黒羽の双子への「
現在は10月上旬。九校戦と生徒会長選挙を終え、中条あずさ会長による新体制が発足したばかり。
生徒会副会長に就任した深雪も、月末に控える論文コンペに向けて追い込みに入っている達也も、学業が軌道に乗って来たところだったからだ。
(もう少しスケジュールに余裕があれば2、3日様子を見て、方針を聞くために本家にも顔を出したかったが……まあいい)
達也はFLTへの出社はキャンセルしてリモートで対処可能な案件だけを帰りに済ませ、代わりに論文コンペの対応に移っていた。
毎年10月末(最終日曜)に行われる論文コンペティションは、文の九校戦などと呼ばれることもある魔法科高校最大の「学会」であり、注目論文は学会誌にも載るなど、非常に高レベルの魔法研究の場になっていることで知られる。
21世紀初頭なら理系修士と学部生が主戦場とするはずの学会という催しだが、教育の早期化・実学化の影響によって、その主戦場を高校にまで広げていた。旧時代の「高専」に近い教育方針が魔法科や普通科にも広く取り入れられている、というのがイメージしやすいだろうか。
とは言え魔法科高校はエリート校であり、同時にかなり幅広い概念を内包する学問分野を担当する教育機関だ。論文発表のテーマは自由であり、毎年各校の代表1組だけが発表するシステムもあって、その内容は非常に多岐にわたる。
そして「本来の歴史」において、論文コンペに1年の司波達也が参戦したのは、正規の発表メンバーだった平川小春が精神的不調によりダウンしたことの代役だった。
しかしこの世界では、九校戦における
結果、ミラージ・バットで事故を起こすはずだった小早川景子は(これまた原作と違って飛行魔法を持ち出した一色愛梨に完封されたものの)無事に競技を終えている。
そのため平川小春が事故の責任を感じて精神を病むこともなかった訳だが、一方で達也の方も若干動きが異なっていた。
本来は忙しさと目立ちたくないという方針によってコンペの予選にあたる先行論文を提出しなかった達也だが、この世界では「ブランシュ」による蜂起がおこらなかったことで、入学から九校戦スタッフへの抜擢まで、つまり一学期は丸ごと平穏に過ごしていた。
風紀委員にFLTの仕事にと多忙な達也だが、この期間に多少なり時間が空いていた(しかも当初、達也は自分が九校戦メンバーに選出されるとこれっぽっちも想定していなかった)ことで、後回しにしていた重力制御魔法式熱核融合炉の問題に取り組む余暇が生まれていた。
その取り組みに、FLTだけでなく一校の設備や図書館の知識、教員の知恵も使いまくったことで一応の成果として論文に纏めない訳にも行かなくなり、高校レベルに落とし込んだレポート的なまとめを先行論文として提出していたのだ。
達也にしてみれば小手先のアリバイ工作程度でしかないやっつけ仕事だったそれが、元の内容の高度さのせいであれよあれよと3年生を蹴散らし校内審査で次点に入賞。同じテーマで論文を執筆していた3年生、市原鈴音のサブとして、正規に論文コンペ代表に選出され今に至る。
九校戦での大暴れと、それに伴うFLT社の大口商談まで重なり、結果的に夏休みは地獄のような忙しさになってしまった達也だが、少なくとも学生らしい忙しさが、当人の得意分野である学識の側で生み出されていたことで、悪い気はしていなかった。
そこへ、亜夜子・文弥負傷のニュースが飛び込んできた形である。
「あの……お兄様、お加減はよろしいでしょうか」
達也が隣を見やると、いつの間にか深雪が心配そうにこちらを覗き込んでいた。
達也ともあろうものが、一瞬深雪の動向が思考の合間に紛れるほどに深く思考に没頭していたらしい。
「ああ、大丈夫だ。俺が"最終的には"傷を負うことがないのは、知っての通りだからな」
口ではそう言ったが、恐らく気疲れのようなものが溜まっているんだろうなと達也は思った。
彼としても、深雪が思考から外れかけるのは由々しき事態。今日の予定はキャンセルして長めに寝ようと決意したが、深雪の悲壮感は達也の想像を超えていた。
「そのようなことをおっしゃらないでください……深雪は、お兄様に苦痛を与えてしまったことが、それを良しとするほかない私が許せないのです……」
