(政府の)犬です、よろしくお願いします   作:TE勢残党

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65 地獄の沙汰

 関東州 旧埼玉県某所。

 

 とても関東とは思えないような山道を進む。技術が進歩し、自動運転が広く実用化されている現在だが、それは中央管制プラットフォームがカバーしている都市部の話。それ以外の田舎道はどうしているかと言うと、リアルタイムで現在位置を示してくれる地図アプリのナビを頼りに運転する「昔ながら」のやり方だ。とはいえ枯れた技術である。どんな山道でもアプリが進路を見失うことはほとんどなくなって久しい。

 

 一方で、「地図に載っていない道」の存在は今でもしばしば語られる。道なんてものは個人が勝手に作ることもできるので、捕捉率100%は構造的に実現不可能である。

 

 この山道もその中のひとつだ。山道の時点では普通に地図にも記載されているが、ここを特定の手順で曲がると、封鎖済みの旧トンネルに到着する。表向きは封鎖済みだが、実際にはその機能は生きている。途中にあるゲートを分岐することで、地図上に存在しない車道へ入ることができる。

 

 そこからさらに数十分車を走らせることで、外から見ると完全に埋め立てられている秘密実験施設「秩父先進技術研究所」の表層、地下トラックヤードに到達する。

 

 元々、この研究所は戦時中の核武装構想に基づいて建造されたミサイルサイロ兼地下核実験場だ。結局のところ核が配備されることはなかったが、基地自体はほぼ完成に近いところまで行っていて、戦後ここを入手したM機関は最低限の改装だけ施してほぼそのまま秘密研究所として流用している。悪だくみにはもってこいと言えた。

 

 そのためこの施設には、設計段階から大隊規模の人員を外に出さずに生活させる秘密都市としての機能が想定されていた。物資や人員を搬入するため、そして何より搬入されている事実を知られないため、この研究所への出入り口は広大な地下道路網という形で十数カ所に分散している。

 

 その涙ぐましい努力の最たるものは、最寄りの町から直線距離で約10キロに及ぶ軍用地下鉄であろう。

 

 民間の鉄道で移動可能な最寄り駅から研究所に直接乗り入れる専用の地下鉄は、傍目にはただの貨物駅から伸びる線路に見えるようカモフラージュされているが、他の道路網と同様、トンネルの中で「存在しない分岐」へと進んでいくことになる。

 

 地下区間は10キロ程度だが、それ以前の路線は民間の線路と共有であり、都心特有の複雑極まる路線図の中へ溶け込むようになっている。これをよくよく調べると、秩父・練馬・渋谷・横浜・石川町を経由し、横須賀港近くの貨物駅まで一本の線路を辿っていけることがわかる。もっと言えば、この貨物駅は地下で対魔装特選隊の本部が入居する建物に繋がっている。

 

 つまり、M機関の総本山たる秩父先進技術研究所から備え付けの暴力装置である対魔装特選隊の本部まで、その9割以上は民間路線との共有とは言え、実は乗り換えなしの電車一本で接続されているのだ。

 

 トラックだけでは物流量に限界があるため、大型設備や兵器類の搬入・搬出は民間鉄道の合間を縫ってこのルートを借りる形で行われ、世間の目をごまかしているのである。

 

 余談だが、この鉄道が横須賀-秩父間を60分ほどで結んでいる都合上、創一朗はこのところ、土曜の21時頃に八王子の拠点を出発、22時頃に横須賀の特選隊本部に到着して報告や雑務をこなし、土曜午前1時発の定期便に乗って2時頃に研究所に到着しそちらで就寝、日曜深夜に折り返しという、通えなくもない距離に実家のある学生のような生活を送っていた。

 

 しかし、それぞれの交通手段の存在は、それを取り扱う最小限の人員にしか知らされていない。まして外部からの「客人」は、もっぱら車での入場に限られていた。

 

 閑話休題。ひっきりなしという訳でもないが、それなりの頻度で車両が入ったり出たりしているトラックヤードに、1台の自走車が到着した。車窓は全てスモークガラスで、外から見る分には規制ギリギリの濃さだが、内からは完全に鏡面に見える特別製。サスペンション等にも手が加えられていて、どこをどう通ったかを体感で記憶できないようになっている。

