お騒がせして申し訳ありません。
エリカから放課後買い物に付き合ってくれと言われた時、創一朗は深く考えずにOKを出した。
「原作」で知る当人らしくもないおずおずとした様子がほほえましかったのもあるが、ちょっと買い物(公称:制服デート)に付き合うくらいの役得はいいだろうと軽く考えていたからでもある。
流石の創一朗も、エリカの気持ちに感づいてはいた。
創一朗も男である。エリカのような美少女に露骨な好意を向けられて悪い気はしなかったし、九校戦の場を筆頭にそれなり以上に楽しんでいたが、それも仕事柄本気で応えるわけには行かないという前提の上だ。
後夜祭での余計なサービスについては上役にみっちり叱責されたうえで「生徒に手を出したくなった時のための白巳だが? (意訳)」というありがたいお言葉を頂戴している。
そのため創一朗は、今回帰りに告白されるかもしれないなとは想定していて、どうやって傷つけずに振ったものかという贅沢な悩みと向き合っていた。
そして彼が「正面から行こう」と覚悟を決めた所で、つまりエリカは、その覚悟を正面から上回ってきたということになる。
退勤ついでに着替えてきた(バイザーだとあまりにも目立つため、仮装行列で外見を誤魔化した上でサングラスをかけている)創一朗と異なり、エリカは制服のまま現れた。傍目には「大学生か社会人の彼氏と付き合っている女子高生」の構図。良くも悪くも、学生の多いこの辺りではよくある組み合わせだった。
「お待たせー。ごめん待たせちゃった?」
相変わらず、目上にも敬語を使わない姿勢でエリカは言う。
「ん……今来た所だって言うやつか? これ」
「分かってるならはてなマーク付けないの! はいもう一回!」
「……気にするな、今来た所だよ」
「にひひ、よろしい!」
舞い上がっているのだろう、エリカは合流するやハイテンションで駅前の商業施設へ歩き出した。
前は顔を合わせただけで真っ赤になってたのに随分進歩したもんだ、とどこか微笑ましい気持ちになりながら、創一朗も後に続く。
服から雑多な小物までたっぷり時間をかけて買い漁り、ついでに露骨なくらいアピールして創一朗に小さな髪飾りを買わせた。ここまではお互い想定通り。
そこから、飯でも奢ってやろうかと創一朗が声をかけるより早くカラオケボックスに連れていかれたあたりで、創一朗は何か嫌な予感がし始めた。
個室に一旦荷物を置き、何故か座ろうとしないエリカを訝しみながら、先にソファに腰かける。
するとエリカは座った創一朗をチラチラと見やったあと、小さく息を吸って、
「よし」
と呟いてから、その膝の間にひょいと乗っかり、創一朗に身体を預けた。
「えいっ」
創一朗は一瞬硬直したが、避けはしなかった。
太ももから胸あたりにかけて柔らかな感触と体温が伝わってくる。完全に体重を委ねているらしい。
約40センチの身長差によって、エリカの頭は胸板あたりにちょうど収まっている。彼女が頭を動かすと、制汗剤の香りが創一朗の鼻腔をくすぐった。
確かに、エリカは気を許した人間には距離感が近くなる傾向にある。
だが、こういうタイプのスキンシップをやる女性ではないことは、創一朗も分かっている。
エリカも、今自分がやっていることの意味を分かっている。
現に彼女は、創一朗の視界に入っているうなじや首元まで真っ赤にして、先ほどからその身体を通じて心臓の鼓動が伝わってきている。感覚器の鋭い創一朗だから分かったことだが、それにしたって爆発しそうなレベルで動悸が激しくなっているだろうことはありありと予想できた。
「お、おい」
創一朗が上から覗き込むような形で目線をよこしても、エリカはいつの間にか自分の膝に手をついて肩をすくめた格好になっており、うつむいたまま微動だにしない。
これで、いつものように悪戯っぽく笑って「一回やってみたかったのよね」とでも言ってくれば、ちょっとテンションが上がって大胆な行動に出ただけということになっただろう。
ところが実際には、彼女は顔どころかうなじまで真っ赤にして縮こまっている。
そのある意味で中途半端な対応が、つまり精一杯のアプローチであるという「ガチ感」を際立たせ、場の空気を一気にいかがわしい方向へと偏向させていた。
