光宣が人を辞めることを決断して、およそ2週間。
9月を目前に控えて世間はUターンラッシュで賑わっているが、この研究所は平常運転だ。
白い地獄に備え付けられている訓練設備で、創一朗は魔法の調整を行っていた。
分厚い装甲材に囲まれた広い部屋の中に、「標的」としてのダミー人形や障害物などが点在している。隣には分厚い強化ガラスで隔てられたモニタールームもあり、全方位を攻撃するタイプの魔法であれば術者をモニタールーム側に隔離することもできる。戦術級までの魔法であれば、基本的にはこの中で威力を確認可能だった。
この日、創一朗は「被害半径は」小規模な魔法を試験している。
室内中央にぼんやりと存在している「なにか」に対して、創一朗は両手をかざし、眼を閉じマルチスコープの動作も切る。
これは主に古式の考え方で用いられる、疑似的ないけにえの手法だ。創一朗にとって絶対の得意分野である視覚をあえて封じることで、一時的に感覚器の機能を引き上げる。
室内に漂っている「それ」は、少なくとも現実世界に形を持って結実していない。そのような存在をとらえたい時は、「見」たり「聞」いたりしようとするのではなく「感じ」て、あえて正確にしようとせず、自然体のまま受けいれることが重要だ。
「それ」にとって、五感で捉えられる情報は痕跡であり、二次的なものだ。「それ」が行動した結果、現実に見聞できる影響が及ぶことはあっても、「それ」そのものを認識することは、通常の感覚器にはできない。
果たして、創一朗は部屋の中央に存在する「なにか」を感じ取った。
同時に創一朗の口が開くと、幾つかの囁き声が重なったような不思議な音が漏れ始める。
これは主に欧州系古式の邪法、「黒魔術(ウィッチクラフト)」で用いられる詠唱の短縮法だ。声帯の改造とモンゴルに伝わる2種類の音を同時に発声する技術の転用によって、普通に呪文を唱えるより8倍ほど早く魔法を発動させられるようになっている。
足元には、刻印魔法による大規模な方陣と、神道系の呪符。独立した魔法を発動するのではなく、術者をサポートするための結界構築に用いられている。
現代魔法の歴史は合理化と省略の歴史。しかし、古式の考え方は一部相反する部分がある。
一見して非効率な儀式や意味のないシンボル、何の効果もないはずのプロトコルも、その形が保たれることに意味がある。
古式の中でも、極限まで工数を減らし略式化した魔法が貴ばれる時代であるからこそ、あえてそれらを「略さない」ことで術者の限界を超えた出力を生み出す。
実戦ではほぼ使い道のない技術だが、研究段階では非常に有用であった。
「"
贅沢に5秒近く掛けて詠唱を終え、魔法を発動。
それに呼応して、創一朗の構えている特化型CAD――”無人地帯”の時にも使った携帯型セイレーンシステム――が魔法を補佐。さらに効力を高める。
それは戦略級の巨大さも、鉄槌のような速さも持っていないが、それらを犠牲としてでも事象干渉力に「全振り」していた。
部屋の中央で浮遊する「なにか」が動きを止め、まるで苦しむようにもだえ始める。
やがてそれも止まり、ギリギリと押し込められるような音が響く。だがそれは実際に音が鳴っているのではなく、「なにか」が発する悲鳴のようなプシオンのノイズを、人間の感覚器が「音」として拾っているに過ぎない。
その「音」はだんだん大きくなり、ギチギチと不快なノイズが数秒続いた後、破裂するように「それ」は崩壊し、辺りに飛び散った。
「……ふぅ」
それは、加重系魔法「不可視の弾丸」の発展形。一定範囲の空間を対象に重力場の「檻」を形成し、極限の重力で対象を圧壊させる魔法だ。「重力の檻」というあり得ない状態を実現するため、例によってFAE理論が用いられている。結果として、檻の外=デッドゾーン外への重力の影響はゼロだ。
さらに魔法式には「時間と共に効果範囲を狭め、代わりに重力が大きくなっていく」旨が記載されており、創一朗の干渉力が限界を迎えるのと、効果範囲がゼロになって定義が破綻するのが同時になるよう設定されている。
要するに「破道の九十」であるとは創一朗の言だが、重力の棺で相手を閉じ込める技である点はもちろん、補助を含めた「完全詠唱」でなければ出力が最大化できないという点でもその挙動は似ていた。