 

 その特別仕様車――客人の送迎専用に用意されている備品――の後部座席から、一人の女性が現れた。

 

 同乗していた女性兵士(対魔装特選隊の構成員)によって目隠しと耳栓を外され、たっぷり90分近いドライブを終えた彼女――藤林響子は、傍目に分かる程度にはうんざりした様子でひとつ伸びをした。ちなみに今日は、名目上は海軍の施設で打ち合わせをするということになっているので軍服姿である。

 

「ここが……」

 

 地下構造物とは思えない大掛かりな設備を進むと、施設内の隔離区画に入るための入口、暗い赤色に塗られたゲートに突き当たる。

 

 機械式の自動銃座――しかも、響子の知っている拠点警備用のそれより明らかに口径が大きい――が両脇に佇んでいることを無視すれば、入口自体は工場などによくある大型の自動ゲートだ。いや、材質が何やら合金製で、重厚感を漂わせながら鎮座する姿は確かに「地獄の門」らしさたっぷりだと響子は思い直した。

 

 同伴している兵士が入口の操作盤で指紋と虹彩チェックを完了させると、物流倉庫などでよく聞く大音量のブザー音と黄色の警戒灯の組み合わせが耳と目を刺激する。2秒ほどのタイムラグを経て、重量感たっぷりな音を出しながらゲートが開いた。

 

 開いたゲートの分厚さに慄きつつ、これで入場できるかと思いきや、開いた先にはもう1枚同じようなゲートが鎮座している。

 

「構造的に2枚同時には開けられない仕組みになっていますので、1枚目が完全に閉じるまでここで待機してください。その間に危険物等の持ち込みがないか最終検査を行います。武器、CADの他にカメラ類と、インターネットに接続可能な電子機器は一部例外を除き持ち込み禁止ですので、携帯している場合はあちらの事務所に預けてください。また強力な金属探知機を使いますので、体内にボルトや銀歯などがある場合には申告を」

 

 同行している兵士が流れるように告げ、同内容の印字されたプラカードが与えられる。

 

 軍事施設の中でも最重要機密レベルの管理状況を前に、響子は少し気圧されながらも手持ちのスマートフォンを事務所のロッカーに預けた。

 

「お疲れさまでした。お通り下さい」

 

 検査自体は数十秒で完了し、係員からゲストカードが手渡される。案内に従ってそれを首から下げた頃、先ほどとは別のブザー音と共に2枚目の青色に塗られたゲートが開いていく。

 

 そこは、文字通り真っ白だった。

 

 大病院の廊下のような構造で、人間味を感じないほどの不自然な清潔さと静寂がその場を支配している。微かに新築の建材の匂い――家具屋などで感じるような――がする以外は完全な無臭、聞こえて来る音はどこか遠くから響いて来る足音くらい。

 

 あまりにも"隙"が無さ過ぎて、逆にジワジワと不安というか、恐怖が湧き起こってくるような内装だった。実際、内装の白さから取って"白い地獄"などという二つ名を冠しているくらいで、この「白」への不気味さは職員含め皆が感じているところらしい。

 

 その廊下に、一人の大男が立っていた。

 

「いやあ、態々スミマセンね。場所の情報が極秘なもんで」

 

 榊創一朗。この「秩父先進技術研究所」へと藤林響子を招いた張本人であった。

 

「正直ちょっと挫けそうになりました」

 

「生憎と、帰りも同じルートですよ」

 

 皮肉の応酬をしつつ、滅多に使われない応接室へと歩みを進める。

 

 その途中響子は、創一朗がいつものバイザー姿ではなく、顔を含む身体の多くの部分に包帯を巻いて現れたことに触れた。

 

「その、何かお怪我を?」

 

「ああ、いえ。ちょっと大がかりな調整をやったばかりでして。動けない訳じゃないんですが、今週いっぱいはミイラ男です」

 

 面倒なことは世間が休暇のうちに片づけてしまおうという創一朗の発想により、お盆シーズンがそろそろ終わろうかというこの時期になっても彼は種々の改修・調整案から解放されていないのだった。

 

「さ、こちらにどうぞ」

 