「危ないぞそういうのは」
創一朗は、あくまで「質の悪い悪戯」という扱いで済ませようとした。
エリカを持ち上げ、膝からどかそうとする。
だが、持ち上げるために腰を両手で掴んだ瞬間。
「ひゃっ」
その細い腰がびくりと震え、殆ど喘ぎ声と称していいくらいの艶めかしい声が、不意にエリカの喉から出た。
「っ」
思わず手を離す。
沈黙の中で、先に焦れて声を上げたのはエリカだった。
「…………お願い」
エリカは後ろを振り向くことなく、ぽつりとそうこぼした。
「何も言わずに、あたしを貰って」
明らかにからかい半分ではない、明瞭なOKサインだ。
真っ赤になったままだったが、確かな覚悟を感じさせる小声で彼女は続けた。
繰り返すが、エリカは美少女だ。それに密着され、体重を預けられ、挙句彼女の方から懇願されている。ここまでやられて何も思わないほど創一朗は枯れていない。
「いや、そういう訳には」
言いながら、理性がゴリゴリ削られていくのを自分でも感じていた。
「……ぁ、よ、よかったぁ、あたしでも興奮してくれるんだ?」
そのことがエリカにも伝わったのだろう。背中を押し返す感触で気づいたか、創一朗の葛藤が身体にも表れているのを指摘されて、いよいよ丸め込まれそうになる。
「そういう訳じゃ」
「絶対迷惑かけない。誰にも言わないからっ」
カラオケボックスを使うのは理解はできる。ホテル街なんて行こうものなら補導されるのがオチだし、そうでなくともたどり着く前に創一朗が止める。創一朗の家も同様で、どうやらエリカ自身、家族には話を通していなかったらしい。
昔の、特に田舎の高校生はそういうこともあったと言うが、それ以前に(少なくとも、創一朗の価値観から言えば)段階をすっ飛ばしすぎである。告白される可能性は想定していたが、ここまでやられるとは思っていなかった。
無理をしているのは一目瞭然。だからこそ、ただ断ったり突き放すのではなく、かといって受け入れるでもなく、言い分を聞こうと考えた。
「……なあ、何をそんなに焦ってるんだ」
それでも、畳みかけてくるエリカを制して、創一朗は理由を問うた。
「っ!!」
図星だったのか、エリカはびくりと震える。
この時点で、彼女なりの「誘惑計画」は頓挫していると言って良く、無理やり脱いだり脱がせたりして迫ろうにも、彼女は既に創一朗の膝の上。手を出される想定で身を委ねてしまっている。
一旦態勢を立て直そうと身じろぎしてみるが、それを察知しているのだろう創一朗にさりげなくガードされ、失敗。
「…………っ」
移動しようとすると創一朗の筋肉質な腕でがっしり掴まれ、エリカの膂力では全く抵抗できない。
そのことに興奮を覚えたのは、そもそも抗えない力に屈服して惚れ込んだ彼女には無理からぬことだ。
有無を言わさず自分を押さえつける血管の浮いた腕を見て、「その調子で強引に自分を喰ってくれればよかったのに」とピンクの方向に上滑りしていく思考をどうにか修正するが――
「エリカ」
囁くように、努めて優しく名前を呼んでやる。
「~っ!」
それだけで、エリカの身体がぞくぞくと跳ねた。
何も説教をしようという訳ではない。ただテンパっているだけではないのは創一朗も分かっていて、どうしてこんな性急にことを進めようとしたのか聞きたいだけだ。
が、逃がさないように膝の上で抱きすくめ、耳元で囁く形になったことで、図らずも全身で創一朗を感じる羽目になったエリカは、完全に「出来上がって」しまっていた。乙女には刺激が強すぎたのだ。
「聞かせてくれるな?」
「……ふぁい」
つまりそれは自爆であり、エリカは自らグズグズに蕩かされてしまい、あっさりと主導権を手放した。
「……今週末の、論文コンペ」
エリカは観念したようにぽつぽつと語り始める。
「大亜連合との開戦日はあそこでしょ?」
「……!」
それは、国防軍の内部における「最有力説」だ。九校戦で一躍警戒対象まで駆け上がっている魔法科高校生は、敵国から見れば今や重要な軍事的ファクター足りうる。その生徒たちが応援込みで横浜に集まるこのタイミングを、大亜連合側が逃す手はない。
