死んだものと思ったが、こうして生きているので俺の知らない間に何かがあったのだろう。
 少しずつ呼吸を取り戻す。痛みに対しての興奮がゆえか、瞳孔は広がりっぱなしで辺りは白くぼやけて結局どういう場所なのかわからなかったが、ここが室内で俺はベッドのようなものに寝かせられているとわかった。
 多分、助けられたのだ。ああいう意識の失い方をしてこんな目覚め方をするということは、そういうことだ。はあと息を吐く。がなり立てるように激しく打っていた心臓はようやく人並みの落ち着きを取り戻し、俺は見知らぬ部屋の寝台に大の字に転がったまま、視界の回復を待つ間にアーチャーの気配を辿った。
 ほとんど無意識の行為だった。説明が難しいのだが、俺にとってアーチャーの存在というのは独特なもので、例え近くにいなくても少し意識すればどこにいるかわかると確信できた。超能力じみた超感覚なのだろうか。自分の未来の姿が英霊になってサーヴァントとして召喚されるなんて奇特な体験するやつ他にいないだろうから確かめようがないが、自分との同一存在なのだから逆にわかって当然なものなのかもしれない。
 そう、わかって当然だったのだ。そして俺は、自分が無事なのだからあいつも無事なものなのだと思い込んでいた。
「……アーチャー?」
 眠る間も俺を苛み続けていた焦燥の正体を知る。アーチャーの気配を辿る先がどこにも繋がらない、その異常を。
 ガン、と横殴りにされたような衝撃だった。無意識ながらあいつの正体に勘付いてから今までの間、こんなことは一度もなかった。
 ……どこにいてもわかるはずの存在の気配が、どこにも見つけられない。それが、どういうことなのか。
 今度こそ体を跳ね起こした。真っ先に強い目眩とひどい吐き気が俺を襲ったが、体が動くのであればどうでもよかった。無意味とわかっているはずなのに視線を室内に巡らせる。閉じられたままカーテン、重厚な質感を持つクラシカルな調度品。それから、
「まだじっとしてなさい、シロウ」
 いつからそこに立っていたのか。未だ不鮮明な視界でも、こちらを見る二つの紅玉ははっきりとわかった。
「イリヤ――」
 ドアは固く閉まったまま、空気が揺れ動く気配もない。多分、最初からこの部屋の中にいたのだろう。手を伸ばしても届かないくらいの距離を置いて、ベッドで半端に体を起こす俺を見ている。どうしてか、眼差しも表情も凍てつくように険しかった。
 おそらく俺を助けたのは彼女だ。怒っている理由はわからなかったが、何よりも真っ先に俺は尋ねた。
「アーチャーはどこだ」
 途端、イリヤの眉尻が跳ね上がる。一層気を損ねた様子で突き放すように返した。
「どうでもいいでしょう、そんなことは。死にかけてたんだから、まずは体を治さなきゃダメよ」
「体ならもう治ってる。頼む、知っているなら教えてくれ。あいつの気配がどこにもないんだ」
「主人を守り切れなかった愚図のことなんて放っておきなさい。もっと他に優先するべきことがあるでしょう」
「そんな言い方は――ッ!」
 あんまりな言い分に反論が口をついて出たが、前に乗り出すようにした体が急激に痛んで継げなくなった。みっともなく漏れそうになる悲鳴を殺す。蹲るような体勢のまま、視線だけでも抗議を込めて少女を見る。
 しかし、対するイリヤも全く怯む様子はない。苛立たしげにブーツの踵で絨毯敷きの床を蹴りつけると、吐き捨てるように言った。
「シロウは、聖杯に叶えてもらいたい願いを見つけたの?」
「……何?」
「見つかってないんでしょう、初めからないんでしょう、そんなものは。弱くてすぐ死んじゃうくせに、やりたいこともないまま邪魔しないでよ。サーヴァントがいないんじゃシロウはもうマスターにはなれないんだから」
 ――だから、じっとしていなさい。
 そう締め括って、イリヤは表情を隠すように目を伏せた。分厚いコートを脱いだブラウス姿は、幼い少女の輪郭をより細く見せていた。俺は睨み付けるのも忘れて目を瞬かせる。