 ここまで付き添いで来た兵士と入れ替わる形で案内役になった創一朗に先導される形で、研究所内の応接間に通される。なお、室内は研究所の内装と違い、普通に(?)シックで高級感のある印象で家具が集められていた。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

「結論から言いますが」

 

 備え付けられている3Hの用意したアイスコーヒー(味は微妙)が無くならないうち、創一朗は早速要件を切り出した。

 

光宣(みのる)君の体質を改善することは可能です」

 

「!」

 

 創一朗の発言に、今日初めて響子の表情が明るくなった。

 

 響子がこんなところまで来ているのは、彼女にとって従弟(実際には異父弟)にあたる九島(くどう)光宣(みのる)の身体が虚弱なことを改善するためだ。体質などの詳しい情報を調べるため、光宣本人は数日前から先んじて研究所に「入院」して徹底的な精密検査を受けていた。

 

 九校戦の折、テロリスト割り出しのため響子の力を借りるのと引き換えに、彼女自身が出した条件がこれであった。

 

「彼の身体のデータです」

 

 創一朗が差し出したタブレットには、そうして得られた詳細な情報が数値化され、グラフと共にびっしりと記載されている。

 

「彼の来歴についてやいやい言うつもりはありません。俺たちの言えたことじゃないですからね」

 

 当然、光宣のルーツがどこにあるか、彼がどのようにして誕生したか、その全ては調査の過程で丸裸になっている。

 

「……っ!!」

 

 これを聞いて響子は驚いた。

 

 M機関側が生い立ちに理解を示したことに、ではない。

 

 光宣の生い立ちに、響子さえ知らない闇が隠されていたらしいことにだ。その詳細は、響子の手元のデータがありありと示している。

 

 彼女の本職は情報分析、CSVファイルを埋め尽くす数列や転送するだけで半日かかるような物量の文書ファイルを読み解いて、それが意味するところを門外漢の偉い人にも分かるように示すのが仕事だ。既にある程度まとめられているそのデータが何を意味しているか、彼女には一目で理解できた。

 

「調整体……近親相姦……こ、んな、これって」

 

 顔を真っ青にして両手で口元を覆っている響子に構わず、創一朗は言葉を続けた。

 

「よくこんな厄ネタ隠してましたよね。研究所(うち)にたまたま九島家の遺伝子サンプルがあった*1から分かったものの」

 

 創一朗としても「えげつねぇな」くらいには思っていたので真面目なトーンだが、生来の軽い口調がこういう場ではマイナスに働いた。

 

 九島光宣は調整体だ。四葉家の完全調整体とは別のアプローチで作られ、そして限りなくそれに近いところまで到達しながら、「器」の強度不足で届かなかった「傑作になり損ねた失敗作」。それが彼だ。

 

「あえて実兄妹の遺伝子を使い、極限まで血を濃くして能力を高めようとする発想は理解できます。ウチでも似たようなアプローチを試そうとした*2ことがある。当然、起こりうるリスクについてもある程度対策の目途が立っています」

 

 司波深雪は「生まれてしまった怪物」が世界を滅ぼすかもしれないという「恐怖」に抗うために設計された。

 榊創一朗は「必殺の魔法的国防兵器」を求める黒幕の「渇望」によって作られた。

 

 それらと同じように、調整体には作られる目的がある。

 

 九島光宣は、一族の祖たる烈に匹敵し、超えうる人材を生み出さねばならないという「執念」によって生み出された。

 

「あの人たちは……そこまでして……」

 

 響子の胸中では、九島本家の印象が凄まじい勢いで悪化していた。

 

 当然だろう。元々、響子の中で「光宣が家族から遠巻きにされていたのは当人が病弱に生まれてしまったから」というストーリーが根付いていたのに、その病弱は家族の手で作り出されたものだった。

 

 下手人であろう現当主・真言は自分の妹を使って危険な交配を試した挙句、失敗したとみるや見向きもせず。しまいにはすべての事実を隠蔽して素知らぬ顔で過ごしていたということになるのだから。軍人とは言え、暗部にどっぷりというわけでもない響子にとって、冷静さを欠くには十分な身内の恥だった。

 

「……少し時間を空けますか?」

 

「いえ、最後まで聞かせてください」

 

 それでも、休憩を提案する創一朗を制し、続きを促す。

 