彼女は「
『お兄様! もうおやめください! お兄様!!』
しかし深雪も理性では分かっている通り、達也の「
彼女が縋り付いた時には既に、達也の苦痛は過ぎ去った後だ。
彼の表情の動きは、既に終わった苦痛の余韻によって発生しているに過ぎないし、一定レベル以上の情動を失っている達也にとって、どんな痛みが襲ってこようとも顔をしかめる以上の被害は発生しえない。
文弥たちが重傷を負ったのが0時頃。達也が再成を使ったのがほぼ正午。
顔面を擦り下ろすのはともかく、金的の威力と12時間分の激痛を0.2秒に圧縮して味わう羽目になっても、達也は「痛み」を「痛み」としてしか感じない。行動に支障をきたすほどの精神ダメージに結び付くことはなかった。
「そうだな……本当は抱えておこうと思ったんだが、話してもいいか?」
「っ! はい! 深雪にできることでしたら何でも!!」
それを深雪は、自分に弱音か恨み言の類を言ってくれようとしていると認識した。
「あの鉄仮面の攻撃は……俺の"再成"ありきで行われたものだ」
「っ!!」
ただ、達也は「そのように作られている」ゆえに、どこまでも冷静だった。
「命に別状はない。現代の再生治療でも重篤な後遺症が残る。再成でなら回復可能。都合がよすぎると思わないか?」
「そ、れは……言われてみれば……」
「そもそも。鉄仮面……榊主任が本気なら、二人が視界に入った時点で"鉄槌"を食らっていなければおかしい。向こうは最初から殺す気がないんだ」
「はい」
達也が喋りながら思考を整理しているらしいことを察して、深雪は少しずつ落ち着きを取り戻し、聞くモードに入った。
「こちらは"毒蜂"と"ダイレクト・ペイン"を知られて、向こうはほぼ身体能力だけで対応された。何らかの補助魔法の存在は示唆されているが……ターゲットの魔法師の身柄も向こうに押さえられたと言うし、まぁ完敗と言う他ないだろう」
「……」
「そして……これを見てくれ」
達也は手元から小さな紙片を取り出す。
「紙……ですか?」
「今時では珍しいことにな。ここにはこう書いてある。"司波達也が強いことと、四葉家が増長することは別だ。達也からも言ってやってくれ"」
いよいよ驚愕した深雪が、思わずソファから立ち上がる。
「この紙片はな、亜夜子の
――再成によって傷口が治癒された時、そこにあるはずのない「余計なもの」――銃創の中の弾丸や、傷に巻き込んだ砂やゴミなど――は世界の修正力の力を借り、「傷口に入らなかった」ことになって近くに落ちる。
「鉄仮面は俺の"再成"のメカニズムをかなり詳しく把握した上で、本格的な医学的治療より先に俺が"再成"することを完全に読み切っていたということになる」
深雪は、顔を青ざめさせたまま絶句している。
「これは軍からの警告だ。奴らは
「この、ことは、叔母上には」
「お伝えするしかないだろう」
これは荒れるぞ……という達也の呟きに、深雪は何も返すことができなかった。
◆ ◆ ◆
休みが明け、第一高校。
校内は既に次なる年中行事「論文コンペ」に向けて動き出していたが、その雰囲気は、普段のように明るく活気に満ちたものとは言い難かった。
『次のニュースです。土曜日から日曜日にかけて行われた中華街の一斉摘発を受け、大亜連合政府は報復措置として日本への大規模な禁輸措置と、国内に進出しているすべての日本企業に対して資産の凍結を宣言しました。
また、外務省は渡航安全レベルを見直し、昨日時点で大亜連合全域の危険レベルを最高の4、退避勧告に指定しました。日本政府は邦人保護のため、昨夜から大亜連合の35の港で臨時の引き上げ便を運航しており、一時避難を急いでいます。大亜連合にお住まいで日本国籍をお持ちの皆さまは、可能な限り速やかに日本に避難してください。
えー今、速報が入ってまいりました。えー官邸筋からの情報によりますと、大亜連合と国交断絶の可能性があるとのことです。繰り返します、時期は不明ですが、大亜連合と日本との国交が断絶される可能性が……』
生徒会室では、普段は気が散るからと音楽をかけることも稀だ。だがこの日は、現代になっても「聞き流し需要」のために放送が続けられているラジオのニュースに皆が釘付けとなっている。