「なんで泣いてるんだ」
「泣いてない! 怒ってるの!」
「いや、だって――」
「何回もその令呪を切り落とそうか迷って止めてあげたのに、起きたらやっぱりそんななんだから! 後悔してるわ、すっごく!」
 半ば呆然とした俺の指摘に、その勘違いだけは我慢ならぬと顔を上げてこちらにズカズカと歩み寄ってくる。本人の言に反してその眦には雫が乗って見えたが、それを確かめる暇もなく俺の座るベッドに乗り上げてきた。
「サーヴァントなんか大切にするのはやめなさい。あれらは儀式の贄にすぎないの。全部終われば消えてしまう使い捨ての道具に――期間限定のウソの命のために、自分が傷つくなんて間違ってるわ」
 胸ぐらを掴んで引き寄せられる。細い腕には見た目通りの力しかなかったが、引かれるがまま体を前へと倒す。間近で見るイリヤの瞳は、やはり潤んでいるように思えた。
「なんで――、何に、泣いてるんだ」
「怒ってるの!」
「あ、悪い。……いや、ごめん。なんで怒っているのかわからないって言ったら、もっと怒るか?」
「怒るわ、とっても」
 イリヤはそう言うし実際憤っているのは事実なのだろうが、やはり俺から見てイリヤは泣いているのだった。
 弱った。泣いているイリヤをそのままになんてできないが、下手なことを言って余計泣かれるのはもっと困る。覚えのない服を着る胸元を引っ張られながら、おそるおそる尋ねた。
「俺が、アーチャーを大事にしたから怒っているのか?」
「……」
 無言のままギリギリと首が絞まる。違うらしい。
「俺が弱いこと? イリヤに助けられなきゃ死んでたことか?」
「違う」
「理由もないのにマスターでいるからダメなのか?」
「違うわ」
「……ごめん、わからなくて。でも頼むからそれ以上、その、怒るのをやめてくれないか」
 悲しんでいるようではないのはわかるのだが、俺が何か言う度に厚みを増す涙の膜を見るのは心臓に悪い。 感情の昂ぶりに合わせて揺れる赤眼は、決壊を目前にしているように見えた。
「どうしてわからないの?」
 弱り切って白旗を揚げる俺に、少女が逆に問う。
「なんでイリヤが怒っているのかが、シロウにはそんなに難しい?」
 いつもと変わらない声であるはずなのに、糾弾の意思が彼女の声を低く錯覚させた。限りのない難問であるのだと俺は態度で伝えているつもりなのだが、正解にたどり着くまでは向こうから譲歩してくれそうにもなかった。
 ……最後に残った心当たりは、俺から言うのには勇気が必要だった。叶うならこのまま思い出さずにいられないものかという卑怯な臆病を堪えて、そっと答えた。
「……俺が、切嗣をとったから?」
 小さな声になってしまった。緊張に早打つ自分の鼓動の方がうるさい。
 これに「そうだ」と頷かれてしまえば俺にはどうすることもできない。イリヤみたいな娘がいるのなら切嗣は彼女の元にいるべきだったとわかるけど、当の切嗣はもうずっと前に死んでしまっているのだ。
 恐れながらイリヤを見る。高級な陶器のように白く透き通る頬にカッと赤が点った。開いた口は戦慄くばかりで声を発せず、言葉にならないその衝動を代弁するべく、俺の胸ぐらを掴むのとは逆の手のひらが翻った。ああ、と察する。避けず、目を閉じず、甘んじて受けた。
 パン、と乾いた音が鳴った。頬を張られた勢いで逸れた視界の外、イリヤが震える声で絞り出した。
「――ばかっ!」
 返す言葉もない。口をついて出かけた謝罪は自分の心を軽くするためだけのものだと気づいて、唇を噛んで飲み下した。せめて誠実でいなければと俯きかけた顔を上げる。
「イリヤ――」
 はらはらと、雪のように音もなく雫が滑り落ちる。
 叩かれた頬よりもずっと胸が痛い。溢れる涙を拭わなければと思うのに、俺の両手は竦んでちっとも動かず手触りのいいシーツの上を彷徨った。
「違う、違う! 全然違うわ! なんでよ、どうしてわからないの!」
「違う……? じゃあ、どうして」
