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#22 願いごと一つ/Novel by ちくわぶ

#22 願いごと一つ

9,309 character(s)18 mins

士弓主従の第五次聖杯戦争ifストーリー二十三話目。腐向け。 

版権元:Fate/stay night 
注意(シリーズ共通):
 腐向け(士弓)、ねつ造、設定改変、独自設定、重大なネタバレ、原作程度の暴力表現・流血表現

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 目を開ける。オーダーを確認する。現在地の解析を行い、最適行動を計算する。
 一つ扉を越えた先、老若男女が蠢いている。溶けだした皮膚が混じり合っていた。息はあるようだが放っておいても死ぬか何もできない物体に変ずるかの末路しかないだろう。手を下すまでもない、ここではないようなので先を急ぐ。
 血液と脂肪が混ざり毛の浮いたものを踏みしめて進むと外に通じた。黒く濁った海だ。空は溶かした人間の地肉を吸い込んだかのように赤い。
 鷹の瞳に頼るまでもない。海上で巨大な怪物が狂ったような笑い声を上げてのたうっていた。女性の面影を残す頭部より下は固い鱗にびっしりと覆われている。刃は通らなさそうだ。
 しかしこの匂い立つほどの魔の気配。怪物殺し・魔性退治の属性を有する貫通性能の高い剣を選んで投影する。山脈に匹敵する威容を食い止めようと、今世の英雄らしき影が女怪に挑みかかっていた。対象は魔眼を有しているようだったが、どうやらあれらに気を取られてこちらに気づいてないらしい。
 ありがたいことだ。巨象に群がる蟻のようにも見える人の努力が成果をなしている間に弓を引いた。
 放つは五連。巨蛇のはらわたに突き立ったのを見届けて内包する神秘を崩壊させる。
 群がる蟻たち諸共に大地を焼き払う閃光が花開いた。神代は神秘の価値が重い。その分敵も強力なことが多かったが、こちらの攻撃力が上がるのはいいことだ。しばらく様子を窺っていたが、動くものがある気配はない。大質量を失った空白に海水が流れ込み複雑な渦を形成している。怪物の周りに集っていた舟が乗員もろとも吸い込まれていっているのが見えた。
 もう敵影はないようだ。オーダー達成の申告をすると直ちに受理された。分霊である肉体が解けていく。緩慢な自死を受け入れて目を閉じた。次だ。

 目を開ける。オーダーを確認する。現在地の解析を行い、最適行動を計算する。
 位置するは高所。狙撃に相応しいポイントであった。大気中のマナは儚く近代以降であるとわかる。舗装された道路。黒線で繋がる電柱。もはや勘にも近しい総合的な判断により西暦一九九〇年以降、と結論する。思考を試みると労せず標的の詳細が思い浮かぶ。
 探すまでもない。目前のぬかるんだ道を行く計八台に及ぶジープがそれであった。難民、ほとんどが女子供。殺さねばならない理由は教えられない。俺が知る必要はないということなのだろう。
 極単純ななんの神秘もない矢を作り弓を引いた。先頭の一台のエンジンを射抜く。列の先頭が停止したのにあわせて後続七台もブレーキをかけた。何人かが様子を窺いに出てくる。隙だらけであったが、あえて少し待つ。
 エンジンを射抜いた矢は消してある。彼らに何が起きたかはわかるまい。ややもすると中々移動が再開しないことにじれたのか、後半の方のジープに乗っていた運転手も車から降りて前へと歩き出した。
 八台すべて、運転席は空になる。それを確認して八人の運転手と話し合いの中心にいるリーダー格から丁寧に頭を射った。銃声も発光もない静かな矢の接近に気づける者は一人もおらず、ほとんど同時に全員が倒れ伏す。即死だろう。
 俄に場が騒然とする。後部座席から飛び出た人を順次射殺した。次第に状況を察したのか逃げだそうと運転席のドアに取り付く者が出だしたが、それだけのタイムラグがあれば余裕を持って狙うことができる。中に隠れたままの賢明な者には少し強めに弓を引いた。
 そうして予定通りに全滅を確認する。オーダーの達成を申告した。
 八台のジープは最初の位置のまま、少しの逃亡をはかることもできずに動かす者を失い停車している。アイドリングのままだがどうなるのだろう、と意味のないことを思ったくらいで申告は受理され現界は速やかに終わりを告げた。体が薄れていく感覚に身を任せて目を閉じる。次だ。