重力は物理学において、自然の中で働く4つの力(電磁気力、強い力、弱い力、重力)の1つとして定義される。第五の力とも言われる魔法だが、少なくとも現代魔法の理論は現代物理学に基づいている。加重の魔法である「鉄槌」は一番最初に超能力から現代魔法に再定義され、その成り立ちから「原初の魔法」と呼ばれることもある、世界の真理に近い力だ。
科学的にはただの水溶液に過ぎない血液が、古式魔法の世界観では非常に格の高い依り代として機能するように。古式的にはただの「前提」として注目されない重力は、科学の世界観では非常に格の高い力となる。
ゆえに現世に存在するあらゆるものは、実体のない流体や光でさえ、その作用から逃れることができない。余剰次元論に基づく「世界の向こう側」に存在するパラサイトでさえ、この世界を支えている重力の壁を自力では越えられないのだから。
「お見事、これなら野生の魔神に遭遇しても返り討ちにできるよ」
ガラス越しに状況を見守っていた山田――室内中央に的代わりとして「なにか」を作り出した張本人――が、インカム越しに創一朗の技量を褒めた。
魔神とは、古式魔法に用いられるSB(スピリチュアル・ビーイング)が自然発生したものを言う。一部の霊地などではごく稀に発生することがあり、特に規模の大きいものは各地で妖怪や怪物と同一視されてきた。
「しかし、こんな超パワーにする必要あったのかい?」
どうやらこっちが本命の質問のようだ。
創一朗が開発しようとしている”檻”は、ダウンサイジング版でよければ既にCADなしで発動可能なレベルに達していて、フルセットの準備の上で発動されるそれは、現代の機器では計測できず、見かけ上の空間が歪むほどの異常な高圧を相手に与える。
「ぶっちゃけ、あんまりないですね。物理攻撃が効かない相手対策ではありますけど、具体的な仮想敵がいる訳じゃないので」
あっけらかんとした返答。
鉄槌は対象物をロックオンできなければ発動できない。創一朗の眼ならば、SBやパラサイトの実体をとらえること自体は可能だが、物理的に存在していないものには圧力を与えられない。
「ただ、最大出力が分かってれば”何”まで対応可能か分かりやすいじゃないですか」
今回山田に作らせたSBは、物理的な実体を持たないパラサイトを想定したもの。これを問題なく拘束・破壊できたことは、創一朗にとって大きな意味を持つ。
――"檻"はパラサイトに効く。
それは、単に「重力」という物理現象であるというだけでなく、「加重」という概念を範囲内に押し付けるという論理構築によって魔法が作られているからこそ生み出された成果だった。
精神干渉魔法を持たない創一朗にとって、対パラサイトの手札は術式解体と”檻”のみ。術式解体はあくまで吹き飛ばせるというだけの攻撃なので、致死の攻撃手段を初めて得たことになる。
「なるほどねえ。にしたってやり過ぎ感あるよこれは。伝説上のパラサイトとでも戦うつもりかな?」
もちろん、創一朗は最初から「対パラサイト」を念頭に術式の開発を行っている。司波達也ですら初見で対処できなかった特殊な存在であり、登場以降様々な局面で便利に使い回され最後にはラスボスまで務めた。
「パラサイトだろうがエイリアンだろうが、日本に攻めてきたら対処するの俺たちですからね。手札が多いにこしたことないですよ」
余談だが、パラサイトは作中の世界観において「異界からの来訪者」とみなされているので、「エイリアン」の原義である「異邦人/外来種」に合致している。
「血が出るなら殺せるとか言い出しそうな勢いだね、頼もしい限りだ」
そんな創一朗の内心を知ってか知らずか、山田は半ば呆れたように話を締めくくった。
「この後は休みかい?」
「いえ、ちょっと"営業"に」
◆ ◆ ◆
「術後の経過は順調ですよ」
研究所……ではなく、横須賀の特選隊本部。
その応接スペースで
光宣の魔法力強化について喜ぶ親族は多いが、当人のことを純粋に心配している人物は彼女くらいなものである。
「懸念された拒絶反応や体質的な向き不向きの問題も概ね突破。元気過ぎてベッドに縛り付けるか検討するくらいです」
強化措置後の光宣は弱体化するどころか、想定を超えて