「虫食いだらけで、死骸みたいに転がっていて、首にも胸にも穴が開いていて、血が止まらなくって――シロウが死んじゃうかもしれないって思った、私の気持ちがわからない? それなのに左手ばっかり傷がないのを見つけたとき、私がどれだけ頭にきたのか本当にわからないの?」
 泣かれたまま叱られている。――そうだ、叱られているのだ。俺はこの人に叱られているのだということを、ようやく理解する。
 イリヤが拭いもしないせいで、透明な雫がいくつもシーツに落ちては吸い込まれていく。俺は居心地悪く身じろぎをし、戸惑ったまま最後の回答をした。
「それじゃあ、イリヤは、俺を心配してくれている……?」
「――そうよ。自分を大切にしないシロウを心配して、怒ってるの。令呪なんかを庇って死のうとしてたシロウに怒ってるの。すっごく!」
 指を突きつけて強調してくるのに気圧され反射的にこくこくと頷くと、フンと鼻を鳴らしたイリヤはようやく俺の服から手を離して寝台を下りた。
 シルクらしい手触りの服がしわだらけになってしまっているのを今更ながら伸ばしてみつつ、そっと左手に視線を落とす。
 ――泣きたくなった。最後の一角を残すのみになった令呪は、確かに未だ俺の手にある。
 アーチャーはまだ、消えてなんていない。
「シロウ」
 ぎくりとした。令呪を確かめた俺の安堵に気づいたのだろう、声は咎めるように鋭い。
 とはいえ、俺にとってはやはり大切なものなのだ。イリヤの目から隠すように体の後ろに庇って返す。
「なんだよ」
「もう一度言うわ、サーヴァントなんて大切にするのはやめなさい」
 イリヤはもう泣いてなんかいなかった。隠した左手の令呪を、それを庇い立てする俺を憎むかのようにキツく睨んで、俺には到底受け入れられない忠告をする。
 だが、最初と同じはずの冷えた眼差しの根底には俺への親愛があるのだと思えば、矢鱈に反発をする気も起きない。結果黙り込んだままの俺を放って、イリヤの忠言は更に続いた。
「ただの使い魔、再現された現象にすぎないの。人形を愛するよりもずっと意味のない、非生産的な行為だわ。どれだけ大切にしていても途中でいなくなるのよ。アーチャーはあなたに何も残さない。サーヴァントなんて大事にして、あとで辛いのはシロウなんだから」
 偽りのない事実であった。
 勝とうが負けようが、最後には去る。そういう仕組みを承知の上で戦うためだけに降り立ったのがサーヴァントという存在だ。あり得ざるべきもの。俺たちが生きた人間である限り、置き去りにしていかなければならない泡沫の亡霊。
 ならば、交わした言葉は無駄になるのか。俺とアーチャーという同一存在が果たした一瞬の交差、この先絶対に起こりえない奇跡を、尊む今はすべて無意味に終わるのか。
「――それは、違う。いつか終わりを迎えても、どうせすぐに別れるのだとしても、出会ったことが――一緒に過ごすことが無駄になるだなんて認めない」
 どうせ最後には死んでしまうのなんて、誰でも一緒だ。
 短い間しか過ごせなかったからって言って、全部が無意味になるだなんて、そんな馬鹿な話があるものか。
「イリヤは間違ってる。サーヴァントだから何も残せないなんて嘘だ。アイツだけが、俺の隣にいてくれるんだ。俺だけが、アイツの傍にいてやれるんだ。アーチャーはもう、俺にとっての唯一なんだ」
 愚かしい宣言であった。
 イリヤはそこまで理解してはいないのだろうが、彼女の忠告は正しかった。俺はアーチャーと一緒に居続けることなどできない。ここで永遠に別たれるか、一つになるかのどちらかしかない。
 しかし、イリヤはもう怒らなかった。正しいはずの忠告を否定されても口を噤んでいる。ブーツを履いた足下が、いじけたように絨毯を叩いた。
「すぐに別れてしまっても、出会ったことは無駄にならない?」
「ならない。どちらかが抱えて生き続ける限り、そこに出会った意味はある」