 目を開ける。オーダーを確認する。現在地の解析を行い、最適行動を計算する。
 屋外、橋の上。煉瓦を重ねて作られた旧時代的ながらしっかりとした作りのものだ。夜のようであたりは暗い。ガス灯はなく、酒場から漏れる明かりは揺らめいている。未だ蝋燭かそれに似た自然光を使っているのだろう。
 標的は二つあるようだった。南側を臨むと建物の群の隙間から僅かに海の黒が見えた。計算に基づき、まずは一射を放つ。解き放たれた赤原猟犬は狭い隘路をものともせず疾走し黒い水平線に消えていく。両腕を下げて弓を消した。
 何をしているの。ちょうどかかった声に振り返る。ボロ布をまとう男児がこちらを見上げている。身なりの貧しさの通りに髪も肌も薄汚れているが、不思議と体に傷はない。
 都合のいいことだ。しばらくを傍で過ごそうとしゃがみこんで視線を合わせる。記録に従い表情を作り口を動かし、友好的な態度を模倣する。海を見ていただけだ。君の名は?
 名前なんてない。対象は恥ずかしげに目を伏せた。そうか、と返す。それだけの問答であったが親しみを持たせようという試みはうまくいったようで、対象は警戒する素振りを見せずに傍に寄ってきた。お兄さんの名前は?
 あと五分二十八秒。しばらく会話を続ける必要があった。名前はない、と返した。対象ははにかむ。お揃いだね。
 橋の欄干に背を預けて並んで座る。対象は多くを喋った。冬は寒いこと、雨期は雨ばかりで困ること、今はちょうど過ごしやすいこと、気味悪がられるが生まれつき体に傷がつかないので生きていけること、この体を面白がって金を恵んでくれる人がいること、など。予定時間を迎えるまでの間はそれを黙って聞いた。
 残り十秒。ダガーを呼び出し片手に構える。語り続けていた対象を仰向けに押し倒し乗り上げた。抵抗があれば押さえつけようと思ってのことであったが、対象は目を丸くするだけで無抵抗であった。
 眉間に切っ先を添えて位置を整える。その過程で刃が対象の額を滑ったが、皮膚の切れる感触すらない。お兄さん? 対象が問う。あと三秒、回答は不要と判断する。二、一、零を迎えると同時に、無言のままダガーを押し込んだ。
 途端、傷一つつかなかった肌に容易く刃が入る。それでも頭蓋骨分の固さがあったが、英霊の力があれば飴細工を貫くよりも容易い。
 比翼連理の呪い。二つの個体のどちらかが損なわれない限りはお互い傷つくことはないという契約術だ。全く同時に同一箇所に太刀を浴びさせて初めて討伐可能となる。今まさに海の向こうで赤原猟犬で眉間を貫かれた少女が、この少年の契約相手であった。からくりに気づく誰かがいなかればこの先外敵に対して無敵を誇ることができただろう。番のどちらにも自覚がないのは珍しいが、ともに死んだ今となっては希少さなどどうでもいいことだった。
 対象の殺害を報告する。速やかに現界終了が告げられた。組み敷いていた少年の亡骸をそのままに立ち上がり、終わりの時まで目を閉じて待つ。次だ。