創一朗もまた「原作知識」によってそれが正しいと確信しており、ひいては彼が発言力を有する対魔装特選隊ではそれを前提とした作戦行動も準備されているが、一方で確実な証拠は得られておらず、国防艦隊そのものを動かせている訳ではないのが現状だった。
それを千葉エリカが知っていることは、驚くべきことではない。彼女の実家は国防軍の下士官から兵卒レベルに絶大な影響力を有する剣術道場だ。門下生の中に口を滑らせた人間がいることをいちいち咎めている暇はない、と創一朗は考えた。
「やっぱり。創一朗さんを見てればわかるわ。少なくとも対魔装特選隊レベルでは確信してるんでしょ?」
だが続く言葉で、千葉流門下生への冤罪は撤回される。
誰よりも創一朗の動きを見ていただろうエリカからすれば、口に出していない隠し事のひとつくらいすっぱ抜くのは簡単ということらしい。つまり情報源は創一朗本人だ。
「……聞かれても口には出せないぞ」
「分かってる。あくまであたしが勝手に読んだだけ。……それ込みでも、あたしは横浜へ行くわ」
「何故?」
「ふたつ。まず、あたしは剣士……いいえ、戦士だから。敵がくる所に居なきゃいけない」
エリカの瞳は決意に満ちている。この部分は、彼女の理屈では確定していることらしい。
「そして、仲間がいるから」
あの日、エリカに覚悟の所在を問われた幹比古とレオは、しかし翌日の集合場所であった横浜に欠けることなく集結した。
「自分が戦いたいからではないんだな」
これは興味本位というか、散々模擬戦をねだって来た好戦性を知っているが故の疑問だ。
「ないとは言わないけど、流石に命のやり取りになるとどーもね」
自分じゃ余裕と思ってたんだけどな、とエリカは自分の身体を抱く。
「…………好き」
エリカは創一朗に向き直ることなく、そうこぼした。
「……自分でも、まさかあたしが人を好きになるとか思ってなくて。怖かったの」
恐らくそれは、掛け値なしの本音だった。
「死ぬのがじゃない。剣の道で生きていたはずの自分が、今更ただの女に変わっていくのが怖い。あれだけ鍛錬を積んで、怖いものなんか何もないって気取って、土壇場で未練を抱えて無様にのたうち回るんじゃないかって」
「戦場で女の名前を呼ぶ奴の逆版だろ? 当たり前の感性だと思うけども」
「それは普通の、徴兵されて無理矢理戦場に放り込まれた兵士の話でしょ? あたしは違う、自ら進んで戦場に出る武門の、それも娘。甘えたこと言うなら最初から家で旦那の帰りを待ってればいいんだわ。でもあたしは、それを選ばなかった」
そう言われると、創一朗には何も言えない。知らない価値観だったが、全く理解できない訳でもなかった。
「どうしたかったんだ」
「征く前に心残りを無くしたい。迷いを振り切って、また戦場で一振りの刀に戻るために」
だから、その、と一度もごもごし出してから、すぐに体勢を立て直す。
「…………せめて、初めてくらいは。好きな人に渡しときたくて」
その様子がたまらなくしおらしくて、創一朗は危うく理性を飛ばしかけたが、その場で彼女を押し倒すようなことはさすがにしなかった。
代わりに、エリカを膝の上からひょいと下ろす。
「ぁはは、やっぱり、ダメ、かな」
「監視カメラの下でどうこうする気はないからな」
創一朗の指さす先には、個室監視用のカメラがきちんと存在している。
「えっウソ、紳士協定的に何も言われないって」
「条例違反だ。そういう融通が利く店は店員が小遣い稼ぎに映像売ってんだよ」
エロサイトに初体験を載せたいか?と聞かれて、エリカは自分がどれだけ先走っていたか理解する。
「だからまあ、場所を変える」
「え」
「流石に、そこまで言われてフって終わりってのもなあ」
頭を掻きながら「ぶっちゃけ悪い気はしないし」と付け加える創一朗は、内心(普通こういうのって男女が逆じゃないか?)と思いつつ、それを受け入れた。
元々、横浜事変が自分のせいで明確に拡大しているという負い目が創一朗にはある。
それで原作キャラであるエリカに余計な負担をかけたとあって、彼女の与り知らぬところで、その覚悟が創一朗の心を突き刺していた。
そのあとの事は、当人たちだけが知っていればいいだろう。