「だけどシロウはきっと、アーチャーのことを忘れてしまうわ」
「そうならないように頑張ろうって決めたんだ」
「……アーチャーも、あなたのことを覚えていられない」
「かもな。でも、それでも構わないんだ」
 快活に返すと、とうとうイリヤは黙り込んでしまった。なあ、と俯いた少女の名前を呼ぶ。
 形に残るものだけがすべてではないこと。例えすべてが無意味に潰えても、思い出は確かに残ること。聡明な彼女には、俺が言いたいことなんかもうわかっているはずだった。
「アーチャーに会わせてくれ。アイツを元のところに返すより先に、俺にはまだやらなきゃならないことが残ってるんだ」
「…………」
 頼む、と頭を下げる。まだ体がポンコツなのか、それだけでぐわんと視界が回ったが、倒れ込まないよう姿勢を保持して精一杯の誠意を込めた。
 しばらく沈黙が続く。高い天井に自分の声の余韻が消え、イリヤが身じろぐ際の衣擦れの音だけが耳に届いた。
 そのまま数十秒。一分には届かないくらいの間隔を空けて、ようやくイリヤがぽつりと言った。
「……遠くから見るだけだよ。お兄ちゃんは先に自分の体を治さなきゃ、まだアーチャーには触っちゃだめ」
 渋々といった言い方であったが、了承は了承だ。下げていた顔を上げると、イリヤはもう踵を返して扉の方へと歩いていた。
「来なさい、リーゼ。シロウを運んであげて」
 主人が声を上げるや否や、すぐに扉が開いて廊下から人影が姿を見せる。上から下まで白で統一された衣装、作り物めいた均整を誇る美貌。
「セラ――?」
 俺が咄嗟にそう呼んだのにも無理はあるまい。現れた人物は、いつの日か深山にまで訪ねてきては人のことをボロクソに扱き下ろしまくってくれたイリヤのメイドに、あまりにそっくりな姿形をしていた。
「ちがう、リーゼリット。よろしく、シロウ」
 無表情ながら即座に訂正をされたが、人違いをされたのに気を損ねたような素振りもない。セラならそもそもベッドに寝ている俺を見た途端に苦言を呈しかねないので、本人も言うとおり別人なのだろう。
「お、おう。よろしく」
 何者かはわからないが、友好的な挨拶とともに手を伸ばされたので握手かと思い手を伸ばす。
「……?」
 が、俺の手をすり抜けてリズの手は俺の胴体の方に迫ってきた。なんだろうかと首を傾げながら避けるように体を引くこちらに構わず、白魚のようなたおやかな手はそのままがしりと俺の服を掴む。
「どうし」
 たんだ、まで続けることは叶わず。
 ポーン、とあまりに軽い調子で、俺の体が宙を舞った。突然の浮遊感に目を白黒させるのも束の間、すぐに落下を始めた体は俺を放り投げた張本人にキャッチされる。
「ぅわっ、なんだいきなり――?!」
「じゃあ、運ぶから」
 言うが早いか俺が混乱から立ち直るより先にリズはさっさと歩き始める。扉のところで待っていたイリヤは、リズが振り返ったのを確認して「行くわよ」と廊下を歩き出した。
 廊下ですら天井は非常に高く、壁際には等間隔になんらかの美術品が並べられている。高級ホテルのスイートルームの並ぶ階だってここまで豪華にはしないだろう、と思うくらいの高級感だ。その非現実的な光景を慣れた様子で突っ切って、イリヤはリズを従えたままズンズン先に進んでいく。
 俺は今進行方向に対して体を垂直になるよう横向きに、リズに横抱きにされて進んでいる格好になる。首を左に向ければイリヤの後ろ姿が、正面やや右に向ければたふたふと揺れる物体が見えた。
「――ハッ。ま、待て。異議あり、この体勢には異議があるぞ俺は!」
「これが一番寝ていたときの体勢に近くて楽なはず。なんの問題が?」
「いや、だってこれってお姫様だっこじゃないか、いわゆる! 男の沽券に関わるだろ。ていうか、自分で歩けるから下ろせって!」
 リズに軽々と持ち上げられている事実、何よりもさっきから自分の体に結構当たっている柔らかい物体がなんなのかをようやく悟って、顔が一気に赤くなったのを自覚する。当の本人は全く気にしていないようなのが逆にいたたまれない。