 目を開ける。オーダーを確認する。現在地の解析を行い、最適行動を計算する。
 広場を囲む家屋の屋根上。聴衆の歓声は凄まじく、こちらの出現に気づく者はない。
 広場の中心、人為的に作られた演説台に対象はいた。興奮する周囲に手のひらを見せて応えつつ、静まる時を待っている。
 狂乱というよりは歓喜、妄信ではなく感謝。宗教家、それも極めて人徳の高い者であると判断する。屈んでいるため目立たないが、標的周辺の護衛たちは凶弾が迫れば身を挺してでもこれを庇うだろう。
 推測を元に投影する剣を選ぶ。あえて人の目で捉えられるくらいまで威力を抑えて射を放つ。予想の通り、接近に気づいた正面の護衛が立ち上がり射線へと自らの腕を差し出して、背後の対象を庇った。
 護衛たちが殺気立つ。スピーチを中断し対象を保護するため移動しようとする。標的はすぐに人壁に阻まれて狙いづらくなった。しかしすぐに逃げる様子はなく、庇って怪我をした護衛の容態を心配しているようで護衛の傍に膝をついている。
 何もかも都合がよかった。矢は護衛の腕に刺さったままだ。条件を満たしていることを確認し、剣の効果を発動させた。これは傷を付けた生命を操る性質を持つ。矢を腕に突き刺したままの護衛は、俺の命令の通りに隣に膝をつく対象の首をねじ切った。
 一瞬の静寂の後、悲鳴と怒号で溢れかえる。遅れて胴体が倒れ伏す。不死性などない平凡な遺体だ。オーダーの達成を契約主に申告した。受理されるまでの時間をその場で待つ。広場の中央、ねじ切れた頭部を抱えた護衛が四方から射撃を受けながらも謝罪を叫び慟哭していた。
 オーダー達成が受理される。分霊の体が綻んでいく。瞬く間に混乱した聴衆の泣き声を聞きながら目を閉じた。次だ。

 目を開ける。オーダーを確認する。現在地の解析を行い、最適行動を計算する。
 裸の男と女がまぐわいあっている。より正確には、一人の女に複数の男が群がっている。女が虐げられている図ではなく、むしろ女は奉仕され支配する側に見える。
 理性が残っている者は見受けられないように思えたが、対象である女だけは別のようだ。こちらに気づいて目を丸くしたのち、美しく微笑んだ。かわいそうなお人、あなたさまもどうぞ私のもとへ。
 瞬間、いくつもの機能が制限される。急激な落差に少し姿勢が揺らいだ。
 記憶の剥奪と自意識の欠損。女からの攻撃を疑ったがそうではなく、契約主からの措置であるようだった。思考は鈍く、記録や経験すらも大きく失われたが、必要な処置なのだろう。
 裸体を惜しみなく晒す女には魔性の気配がある。状況を見るに男に対しての絶対的なテンプテーション。これへの対抗手段として制限がかけられたとすれば、私は本来男性であったのかもしれない
 いずれにせよどうでもいいことだ。姿形や生前の経験などオーダー達成には必要ない。ただ命じられるがままに剣を両手に握った。必要なのは剣だけ。この身は剣を内包するものであるという事実だけを記録し、この機能だけが残ればいい。
 女へと駆けると周囲の男が群がってきた。殺害許可が下りたので殺して進む。数十の傀儡たちを切り捨ててようやく女の元にたどり着いた。刃を振りかぶる。女からの抵抗はない。従順に微笑み、肩口から心臓を通過し腹にまで至った剣を、それを握る私の手を愛おしげに撫で、少しだけ寂しそうに言った。かわいそうなひと。
 もう片方の手を振るって首を落とす。斬られた長髪が地に落ちるより先に重量のある頭部が男達の屍の上へ落ちた。剣を消す。もう生きているものは一人もいない。処理終了を報告すると、すぐに退去を命じられた。穏やかな消滅が訪れるのに目を閉じる。次だ。