 それは虚勢を張ってるとかではなく、単に1度止まってしまったら、もう二度と事実と直面したくなくなりそうだったからだった。

 

 ともかく、そうして生まれた光宣の魔法力は全開状態の深雪とほぼ変わらない。虚弱体質でロクに鍛えられていない状態でそれだから、あるいは素質では上回っているかもしれなかった。頭の回転も速いし、レパートリーの豊富さとそれを十全に扱う機転、土壇場での手札の組み立てなど戦闘センスも一級品。ついでに顔もいいと来ている。

 

 問題は身体の方だ。その莫大なサイオンが活性した時のエネルギー量に耐えられず、自らの想子(サイオン)体を破裂させては持ち前の有り余るサイオンで修復して、を短いスパンで繰り返していた。

 

 サイオン体はあくまで精神の側なので、損壊したから即、死という訳ではない。だが肉体は多少なり精神に引っ張られるものだ。多少の傷ならともかく、破壊と再構築を何度も繰り返していたら肉体にもそれなりの負荷が返ってくる。これが頻繁に起こる体調不良の原因だった。

 

「つまり、体質改善のためには想子体を強化する必要がある」

 

「……可能なんですか?」

 

 響子は藤林という苗字の通り、忍術を伝える古式の大家出身だ。精神と魔法の関係についてはむしろ現代魔法ベースの研究所よりも深い知見を有する。想子体という概念について、魔法技術は未だ直接干渉するに至っていないことは、彼女も把握していた。

 

「直接どうこうするのは不可能なので、間接的な手段を講じます」

 

 創一朗の、もとい「白い地獄」の研究者たちが打ち出したプランはこうだ。

 

 精神の側である想子体が肉体に影響を及ぼしている以上、肉体もまた精神に影響を及ぼす可能性が高い。

 

 そこで、まず光宣の身体を改造し、魔法的強化も併用して「想子体が破損した程度では小動もしない頑強な肉体」を一時的に構築する。

 

 これによって生まれる「肉体が壊れない」という事実を精神の側へ逆流させて、肉体に引っ張らせる形で想子体を強化する。想子体が壊れる→肉体が壊れる、という事象が普段から起きているので、その逆で肉体が壊れない→想子体も壊れないという工程を繰り返し起こして想子体を強化していく。

 

 想子体が強くなってきたのを見計らって魔法や投薬などの一時的強化を剝がしていき、最終的には最低限の機械的・生化学的強化がされた身体だけを残し、生身で全力稼働しても想子体が破損しないのを見届けて施術完了。

 

「想子体の破損スパンからの推測では、第一段階の"魔法で強化した肉体"は2週間で卒業、第二段階の"全力で扱っても壊れない想子体"実現まで約3ヵ月を見込んでいます」

 

「……」

 

 一見して、かなり強引だが確かに試してみる価値はありそうに思えた。

 

「ただし、問題点が3つあります」

 

 そして、創一朗は説明に際して誠意を尽くした。

 

「第一に、成功したとしても3ヵ月、上手く行かなければもっと長い期間、この研究所で入院生活になります。閣下への許可取りはご自身でお願いしますよ」

 

 そう、今はどうにか烈を誤魔化せているが、本格的に施術をするとなれば誤魔化しは効かないだろう。

 

「第二に、これが本当に効果があるか、実証されてる訳ではないこと。研究所の面子はこれで行けると言ってますが、成功率は高く見積もって8割程度でしょう」

 

「失敗した場合は?」

 

「検査に際して無茶な魔法行使をすることになりますんで、最低でも寿命が縮む、ともすれば実験中に演算領域のオーバーヒートもありうると覚悟していてください」

 

 響子が固唾をのむ。

 

「最後に。今回使用する強化措置は、()()()()()()に得たデータを流用したものです。成否にかかわらず、機械化措置と生化学的強化は生涯無くなりませんし、手を加えてない部分はないってくらい全身弄り回します。事実上、成否にかかわらず人間を辞めることになります」

 

 科学的なフィジカル強化による想子体損傷のカバーと脱却。

 

 奇しくもそれは、原作で実施された「精神存在(パラサイト)に成ることで、肉体を有名無実化しつつ想子体を直接補強する」というアプローチと真逆のものだった。

 

「……光宣君は、どう言ってるんですか?」

 