 確かに体の調子はよくないが、こうまでされるほどじゃないはずだ。このまま運ばれているよりかは自分の脚で歩く方が絶対に俺の心臓に優しい。じたばたと体を捩り(リズの体を押し返そうにも柔らか物体Xは膨大な質量を誇り手のやり場がないのだ)、必死になって地面に降りようと抵抗をした。が、リズの力が凄まじいのか俺の力が弱っているのか、華奢なはずの女性の体はびくともしない。
 せめて口だけでも抵抗と説得を続けていたのだが、とうとう先を歩くイリヤが鬱陶しそうに振り返って言った。
「おにいちゃん、うるさい。これ以上言うこと聞かないと、バーサーカーで潰しちゃうから」
 ……何を、とはもちろん聞き返せず。
 俺はそこから至って大人しく、抱えられる姫役に従事したのであった。

 アインツベルンが聖杯を得るために拵えた別荘とでも言うべき居城。冬木の郊外、木々が鬱蒼と生い茂る未開の森のど真ん中にある洋城が、ここアインツベルン城であった。
 気づいたら中にいたのでどれくらいの大きさの城なのかは知らないが、廊下や階段を歩いた距離を考えればかなり大きな城だろう。俺の武家屋敷もそれなりの大きさである自覚はあるが、そもそも個人で城を所有している相手とはレベルが違う。
 先を進むイリヤの姿は背中しか窺えず、移動の間も語り続ける少女がどんな表情をしているのか俺にはわからなかった。しかし、学校で繰り広げられたサーヴァント戦の顛末――ライダーのマスターを除いた死者はいない、という言葉は、俺を気遣ってのものだったのだろう。
「――――」
 返事のない俺を、イリヤは特に気にした様子もない。俺を運ぶリズにも、何か特別な感情があるようには見えなかった。
 彼女たちに慰めのつもりはないのだろうが、ありがたく思う。今は、何も話したくはなかった。
(……俺が、もっと早くアイツを見つけていれば)
 ああなる前に、止められていればよかった。止められていたはずだった。それを、みすみすと取りこぼして、俺だけがこうして、イリヤスフィールに助けられて。
「本当に、死んじまったのか」
 人づてに聞かされる死は、虚しさだけが強く匂い立つようだった。誰かが死ぬっていうのは、最低な気分だ。まして、それが知っている相手で、俺の力不足が原因とあれば余計に。
 見知らぬ城内を地下へ地下へと下っていく度に冷える室温が、煮え立ちそうな今の頭にはちょうどよかった。吐いた息で白い尾を引きながら、イリヤが黙り込む俺に振り返る。
「アレを殺したのはバーサーカーだし、そのマスター以外に誰も死ななかった。サーヴァント同士があんな狭い場所で戦っていたのに、他の人間の手足一本さえも損なわれなかったんだから、お兄ちゃんは十分すごいことをしたわ。それで満足しちゃダメなの?」
「満足なんて、できるわけないだろ。死んでもいい人間なんて、この世に誰一人だっていない。満足なんて、できるはずがない」
「そっか。……それじゃあ、悲しいね」
 俺を慰めるようにそう言って、イリヤはすぐに前へと向き直った。廊下はいよいよ凍り付くような温度にまで下がっていて、目覚めた部屋で出会ったころのままワンピース一枚のイリヤがその冷気を切って進む様は見ているだけで寒々しかった。
「……ごめんな、イリヤ。お前は俺を助けてくれたのに」
 わざわざサーヴァントまで連れ出して駆けつけてくれたのだ。敵の結界に突入するなど真っ当な魔術師であれば絶対避ける不利であるし、バーサーカーが強いと言っても足手まといを守りながらでは相応の危険がある。それなのに助けたはずの俺がこれでは、イリヤも報われないだろう。
「穴だらけですっかり軽くなったシロウを見たとき、私、すごくイヤな気分だった。頭のてっぺんの少し後ろを、冷たい何かに引きずり下ろされるような、最悪の感覚。