 目を開ける。オーダーを確認する。現在地の解析を行い、最適行動を計算する。
 光が薄い。光源のない空間、洞窟であった。規模は大きく戦闘に支障はないが、距離が取りづらく狙撃には向かないだろう。高所を位置取れていたがその利を放棄して飛び降りる。着地した私を二対の瞳が認識した。
 年若い女が一人、元は女であろう怪物が一体。殺害対象は後者だ。破魔の剣を取り出し足を向けたが、反応を返したのは前者の女の方だった。鋭い声が上がる。■■■■■!
 仮初めの肉体の鼓膜を正しく揺らしたはずの声だったが、認識が許されず不確定情報として処理される。私が認識するべきではないと契約主が判断したのだろう。何を吠えているのかは知らないが、興味も関心もない。
 歩み寄る私から怪物は逃げなかったが、もう一人の女が苛烈に抵抗を見せた。抑止力、今更になって、なんだってあんたが――。視覚情報を信じるのであれば、女はこちらに向けてそのようなことを叫んでいたが、聴覚への制限は続いており音声認識は難しかった。
 構わない。声など聞こえなくても戦うのに支障はない。足は止めない。
 女の妨害はたった一人の手によるものとは思えないほどの威力を誇った。英雄に比類できるほどの能力だ。邪魔だったが、殺害許可は下りていなかったので反撃はせず防衛しながら前進する。怪物はおとなしいものだったし、接近しきってしまえば女からの砲撃のような妨害は止んだ。巻き添えを恐れてのものと推察できる。剣を振るう。怪物はこちらを見て呟いた。先輩。
 首が転がる。後ろから駆けてきていた女が私の背中に飛びかかって引き倒す。うつ伏せになった体をぐるりとひっくり返されて胸元の装束を掴まれる。再度確認をとるがやはりこの女は殺害対象ではない。私が守るべき人類の区分から逸脱していないということだ。
 怪物を殺した時点で目的は達成されていた。すぐに機能停止の命令が出て体が解けていく。女を映す視界に蓋をするように目を閉じる。
 聞き取れなくても最後の視界で女はまだ喚いていた。私が認識してはいけない言葉がなんだったのか、その疑問だけが僅かに残った。

 目を開ける。オーダーを確認する。現在地の解析を行い、最適行動を計算する。
 同一室内。距離は近い。私の起動と目前の男の反応は同時だった。威力より速度を重視して投影した短剣を奥の女と少女に向けて放ったが、最初から銃を握っていた男の対処は素早く撃ち落とされる。魔術の気配があった。全員が魔術師、ただし一番奥の少女は未熟。無駄はやめて手を改める。
 オーダーは女と少女の殺害のみで、最前に位置する男は除外される。落としやすい者から落としていくべきだ。一番奥の少女を最優先目標とした。弓を取るより剣の方が速いと判断して地を蹴る。
 またもや妨害。放たれるアサルトライフルには神秘が宿らず驚異足り得なかったが、男がもう片手に取り出した拳銃には術式が込められている。再考の余地ありと判断する。
 逃げろ、と叫んだ男に従い女が少女を抱え上げて部屋を飛び出した。足は遅い。対して、向き合う男の銃を構える動作は人体の限界を超えて加速していた。想定の四倍。自己加速の魔術と推察する。
 得られた情報を元に最適行動を再設計。犠牲は最小限に、効率は最高になるように。できるだけ現世に介入しない筋道を描き出す。
 方針転換。男を無視して駆け抜けようとしていた足を止める。半端に振り切って背後から妨害されるより、ここで無力化した方がいい。女達の足があれだけ遅ければ労せず追いつける。
 今回はマナが薄く時代は比較的新しいと見える。加速させても男の速度は私に遠く及ばず、背後に回って首を掴むのは容易かった。頸動脈を圧迫し脳虚血に陥らせる。脱力したのを確認して男を放り、廊下に出た女を追った。
 直線の先を女が走る。遮蔽物はない。弓を喚んで矢を番え、女の頭を射抜く。惰性で数歩進んだ体が前のめりに倒れた。
 二回地を蹴って女の死体にまで到達する。転倒した女の下から這いだした少女の背中を足で押さえ、長剣で項から首を絶った。
 目標達成。帰還申告を行っていると、初期位置の部屋から男が飛び出してきた。拳銃を構えてこちらを狙うが、私越しに死亡したニ体を確認すると膝を追った。アイリ、■■■――! 男の叫びはすぐに情報制限がかかって聞き取れなくなった。
 どこかで見た顔だ。自分が消え去るまでの戯れにそのような思考をする。きっと、今までに殺した相手か助けた相手かに同じ人物がいたのだろう。時空に関わらない守護者としての任務では時に殺害対象は重複する。同じ対象が何度も人類破滅の引き金になることはあり得るし、そうなると私は同じ人物を何度も殺すことになる。
 申告受領、帰還命令。直ちにエーテルが霧散する。消失を甘んじて受け入れながら、慟哭する男を最後まで観察していた。
 なんでだか、声が零れる。
「……ああ、キリがないな」