 響子の絞り出した回答は、しかし創一朗にとって予測の範疇にあった。

 

「じゃ、直接聞きましょうか」

 

 そう言って応接室奥のドアを開けると、なんと向こう側の部屋には渦中の人・九島光宣が座っていた。

 

「あはは……盗み聞きしてしまってすみません、響子姉さん」

 

 水色の病院着が随分似合ってしまっている幸薄そうな優男は、恐縮そうに首をすくめた。

 

「光宣君……その、今の話は」

 

「はい、昨日創一朗さんに説明してもらいました」

 

 今でこそ子犬のような態度だが、必要とあらば躊躇なく人を辞め、敵と見れば即断で致死の攻撃を仕掛けられる危うさが彼にはあると、創一朗は知っている。

 

 何より光宣には、持って生まれた才能故の自尊心の高さと、それを世界に認めさせたいという野心が存在する。「こんな奴ら自分が健康なら一捻りなのに」という具合で、常に周りのことをうっすら舐めていると言い換えてもいい。だから「一捻り」で済まない祖父と、原作では達也、そしてこの研究所に来てからは創一朗に懐いていた。

 

 きっと身体がしんどいから大人しいだけで、魔法力がない代わりに虚弱体質でもない一般人に生まれていても、希代のハッカーやマッドサイエンティストとして名を遺しただろうなと創一朗は思った。

 

「一応、生物的に人間から外れてしまうとは言っても、思考能力や理性に変化はないし、生殖能力は落ちるが全損まではしない。これらは実際の施術、つまり俺の経験に基づく実証例だ。光宣くん、最終的には君の判断に任せる」

 

(……えっ生殖能力も試したの?)

 

 響子としては大人としてその辺気にならないでもなかったが、野暮なツッコミを入れられる空気ではないため疑問を呑み込んだ。

 

「ご心配ありがとうございます。でも、……流れ的にちょっと言いにくいんですけど、施術の話を聞いた時から……いえ、響子姉さんにこの話を持ち掛けられた時から、心は決まっていました」

 

 目を輝かせて、などと言う生易しい表現は似合わないだろう。

 

 普段の儚げな印象から打って変わり、その瞳に輝いているのはぎらりとした「野心」だ。

 

「施術を受けます。大丈夫、お爺様は僕が説得しますから」

 

 そうして光宣は、あっさりと「人間」を捨てる決断をした。

 

 深く考えていないという訳でもない。本人なりに熟慮した結果のようだが、どうにも軽く決断したように思えて、創一朗はその原因に行き当たる。

 

(――そうか、九島光宣には)

 

 "人生"がないんだ。

 

 人間には、手に入れたことのあるモノの価値しか分からない。

 

 普通それは、貧乏人が高級ブランドの利点を理解できないことや、童貞が女の良さを分かっていないことや、学のない人間が教育の大切さを理解できないことを指して言う事だ。

 

 だが光宣は、そのほとんど全てがない。

 

 魔法も、美食も、スポーツも、ゲームも、映画も、旅行も、勉強も、芸術も、セックスも、病身が邪魔してまともに享受してこなかった。有り余る才能に任せてある程度の結果を出してきたが、そういう話ではない。

 

 だから、容易く捨てられる。

 

 人生に価値を実感したことがないから、人であることに尊さを見出さない。論理的に考えた結果必要とあれば、いつでもそれ(人間性)を捨てられる。

 

 九島の執念が生み出した、ある種の無敵の人であった。

 

「――わかった。じゃあ今日にでも一度退院して、親御さんの同意を貰ってきてくれ。君んとこはお父さん(九島真言)よりお爺さん(九島烈)の権力が強いんだろ?」

 

「そうですね。父は僕の動向に無関心なので、あちらの方が説得しやすいんですが……お爺様がその気になれば、当主の裁定でも普通に覆ると思います」

 

 その歪な権力構造は、きっと光宣が生まれた理由そのものだ。

 

 九島家当主の真言(まこと)はもう60歳を過ぎて、とっくの昔に当主の座を引き継いでいるはずだが、対外的にも内部的にも、九島家の()()は依然変わりなく87歳の烈である。

 