 ――でもシロウは、みんなに死んでほしくないんだものね。誰が死んじゃってもあのときの私と同じ気持ちになるのなら、一番辛いのはシロウだわ。だから、謝らなくたっていい」
 大理石の床を足音高く進む背中が角を曲がる。追ったリズが同じように角を超えると、通路は最後の直線を残すのみになった。十メートルほど奥の壁には、真鍮の飾りが施された木製の扉がはめられている。物理的にも魔術的にも厳重な封がされていることが一目でわかる両開きの扉からは、隙間などないはずなのにわずかずつ冷気がにじみ出ていた。
 は、と吐いた息が直ちに白く凍り付く。この地下にあるまじき異常な寒さは、あの扉の奥からのものらしい。
「さ、着いたよ」
 流石のイリヤも寒いのか、むき出しの腕を一度さすって暖を取るような仕草をした。凍る冷たさの床石はただ歩くだけで澄み渡るような足音を返す。リズは最後まで沈黙したまま主人に続き、扉の前でゆっくりと俺を下ろした。
 久しぶりの地面に、一瞬ひどい目眩が襲う。それをなんとか一度の足踏みで押し殺して、顔を上げた。
「最初に言ったけど、今は見るだけだから。……じゃあ、開けるね」
 見るからに冷たく凍り付いたドアノブに躊躇なく手をかけて、俺の返事も待たず、イリヤはゆっくりと両の扉を引き開けた。

「――――」

 異様な光景に息を呑む。
 部屋の中は静かで、想像の通り凍えるほどの寒さであった。
 上下左右を白い大理石で囲まれた一辺八メートルほどの直方体。部屋と称するにはあまりに物寂しい空間で、直方体の内側を蛇行する文様の赤が際だって見える。床に天井、壁のすべてに刻まれた赤色は、何か脚のない生き物が這いずった跡のように無作為に、しかし漠然とした方向性だけは保っていた。這い出るように――あるいは吸い込まれるように、赤い跡は部屋の中央に向かっている。
 その中央に位置する床は、スプーンでくり抜かれたかのように半球状に陥没していた。赤い半透明の液体がその半球にギリギリまで満たされている。氷点下を下回ることは明らかであるのに、凍っている部分がないのが少し奇妙に思えた。ほんのわずかな空気の流れだけでもあふれ出てしまいそうだったが、水面は鏡のように静寂を保ち決壊する気配もない。
 白と強烈な赤だけが在る空間。俺がわからないだけで、なんらかの魔術的意味が籠められていることは疑いようもない設計。異常な濃度まで圧縮された大源マナが、この部屋には満ちていた。耳が痛むほどの静けさは、中央に配されたものの眠りを妨げないためだろう。
 呑んだきりの息を吐き出すこともできず、早鐘を打つ心臓の鼓動が凍る静寂に火を吹き込むのを恐れて気配を殺した。きっとこの扉も閉めておいた方がいい――そう思うのに、視線だけは思惑を外れて操られたかのように水面の奥に沈むものを凝視していた。
 そうとわかって見なければ、それが何であるか推測することも難しかっただろう。人一人寝そべって余りあるほどの直径を誇る半球の底には、白い塊が沈められていた。
 白は、執拗に巻かれた布の色。幅広の白い布が、ミイラ作りかのようにグルグルと巻き付けられていた。二つあるはずの脚は一つに、腕二つも胴体とまとめられてしまって、布の奥にいるのが人間の形をしたものであるのだと、一見して見極めることは難しい。
 だが、赤く沈む人型には唯一露出している部分があった。顔にあたる部分、その四分の一ほど。固く閉じられた左目だけが、あの物体は確かにアーチャーであることを教えてくれていた。
「正直ね、もうダメだろうなって思ったんだ」
 部屋には入らず廊下に立ったままの俺の横で、同じように遠くから中を眺めるだけのイリヤが静寂を切った。
「一応持って帰ってきたけど、霊核が破損してたから。ここから治っちゃうサーヴァントがいるなら、それはもうインチキだもの。精々、空いた隙間を埋め立ててこれ以上崩れないようにするので精一杯。それにしたって、英霊の隙間を埋められるものなんて存在するはずもないし、ダメだろうなって」