 目を開ける。目前に男の顔。重力は前面から後方へ流れる。私は仰向けで倒れている。男はこちらに乗りかかっている。
 見覚えのある。暗い肌、白い髪、灰の瞳。自分では目にすることはできないはずの自分の姿。名前も忘れたがずっと殺さねばと思い描き続けていた男の姿。
 そこで気づいた。俺は今、思考している。思考する自由がある。
「――――」
 ギシリ、と体が軋んだ。ずっとずっと長い間仕舞い込んで、暗くて冷たいところに押し込んで、それでも大事に守り続けた俺の人としての心らしきものが啼いている。
 永遠のような夢を見ていた。
 果てのない殺しの繰り返し。これ以上を足掻きたくてもどうすることもできない袋小路。自らが選び取ったくせに、守護者という終着点から一歩進み出るための方法はもうないものかと、ずっと思い描いていた。
 もし、自分に心が許されるような奇跡が起きて。意志のまま動かせる体があって。やらねばならない使命の全てから解放され、好きなままに振る舞っていい機会があったのなら。
 義務ではない。もちろん大義でもなく、正義だなんて戯言でだって口にはすまい。言うのならば、それはただの願いだった。
 全てを叶えて死んだはずのこの身が抱いた最後の――叶えられることはないと思っていた願望。
 震える手を伸ばす。あまりにも都合のいい光景に、これが夢で終わってしまうのではないかと恐れていた。夢でも構わない、せめてまだ覚めないでくれと祈りながらその太い首に指をかけた。力をこめる。渾身の力を。
「――――」
 仰向けではやりにくかったから力をかけながら体を起こした。逆戻しのように、今度は俺が男の体にのしかかる。悲願のときだというのに右腕だけが付いてこないのが不快だった。魔力を流して無理やりに制御を戻す。鈍らの剣が内から突き破ってくるような痛みを覚えたが、どうせ仮初の肉体だ。破れるなら破れればいい。あとで使い物にならなくなっても、今この時だけ間に合えばそれでいいのだから。
 軋み突き出て流血する右手も加えて、両手で強く首を絞める。骨が折れる音が聞きたいと体重をかけた。今すぐ息絶えろという思いとできうる限り緩慢な苦痛で長く苦しんでほしいという思いが共に渦巻いていた。唯一根底にあるのはのたうち回れという感情のみ。
 ――だというのに、男の瞳は静かなもので、苦悶の声を漏らすべき口はあろうことか笑んでいた。
「何がおかしい……!」
 腸が煮える。視界が赤く明滅する。そう、これは怒りだ。今までずっと抑えつけられてきたあらゆる情動は、ここでようやくひとの感情としての形を得て表出していた。
 歯を食いしばり睨み付ける俺を見上げて、気道を潰されている男はそっと目を細めた。首にかかる俺の左手に男の浅黒い指が添えられる。手首の方からゆっくりと指は滑り、トントンと爪先で手の甲を指し示す。
 歪な形の痣。三分の二が薄れているが、残りは未だまざまざと俺の手に刻まれていた。覚えのあるような気もしたが、今はどうだっていい。コイツを殺すこと以外に優先されるべきことなどあるはずがない。
 無視してなおも力を強めた。それに男が呆れたように一度瞼を開閉させて、白ばんだ俺の指に己の指をかけた。これだけの力で絞めているはずの指の一部があっけなく外される。気道と声帯を解放した男が言った。
「令呪を使え。これでは私は殺せないぞ」
「れいじゅ……」
 そのままを返す。確か、きっと大事な言葉だったはずだ。必死になって膨大な記録を、圧縮され劣化した記憶をひっくり返した。