 真言を含め、烈以外の九島一族の魔法力は正直な話、パっとしない。他ナンバーズに比べれば優秀だが、十師族を張るのに相応しいかと言われると疑問符が付く。たった一人、最後に生まれた光宣を除いて。

 

 烈は偉人だ。軍で兵器として使われるのみだった魔法師に人権の概念を根付かせ、国防軍を相手に一歩も退かず立ち回り、ついには十師族という相互援助のための枠組みすらも生み出した。

 

 烈は立派だった。あまりにも立派過ぎて、誰も超えられないほどに。

 

 九島家が十師族で居られているのは烈がいるから。烈の子も、孫も、誰もその評判を塗り替えることができなかった。

 

 87歳になっても第一線を退かないのは、当人が権力の座にしがみついている訳ではない。後事を任せられる人材がいないからだ。実子であり長く当主を務めている真言すらも、烈の言いなりになることしかできなかった。

 

 光宣はすぐ上の蒼司と10歳ほど離れている末っ子で、真言が47,8歳の時の子だ。当然、遺伝子上の母親は彼の実妹であるので、近い年齢。現代の不妊治療技術をもってしても、これは「ラストチャンス」「滑り込みセーフ」の子供だ。合理的に考えるなら、試したのがあと20年早かったら光宣は虚弱体質にならなかったかも、と疑問に思うほどに時期が遅い。

 

 自分の代でも、子の代でも、烈を超えるどころか足元にも及ばない魔法力の子供しか生まれてこなかったことを確認してから、彼は最後の最後で凶行に手を染めたということになる。

 

 一族総がかりでも烈に近づくことすらできなかったという閉塞と鬱屈が、烈という最初で最後の逸材の後は凡人ばかり生まれて来る「一発屋」という烙印が。

 

 繋ぎの当主にすらなれない惨めな人生という結論が目前に迫った時、真言は一線を越えたのだ。

 

 そんな中で育ったから、というのもあるのだろう。仮にも可愛がってもらっていた祖父を相手にここまで客観的な分析ができる辺り、やはり光宣は浮世離れしているというか、どこか自分の人生そのものに当事者意識を持っていないところがあった。当事者もクソも、一生寝ているだけの人生に本腰入れる方がどうかしてる、といわれればそれまでだが。

 

「その、ありがとうございます」

 

「まだ治療始めてもいないんだ。お礼には早いぞ」

 

「いえ、今でいいんです。今が良い」

 

 

 

 ――生まれて初めて、夢を見られたんです。

 

 

 

「あ、えっと。寝てる時のって意味ではなくて、将来のです。死ぬために生きてるような人生でしたから」

 

 去り際、持ち前の子犬のような笑みでそんな台詞を残し、荷造りに向かう光宣。

 

 響子も当初はあっけに取られていたが、すぐに気を取り直してそれに続いた。

 

「夢ね……」

 

 創一朗の脳裏には、一瞬だけ懐かしい光景が閃く。

 

 この世界に生を受け、暴力装置として役目に就くよりも前。

 

 元の世界で、無感動に日々を浪費するだけの暮らしに落ち着くよりも前。

 

 賢しらな妥協を繰り返した先で、意味も興味もない学識を拾い集めるよりも前。

 

 

 

 図鑑やビデオに映った宇宙ロケットを、輝きに満ちた瞳で見つめていた頃の――

 

 

 

「そういえばいつ頃だったかなあ」

 

 夢の話しなくなったの。

 

 創一朗の呟きは、誰に拾われるでもなく真っ白な廊下に消えていった。

*1
アンジー・シリウスの解析用に取り寄せた九島真言(まこと)のものと、シリウス本人の血液サンプル。九島光宣の調査に流用できたのは本当に偶然。ただし研究所は光宣をどうやって作ったかを以前から把握しているので、この発言は嘘ではないが欺瞞に満ちている

*2
創一朗-白巳間の配合のこと。光宣の配合方法に目を付けた研究員らによって構想された




 孫の代までまともな魔法力持ちが現れず、最終的に近親相姦と遺伝子調整で作った怪物に家ごと食い潰された九島烈(兄)
 アメリカに渡ってそれなりの家庭を築き、孫の代でUSNA最強の戦略級魔法師を輩出した九島健(弟)

どこで差がついたのか
慢心、環境の違い……
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