 アーチャーはサーヴァントで、サーヴァントは生きた人間ではないが、しかし呼吸はするし心臓だって脈打つものだ。元の彼が水底に沈められたとして、一切の波紋も立たないことなど絶対にあり得ない。しかし現実として人一人抱えて揺らぎもしない水面があるのだから、俺の目から見ても、今のアーチャーは死体のようにしか思えなかった。
「こんな部屋に入れてるのもイジワルしたいわけじゃないのよ。いっぱい魔力を集めるようにして、礼装で包んで、こぼれ落ちないよう凍り付かせて。できる処置は全部やったわ。
 それでも結局は悪あがき。その場凌ぎだけしてみても、数時間も保たずに消えてしまう――はずだった」
 足が前に出ないのは、イリヤの言いつけを守ってのことではなかった。呼吸を止めたまま唇だけが無様に戦慄く。理性が、アレはもう生きてはいまい、と告げていた。あの状態で生きている生命はいない。あそこにいるのが生き物であるのなら、この部屋ほどの静寂は生み出せない。
 何も言えず思考だけを回して硬直する俺を放って、イリヤの声だけが続いている。今は半分も理解できない説明は、視線をアーチャーに固定したままの俺の耳に勝手に入り込んでくる。
「シロウだってまだ全然、目が覚める状態じゃなかったから。シロウには悪いけど、アーチャーのことは諦めようかって思った。でも、どうせ諦めちゃうなら最後に試してみようかって、シロウの血液を薄めて入れてみたんだけど、」
 そこで、視界の端で白がちらつく。横向けば、イリヤの白い指先が部屋の中心、赤い水に沈められたアーチャーを指差していた。
「ほら。なんでか、うまく均衡がとれちゃった。びっくりしたわ。もちろん治っているわけじゃないんだけど、とりあえずこの状態で落ち着いちゃったみたいだから、できるだけ刺激せずに置いてあるの」
 びっくりしたというよりは呆れたというような態度でやれやれと肩を竦める。
 俺はもう一度室内へと目を戻した。二色だけの色彩の部屋、赤は俺の血液が元であると思うと妙な気分になる。俺が俺であるからこそひび割れたアーチャーを補修できたのだと思えば、素直に喜ばしいことであるが……。
「アーチャーは、目を覚ますのか?」
「わかんないよ、そんなこと。私たちアインツベルンにはもうどうしようもないわ。万が一なんとかできる人がいるなら、お兄ちゃんしかいないでしょうね。だから今は、とにかく体を休めなきゃ」
 最後の言葉が、彼女の一番伝えたかったことらしい。
 それだけ言い終わると、立ちすくんだままの俺を置いてイリヤはさっさと踵を返した。「リズ、帰ろう」と背後で少女の声がすると、置物のように控えていた人影が動き出す。イリヤに忠実なメイドは、俺に一礼だけすると反射的に抵抗しかけた俺を押さえ込んで、行きと同じように抱え上げた。
「待ってくれ、まだ……! アーチャーはどんな状態なんだ、あの下はどうなってるんだ」
「怪我してるのよ、当たり前でしょ? 千切れたり潰れたりで全然使い物にならないガラクタよ。割れたガラスが散らからないようにするのと同じように、とりあえずグルグル巻きにしてあるだけ」
 グルグルとジェスチャーを添えながら、なんでもないようにそう話す。軽く語られる内容の凄惨さに、リズの腕の中で不自由に室内を覗き込もうとするも、リズが俺を抱えたまま器用に扉を閉めてしまう。
「あいつは……俺を守ったのか?」
 独り言のつもりで言葉を零す。それに間髪入れず、「いいえ」と冷たい言葉が割り込んだ。
「アーチャーはシロウを守り切れなかった。私がいなくちゃお兄ちゃんは死んでいたわ。……もちろん、命を賭けて守ろうとはしたのだろうけど」
 閉められてしまった扉を振り返るのを止めて、リズの前を行くイリヤの方を見る。
 彼女は俺が起きたときからずっとどこか不機嫌な様子で、寒い廊下を高い靴音を立てて歩き出していた。

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