 ――令呪。聖杯戦争。サーヴァント。
 なんとか、切れ切れになったそれらキーワードだけ拾い上げる。俺はもう一度男を見た。俺の手などいつでも振り解けるのだと先ほど証明して見せたはずの男は、また従順に俺から送られる絞殺を受け入れている。同じ視界に俺の持つ令呪が残っていた。大事なものだ。そうだった、俺はこれがないと駄目なんだ。
 これが最後の証だから。守り通さないといけない。俺はこいつのマスターなんだから。
「あ――」
 声が漏れる。強烈なフラッシュバック。現在も過去も未来すらも一緒くたにシェイクされた記録たちに翻弄されながら、それでも必死に己を保った。
 そうだ。そうだった。俺は、違う。俺は彼じゃない。マスターと、サーヴァント。はっきりした線引きがある。
「アーチャー……」
 やっと取り返した名前を呼ぶ。そうだ。彼は、アーチャーだ。本当の名前が別にあるのだと知っていても、俺が今まで呼んできた名前は、今日に至るまでを過ごしてきた人は、“アーチャー”として俺に接していたはずだ。
 強張った十指を震えながら引きはがす。頭痛がひどい。吐き気なんてもうずっとだ。右腕のことは考えたくないくらいにぐちゃぐちゃだった。コイツといると、俺は苦しいことばかりだ。好ましいだなんて思えるはずがない。だけど、だけど、少なくとも、俺は――。
「俺は、お前じゃない。一緒になんてなれない。俺は、エミヤシロウを殺したいだなんて思わない――!」
 喘ぐように叫んだ。俺に全てを明け渡し殺意すらも甘んじて受け入れたこの男を、自分と同じだなんて思えない。全てを知ってそれでもなお――全てを知った今だからこそ、俺は声高に否定せねばならない。
 俺はおまえとは違う、
「俺とあんたは別人だ……!」
 引き裂かれる、別離の苦しみ。宣言には痛みだけが伴った。
「……そうか」
 アーチャーは、静かにそれだけを返した。組み敷いていた男が体を起こす。それだけで俺の貧弱な体は陣取った腹の上から追いやられて後ろへひっくり返りそうになった。頭から倒れそうな俺をアーチャーの手が支える。
 俺は支える腕の持ち主を見た。穏やかだ。……ゾッとするほど。
「いいんだ、それならそれで」
「待てよ、アーチャー。違うんだ、俺は元々こんな話をしたかったわけじゃ――」
「私から渡せるものはもう何もない。その上でそう結論したのなら、信じるさ」
 懸命に言い募ろうとしたのに、アーチャーは穏やかながら有無を言わせない強引さで俺の言葉を遮った。俺自身何を言うべきか、何を言いたいのかわからなくて言葉に詰まる。
 その隙に。座り込んで向かい合ったままのアーチャーは、俺の背を支えたのとは逆の左手を俺の頭に置いた。
「疲れたろう? もう遅い、今夜はこれで寝てしまえ。寝て起きたら、少しは気持ちも落ち着いているよ」
「待ってくれ、俺は――」
 慌てて声をかけたが、遅かった。
 何をされたのかはよくわからないが、アーチャーの手から流れてきた魔力が俺の脳天から地面までを通過したことはわかった。なんだ、と思うより先に、ブレーカーを落とされた機械のように呆気なく俺の意識は眠りの洞へと落下した。

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