「物騒な話ばっかりで嫌になっちゃうわね」
所用で生徒会室を訪れていた千代田花音――新風紀委員長――の言う通り、新学期になってから彼らの耳に入ってくるニュースはこのような辛気臭いものばかりになっていた。
新学期早々「身内の不幸」で夏休みが延びた司波兄妹に出端をくじかれ、大亜連合との関係は日に日に悪化している。魔法科高校には軍人や官僚など国家中枢に食い込む人物の子弟が多いため、彼らは特に間近に戦争の脅威を感じていた。
「花音、何だいそのメモ帳?」
話題を変えようとしたのか、花音に応対していた五十里啓(新生徒会会計)は、その手元にあった見慣れないメーカーの電子メモ帳に言及した。
「あーこれ。読んでみる?」
「どれどれ……十文字先輩、榊主任、七草先輩、司波くん……何の表?」
「"強さランキング"だって。バカらしすぎて押収するか迷ったんだけど、いじめに繋がっても困るしね……」
ホント男子はガキなんだから、とプリプリ怒っている花音。
彼女がこのバインダーをわざわざ生徒会室に持ってきたのは、風紀委員の事務所にいた沢木碧と渡辺摩利が露骨に興味あり気だったためだ。論文コンペの件で市原鈴音に呼び出されているという達也が不在になると、風紀委員の事務仕事は一気に停滞してしまう。
何しろ彼女らは、新生徒会発足に際して達也の生徒会移籍が打診された際、「彼が居ないと風紀委員の事務が停滞する」という理由で引き渡しを渋ったという逸話がある程度には達也に事務仕事を頼っている。
生徒から没収した手前、自分たちで楽しんでいたら示しがつかないとして風紀委員たちの中からも取り上げたのである。
「やたら情報が詳細というか、取材がちゃんとしてるね……出所はどこ?」
「
「女子じゃないか……」
新聞部1年、
スワイプしてもスワイプしても終わらない情報量は、間違いなく無駄に気合の入った取材の成果を示していた。
――第一高校で一番強いのは誰だと思いますか?――
「最強? そりゃあ十文字先輩だろ。榊主任とか達也も大概ヤバそうだが、あの辺の凄さは何つうか、俺らの強さの延長線上にあるっていうか、100回1000回と戦ったら1回くらいラッキーパンチを入れられそうではある。それで言うと十文字先輩は完全に隙なしっつーか、打つ手なしだからな。論文コンペ対策で会場警備の訓練に混ぜて貰ったことあるんだけどよ、"ファランクス"には完封されるしかなかったぜ」 ……1年E組 S・Lさん
「これって教職員もアリなのよね? だったら一択、榊主任しかないわ。直接戦ったからってのもあるけど、あの人は完全に別格よ。確かに十文字先輩はとんでもない強さだけど、戦闘力って魔法力だけじゃないでしょ?」 ……1年E組 C・Eさん
「えっ最強? あんまりそういう尺度で考えたことなかったなあ……定義にもよるけど、実績面で考えると白巳さんじゃないかな。アイス・ピラーズでは司波さんに後れを取ったけど、実戦で考えると、あのスピードの念動力に対応できるビジョンが僕には浮かばないな」 ……1年E組 Y・Mさん
「お
「お兄様以外に選択肢があるとでも?」 ……1年A組 S・Mさん
「持ち上げてくれるな……だがまあ、順当に考えれば十文字先輩じゃないか。"鉄壁"の名は伊達ではない、生半可な相手では対処不可能だろう」 ……1年E組 S・Tさん
「ええっ!? 私そういう話題はあんまり……でもしいて言うなら、達也さん、かな……?」 ……1年A組 M・Hさん
「……白巳さんだと思う。うん、アイス・ピラーズの校内予選で当たった時、勝てる気がしなかったから」 ……1年A組 K・Sさん
「まぁ十文字会頭……ああ、元会頭だっけ、あの人だろ。ファランクスを突破する方法が思いつかねーもん」 ……教職員 S・Sさん
「……ってこれ、司波さんっぽいの混ざってない?」
「集計結果も載ってるね……どれどれ……」
なんだかんだ言って花音と啓の二人をくぎ付けにしている辺り、読ませる記事を作り上げる醒井の腕前は本物ということだろう。
二人の「脱線」は、背後に現れた深雪の放つ冷気に気づくまで数分に渡って続いた。
水面下で近づきつつある戦いの足音は、今はまだ、生徒たちの日常に影響するものではない。
今はまだ。