特選隊の機能の一環として、カテゴリー4(創一朗が本気でかかっても
おかげで突貫工事で新たな作戦計画を練る羽目になったものの、彼が実際に敵に回るかは未知数だ。少なくとも特選隊としては、その可能性は非常に低いものと見ていたし、だから今回の強化計画に待ったがかからなかった。
「ふふ、良かった」
今回の「施術」に際して、少なくとも九島家当主は狂喜に近い反応を示したという。
そして烈は、その様子と孫の覚悟の決まった瞳を一目見るや、ひとつ深いため息をついた後「好きにしなさい」とだけ言ったとのことだ。
ひょっとするとそれは、九島烈の長い人生で初めて家を見限ったシーンかもしれなかったが、ともかく光宣の移送と入院は研究所側の人員が驚くほどスムーズに進んだ。
「第一段階はひとまず来週を目途に終了、今の見通しでは12月には日常生活に復帰できます」
すべては順風満帆に思える。
だが創一朗はこの日、「もう一つ」をさらに手に入れようとしていた。
「近況報告は以上、ここからは別件なんですが……単刀直入に言います。響子さん、ウチに来ませんか?」
「うふふ。あなたには感謝しているけれど、これでも
この日も左手薬指に嵌っている、銀色の結婚指輪をかざして見せる響子。
「それとも、上官権限で無理矢理……とか、試してみます?」
「確かにプライベート感出しましたけど、残念ながら仕事のお誘いですよ」
身を乗り出して妖艶に笑う響子だが、それが冗談なのは仕草のわざとらしさから判別できる。ある意味では彼女からの信頼の現れかもしれなかった。
あるいは、創一朗が良し悪しはともかくとしてこの種の
意外な悪ノリというか、結婚して余裕が出たせいで悪戯に磨きがかかってないか……? と内心で困惑しつつ、返す言葉に乱れはない。こういう時、態度はともかく顔が見えないバイザーは便利だった。
「ふぅ~ん……」
なんだか達也君を思い出すわね、とやや失礼気味な感想を持っている響子をよそに、すっかり出端をくじかれた創一朗は気を取り直して勧誘に移る。
「真面目な話、電子戦やれる人がウチの部署には居ないんですよ。今なら統合軍令部直属の情報士官のポストに対魔装特選隊代表としてねじ込めますよ?」
当然だがゴリゴリの出世コースである。業務量はともかく、軍令部付となれば防衛省のオフィスかこの対魔装特選隊本部で仕事をすることになるので前線からはさらに遠くなるし、防衛省技術本部兵器開発部の技術士官としても籍を持っている「
「ごめんなさい、それはできないわ」
返事は即答。恐らく、あらかじめ返答を決めておいたのだろう。
「そうですか。参考までに理由を伺っても?」
「あら、意外とあっさり解放してくれるんですね?」
割と本気で残念そうにしている辺り、案外誘い受けというか、気を許した相手にはグイグイ来て欲しいタイプなのかもしれないと創一朗は思った。
「独立魔装大隊で活躍して頂けるなら、国防上ベストではないにしろベターです。強引な勧誘で今後も付き合いのある相手を怒らせたら進む仕事も進みませんよ」
「大人ねぇ、どっちが年下なんだか……それで、理由でしたっけ」
はーやれやれとでも言いたげに肩をすくめ、響子は話を軌道修正する。どうやら本格的に、この年下の上官をイジっても面白い反応は出てこないと諦めたらしい。
「ええ、差し支えなければ」
「……わたしは藤林の人間ですが、間違いなく九島の一族でもあります。あんな家でも、売るような真似はしたくない」
創一朗は特選隊のスタンスや黒幕の思想などを一切明かしていないが、この魔女の手元にはどうやらある程度の情報が揃っているらしい。
「七草は売られましたけどね」
かつて国防軍人でありながら七草家の子飼いとして手足になってきた防諜第三課は既にない。その最高戦力であり、屋内戦エキスパートとして切り札的存在だった風鳴詩が情報部に残留しているのは、つまりそういうことだ。
「えっ!?」
「では、振られたことですし自分は退散しますよ」
響子のリアクションに反応を見せることなく、創一朗はそそくさとその場を後にする。
十師族でも最優と言われた七草の権勢には、少しずつ確実にヒビが入り始めていた。
200%茈と同じように、詠唱を略さないことで威力がちょっと増すという独自設定です。